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マヤ族の神話「ポポル・ヴフ」(7)・・故郷「トゥラン」はどこか?

2011-02-19 | マヤ・アステカ・オルメカ
紹介してきたマヤの神話「ポポル・ヴフ」は、悲しみに満ちたマヤ族の物語でしたが、彼らはどこから来て、どこに旅をしていたのだろうということが気になります。

彼らの故郷とはどこなのか?

彼らはどこに行ったのか?

彼らはどこに戻ったのか?

彼らが故郷に残してきたという“兄弟”とは誰なのか?

彼らが海を渡ってやってきたというのは本当なのか?


マヤ、アステカの歴史を書いた本を何冊か読みましたが、とてもややこしく、どの説を選べばいいのか分からなくなります。

「ポポル・ヴフ」の文庫本の後書きには、翻訳者・林屋永吉氏による歴史的なことがらの説明がありました。

焦点が絞ってある分、分かりやすい説明だと思いますので、抜粋して紹介してみます。

他の解釈は、また改めて検討したいと思います。



           *****


「ポポル・ヴフ」文庫本後書きより


    (引用ここから)


キチェー国の古代史の概要

「ポポル・ヴフ」には、古代マヤ帝国の崩壊後に、現在のグアテマラ共和国の地域に住みついた原始諸部族の民間伝承、宗教思想、ならびに彼らの移動と発展の模様があますところなく記されている。


1524年、スペイン人がメキシコの南にあるこの地域に攻め入った時、彼らはメキシコの文化にも劣らない優れた文化をもった種族がこの地域に住んでいるのを見て驚いた。


グアテマラのこれらの土着諸民族は、いずれもこの国の北部と現在のユカタン地方の輝かしい文化を展開したマヤ族の後裔であった。


これら諸部族の容貌や体格の特徴、また諸土語の相似性から見て、彼らが祖先を一にし、血縁関係にあったことは明らかである。


また今日残っている古絵文書も、メキシコ中央高原から中央アメリカの北半分にかけての広大な地域の原住民が、同一起源のものであることを一致して証明している。


すなわち「ポポル・ヴフ」第三部では、供犠師の国ヤキ・・メキシコのトルテカ族を指す・・の人達がキチェーはじめその他の部族と一緒になり、ともにもどかしく太陽の出を待ったことが記されている。


彼らが「町があることを知ってそちらへ向かっていった」ことが明らかにされており、

その町が「トゥラン」であったことが述べられている。


カクチケルの古文書には、「この部族の祖先は「トゥラン」から来たもので、西の方からこの地に到来した」とある。すなわち、


        ・・・・・

われわれは海を越えて、西方から「トゥラン」にやって来た。

そしてこの「トゥラン」で、我らの母、我らの父によって創造され、産み出された。

        ・・・・・

と述べられている。


この先史時代における諸部族の移住については、植民時代の歴史家のほとんどすべてが言及しているが、サアグンは、


        ・・・・・


言い知れぬほどの昔、最初の住民がメキシコのこの地方にやって来た。


彼らは現在のパヌコに上陸し、この港から海岸伝いに、雪に覆われた山々や火山を見ながら、歩いてグアテマラ州に到着した。


彼らの先頭には、彼らの神を棒持した神官が立ち、彼らに何をすべきかということをいつも教えていた。


そして彼らはタモアンチャンに住みついて、ここに長い間を過ごした。


        ・・・・・

と述べている。


グアテマラの諸部族が「トゥラン」から出た時代については、なにも正確に分かっていない。


しかし、だいたいユカタン半島のウシュマルとチチェン・イツァにその後住みついた部族と同じ頃に移動したものとすれば、7世紀ころに移住を開始したものと考えられよう。


「ポポル・ヴフ」にも「カクチケルの記録」にも、彼らが「トゥラン」から石や砂伝いに海を渡って来たことが出ているが、特に「カクチケルの記録」には詳しい記述が残っている。


彼らは相集い、現地の人々と闘いながら東に進み、海を渡り、タブロ・オロモンの地の地に退いたが、その住民が好意を持っていないことを見て、海岸を放棄し、よりよい土地を求めて奥地へ入っていったということである。


このタブロ・オモロンの名は「ポポル・ヴフ」にも登場するが、これはメキシコのオルメカ族をさしている。


グアテマラの部族たちがメキシコにある彼らの同族につねに思いを馳せていたことは「ポポル・ヴフ」の記述に、

彼らがその太陽の出を見て喜びにあふれている時も、北の地、すなわち東方に残してきた連中が共にいないことを悲しんで泣いた、とあることでも明らかである。


この“東方”の語は、彼らがやって来た国、すなわちその起源を漠然と示すために用いられている。


またキチェーの諸族は東方、すなわちシカランコとチチェン・イツァに住みついた彼らの偉大な指導者ケツァルコアトルすなわちククルカンに対して忠誠を守り続けた。


事実、彼らがグアテマラに定着後、最初にした最も重大なことの一つは、その親たちが死ぬ前に残した遺言を守り、ナクシットから叙任を受け、栄誉を授かるために東方に出向くことであった。


この王子達の旅については、すべてのグアテマラの古代文献が言及しているが、ナクシットがケツァルコアトル自身、またはこの名を襲名した彼の後継者と同一体であることはもちろんである。


そして彼はキチェーの王子たちをよろこんで迎え、各種の栄誉や贈り物を彼らに与えているが、その贈り物の一つが、「彼らの歴史を記したトゥランの絵文書」であったのである。



         (引用ここまで)

   
           *****



この説明を読むと、メキシコも、ユカタン半島も、グアテマラも、
あらゆる場所の部族がマヤ族であり、近い血族であるように考えられます。

別の本を読むと、また違う説があり、戸惑うのですが、この解説は「ポポル・ヴフ」を語り継いだ人々に関する貴重な一文であると思います。


また、彼らの歴史的な足取りを追う中で、ずっと古い古代メキシコ文明であるオルメカ文明との接点が指摘されていることは、注目に値すると思います。


> 彼らは相集い、現地の人々と闘いながら東に進み、海を渡り、タブロ・オロモンの地の地に退いたが、その住民が好意を持っていないことを見て、海岸を放棄し、よりよい土地を求めて奥地へ入っていったということである。

>このタブロ・オモロンの名は「ポポル・ヴフ」にも登場するが、これはメキシコのオルメカ族をさしている。





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4 コメント

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Unknown (///)
2011-02-19 23:12:05
>>すなわち「ポポル・ヴフ」第三部では、供犠師の国ヤキ・・メキシコのトルテカ族を指す・・の人達がキチェーはじめその他の部族と一緒になり、ともにもどかしく太陽の出を待ったことが記されている。

ヤキ族は日本で山岳信仰をしていた古代民族だったという説を支持します

焼山、八岐山、八寸山、八木山、八鬼山、咲山・・・・ 

ヤキ族が信仰していた山は日本各地に地名として残されています
朝鮮渡来部族のスサノウ将軍が首長を集めて毒殺したヤマタノオロチ族
日本古来の部族が八岐=九頭竜だったのかも知れませんね

蒙古斑だけが環太平洋部族の印に・・・・

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ヤマタノオロチ (veera)
2011-02-20 08:51:34

///様

コメントどうもありがとうございます。

彼らの旅の話は、謎めいていますね。

トゥランとは、どこにあるのか、わかりませんが、なにか魂に響くものがあるような気がしてなりません。

ヤマタノオロチ族がマヤ族と関係があるという説は初めて知りました。

そう言えば、ヤマタノオロチはケツァルコアトルと似ていますね。

大蛇や竜は、人類と非常に深い所でつながっているのでしょうね。

スサノオノミコトも、実に興味深いキャラクターですよね。

日本とは何か、、すごく面白いテーマですよね。
返信する
Unknown (///)
2011-02-20 09:28:58
13000年前あたり(ピラミッドが建設された時代)に、高度な航海技術を持って日本→北米→南米→インド→中東を繋げていた環太平洋文明の民族が、ヤンガードレアス期の寒冷化(北半球の半凍結)により南下してメソポタミアへ移動、やがて寒冷化が終わり、今度は温暖化で南下していた文明が北上を始め、アジア、北米に拡散していった・・・・。その後(約6500年前)に地球規模の大災害(ノアの大洪水)で低地の環太平洋文明都市は崩壊してしまい、偶然、高地に住んでいた極少数の民族だけが生き残り、約1000年後にまた低地に文明社会を築いた(←世界四大文明の勃興)!という文明周期説も参考になります。

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文明周期説 (veera)
2011-02-21 20:57:51

///様

コメントどうもありがとうございます。

文明周期説ですか。
いいですね。

人類は進歩していないっていう説なのですね。
わたしもその説を支持したいです。

人類が進歩しているなんて、どうして言えるのだろうかとたびたび思います。

輪廻転生は人間個人のみのことではなくて、人類も地球も、いくたびも生死を繰り返しているのではないか、と思えます。

わたしたちは、宇宙が見ている夢の中にいるのではないかな、、と思えます。

だから、一人一人の人間の持つ記憶(の可能性)も、宇宙と同じ大きさなのではないだろうかと思います。

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