ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

英彦山登山☆初挑戦してきました☆

2016-10-25 22:47:40 | ハイキング・山登り

 

ウォーキングはあちこちに行っていますが、山は「皿倉山(八幡東区)」「戸の上山(門司区」しか上がったことはありません。

まあ、考えたらお遍路さんの時は色々な山に登るのですが(そこに、札所があるから)、山登り目的では中々行く機会が無かったのですが、ウォーキングのお友達の佐賀の方から「英彦山に登りましょう」とお誘いを受け、「ぜひともお願いします!!」 と英彦山へ登ることになりました。

別所駐車場で集合  車を置いてから、スタートします

今回のメンバーは、

佐賀のMさん  長崎から女性3名(Mさんのお知り合いの方です)  北九州から、ウォーキング友達のAさん、そして私達2名 合計7名です

霧もですが、小雨もパラパラ  雨支度をしてのスタートでした

 天気予報では「曇り(若干雨は残る?」でしたが、駐車場は一面の霧で真っ白 (>_<)

 

英彦山神宮への参道

さすが、修験者の山と言われる英彦山   幻想的な風景だなぁと思いたいのですが、この先どうなるんだろうと若干不安・・・・・

  

 奉弊殿への石段を上がっていきます。石段の数は二百数十段らしいのですが、数える余裕はありません ^^;;;;汗

 最初から、階段  濡れているので滑らないように注意しながら歩きます

 左に見えるのは 「奉幣殿」 

 幻想的すぎる~~~www

 

 
英彦山神宮略誌

御由緒
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神の御子、天忍穂耳命であるところから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁十年(八一九)詔により「日子」の二字を「彦」に改められ、次で、霊元法皇、享保十四年(一七二九)には、院宣により「英」の一字を賜り「英彦山」と改称され現在に至っています。
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和五十年六月二十四日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
御神徳
天照大神の御神勅により、この地に降臨された天忍穂耳命は、農業生産の守護神として、また鉱山・工場などの産業の守護神として崇敬されています。

 

 

天ノ水分神(あめのみくまりのかみ)   龍神様です!! 

不老長寿の御神水とされる「圓通の瀧」から湧出する自然水です。

修験者が入峰する際、水筒に入れお守りとして用いたものと言われているそうですが、空の水筒などを持ってきていなかったので一口ゴクリ  

何となく、力を頂いた様な気分になりました

 飲むと、ご利益ありそうですよね~

 

 今回は、ご朱印はいただきませんでした

 後ろに見える鳥居の所から登っていきます

 

中岳まで、距離は短いが、山道の距離は平地を歩くのとは全然違います  2.2キロと侮ってはいけないのです!!!!

(身をもって体験するわけですけど  ハハハッ)

マイペースで、そして、みんなに迷惑かけないように歩き始めます

 

 階段と坂道だけなら何とかなるのだが・・・・・・

 こんな道や

  細い!!やばいぞとつい思ってしまう

 

 

 

時々、標識もあるが、どれだけ歩いたか距離感が無い

凄く歩いている気持ちになります

 

 

今にも転げそうな「大岩」

 余裕のピース 笑

 

雨は、山の中で木が茂っているのであまり気にならなくなってきましたが、霧はまだまだ晴れません

途中で、ポンチョは脱ぎました

 

 お、おーーー 足元を気にしながら登ります

 

 まだポーズをとる余裕有り?!?

  

 

産霊神社(むすびじんじゃ・行者堂)


 ここで一息つき、いよいよ山頂へ

 

 

木の鳥居の向こうは常寂光土 仏の世界だそうです  霧がかかって、天に向かって歩いていく気分に????

 ここまで上がれば、後残り少しと言う言葉を頼りに、登ります  それにしても、前は真っ白だなぁ

 先に見えるところを曲がると

 

英彦山神宮上宮  に到着   やったぁ~~ ♪

中に入り、手を合わせます

無事にここまで到着できました

 お昼休憩だっ

足取りは軽く!!と言いたいところですが、みんな先に到着済み 

寒い中でお待たせしてしまっています   急がないと~

 ここでお昼です

 

 温かいお汁を準備してくださいました  ありがとうございました

とっても美味しい!心も体もポカポカに ^^vvv

 持参の オニギリ 笹カマ 卵焼き

 ぼた餅  資さんで買ってきました

 甘いのも美味しいよ

 

英彦山山頂の標号の横で  記念撮影

 

 

 ご飯を食べ、少し休憩

あまり長く休憩は出来ないです  山頂は寒くて、冷え切ってしまう前に下山

 行きと違う道を帰ります

 

  梯子降りる  下から”何処に足をかけて”と声をかけて貰いながら降りていきます

 ようやく、少しなだらかな所に出てきたけど、まだ石がゴロゴロで気は抜けない

 

 まだまだ、修行の道のりが続く 

 

そして、「鹿」発見

後姿を、激写です  お尻の白いところがわかるかなぁ????

 

もうすぐ、スタートした 英彦山神宮の奉弊殿に到着なんです

 

 歩きにくい石ゴロゴロの道はもうすぐ終了

 朝登り始めた鳥居のところ

 すっかり霧も晴れて、見える景色は全く違います

 階段を下ります  ここからは、来た道を戻ります

 本日の歩数  少ないけれど、密度はとても濃いのです

 

出発の時  今回のメンバーで (ぼくちゃん撮影)

同じペースで登れず、山頂の寒い中でお待たせしてしまい申し訳なかったです・・・・

でも、これに懲りずに、またよろしくお願いします   楽しかったです  ありがとうござました m(__)m

 

今度は、晴れた時の英彦山からの絶景を見てみたいなぁ

でも、二人で登るなら、まだまだ 皿倉山くらいだな~    霧の中やロープや梯子の道、私達二人じゃ無理ですもんね

楽しく安全に楽しみたいです

 

おまけ

車で帰っているときに 行きは通り過ぎていた「銅の鳥居」

寛永十四年(1637年)佐賀藩主鍋島勝茂によって建立された青銅製の鳥居である。
鳥居正面の「英彦山」の扁額は享保十四年(1729年)に霊元法皇によって下賜されたものである。
昭和十四年に国指定重要文化財に指定された。

 とても立派な鳥居です

 

道の駅にも寄りました

ぜんざいときなこもち   今日はお昼におはぎ、おやつにぜんざいとあんこづくしでした

ここで、一緒に英彦山に登ったAさんと再びばったり(笑)  三人で同じテーブルで、おやつタイム

みんな、考えることは同じですね

 

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 3日目 その2<今回の打ち終わり>

2016-10-21 22:11:44 | 四国八十八か所巡り

 

道後温泉にある51番札所「石手寺」に到着しました

相変わらずのお天気が続きますが、ここまでくれば一安心です

船も無事に予定通りに運行される様だし!

日本一の高さの「日中友好弘法大師像」を拝みながら、石手寺にお参りします

 

◇第51番札所 石手寺◇

「石手寺」の縁起によると、神亀5年(728年)に伊予国の太守「越智玉純(おちのたまずみ)」が霊夢に二十五菩薩の降臨を見てこの地を霊地と悟り、熊野十二社権現をまつり、それが聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来刻んで本尊として安置して開基、寺名は「安養寺」とされました。

その後、平安時代となり、寺名を「石手寺」と改名するきっかけになったのが、空海に懺悔するために四国をまわったことで四国遍路の元祖といわれる「衛門三郎」だそうです。

23回目の巡礼でようやく空海と出会うことができた衛門三郎ですが、すでに病で命が尽きる間際で、「来世には河野家に生まれ変わりたい」と空海に託し、空海は衛門三郎の左手に「衛門三郎再来」と書いた石を握らせたそうです。
それからしばらくたった寛平4年(892年)に河野氏に生まれた子どもが左手を固く握って開こうとしないので、「安養寺」の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきたことから、この子を衛門三郎の再来として、石は「安養寺」に納めたられ「石手寺」に改名したそうです。

 

 

参道を歩き進んでいくと、山門が見えます

参道には色々なお店もありました

 

  何だか縁起いい感じがしませんか(笑)

 

 ◇山門◇

「山門(仁王門)」は鎌倉時代1318年建立で「国宝」に指定

 

◇本堂◇

石段の上の「本堂」は国指定重要文化財。石段途中の三鈷杵がとても印象的です

 本堂前から山門を望む

 三鈷杵が以外と大きいのです

 

◇大師堂◇

 

石手寺には色々な建物や仏像があり、見るところも多く、お遍路さん以外にも、沢山の観光客がいらっしゃいました

観光客のほうが多いかもしれないです

世界的に有名な観光ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で1つ星を獲得するほどの観光地としても評価が高いお寺なんだそうです

 

 

 三重塔

 

 

 知恵の輪くぐりがありましたので・・・・・・

 くぐってみました!!^^v

 

「マントラ洞窟」は金剛界と胎蔵界をあらわしているとのことで、洞窟内で二手にわかれ道になっています。ここを通り抜けても山の裏側に出ることができます。初めて、道後温泉に観光で行ったとき、案内していただいた地元のボランティアガイドさんにこの「マントラ洞窟」を案内して貰いました。本当に真っ暗で、一人ではとても歩けないなぁと思ったことを思い出しました

 

、「道後温泉」方面には2ルートあり、「石手寺」の裏山方面に登っていくルートが示されています

ここから登るようです  でも私達は、前回も今回も街中を歩く道を進みましたが・・・・・

 結構急な階段ですね

 

境内入口には巡礼をしていた「衛門三郎」の様子をあらわす像がありました

 

 

少しゆっくりお参りしすぎたかも (>_<)   先に進みます

道後温泉の方向へ向かいます 

 

途中で、こんなバスも見かけたよ!  流石、観光地だと思ってしまいました

松山の偉人が勢揃いです

 

 手を合わせます

 

 道後温泉に近くなると、観光気分も味わえます

 

 

道後温泉駅前

 

坊ちゃん列車

 やっぱり、記念撮影はしちゃいますね(笑)

 

こちらは、実際に運行している「坊ちゃん列車」です

 

ここからは、市内電車で移動します

北九州市内も、昔は、西鉄電車が通っていて、出かけるときにはよく利用していました

今は、すべて廃止となり、同じ路線には、西鉄バスが走っています

 

 

大手町駅で乗り換え  伊予鉄 高浜線に乗って、三津駅に向かいます

 

前回のお遍路さんから帰った後、この大手町駅の十字路がとても珍しい所だということを知りました

郊外線である高浜線と市内線である大手町線がほぼ90度で交差するもので、旅客営業をしている鉄道線と軌道線が直角に平面交差するのは全国広しと言えどもここ1か所だけなんだそうです

郊外線と市内線などの区別など、詳しいことはよく判らないですが、「珍しい」と聞いているなら、写真に撮っておかないとと、電車の待ち時間に、パチリ・パチリ

 

 

電車の乗って「三津駅」に到着

電車で道後温泉から移動してきていますが、なんとなく疲れが溜まっているのかな?

でも、後二つ!がんばるよ

 

三津駅から今回はバスで太山寺へ移動しました

バスはここが始発なので、もう発車時間までの待機停車中

運転手さんと、色々と話もしてきました

昔は、歩きのほかにも、公共の交通機関を利用しているお遍路さんも多かったけど、今は、車やツアーが多いとか、

松山は、松山駅前より松山市駅が交通機関の中心だから、そこを拠点にした方が良いとか (もう、終わりに近いのに・・・今更かな~??でも次回の参考にさせていただきます)

短い乗車時間ですが、歩くと長い坂もある行程です(前回歩いた道なので・・・・・)

やっぱり、バス移動は気持ちも楽だし、身体的にも楽ちんです。

何とかかんとかで、 第52番 太山寺に到着

 

「仁王門」をくぐると歩いていくと、駐車場や納経所が見え、52番札所「太山寺」境内になります

 

 

◇52番札所 太山寺◇

「太山寺」の縁起によると、飛鳥時代の用明2年(586年)にさかのぼり、豊後国臼杵の「真野長者(まののちょうじゃ)」という者が難波に船で向かう途中、高浜(現在の太山寺近くの海岸地域)の沖で大嵐に遭遇し、長者が信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸できたそうです。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音をまつった小さな草堂(現在の「奥の院」)があり、長者は感謝し堂宇を建立することを思い立ち、さっそく豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にしてお堂を建立したという伝説が残っています

 

「仁王門」は入母屋造八脚門の立派なもので、1305年再建の歴史があり、国指定の重要文化財です。

 

 

 

 52番札所「太山寺」は、「一の門」をくぐってから「本堂」まで長い道のりが意外と大変なんです、民家の立ち並ぶ珍しい参道・境内を楽しんでとは言われていますが、ここまで歩いてきているのでなかなかそういう気分にはならないなぁww

バス遍路の方々も、「坂道が長いね~」と言われていましたけどね

ようやく、山門が見えてきた

あの先にが「本堂」です

 

 

 

 

◇本堂◇

「太山寺」の現在の「本堂」は鎌倉時代の1305年に再建されたもので、桁行7間 (16.38m)・梁間9間 (20.91m)もある巨大サイズ、愛媛県下の木造建築物では最大、真言密教の「本堂」としても最大級で、「国宝」に指定されています。

遠くから見てもとても立派な建物です!

 

◇大師堂◇

  

 

大師堂からの全景

 

 納経を済ませました

 最後の、円明寺まで2キロです もうひと頑張りです

 

ここで、驚きの再会が!

二日目の「久万高原 御三戸バス停」から岩屋寺へ歩いている時にあった「自転車お遍路」の男性(学生さんだったと思います)とバッタリ遭遇しました

どこかで見たことがあるなぁと思っていたら・・・・・・まさかここで出会うとは思いませんもんね~  びっくりでした

自販機で、イオン飲料を気持ちだけお接待   

円明寺へ進んで行かれました   私たちは歩きなので、もう追いつくことはありませんね   本当にお別れです

自転車、元気に出発 ==33333   

 

私達も、53番札所 円明寺に向かいます   歩いて進みます  

 

県道183号に戻り2km弱北方向に進むと「和気町(わけまち)」に入ります。
「和気」というかわった地名は、4~5世紀の大和時代に「和気氏」という豪族がこの地域に定住したことがきっかけで名づけられたそうです。雨の和気町をテクテク歩き進みます

到着!  

街中にあるお寺なので、道のすぐ横に山門・本堂・大師堂が見えます (この近さが、何となく嬉しい!)

 

◇53番札所 円明寺◇

「円明寺」の縁起によると、天平勝宝元年(749年)に聖武天皇の勅願で、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、創建したそうです。
現在のお寺の位置よりも北方向の浜に近い場所で開創されたそうで、元々の山号「海岸山」は立地に由来し、当時は七堂伽藍を備えた大きなお寺だったようです。

その後、平安時代にはお大師さまも訪れ霊場の札所にもなりましたが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰退し、江戸時代に入って寛永10年(1633年)に土地の豪族「須賀重久」によって現在地に移され、再興されたとのこと。

 

◇本堂◇

 

 

◇大師堂◇

 

また、お寺には、京都の樋口平人家次が慶安3年(1650年)に奉納したという銅板納札が保存されており、「遍路」の文字が記された資料しては最古のもので、遍路の歴史を知る上でたいへん貴重なものだそうです。本堂の前の看板で紹介がされていました
これを発見したのが、大正13年3月に四国遍路をしていたシカゴ大学のスタール博士という方たそうです

現在の円明寺はこじんまりとしていますが、キリシタン灯篭など、他にも見るところもあるのですが、まずは、スマホの電池が切れそう!

雨はまだまだ降っているので、軒下をお借りして、携帯用の充電器を探し出したり、荷物を纏めたりしていて何となく見落としたとこも

残念><  まあ、仕方ないかな?

 

 

傘を差して、お寺を後にします

今回の3日間のお遍路さんもこれで打ち終わりです

 さあ、JRの駅にと思っていたら、門前で自転車お遍路さんとぼくちゃんしばしお話(笑)

まあ、帰るまでの時間はたっぷりあるので、良いか~ (*^_^*)

 

JRの「伊予和気駅」は、昔の洋風建築をイメージした凝った造りで見ごたえがありました。1988年(昭和63年)に旧駅舎が火災で全焼してしまい、1990年(平成2年)に建て替えられたのが現駅舎だそうです

ここから普通電車で、松山へ戻ります  

 

 

 

最終日、これだけ歩きました

雨で、予定外の乗り物での移動もあったけど、意外とよく歩いていたんだなぁ

自分ながらにびっくりでした(疲れていたのもうなずける気が・・・・・)

 

JRで松山駅に戻ってきました 

松山駅前にあるスーパー銭湯「伊予の湯治場 喜助の湯」で今日一日の汗を流します

ここは、お遍路さんにはお奨めです!

まずは、玄関に入ると、受付の方がすぐに近くまで来てくれて、傘と金剛杖を預かってくれました

(ロッカーには入らないですもんね)

そして、ロッカーもリュックが入る大きな所を貸出しなど、嬉しい気遣いがありました

値段も¥600とお手頃です

お風呂の種類も色々あって、休憩スペースも大きい

1時間位体がフニャフニャになるくらいのんびり湯船に浸かりました  極楽・極楽

お風呂上りは、やっぱりこれですよね~

さっぱりし、ほてった体にはこれが一番です   至福の時間です

 

 

スーパー銭湯「伊予の湯治場 喜助の湯」でゆっくりとした後は、一路松山観光港へ

 アナゴ弁当で夕ご飯です

 台風接近の心配もありましたが、予定通りに出港

長い3日間がこれで終わりです

 瀬戸内海の船旅は、心配していた船の揺れも無く(松山観光港は、意外と風も強くて、係りの方も多少は揺れるかもですねと言われていた)、小倉に定刻 AM5:00に到着しました

小倉も思ったほど天候は荒れていなくて、台風が近づいているというのが信じられない位でした

(運が良い方に、天気予報が外れました)

 

 

これで、3日間の歩き遍路は終了です

今までもお天気が悪かったことはありましたが、こんなに、ポンチョを着て傘を差しての行程は初めてでした

これまでが、運が良かったのかもしれませんね

でも、無理せずマイペースで歩き、けがもなく無事に今回も打ち終わることができてホッとしました

(ブログもようやく完了した  これが一番大変だったかも 笑)

さて、次はどこを歩こうかなぁ???? 

「まだまだこれからじゃ」です

  

 

☆おしまい☆


リレーフォーライフ2016くまもと

2016-10-19 22:38:57 | イベント

 

リレーフォーライフ2016くまもと

今年で6年目になるリレー・フォー・ライフ・ジャパン2016くまもと
4月14日・16日の熊本・大分地震により開催を延期していましたが、10月15・16日に開催されました。

私達は、第2回目から参加していますので、今回で5回目になります

最初はJR九州ウォーキングで知り合い(とは言ってもブログの中でお知り合いになったばかりだったのですが)の方が「JR九州ウォーキングtea time」という交流掲示板で紹介されているのを見て何となく参加してみたのが最初です

 

リレー・フォー・ライフ(RFL)は、
がんサバイバー(患者)、ケアギバー(家族、遺族、支援者)をたたえ、
地域社会全体でがん征圧を目指すチャリティイベントです。

 

http://relayforlife.jp/kumamoto/activity/   ← HPです

 

今回は、日帰りでの参加だったので、会場の中にいた時間は短かったのですが、この会場に行かないと会えない方もいらっしゃいます。色々な方にお会いでき、短いながらも、密度の濃い時間を過ごすことが出来ました

 

 

 

色々なイベントもあります

 

毎年、おなじみのベリーダンス!!!

これを楽しみにしている人もいるかもね~

みんなで踊ります  私も踊る(笑)  へっぴり腰だ~~~

 

シンボルの 「HOPE」

 夜になると、灯がともります

ろうそくの灯は優しい耀きがあります

短い時間でしたが、リレーフォーライフに参加することで、また色々な事を改めて考えることができました

ありがとうございました

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 3日目 その1

2016-10-18 22:53:30 | 四国八十八か所巡り

最終日の始まり

昨日からの雨がどうなるか?そして接近予定の台風がどうなるか??不安な朝を迎えました

ニュースを見ても、お天気が回復する予報が出るはずも無く、ただ、台風は勢力があまり強くなさそうということだけが救いかなぁ

ともかく、天候に泣かされた今回のお遍路さんの最終日です

 

長珍屋さんの中の様子

まだ、早い時間なので、フロントは静か(チェックアウトは、売店で手続きをします)

売店 沢山のお遍路用品が売っています

 

朝ご飯  これを食べて、今日も元気に頑張るぞ!!!

食堂の中においてありました  まだまだ眠たい(笑)

 

旅館の方のお見送りです  有難うございました  お世話になりました

 

 

目の前が、46番札所 浄瑠璃寺です

昨日はお参りできなかったので、まずはお参りです

そして、雨は止むことなく降り続きます   ”あ~あっ 残念” です

 

◇第46番札所  浄瑠璃寺◇

和銅元年(708)、伊予国を訪れた行基が仏道を修行する場所を作り、薬師如来像を刻んで安置。薬師如来の浄土が東方浄瑠璃浄土であることから「浄瑠璃寺」となります。その後、弘法大師が修復し四国霊場第46番目の札所にしたと伝えられています

◇本堂◇

 

 お参りします  ポンチョのままですみません・・・・ m(__)m

 

◇大師堂◇

大師堂には、弘法大師の子どもの頃を象った木彫りの「だっこ大師」があります。弘法大師の幼名は、佐伯眞魚(まお)といい、その重みもちょうどその頃の大きさです。

ポンチョを着ていたので、抱っこせずに、ナデナデしておきました

   ダッコ大師

  

 

「仏足石」

石に刻まれた仏の足跡に自らの足を重ね、健康と交通安全を祈って踏拝する

 

 

「説法石」

「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と書いてある石は、お釈迦様が説法・修行されたインド霊鷲山の石。

 

 

「仏手石(ぶっしゅせき)」

指の間に張られた水かきで、漏れなくすくうお釈迦様の手は、智彗や技能にご利益があるといわれています

 

「もみ大師」

豊作、延命のご利益があるそうです

 

 

 

お参り、納経も終わりました

次の、47番札所 八坂寺へ向かいます 

雨は降り、空はどんより~

 

そうそう、このお城の様な置物は、前もあった

雨は止んだり、降ったり  傘は閉じたり、広げたりと忙しい

 

 

 

 八坂寺が見えてきました

 

◇第47番札所 八坂寺◇

寺伝によれば、この寺の創建は古く、役の行者・小角の開基といわれ、大宝元年(701)、小千伊予守玉興公が寺を建て、のち文武天皇の勅願所として栄えました。
本尊阿弥陀如来は恵心僧都が刻んだものだといわれ、弘仁6年(815)弘法大師が四国霊場のひとつに定められました。

 

◇本堂◇

 

 

 

 

◇大師堂◇

 

 

 雨が降ると、どうしても境内の散策はできなくなります・・・・

前回は、ここで 「閻魔堂」も見たのですが、今回は遠くからちらりと見ただけでした(写真も撮り損ねました ><)

「八坂寺」の見どころは、「本堂」と「大師堂」の間にある「閻魔堂」で見ることができる「極楽の途」と「地獄の途」の絵図です。
「極楽」には美しい浄土が、「地獄」には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれていており、「極楽」と「地獄」の対照的な様子を眺めながらお堂のまわりを歩くことで、自分が閻魔様の裁きを受けているような気分になります。

 

 

 西林寺へ向かいます

 

 

◇別格霊場9番札所「文殊院(もんじゅいん)」◇


このお寺は、「衛門三郎」の邸宅があった跡に創建されたといわれ、空海が衛門三郎の死後、衛門三郎の子供の供養と、悪因縁切の御修法をして衛門三郎を許した地なのだそうです。
当時は「徳盛寺」と呼ばれていたようですが、空海が文殊菩薩に導かれてこの地に逗留したことから「文殊院」と改められたそうです 

弘法大師像の横には、衛門三郎が妻と並んで座っている像があります(暗くて判るかな??)

 

しばらく止んでいた雨が、またひどくなって来ました

 

 

 

昨日、浄瑠璃寺に行くときに乗った路線バス

1時間に1本くらいの運行ですが、丁度すれ違いました

 

 

  歩く・歩く 意外と杖が持ちにくい・・・・

 

◇お大師さまがの野宿し、「衛門三郎」が初めて納札を書いた「札始大師堂」◇

 

 

「文殊院」をあとにし、遍路道をさらに1.5kmほど進むと、「札始大師堂(ふだはじめだいしどう)」があります。
この大師堂は、天長元年に空海が川の中州で野宿しようとしましたが、にわか雨で水が溢れ身の置き所がなくなってしまったので、法力で草庵を造り一夜を明かしたとされる場所です。

その後、衛門三郎が四国巡礼に出発した際に、この地に立ち寄り、大師自刻の尊像がまつられているのを見つけ、懺悔し、空海が訪れるのを待ち一夜を明かし、翌朝出発する際に紙に自分の住所と名前を書いてお堂に貼ったいわれています。
このことが、現代のお遍路さんも行う「納札(おさめふだ)」の始まりとされることから、「札始大師堂」と呼ばれています。
ちなみに、この大師堂は、近くにある「大蓮寺(だいれんじ)」の境外仏堂で、正式名称はこのあたりの地名からとった「小村(こむら)大師堂」です。

 

中を覗いてみました(多分、前回も同じようなことをしている気がします)

手を合わせ、お札を入れてから、再び歩き始めます

 

 石鎚山の方向(だと思います)

この時は雨は上がっていましたが、空には分厚い雨雲が一面に広がっていました

 

あの先を曲がると、次のお寺に着きます

到着(まだ駐車場中)

 

 

 西林寺の門前にはこの大師堂と小川が流れていて、小さな橋を渡ってから山門をくぐるようになっています

 

 

 

◇第48番札所  西林寺◇

天正13年(741)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が特威の里(松山市北梅本町周辺)に堂宇を建立し一の宮、別当寺として開創されたのがはじまりといわれています。
大同2年(807)に弘法大師がこの地を巡錫され、現在地に伽藍を移し再興され、自ら十一面観世音菩薩を刻み安置され、四国霊場と定められました。
このとき、弘法大師は旱魃に悩む村人のために、錫杖で清水を掘り当てたといわれています。

  

 

 

◇本堂◇

 

 お参りします

 

◇大師堂◇

 

ここのお寺は、お庭も綺麗で、見ごたえがありました

 

広くて屋根がある休憩ところがあったので、リュックを降ろしてトイレを借りて、一息つきました

横浜から来られた女性がいらっしゃり、少しだけお話を(一人で区切りでの歩き遍路さん)

帰りの飛行機があるので、今回はこれで打ち止め  この西林寺から空港に向かわれるとの事

山登りはあちらこちらにされていて、お遍路さんも何度か回られたと言われていました

リュックは、中の荷物も大きなビニール袋に入れていて、外カバーと合わせると「二重防水対策」!!!

良いことを教えてもらいました  次回からは、雨の時は参考にさせてもらおうと思ったのです

 

 

次は 49番浄土寺です

 

 

 

スーパーABC

前回の時も、ここで冷たい飲み物を飲んで休憩しました

今回も・・・・・・

 甘くて冷たいものを飲んで一息  ぐっと一気に飲みます

久米小学校の前に はにわ発見

杖は、肩にかけて傘を差すのが優先

このお天気だもん  弘法大師さんも許してくださることでしょう

 

踏み切りの先が

 49番札所 浄土寺到着しました

 

◇第49番札所 浄土寺◇

寺伝によれば天平年間(729~748)に恵明上人が開創され、孝謙天皇の勅願所で、本尊釈迦如来像は行基菩薩の作と伝承されています。
その後、弘法大師がこの地を巡錫され、伽藍を再興され、四国霊場と定められました。

 

 

 

◇本堂◇

 

◇大師堂◇

 

 ここで出会った方は、車で八十八か所を逆打ちで回られている男性でした

立派なカメラを持たれていたので、何を移されているのかと思うと「屋根の飾り瓦」を撮っていらっしゃるとの事

同じ様にお寺を回っていても、それぞれに目的や見るところは違いますね

74番 甲山寺の飾り瓦が「うさぎさん」だとを教えてあげました (*^_^*)v

そして、松山・小倉フェリーから電話が!

台風で運航が心配していたフェリー(松山観光港 21:55発)は予定通り運航するという連絡でした

もし、欠航になったら、途中でお遍路を止めて、広島に早い時間にフェリーで渡るか?バス(しまなみ海道)?やJR(岡山経由)?で

帰る事も考えていましたので、これで一つ不安解消です

となれば、今日のお遍路さんも予定通り歩き進みます

次は、50番札所「繁多寺」です

 

 途中で、コメダ珈琲発見!前は無かったから新しくできたんだ

北九州で、よくコメダ珈琲は寄りますが、今日はそのまま素通りです  

かき氷食べたかったな~

 

 

墓地の中の道が、へんろ道になってます 

最初は、本当にここを通るのかと思いましたが、2度目となると、意外と慣れたものです(笑)

返ってこういう所の方が、記憶に残ってるものです

 このグランドが見えるともう少し

 

50番札所「繁多寺」到着

 

山門前の寺名石は、10000回お接待をした方が記念に寄贈したものだそうです(凄い)  ↓

 

 

 

◇第50番札所 繁多寺◇

天平年間(729~748)に行基菩薩が開祖と伝えられていますが、本尊薬師如来を刻み安置したのが寺のはじまりで、孝謙天皇の勅願所でありました。
その後、伊予入道頼義や堯運(ぎょううん)老師によって再興され、光明寺と称していましたが、弘仁年間(810~822)に弘法大師が当地を訪れ東山繁多寺と改め、四国霊場に定められました。
また、この寺は、時宗の開祖である一遍上人ゆかりの寺としても有名です

 

◇本堂◇

団体さんと一緒になり、沢山の参拝者です

この団体さんはバス遍路で、この前の浄土寺でも一緒でした

街中だと、歩くのは、最短距離でとバス移動では大回りになったりなど、あまり時間も変わらないのかもしれないです

 

 

◇大師堂◇

 

帰りの予定が決まったので、このお寺も時間を取りゆっくりしました

元禄9年(1696年)に建立された鐘楼には、「御伽草子」の挿絵24枚が天井画になっていいるそうですが、

そこまで見る余裕が無かったです   残念

 愛媛大学の「四国お遍路」のアンケートが行われていました

先生と学生さん数名。天気が悪い中、テントを張り、皆さんに声を掛けていました

団体さんはなかなか時間の関係でできないようです

私たちは、まあ時間があればある、無いと言えば無い・・・・ せっかくなので協力することに

お話をしていると、このアンケートも、お寺の方は意外と参考にされているんだと、言われていました

 

幡多寺から、松山市街を望む

そんなに高い所に登っていませんが、眺めはとても良いのです

 暑いのと、疲れが出ているのか、甘い飲み物が美味しい

割安な自販機を見つけて、ミルクコーヒーのペットボトルを購入  ゴクゴクとあっという間に飲み干しました

 

さっき、お参りした 「幡多寺」です

 

 

雨が降ったりやんだりで、傘が手放せません・・・・ついに、傘と杖を一体にしました(持ってきていた黒ゴムでくくります)

これで、杖を置き忘れることも無くなりますが、弘法大師さんには、一応少しだけ申し訳ない気持ちになりました

雨のせいです・・・・・・ごめんなさい

 

約3キロ弱歩けば、山の上に像が見えてきます その麓が、51番 石手寺です

 

ようやくここまで着きました

先に見える石橋の所が、51番札所 石手寺です

ここまでくれば、一安心

その2に続く・・・・ !(^^)!

 

 

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 2日目 その2

2016-10-10 22:05:53 | 四国八十八か所巡り

 

産直品販売のおばさん達と話していると、バスの待ち時間はあっという間に過ぎました

時間通りに、バス到着  

手を振って笑顔で見送って下さる姿に手を振り返し、バスで進みます

バスで揺られていると、歩くと意外と大変な「緩やかな登り・下り」もスイスイと進みます(当たり前ですね (>_<)!!)

途中で、前回歩くときとても怖かった記憶のある長いトンネルもスィ~~~ッと通り過ぎます

ただ、進むにつれて、雨もどんどん酷くなっていきます  やばいなぁ~~~~

 

 45番札所 大宝寺への最寄りのバス停に降りました

バス停の所には、大宝寺への石碑が有ります

ここから歩けば程なく山門へ到着するのですが、雨は止むことなく降り続きます

 

雨宿りをして、ポンチョなどを出す場所も無かったので、取りあえずは、傘を差して進みます

 

民家が出てきた辺りで、倉庫の軒先をお借りし、ポンチョを身に着けて、大宝寺へ進みます

 山門への車道の横には、雨水が川の様に流れていました

このまま雨がひどいままだったらどうなるんだろう???

 

 ここからは、車道では無くて、砂利道の方を歩きます

 水が川の様に流れている所を避けながら歩きます

 

 

 

山門に到着

 

写真を何枚か撮り(本当に記録の為だけだったなぁ)、本堂へ急ぎます

 

 階段を登れば、本堂・大師堂

 

◇第44番札所 大宝寺◇

大宝寺は大宝元年(七〇一)に、百済の僧がこの地に草庵を結び十一面観世音を安置したのがはじまりで、後に開削当時の年号にちなみ、大宝寺として創建され、やがて弘法大師が霊場に定めた。保元年間に後白河法皇が、元禄年間に住持の雲秀法師がそれぞれ再興し、現存の本堂は大正十四年の再建。寛保や天明の農民一揆の時など、藩主や農民からの信頼はあつく、また寺の権威も高く、そのころ十二坊を有し、隆盛をきわめた。

 

 本堂にお参り

(ポンチョも脱がずに申し訳ないです  ^^;;A)

 

大師堂から本堂をパチリ

 

 本堂側から大師堂

 

大師堂

 

 

雨はちっとも止む気配はありません

  

 

 お参りと納経を済ませ、お寺から出発します 

 

  雨にけぶる山門

  

  来た道を戻ります  

久万高原町の役場や学校がある中心部に戻り、そこからバスで「塩ケ森」まで下り、そこから46番札所浄瑠璃寺へ歩いて下る予定でした

大宝寺を出るときに見かけた立札  本当に「お気をつけて」です  さてさてどうなる事か???

 

 

 

約1キロ位歩いて、町の中心部に戻りましたが、雨は止むどころかどんどん酷くなるようです

予定していた「塩ケ森」から浄瑠璃寺まで歩いて下ることができるのか、不安になってきました

前回は、お天気も良く、道も良い状態で、1時間位かけて歩いたのです  足元が悪ければ、歩いて下る自信が無い!!!

一旦、松山市内まで戻って、それから今晩宿泊予約していた浄瑠璃寺門前の長珍屋さんに向かわなくてはいけないのかななどど二人で話していました  

伊予鉄南予バスの営業所が有るので、そこで、久万高原から浄瑠璃寺までバスで行けないか尋ねることにしました

伊予鉄バスの関連会社になるので(伊予鉄南予バス)、直ぐには判らないけれどもと営業所の方は言われましたが、電話で問い合わせをして下さり、JR四国バスで 「高尾田」で下車すれば、浄瑠璃寺前で停まる伊予鉄バスに乗り換えることができることが判明

乗り換え待ち時間も30分位で、17時半前には浄瑠璃寺の所に到着でき、宿にも迷惑を掛けなくて済むようでした

一安心です

本当に親切に教えていただいて、感謝・感謝です

 

そして、久万高原町を出発するJR四国バスの乗車時間までまだ時間があるので、「道の駅 天空の郷さんさん」でお土産などの買い物と

おやつを食べることにしました

道の駅の中にも「地域情報提供室」があり、前回もここで浄瑠璃寺までの道の事を色々と教えてもらいました

今回もさっきバスの営業所で教えて頂いた乗り換えの事をPCを使って、詳しく教えてもらいました  

不安がいっぱいだったので、本当に色々と親切にしていただいて、感謝☆感謝でした

 フルーツ牛乳  いただきます

 

 

「塩ケ森」バス停の所  バスの車中から

雨は上がってきましたが、低くて厚い雲が広がっていました  やっぱり降りなくて良かった (--〆〆〆)かも

 

 

 高尾田で乗り換えて、無事に浄瑠璃寺まで到着です

17:00過ぎているので、参拝と納経は明日の朝です

ともかく、早く宿に行って休みたい気持ちだけです

距離は歩いていませんが、荷物を背負っての、雨の中の歩きはやっぱり大変でした

 

  境内の中には誰もいません・・・・

 

この日に泊まる 「長珍屋」さん  お世話になります

 

チェックインをしてから、部屋に荷物を降ろして まずは、洗濯&お風呂  休憩は、まだ先です

この日は、松山で高校生の陸上大会が開催されて、それに参加している高校生も宿泊

洗濯コーナーでは、元気な若者がいっぱい

おじさん・おばさんは、若さに圧倒されました(笑)    話も色々したし、洗濯が出来上がるのを待つ時間も退屈しなかったですね

 

 

夕食は、汗を流してからにしたかったので 19:00からでお願いしました

 

足を延ばして、ゆっくり 食事です

 

お腹いっぱいになりました!!

  

 夕食会場も満席  元気な高校生は、ここでも旺盛な食欲でした

テーブルが違うので話はしてないのですが、ご飯のお代わりをし、モリモリ食べてる様子をみて、再び「若いなぁ~~」

 

明日は、お天気どうなるかな?

台風が近づく予想

お昼位には 帰りの 22:00頃出発の松山から小倉行きのフェリーの運航の件も確認しなくてはいけません

それによっては、お遍路の予定も変更しなくちゃいけないかも

 

ともかく、二日目も終了   明日に備えてぐっすり眠ります     

最終日 3日目に続く・・・・・