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始まりに向かって

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血の儀礼をひきつぐ・・マタギの世界(4・終)

2014-07-07 | 日本の不思議(現代)


引き続き、佐々木高明氏の「山の神と日本人」という本のご紹介をさせていただきます。

著者は東南アジアの焼畑と狩猟の習俗を紹介した後、次のように考察します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****


            (引用ここから)

「焼畑農耕民の狩猟と、狩り祭り」


我が国の焼畑を営む山村においても、かつては「山の神」が山中を広く支配すると考えられていた。

「山の神」信仰を有する村の氏子が総出で、山中で狩りを行い、獲物を神に捧げて豊猟や豊作を祈願する慣行は、我が国の山村でも、以前はかなり広く見られていたようである。

たとえば宮崎県の旧東米良村の銀鏡神社(しろみ神社)の「霜月の祭礼」などは、こうした「狩り祭り」の伝統を今もよく伝えているものとして知られている。

そこでは「祭り」に先立って、村ごとに氏子総出で狩猟が行われ、今日でも、猪の頭がいくつも神前に供えられる。

祭りには31番の神楽が夜を徹して奉納され、その後仮装した狩人の夫婦が狩りの所作事を面白おかしく行う「シシトギリ」の神事がある。


それが終わって銀鏡川の河原で“ニエ”(獲物)を調理して「山の神」を祀り、猟占いをする「シイシバ祭り」が行われるのである。


このように銀鏡神社の「霜月祭り」では、実際に狩りの獲物を神前に捧げて、豊猟と共に豊作の祈願を行う「狩り祭り」の伝統がよく伝承されている。


九州山地や四国山地などの、かつて焼畑農耕を盛んに営んでいた村々では、以前には、旧正月の「山の口開け」の日などに、「講狩り」「モヤイ狩り」「総狩り」「シバ祭り」などと称して、村人が共同で儀礼的狩猟に出かける慣行がよく見られたという。

熊本県の五木村の梶原では、今日も5月5日の「山の口開け」の日には、村の15才から60才までの男性すべてが村の氏神である“妙見さん”の前に集まる。

この時「シシ餅」と言う小さく切った餅を、各自が持ち寄る。

そして「山の口開け」の儀礼を行った後、社前で「山の神」に祈りを捧げた後、かつては男衆全員で「イノシシ狩り」に出かけたという。

しかもこの村では「山の口開け」の翌日には「柴刈り」の行事があり、その翌日には柴(ダラノキ)を泉のそばで燃やす「鬼火焚き」の行事が続く。

このような点から私は、この儀礼的行動・・「狩猟」・「柴刈り」・「火祭り」と続く一連の「山の口開け」は、「焼畑」の開始の性格を有するものと推測している。


この他、南九州、特に大隅半島の各地にも、正月の3日から6日にかけて「シバ祭り」と称される古い祭りが営まれている。

今ではワラでシカの形を作って、それを神官が弓で射たり、あるいは餅やシトギを焼いて「シシの肉」と称して食べたりという風に変化してしまっている。

しかしかつては、祭事の際は、神官と村人が共同で狩猟に出かけて鹿やイノシシを狩猟し、その獲物の一部を神に捧げ、残りを住民に分配して、祭りと宴を行っていたということである。


この「シバ祭り」とよく似た祭りが、奥三河の山村地帯に広く伝承されている。

古くから「シシ祭り」と呼ばれているこの祭りの日には、山から採ってきた杉の葉を束ねてオスジカとメスジカの形を作り、これをあらかじめ氏神の境内に立てておく。

禰宜が祈祷をあげると、氏子が勢子になって獲物を追い出すしぐさをする。

そこで禰宜は弓に大矢をつがえ、杉の葉で作ったオスジカ・メスジカに3本ずつ矢を射込み、大矢を抜き取って三方の宙に向けて放つ。

次いでシカを転ばし、杉葉を抜き取って神前に供え、豊作を祈願する。

その後氏子たちが「アラ(内蔵)をもらう」と言って杉葉を抜き合うのだという。

おそらくかつては年の初めに、神官が氏子たちと共同で現実に狩猟を行い、獲物の血や肉の一部を神に捧げ、残りを氏子に配分して豊作を祈願する儀礼を営んだものと思われる。

同じく奥三河の山村・東栄町では、旧暦2月初旬、初丑の日に、稲荷社の前に杉の青葉で雌雄2頭の鹿を作り、それを宮の別当3人が弓矢で3・3・9度に射る。

それが終わると、あらかじめ鹿の腹内に入れておいた小豆飯の団子と米の包み(これを「ゴク」と呼ぶ)を、「サゴ(シカの胎児)だ」といって取り出す。

集まった村人は、この「ゴク」から取り出した米に境内の土を混ぜ、それを5つの包みに取り分ける。

これを「五穀の種」と言って、鍬の先に結びつけて家に持ち帰り、各家の「えべすだな」に供え、豊作を祈るという祭りが行われていた。


この例で特に注目されるのは、鹿の腹から取り出された「ゴク」が「五穀の種」として神棚に祭られる点である。

おそらく古い時代には実際に狩猟を行い、その時「山の神」の加護によって得られた獲物の内臓や血や肉などには、豊作を約束する優れた霊力が秘められていると深く信じられていたのではないだろうか?

その思いが、この種の「狩り祭り」を豊穣の儀礼に転化していった主な要因であったと考えられる。


「播磨国風土記」には「玉津日女命、生ける鹿を捕り伏せて、その腹を裂きて、その血に稲蒔きき。よりて一夜の間に苗生いき。すなわち取りて植えたまひき」
という有名な記事がある。

生きた鹿の腹を裂いて、その血の中に稲の種を蒔くと、血の呪力によって一夜の間に苗が生えてきた。

その苗ですぐに田植えを行うことができた、というのである。

同じ風土記に「我はシシの血をもちて田作る」、つまり「シカあるいはイノシシの血でもって田を作る」という記事も見いだせる。

そうした信仰は日本の古層文化の中に長く息づいてきたと見て差し支えない。


              (引用ここまで)


                *****

いやぁ~、祭りって面白いものですね!


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