ようやく晴れ間がのぞいた遅い午後…
Does the weather affect your mood?
大学2年の英語のクラスで出された作文のテーマに、いきなりそんなことを問われても…と戸惑いを覚えた記憶が残っています。
そんな状態だったので、やっつけ仕事的に中身のないありきたりの文章を書いて提出したに違いないのですが、あれから何十年も経った今でも、なぜか時たまこの宿題を思い出し、今の自分ならどう答えるだろうと自問自答するのです。
今朝は、最寄りの大型スーパーの開店時間を目指して出かけました。
トイレットペーパーのストックが、とうとう残りわずか1ロールになってしまい、のんびりうっかりの私でも、さすがにおっとりと構えているわけにはいかなくなったのです。
不要不急の外出ではないと判断し出かけたはいいけれど、年に数回しか利用しないお店なので、目的のものを見つけるまでに随分手間取りました。
しばらく行かない間に、売り場がすっかり変わってしまっていたのです。
それでもどうにかトイレットペーパーとティッシュペーパーそれぞれ1パックずつを手に入れることができ、やれやれ…。
万が一外出が著しく制限されるようなことになったとしても、当座を凌ぐことはできそうです。
近年の私は、自宅にこもって休日を過ごすことが多く、土日の外出自粛によって状況が大きく変わるわけではありません。
むしろ、蟄居は大歓迎…こんな時だからこそ、日頃なかなかできないことをする良い機会ととらえています。
とはいえ、このところの落ち着かなさ、閉塞感から逃れることは難しく、静かな時間がことさら貴重なものに感じられます。
そんな気持ちから、何年か前に放り出していた『森の生活』(ウォールデン著)など、何冊かの本を引っ張り出してきました。
そうしたものに触れることによって、少しでも心静かに深く物を考えることをしてみようという思いが募っているのです。
先々週だったか、ふと思い出したのが、「あゝいゝな せいせいするな」で始まる宮沢賢治の詩でした。
小学校の国語の授業で暗唱した(させられた)「雨ニモマケズ」のように、しっかり読み込んだわけではありません。
それなのに、ふと脳裏を駆け巡った「あゝいゝな せいせいするな」のフレーズ。。。
記憶の引き出しが、何かのはずみで突然に開いてしまったようです。
雲の信号
あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
(宮澤賢治『春と修羅』より)
あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
(宮澤賢治『春と修羅』より)
なんだかとても気落ちのよい詩です。
こんなふうに「せいせいした」気持ちになったのはいつのことだったか…思い出せないくらいです。
そんなことを考えながら午後を過ごしているうちに、少しわかってきました。
Does the weather affect your mood?…というテーマで文章を書くことの意味が。。
今更どころか、遅きに失する気づきなのですが、先生は、そのことを通して自分自身を見つめ、自分と向き合い、自分を掘り下げる機会を与えてくださったのだと思います。
恩師のひとり、Sr. Therese Mary Rebstok には、もう長い間お目にかかっていません。
お元気でいらっしゃるでしょうか。。。
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