ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

門司港 三宜楼(さんきろう)

2014-10-26 23:42:35 | JRウォーキング

JR九州ウォーキングで、門司港を歩きました

見慣れた街ですが、今回の目的は、三宜楼(さんきろう)を見学する事でした

  

門司港駅から山手側の小高い丘の上に建つ何とも風情のある数寄屋造りのお屋敷。この建物こそが、「三宜楼」。元々明治44年に建てられ、昭和6年に現在の位置に移転。延べ床面積が1200㎡を越える建物の中には、通称100畳間と呼ばれる大広間など大小さまざまな部屋があり、床の間、欄間、下地窓など当時の意匠がそのまま残っている。元々は、俳人の高浜虚子や地元の名士らが利用した高級料亭であったのだが長年利用されず、解体が決定していた。これに対し保存修復運動が起こり、今回見事に復活を遂げる。
その一階部分には、昔のように、料亭として「三宜楼」がオープン。いくつかの個室に分かれた店内。座敷の個室はもちろん、テーブルの個室もあるのが嬉しい。テーブルや椅子などの調度品から照明に至るまで、当時の雰囲気を色濃く残した部屋は、優雅で贅沢な時間を感じさせる。

 

 

普段は、見学は10時からですが、JRウォーキングが開催されているため

8時半くらいから見学できるようになっていました

 

 

 

丁度、中を案内していただけるガイドの方がいらっしゃり、

三階も見学することができました (ガイドの方がいないと見学できないそうです)

 

三階にあるガラス窓に囲まれた「俳句の間」

 

 

 

 

廊下から、今の門司港の風景を眺めることができます

当時は、どんな風景が広がっていたのでしょうか?

 

 

 

 

 二階の64+舞台16畳にまたがる広間の大空間

明治後期から戦前まで国際貿易港として、また大手商社や金融機関の進出、

石炭産業の隆盛で不夜城といわれた門司港は、

最盛期には40を越える高級料亭が軒を連ねており、

そのなかの代表格のひとつが三宜楼です

  

 

舞台は、広々としており、能を舞う事も・・・・

 

昭和初期... 門司港には200人を超す芸者さんがいたそうです

料亭は彼女たちの晴れ舞台...

その中でも超一流の芸者さんだけが、ここ三宜楼で踊る事ができたということで

あこがれの場所だったんでしょうね・・・・

 

 

現在は1階で食事を楽しむ事ができます

この日も、すでに予約が入っていたようでお昼の準備がされていました

 

 

 

 

電話室  番号は八番

 

 

料亭が閉じられた後、一時期は、間借りで人が住んでいたこともあったそうです

NHKやガスのシールは、その名残です

 

 

 

展示室には、往時をしのばせるものをが色々と展示してありました

 

 

 出光興産創業者・出光佐三や俳人の高浜虚子ら 政財界、著名人に

こよなく愛された 料亭・三宜楼

 

次は、私達も食事も楽しみたいなぁと・・・・

 


吉塚と門司のウォーキング

2014-10-19 17:30:56 | JRウォーキング

 

10月18日(土)は、、先週の台風が嘘の様な、晴れ 

JR九州ウォーキングで、吉塚&門司を歩きました

 

黒田家代々の墓がある崇福寺

NHK大河ドラマは、福岡藩の藩祖・黒田官兵衛孝高(かんべえよしたか)を主人公にした「軍師官兵衛」が放映され、官兵衛ブームの真っ最中。

 官兵衛は播磨国(兵庫県)姫路に生まれ、後に出家して如水(じょすい)と名のります。関ヶ原の戦いでは息子・長政とともに功績をあげて筑前国(福岡県)を与えられ、福岡藩の歴史が始まります。

 如水・長政親子の墓があるのが博多区千代町にある崇福寺というお寺です。境内の奥に広がる墓所には博多の豪商や政治家など、多くの著名人が眠っているのですが、さらに奥に進むと藤水門(とうすいもん)で仕切られた広々とした一角に、ひときわ大きな墓がいくつも建っています。如水・長政親子をはじめ歴代藩主6名がここに眠っているのです。

 崇福寺は1240年に太宰府に創建されたお寺ですが、黒田長政が1600年以降に現在地に移して黒田家の菩提寺としました。黒田家とは大変ゆかりが深く、山門はかつての福岡城の本丸表御門を移築したものです

 

 

 藩祖・黒田官兵衛、初代・長政、四代・綱政、六台・継高、七代・治之、九代・斉隆の歴代藩主とその一族、また直方藩主などを中心に祀っている。昭和25年に改葬工事が行われ、二十数基あった石塔は官兵衛などの一部を除き廃された。現在は12基の石塔が残されているそうです

 

 

 

 

 

藩祖・黒田官兵衛の墓所

 

初代 黒田長政の墓所

 

吉塚を歩いた後(割と、頑張ったかな  笑)、博多に行き、特急で門司へ向かう事に

と、その時に、5番ホームに「ななつ星」が入ってるよ と聞き、見に行く事に

(乗ることは出来ませんね~~~~) 

 

一番豪華なDXスイート   これで旅行って、どんな気分なんだろうな

 

 

車両は、1周年を迎えた今も、ピカピカでした   写真をとる私達も鏡の様に写ってました

 

門司駅に到着し、再びウォーキングスタート

門司機関区車両基地もこのウォーキングで特別公開

 

 

 

 

 

JR九州研修センター  運転体験

 

私も、車掌さん体験  出発進行

もちろん安全確認も

 

 

運転台体験も (^。^)y-.。o○

 

 

 この日は、新幹線の運転シュミレーターは体験できなかったけど

車掌さんにはなってみました

ここでは、車内放送の練習もされるようです

研修センター 学(まなぶ)くんと 記念撮影も

(研修センターの方ですよ

 

 この日も良く歩きました

 

<おまけ>

ウォーキング仲間のNさんと、ぼくちゃんと三人で、ゴールの後、乾杯 

 美味しかった 

 

 

 


福岡の香椎宮と八幡の岡田宮

2014-10-13 21:00:25 | JRウォーキング

 

三連休の一日目は、JR九州ウォーキングで、香椎と黒崎へ

香椎宮は有名ですが、実は私は一度も行った事がなかっったのです  楽しみ

 

◆御由緒 (香椎宮 HPより)

香椎宮は仲哀天皇九年(200)、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源であります。次で、神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め、聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、此の両宮を併せて香椎廟と称しました。明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しております

 

起源について

当宮の起源を申しますと、おおよそ西暦200年、今から1800年前にさかのぼります。当宮御祭神である仲哀天皇(足仲彦天皇 タラシナカツヒコスメラミコト 14代)は、熊襲の反乱を鎮めるべく、神功皇后共々この香椎の地(筑紫 橿日宮)におこしになられました(仲哀天皇8年 199年)。しかし、志なかば、仲哀天皇は、この香椎の地にて崩御されました(住吉大神の御神託)。その後、神功皇后(気長足姫尊 オキナガタラシヒメノミコト)は、神のお告げを受けて、海を渡り新羅を平定され、凱旋後、仲哀天皇様の御霊をしずめるべく、神功皇后自らお祭されたのが、香椎宮の起源となります。
 

由来について

神功皇后は、凱旋後、宇美にて皇子、後の八幡大明神・15代応神天皇様(誉田別命ホムタワケノミコト)をお産みになられます。八幡信仰は、後に源氏の氏神、戦神として全国広く信仰されるわけですが、そのため当宮は八幡様の親神様といわれております。また、当宮は古くは「香椎廟」と呼ばれ、朝廷より特別な待遇を受けておりました。そのため、延喜式神名帳には記載されておりません。正式に「香椎宮」となったのは、明治以後でございます。

また、「続日本紀」天平九年(737)夏四月乙巳朔条に「使を伊勢神宮・大神社・筑紫の住吉・八幡二社(宇佐)・及び香椎宮に遣わし、幣を奉り新羅無礼の状を告げしむ」とある。当初、当宮は現在の古宮に仲哀天皇・現在の本殿の地に神功皇后をお祭りしていたのですが、大正4年11月10日より、この本殿にて仲哀天皇・神功皇后を主祭神として、皇子の八幡様・応神天皇・新羅遠征にご功績あった住吉大神を併せ祀っています。

 

今日も御朱印もいただきました  

十月は、神無月ですね  出雲に行くと 神有月と書いていただけるのかな?とふと思ったりして


 

 

 

香椎を歩いた後は、黒崎へ・・・・  香椎駅で電車を待っているときに、目の前を官兵衛列車通過

 

黒崎は、「官兵衛ウォーキングコース」  何だか、良い気分でいざ出陣じゃ~~~~

 

 

 

 

黒崎のウォーキングのもう一つの目的は、黒崎にある「岡田宮」です

ここは、私が百日のお宮参りをしたお宮なんです
 

 

◆御由緒 (岡田宮 HPより)

宮は古代、崗地方(旧遠賀郡)を治めていた熊族が洞海・菊竹浜(貞元)に祖先神を奉斎した地主神にて、岡田の宮と称し、この地を熊手と号す。
神武天皇日向国より東征の途次、当宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、この地に留まり給う由「古事記」にあり。

仲哀天皇8年(199年)、神功皇后、三韓征討の折、崗県主祖・熊鰐の案内で熊手出岬(皇后崎)に到り、当宮に詣り八所神を親祭する由「日本書紀」にあり、これを岡田の三宮と称し「天」「地」「人」の三才を表す。
古来当地は北部九州における海陸路(洞海船留、皇后崎津、太宰府官道)の要に位置し、皇室、公家武門、武将等の崇敬篤く、祭礼法度を定め社領18所、末寺9坊と栄えたり。


天慶3年(940年)、藤原純友追討の折、追捕使の主将・小野好古、副将・源経基、戦勝祈願の為に当宮に参詣し、三環鈴を奉納す。此の神鈴今も当宮に伝来す。
建久5年(1194年)、征夷大将軍・源頼朝の御家人・宇都宮上野介重業、平家討伐の功によりて筑前国遠賀・鞍手両郡のうち三千町を賜わり、当宮の祭祀を波多野重満大夫藤原兼直に奉仕せしむ。
永禄2年(1559年)、大友宗麟の兵火に遭い社殿焼亡するも、永禄8年(1565年)、麻生上総介元重、社殿を再興せしむ。此れの棟札今に残れり。

慶長10年(1605年)、黒崎城築城の際に筑前六宿の起点となりて現在地に御遷座され、福岡藩祈祷社・黒崎宿の産土神と定めらる。

爾来、藩主はもとより、長崎街道参勤の九州諸大名の崇敬篤く、社殿造営・社参奉幣等多く、又上り下りの文人墨客等数多く参詣せり。

慶応元年(1865年)三条実美卿、大宰府に流謫の途次、従士・土方久元を伴いて当宮へ参詣し、維新回天の大願成就を祈念し和歌一首を奉納す。

 

御朱印を頂くときに、「〇〇年前に、お宮参りをしたんですよ」と話すと、

「そうだったら、この本殿は建て替わってますね」だって・・・・・  <その〇〇年は、秘密 笑>

 

その後、ウォーキング再会。途中で、タイムスリップしたような風景が

武者行列を見かけました

 

 

信号を渡り損ねた、二人に記念撮影をお願いしました

「十文字」のポーズを三人で取り、はいチーズ

 

 

 曲里の松並木

 江戸後期の狂歌師太田南畝(おおたなんぽ)は「坂を下るに赤土の岸あり。松の並木をゆくゆく坂を上り下りて、また坂を下りゆけば、左に黒崎の内海見ゆ。」とその紀行文(小春紀行)にこの「曲里の松並木」あたりの描写をしています。
 この松並木は当時幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残で、日光の杉並木(日光街道)、安中の杉並木(中山道)、さらに箱根の杉並木(東海道)はその代表的なものです。
 昭和20年頃まで黒崎から木屋瀬にかけて街道には多くの松を残していましたが、今はわずかにこの辺りが昔日の長崎街道の面影を留めているのみで、当時の松も残り2本となりました。
 なお、史跡の指定範囲は幅20~30メートル、長さ約310メートル、面積約8000平方メートルで、現在旧街道緑地として整備されています

 

 

 

 この中に、二本だけ江戸時代から残る松が有るそうです。

パワー貰えたかもねぇ 

 

 

 ウォーキングの後は、これがお楽しみ

 

新日鉄住金(旧新日本製鐵)のおひざ元ですもんね  スチール缶をチョイスです   

渇いたのどに、美味しい一杯でした 


うれしい知らせが・・・ デジブック 『熊本 みずあかり祭り』

2014-10-11 18:54:02 | イベント

昨日の夜、デジブック広場からのいつものコメントメールが届いていて・・・と思っていたら 

 

ぼくちゃん 相棒 さん、こんにちは!デジブック広場よりお知らせです。

江藤@デジブックオンライン さん から、下記の作品にコメントが届いています!

タイトル  :『 熊本 みずあかり祭り 』   サブタイトル:『 水の揺らぐ ろうそくの灯かり 』

下記の URL へアクセスしてコメントをご確認ください。

 

これがコメントです  

こんにちは!デジブック☆オンラインの江藤です。

ぼくちゃん 相棒様の作品を旬撮(しゅんさつ)スポットメールの

10月11日~10月17日特集で紹介させて頂きました!

 本日配信しましたので、もし反響がありましたら、

スポットに関するアドバイスをお願いします♪

 

 

ちょうど一年前に、訪れた「熊本のみずあかり」をデジック投稿したものが、紹介していただけると言う案内メールでした。季節の撮影ポイントとして、デジブック運営会社からデジブック会員へmail便で下記のように配信されたそうです。

残念なことに私は、mail便の受信を設定していなかったので、どんなメールが届いたか判らなかったのですが、(受信に設定変更しました ) 信じられない位 沢山の方に閲覧していただいて、とても嬉しいデス 

 

今年も、10月11日・12日と二日間、開催されています。きっと今頃、熊本城をバックに美しい灯が輝いていることだと思います。来年は、またJR九州ウォーキングも兼ねて、ぜひ行きたいなぁと思ってます  

 

 一年前のみずあかりのデジブックです。良ければご覧ください 

デジブック 『熊本 みずあかり祭り』

 

 今回は参加していませんが、今年のJR九州ウォーキングのMAP 


大分杵築 『観月祭』を楽しむ

2014-10-09 20:20:12 | JRウォーキング

10/4(土) 夕方からは杵築のウォーキングに参加

朝は、福岡 京都郡豊津駅でのウォーキング(というより、ハイキング 笑)に参加

久々のダブル

 

とはいえ、杵築のお楽しみのメインは「観月祭」

夕方から薄闇のウォーキングとなりました

 

お天気も良くて、秋 満喫   

コスモスも、風にゆ~~ら、ゆ~~~ら 

 

若宮八幡へ

  前に歩いているのは、ウォーキングのお友達、常連の方です  

 

 

こんなお楽しみも

中野酒造さんにて

 

沢山の種類(量では無いよ  )を味比べ  

 

 

今回は、いつもと若干コースが変わっていました

黒田官兵衛ゆかりの場所  「孝高石」

これです。何で川沿いにあるのかな??と思ってると・・・・ 

黒田官兵衛(本名は黒田孝高(くろだよしたか))にまつわるものが、杵築には色々あります。

その中に、孝高石(こうこういし)があります。

慶長5年(1600年)
関ヶ原の戦いに豊後の諸城のうち、東軍(家康側)に属していたのは、細川氏の拠点木付城(のちの杵築城)だけでした。そのため、大友吉統は大軍を率い、木付城に猛攻を加えました。籠城の木付勢は苦戦を強いられたが、これをみかねた中津城主 黒田官兵衛孝高(如水)はいそぎ応援にかけつけ、船団を草場(地名)に入れて、上陸し、共に木付城を死守しました。この時、船をつないでいた巨石をのちに孝高石とよんだそうです。

船を繋ぐための石だったんです  納得・納得 

 

 

そして、夕暮れ時 

この後は、観月祭をゆっくりと楽しみました 

 

 

デジブック 『観月祭』