ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

500系こだま号 「プラレールカー」

2015-08-24 21:55:14 | 旅行

 

相棒は所用で広島へ・・・

帰りの列車は「500系こだま号」・プラレールカーに乗車してきました

そして、プラレールカーも8月30日で終了と言う事なので、鉄子では有りませんが、やっぱり乗ってみたいとね~

 

下りは、この時間です   1号車が「プラレールカー」になります

 

新岩国駅にて 

停車時間もたっぷり(笑)  写真撮影  も余裕です

 

では、1号車へ GO   =  =  =33333

 

山陽新幹線の「カンセンジャー・ジュニア」プラレールの「てっちゃん」、乾電池エボルタの「エボルタくん」が迎えてくれます 

  『ようこそ プラレールカーへ』  

記念撮影用のパネルと上着と帽子(子供用)も準備してありました

 

 

1,800ミリメートル×1,800ミリメートルの迫力あるプラレールの大型ジオラマ
プラレールが走り抜けるジオラマにより、プラレールの世界を満喫

 

   

 

プラレールが走る様子を見ていると、大人でもワクワクしてきますよ 

 

500系新幹線の運転台をお子様向けにアレンジしたもので、ハンドルを操作することで速度メーターなどが動きます。
また1号車運転台からの映像をリアルタイムでモニタに投影し、実際に新幹線を運転している臨場感が味わえます。


    

 

運転手さんと同じ視界が広がります  こんな風に見えるんだぁ~ 

もちろんトンネルに入ると、モニターは真っ暗になりました 

 

 新岩国駅停車中  

上り列車が駅を通過して行きます

 

一応お子様向けだけど、大人も座ることが出来ますよ  (もちろん、お子さん優先だろうけど)

   

 

しっかり記念撮影してきました

お子さん連れのお母さんが写してくれました ありがとうございます 

  「帽子も被って、記念プレートも持って 」と言われたので・・・・ ついつい 

 

車両の中は、沢山の子供さんへ大賑わい 

プレイゾーンでは、洗車台や車庫をイメージしたつくりになってました

 

 

   JR西日本  より   

https://www.jr-odekake.net/shinkansen/knowledge/plarail/

 

こだまはなかなか乗る機会は有りません  停車駅も多いし、時間がかかるんですよね~(それが一番の理由かな)

広島から位だと、各駅停車&通過待ちもあまり気にならないです

今回は、プラレールカーで楽しめたので、この乗車時間の長さが丁度良かったかな

この車両がもうすぐ終了かと思うと、少し残念 


備えあれば憂いなし!!(健康講座に参加)

2015-08-20 23:10:04 | 日記

自宅から歩いてすぐの所に「新小文字病院」があります。

そこでは、毎週木曜日に ”院内健康講座”が開かれています。

 

『健康講座』とは?<新小文字病院HPから>

新小文字病院は、健康と生きがいに溢れた街づくりを担う地域の中核病院として、皆さんから信頼される病院を目指しています。地域の皆さんの健康づくりのお手伝いの一環として、当院職員による『健康講座』を開催しています。
地域の皆さまの集会に出向く『出前院内健康講座』と当院の敷地内で開催する『院内健康講座』があります。いずれも当院職員が持つ専門的知識・技術などを紹介する講座です。
この講座を通じて、地域の皆さまの保健・医療・福祉に対する意識や知識の向上にお役立ちできればと思います。どうぞお気軽にご利用下さい。

 

あまり長い時間では無く、講座の内容も「腰痛の予防」「リハビリ」「肩の痛み」「ジェネリック医薬品」などなど割と身近な内容。気軽に参加できるし、”無料” (笑)

ぼくちゃんは時間が有る時は出かけて講座を聞いています。

 

今日は、AEDについてでした

最近は、あちらこちらでこの「AED」が設置されているのを見かけます。

http://www.jhf.or.jp/aed/   日本心臓財団のHPから

 

ハンドブックも貰い、色々と説明もありました

 

 

 

講習に参加した方も参加しての体験もありました

実際にいざと言う時に使えるかどうかは   

でも、少しでも知っているのと、全然知らないのではやっぱり少しは違ってくるんじゃないかなぁとも思ってますが・・・・・

 短い時間でしたが、今日も有意義な時間でした

   スタッフのみなさん、ありがとうございました 


下関☆彦島を歩く(下関ウォーキング協会 8月例会に参加)

2015-08-17 14:37:51 | ウォーキング

通勤の時に、毎日門司から見ている対岸の「下関・彦島」を歩いて来ました

見ていても歩くのは初めて  こういう機会が無いと歩く事はありませんね

 

YWA 山口県ウオーキング協会8月例会(担当:下関ウオーキング協会)。
 500 選35-10 彦島一周と関門海峡を訪ねるみち 一般向、約15㎞。
【開催地】山口県下関市。
【日時・集合場所】2015年8月16日(日) 9時35分(スタート 9時50分)、JR山陽本線・下関駅東口人工地盤

【コース】スタート・JR下関駅東口人工地盤~関彦橋~弟子待~彦島南公園(トイレ休憩)~福浦~迫町~ヒコットランド(昼食)~本村~水門~ゴール・JR下関駅西口(一般向、約15㎞)

 

朝は、下関駅でパンを食べて元気に出発 



 

 先ずは、体操  いち・に! みんな真剣に  もちろん私達もです 

体をのば~~~~~     

 

いざ、出発

少しお天気が心配でした  雨降らなかったら良いなぁと思いながら歩き始めました

最初は、海岸沿いの道を歩くので客船も見えます

これは、関釜フェリー 

 

 

下関漁港閘門

下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にある世界最小のパナマ運河式水門。水路は長さ50m、幅8mしかない。1936年の設置以来、70年が経過したいまも稼動中だ。水産庁が発表した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた。

 

 世界最小の「パナマ式運河」を渡ります

 

詳細は   見てね

 http://gazone.morrie.biz/kensetu/kindai4/simonoseki_gyokoo_koomon.html

 

結構もくもくと歩く・歩く

時々、風も吹き意外と気持ち良く歩けました 

 

 

 

彦島弟子待町  にて

ここは

俗説に宮本武蔵と佐々木小次郎が舟島で決闘したとき、小次郎が弟子たちを待機させた場所だから……という話が残っていると教えて頂きました

<その言い伝え>
 今から390年前の慶長17年(1612年)4月13日、佐々木小次郎は舟島(現在の巌流島)で二刀流の剣豪・宮本武蔵と真剣勝負をするために小倉から船に乗り、目的地に向かいました。船をこぐろの音も小次郎の耳には聞こえません。ただ思うことは「今日こそ最期を決する日だ。小次郎か、武蔵か。わしの考え出したツバメ返しの剣法で必ず武蔵を破ってみせる」ということでした。
 舟島が目の前に近づいた頃、ふと後ろを振り向くと3隻の船がこちらに向かっています。よく見るとそれは皆小次郎の弟子たちで、20人くらいがたすきを着け、戦いの姿をしており、先生の小次郎にもしものことがあった場合、応援しようと駆けつけてきたのです。それを知った小次郎は大声を張り上げ、「勝負は時の運である。もしお前たちの応援で勝てば小次郎の名が廃る。すぐさま引き返せ」と叫びました。
 その声にびっくりした弟子たちは進むことも帰ることもできず、仕方なく近くの岸に船をつけて、小次郎と武蔵の勝負が決まるまで待っていたといいます。こうしたところから、この土地の人たちは弟子たちが待っていた場所を「弟子待」と呼ぶようになりました。この決闘で佐々木小次郎は敗れましたが、小次郎が巌流と名乗っていたことからそれ以後、舟島も巌流島と呼ぶようになったのです。
 弟子待の地名の起こりについては「類聚国史(るいじゅうこくし)」という古い記録の中の店長7年(830年)の項に「長門外島一処為勅旨田」の字句があります。外島というのが彦島のことで「田」は「マチ」ともいうので、「勅旨田」は「てしまち」とも読み、従って、武蔵・小次郎の決闘よりも800年も前にすでにこの呼び名があり、その後の決闘をきっかけに「弟子待」という字が当てられたのだという説もあります。

 

 

 ここを登ると見晴らしが良く「巌流島も見える」と聞いていましたが

   

 

見晴らしは良かったのですが、巌流島はここからは見る事は出来ませんでした 

真向かいには関門海峡を挟んで門司の街が広がっていました

建物を見ると、あそこの場所だね~と判ります 

 

歩いていると、交番が有りました

さすが、下関! 交番のマークが「ふく」のおまわりさん

殆ど平らな歩きやすいコースでしたが、たまに坂道も有り(笑)

 

 

■河野通次の来島と彦島十二苗祖
 

 河野通次は人皇第五十一代平城天皇の子孫、三位中将大江正房の摘子で伊豫水軍の祖・越智高縄城主河野通清の末裔で伊豫勝山城主でありましたが人皇第七十七代後白河天皇御代保元元年保元の乱(1156)に藤原頼長と共に崇徳上皇と結び天皇方と戦い白河殿の夜襲に惨敗した通次は残党の園田一覚、二見右京、小川甚六、片山藤蔵、柴崎甚平と率いて西奔比の彦島に逃避して隠棲農夫漁夫を装い再起を謀って居りましたが朝に興り夕に亡びる武士の生活に無常を感じ農耕漁釣に浮世を捨てたのであります。
 それから二十有余年後、植田治郎、岡野将監、百合野民部、和田義信、登根金吾、富田刑部が来島して住むようになり彦島開拓の祖となりました。これを「彦島十二苗祖」と云っております。
 
<彦島八幡宮のご由緒から>

 しっかりと、お祀りされていました

 

 

そして、お昼タイム   約10キロ位歩いて来た所  時間も12時を少し過ぎたくらい 

 彦島から取ってるんだろうね 「ひこっとらんどマリンビーチ」 で食事&休息タイム

 

お天気は曇りでしたが、海岸ではバーベキューを楽しんでいるグループや

水遊びを楽しむ親子づれも      私達は、お弁当タイムだけですが  

 

いただきます   ノンアルコールで喉を潤す   美味しい 

 

 

再び、下関閘門を通ります  ここからゴールの下関駅まで約2キロ位

残りわずか   がんばるよ~~~~ん 

 

立派な看板もありました

ゆっくり読むととても良く分かる説明板でした

帰りは、歩行者専用の橋を歩いて渡りました

 

無事にゴール   

お昼タイム以外は、あまり休憩も無くてテクテク歩く・歩く  

でも、雨も降らずに、思ったより暑くも無かったです   でした

 

 

これで、お盆明けのウォーキングは終了です

次は、JR九州ウォーキングかな 

 


三連休に関西へ(京都編1)

2015-08-14 23:39:07 | 旅行

 

神戸泊の翌朝    朝ごはんは「にしむら珈琲店」で

神戸に泊まった時は、近くに有ればここでのモーニングを食べるのが二人とも楽しみなのです

 

二種類あります   モーニングとしては少し高めですけど、とても豪華版で美味しいのですよ

    

オープンサンドのように見えますが、実はフランスパンが二枚重なっていて、挟んで食べます

今回も美味しかった   満足!満足!

     

 

三宮で朝食をゆっくり食べた後は、京都へ向かいます

阪急電車を乗り継ぎ、この日の宿泊は四条大宮   ホテルに荷物を預けて、プチ観光へ

相棒の妹夫妻と待ち合わせが有るので、二時間位しか時間がありません

四条大宮から嵐電で仁和寺へ行く事へ・・・・

     

 

御室仁和寺駅から仁和寺は歩いてすぐです

御室とは、宇多天皇が仁和寺内に御室(住居)を営み、法務の御所としたので、御室御所と呼ばれ、仁和寺の別名になったそうです

そしてここの駅は、嵐電の駅の中で一番風情のある駅で、駅舎に掲げられている駅名板は旧文字で書かれており、

近畿の駅百選にも選ばれています

 

駅をでるとすぐ目の前に大きくて立派な二王門が見えました

 

真言宗御室派総本山。仁和2年(886年)光孝天皇が仏教の隆盛を図るため、「西山御願寺」の建立を発願され、宇多天皇が仁和4年(888年)年その造営を完成。ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
境内の中門内の西側一帯に遅咲きで有名な「御室桜」の桜林がある。江戸時代の儒学者貝原益軒の「京城勝覧」という京都の名所の案内書にも、吉野の桜に比べて勝るとも劣らないと絶賛されており、大正13年に国の名勝にも指定された。

 

二王門 <重要文化財>
仁和寺の正面に建つ巨大な門。高さは18.7mで重層、入母屋造、本瓦葺。門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています

 

 

 

HPから寺内のマップ   広い敷地内を、時間に限りが有るので、少し駆け足での観光です

 

良いお天気で、暑い暑い・・・・・

 

 

「御室桜」の桜林

毎年春、仁和寺は満開の桜で飾られます。金堂前の染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが競って咲き誇ります。その中でも中門内の西側一帯に「御室桜」と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林があります。古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われております。

 また、花見の盛んな様子は江戸時代の儒学者・貝原益軒が書いた『京城勝覧』(けいじょうしょうらん)という京都の名所を巡覧できる案内書にも次の様に紹介されています。

「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されており、近代大正13年に国の名勝に指定されました

 

私達が仁和寺を訪れたのは真夏の暑い時期なので、青々とした葉が茂っていました(桜なし、当たり前ですよね)

 

桜が満開の写真は 仁和寺のHPからです

こんなに綺麗な風景が広がるんだ・・・・見て見たいなぁ

 

 

金堂 <国宝>
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます

 

しばし手を合わせてお参りします

 

経蔵 <重要文化財>
寛永〜正保年間の建立。宝形造、本瓦葺。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されます。
内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯を安置し、壁面には八大菩薩や十六羅漢が描かれます。
内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱が備えられており、その中には天海版の『一切経』が収められています。

 

 

鐘楼 <重要文化財>
入母屋造、本瓦葺。 「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。
また、通常吊られた鐘は外から見ることが出来ますが、この鐘は周囲を板で覆われており見ることが出来ません。

 

五重塔 <重要文化財>
寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。
塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されます。中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれています。

美しい姿の中にも、重厚さを感じられます  迫力もあるよね

 

九所明神 <重要文化財>
仁和寺の伽藍を守る社。社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。
九所明神の最古の記録は『御室相承記』に、建暦2年(1212年)に境内南にあったものを東に遷宮した事が書かれています。現在の建物は寛永年間に建立されたものです。

 

ざっと見所は見てきたので待ち合わせ場所へと来た道を戻ります

 

 帰る前に、「御朱印」を頂きに御殿手前の納経所へ立ち寄りました

 

 

ここから、四条大宮へ戻り、阪急西山天王山駅まで行きます

電車からの風景にかぶりつきの小学生(多分・・・・・)

 

乗換駅の「帷子の辻駅」にて

10月14日は鉄道の日。
平成21年、江ノ電と嵐電は姉妹提携を結んだそうです。
姉妹提携をきっかけに誕生した江ノ電と嵐電のイメージキャラクター「えのん」と「あらん」。
そして江ノ電には嵐電イメージカラー京紫色の電車が走り、嵐電にも江ノ電のイメージカラー「緑&クリーム色」の電車が走っています。

この電車は、江ノ電のイメージカラー「緑&クリーム色」  そして、えのんちゃんがプリントされてました

 

阪急西山天王山駅で待ち合わせは、「サントリービール京都工場」の見学へ行くためでした

実は、相棒はここに来るのは三度目です(熊本も2回行ってます 笑)

こんな写真も撮れます  

多分、私達だけだろうけどな~~~~♪

見学した後は、たっぷり出来たてのビールを楽しみました

暑い京都の夏ですもんね  これが一番のお楽しみですね(笑)

グラスの形によっても香りをたのしんだりも出来るそうですよ

 

   幸せ❤

 

ビール工場見学の後は、再び京都へ  

今度は河原町へ向かいます  京都一番の繁華街です

 

河原町到着

あちこちで祇園祭の飾りがあったり、お囃子が流れていてお祭り一色でした

 

夕ご飯までにはまだまだ時間があります

そして、ビールをたらふく飲んだため、まだお腹は空いて来ないしね 

先斗町を散策してみました

 

京都らしい雰囲気を味わえます

 

祇園の山鉾巡行  可愛いでしょ

 

    

     

 

 

今の季節、川床も楽しめますよね  一度は体験してみたい

 

散策していると、暑くなりました  

ちょこっと休憩 

 

黒蜜ミルク氷

   

 

宇治金時氷

 

 

抹茶クリーム白玉あんみつ

   

 

抹茶蜜のところてん

 どれも美味しかった   満足 

 

 

 京都四条南座  も 見えました

 

 

八坂神社御旅所(祇園御旅所/四条御旅所)

八坂神社の御旅所は古くは「大政所御旅所」と「少将井(しょうしょうのい)御旅所」の2ヶ所があったが、1591年(天正19)に豊臣秀吉の命により四条京極一ヶ所に移転した。1912年(明治45)四条通り拡幅に伴い現在の姿となった。毎年7月17日の神幸祭に八坂神社からの神が渡御し、24日の還幸祭までとどまる場所である。

 

 

食事を予約した所の近くまで行きましたが、予約時間まで時間があったので近くを散策

 少しだけ祇園祭の雰囲気を味わえたかな~

 

大船鉾      HP⇒  http://www.ofunehoko.jp/

幕末の騒乱で鉾本体を焼失以来、長らく山鉾巡行に参加できなかったそうですが、焼失より150年目にあたる平成26年7月、後祭り巡行への復帰を果たした鉾だそうです

 見上げるような立派なものです

   

 

 

 南観音山

「下り観音山」とも呼ばれ、後の祭の山鉾巡行の殿(しんがり)をつとめる曳山だったが、前祭・後祭が合併してからは巡行自体の殿をつとめることになった。真木の松の横枝には尾長鳥をとまらせている。諸病を防ぐといわれ、山鉾巡行では柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫りの薬玉をつける

 

 

 

そろそろ食事の時間   お店の方に戻ります 

さっき見た、大船鉾に子供さんが乗っていました

 

いただきます (^^♪

 

    

 

    

 

    

 

 

 夜も更けると、提灯に灯りが灯っていました

まだまだ京都の夜は賑やかの様です

 

 ホテルにて    気分は祇園祭かな  

 

 

明日は、京都をプチ観光   観光バスで  名所を回ります