
前回の続きです。
遠い昔アトランティスとムーの大陸が沈んだ時、その住人達は南米大陸にその知識と財宝をそっと託したのだと語るウィリアムソンの話を、彼の著書「アンデスの封印」からまとめて紹介してみたいと思います。
荒唐無稽かもしれませんが、アメリカ先住民族の“虹の戦士の伝説”を彷彿とさせる話ではあります。
また彼らの謎に満ちたシンボル、“救い主・白い人”についても、一つの仮説を出しているように思います。
秘密結社であり、ミステリースクールであるためか、話が分かりにくいですが、神話の一つとして味わえたらと思います。
もしかしたら、事実を反映した神話でないとも限らないではないですか?
長いので、二回に分けて掲載します。

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レムリア(ムー大陸)が海に沈むころ、この地球は激しい地殻変動に見舞われていた。
今の南米大陸の海岸線もその影響をもろに受け、外観を大きく変化させていた。
現在のアンデス山脈が出現したのはその頃のことである。
ボリビアの古代都市ティアワナコは、かつては南米大陸の西海岸沿いにあったレムリアの貴重な植民都市だった。
しかし当時の激しい地殻変動の影響ではるか高地に押し上げられ、極寒の荒涼とした環境の中に追いやられるに至った。
現在、世界最高位(標高3812メートル)の湖として知られるチチカカ湖も、そのころに誕生したものである。
レムリアの偉大な教師であったアラム・ムルは大聖者会議の名により、古代の知恵がしたためられた多数の巻物とともに、太陽の形をした黄金の巨大な円盤「黄金の太陽」をたずさえ、現在の南アメリカに当時誕生したばかりのチチカカ湖へと向かった。
その円盤、別名「輝く光の炎の焦点」を守り続けることも、彼の重要な使命の一つだった。
レムリア(ムー大陸)の「神の光の大寺院」内の聖堂には、純金のロープで固定された、黄金の巨大な円盤(大きさは直径20メートルほどあったと言われている)が置かれていた。
その円盤、すなわち「黄金の太陽」の前方には固い岩を削って造られた柱状の祭壇があり、その祭壇は神々しく澄みきった至高の光を放ち続けていた。
ムー大陸が海底に沈む直前、その円盤はアラム・ムルによってチチカカ湖のほとりに運ばれた。
その「黄金の太陽」はレムリアの「神の光の大寺院」に置かれていたもので、創造主の象徴として宗教的行事に用いられることが多かったが、他にも様々の目的で使用されていた。
彼はその後その近くの巨大な渓谷に、秘密の学校「七つの光の愛」の総本山としてのちのち重要な役割を果たし続けることになる修道院を建造した。
やがて「黄金の太陽」は「七つの光の愛」の修道院内の地下神殿に安置された。
そしてそれは、それ以降その修道院で学ぶ生徒たちによって、日常的に利用された。
修道院において彼らは、それぞれの生命の光線をブレンドし合うことですばらしいハーモニーを作り上げてきた。
まるで七色の糸を混ぜ合わせて色彩豊かな美しい織物を織り上げるかのようにしてである。
そして実際、その修道院では、七色の糸で織りあげられた鮮やかな織物がそこでの霊的生活の象徴として飾られていた。
これが「輝く光の愛」という名でも知られる愛の組織「七つの光の愛」の起源である。
やがてペルーに移住してきたインカ人たちがかつてのレムリアのある植民地都市の跡に、高度な霊的社会を築きあげた。
彼らは、南米に元から住んでいたケチュア・インディオではなく、遥かかなたから太平洋を渡って移り住んできた人々だった。
移住してきて間もなく、インカ帝国の太陽の司祭長たちは残っていた寺院跡に彼らの「太陽の寺院」を建設した。
彼らは故国に存在していた古代の記録を通じて、ムーの「黄金の太陽」のことをよく知っていた。
彼らやその円盤の持つ様々な機能と共に、それがレムリアの水没直前に運び出され、南米に保管されていることまで知っていた。
インカの司祭長達は「黄金の太陽」を求めてあちこちを探しまわったが、しばらくの間はそのありかをまったく特定できなかった。
しかし彼らが後に充分に高い霊的レベルに達した時、(つまり彼らがその円盤をムー大陸の人々が使用していたように真に人々のために使用することが可能なレベルに達したとき)ついにそのありかを突き止めるに至った。
その当時のインカ皇帝は実に偉大な人物だった。
彼はチチカカ湖の修道院に自ら出向き、修道院長のアラム・ムルに謁見した。
アラム・ムルはその皇帝に、「黄金の太陽」を譲り渡すことを即座に決定した。
やがてクスコに着いた「黄金の太陽」は手はずどおり「太陽の寺院」内の聖堂に運び込まれ、古のレムリアにおけると同様、黄金のロープでしっかりと固定された。
そのロープを通した穴はプレインカおよびインカ時代の「太陽の寺院」跡に建てられた、現在のサント・ドミンゴ修道院に、今でも残っている。
(ごま書房「アンデスの封印」ジョージ・H・ウィリアムソン著 より要約)
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写真は
上・サント・ドミンゴ修道院
下・アンデスを旅する著者
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