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血のだんごと黄金の太陽像・・インカの祭り(2)

2013-01-18 | インカ・ナスカ・古代アンデス


増田義郎・友枝啓泰氏共著「世界の聖域・神々のアンデス」に記されているインカのお祭りを、また紹介します。

このお祭りはおだんごを食べることでインカ帝国の民としての承認を受けるというもののようですが、キリスト教の聖体拝領を思い出しました。

キリスト教の聖体拝領は、キリスト教以前のディオニュソス信仰などの伝統を引きついていると考えられます。

食べることの神秘によって神と人をつなぐ儀式として、非常に普遍的な感覚のお祭りだと思いました。

さらにインカでは黄金が加わることで、金と神と血と王、という魔術的な世界が広がっているように思います。


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                *****


              (引用ここから)



「太陽の神殿」の大神官は、他の神官たちと一緒に、慣例に従って神殿内に住み、供儀と祭祀を主催した。

インカ王も、大きな祭りの時にはやって来た。

祭典はほとんど毎月行われ、中でも最も大事なのはインカの1月(これは12月にあたる)に行われる「カパック・ライミ」いう祭典だった。

この時には何日にも亘って儀式が行われ、多くの犠牲が奉納された。

この期間中クスコ市には一人の異邦人も入ってはならないことになっていた。


この祭りに際し、太陽の処女たちは、生贄に捧げられたリャマの血を入れてこねあげたトウモロコシのだんごを作った。

これはすなわち「血のだんご」と呼ばれ、それがたくさん金と銀の皿の上に盛られると、市の外に待っていた異邦人たちがよび寄せられ、ひとりずつ順番に、神官から団子を受け取った。

太陽に捧げられたリャマの血で作られた団子であったから、それを食べることによって太陽と一体になるという、一種の聖体拝領の思想があったと考えてよいが、この行為にはまた政治的な意味も込められていた。

これを食べることによって太陽神やその子であるインカ王に忠誠を誓うとみなされたのである。


だんごは首都以外の国中のすべてのワカ、すなわち聖所や神像のもとに送られた。

聖なるだんごがクスコから届くと、その地方の人々はそれをいただきに集まり、太陽の恩恵を受けることを願った。

だんごを食べることは大変な特権と考えられたのである。


同じ聖体拝領の儀式は、インカの10月にも行われた。

この月には、「シトゥア」という祭りが催され、けがれやよごれや不幸を追い払う一連の儀式が執行されたが、そのあとで「血のだんご」が配られ、国中の神殿や聖所にも送られた。

こうした形で、クスコの太陽神殿を中心としたインカ国家の精神的統合が行われたのである。


8月に行われる「ハトゥン・ライミ」という祭りは一種の収穫祭であり、ビラコチャ神と太陽神、月神などに豊作を感謝する祭りであった。

多数のリャマ、アルパカ、鳩、モルモットなどがクスコ市に運ばれ、生贄に捧げられた。

それらの生贄の血は、神殿の扉や神像に塗り付けられ、また臓物は取りだされて聖域に吊るされた。

そして占い師たちが肺の状態を観察して、天候や運勢を占った。


供儀が終わると、大神官は大勢の神官を引き連れてインティカンチャに行き、聖歌を歌ってから、太陽の処女たちに美しく着飾り、彼女らのつくった酒を大量にたずさえて外に出るよう命令した。

クスコの人々はその酒を飲み、生贄に捧げられた家畜や鳥を食べた。

これもインカ流の聖体拝領である。


食事が終わり、盃が重ねられると、男たちは広場に整列し、女たちが金の鼓を打って、神々をたたえる歌を歌った。

広場の真ん中には美しく飾られた玉座が設けられ、その上に豪華なビラコチャ像が置かれ、すべての神官たちがそのそばに立ち並んだ。

するとインカ王も、首長たちも、一般庶民も、みな履物を脱ぎ、はだしになって、うやうやしく像に礼をした。

インカ王は頭を下げ、両手を開いてから、深く深呼吸し、眉毛を抜いてビラコチャ像に向かい、それを吹き飛ばした。

ビラコチャの玉座の下には黄金の太陽像が置かれていた。

月、稲妻、星その他の神々の像も持ち出されていた。

歴代のインカ王のミイラ、および彼らに属するすべての財宝も運びこまれていた。

「エルサレムでも、ローマでも、ペルシャでも、あるいは世界のいかなる地方でも、これに類した祭りが行われる時に、クスコの広場に集められたほどの金銀や宝石類をひとところに集めた国や王はまったくなかったと言っても、間違いない。」

と記録されている。


「ハトゥン・ライミ」は15日ないし20日続き、祭りが終わると神々の像は神殿に、インカ王たちのミイラはその宮殿に戻った。

「ハトゥン・ライミ」を主催する大神官は、インカ王と並ぶくらいの権勢を誇る存在だった。

そして国中のすべての神殿にたいして権力を持ち、神官を任免した。

大神官および有力な神官たちは、すべてインカ王の親族であった。



         (引用ここまで)



            *****



wikipedia「聖体」(ホスチア)

「聖体」とは、カトリック教会、正教会、東方諸教会などキリスト教諸教派において、ミサや聖体礼儀で食するためにパンを聖別し、キリストの体の実体として信じられ、食べられるもの。

聖別による、パンおよびぶどう酒(赤ワイン)がキリストの体と血の実体に変化することを「聖変化」という。

「聖変化」が典礼中のどの時点で行われるかについては、教派によって神学的見解が異なる。

カトリックではパンとしてイースト菌(酵母)を使わない一種のウエハースを用いており、これを「ホスチア」(ラテン語で「いけにえの供え物」という意味)と呼ぶ。

これに対し、東方教会ではイーストを用いた発酵パンを使用する。

聖変化する前のパンを「プロスフォラ」(聖餅;せいへい)と呼ぶ(なお、聖変化に用いるパン以外にも「記憶」の祈りなどに聖餅の用途は存在する)。

変化したのちのものを「聖体」と呼ぶことはカトリック教会と同様である。

なおカトリック教会、正教会共に「御聖体」(ごせいたい)と呼ぶことが多い。

また正教会では、変化したぶどう酒とセットに捉えて「尊体尊血」(そんたいそんけつ)と呼ぶことも多い。

カトリック教会の場合、パンおよびぶどう酒の両方を指して「聖体」という場合がある。

このためパンおよびぶどう酒の両方を信者が食することを特に「両形色(両形態)による拝領」と呼ぶ。

これに対して正教会では尊体と尊血(聖変化後のパンとぶどう酒)を基本的につねにともに領聖するため、特別の用語は存在しない。

カトリック教会および正教会においては、乳児や重篤な病人などで固形物(パン)を嚥下不可能な場合、尊体の領聖を行わず尊血(ぶどう酒)のみをもって聖体の領聖とみなすことがある。

プロテスタントの共在説や象徴説、臨在説ではパンとぶどう酒の実体の変化を認めないので、聖体という呼び方はしない。

ただし、プロテスタント教派に分類されているうちで、聖公会(アングリカン)では聖別後のパンとぶどう酒をそれぞれ聖体・聖血と呼ぶ。

ラテン典礼の流れを汲む聖公会でも、カトリックの「ホスチア」と同様のイーストを使用しない無発酵のパンを用い、ウエファーやホストと呼ぶ。

また、聖公会の聖餐式で信者はパンとぶどう酒の両方を受けるが、この形を「二種陪餐」という。





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