
安積遊歩(あさかゆうほ)著「癒しのセクシートリップ・・わたしは車イスの私が好き」を読んでみました。
骨形成不全症で、生まれた時から繰り返し骨折し、大変な困難を抱えておられるであろうに、不屈の精神と知性で切り返し、ヘルパーの男性と結婚して、一児の母となり、今もますます活動的な安積さん。
何十年も前に一度、小さな公民館での講演会でお話を伺いましたが、今も忘れられない魅力的な方でした。
どこを取っても痛快なのですが、「まえがき」と書かれた部分だけご紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
親がつけてくれた名前を「純子」、自分で自分につけた名まえを「遊歩(ゆうほ)」という。
自由に、誇り高く「遊び歩く」。
また、「遊歩」には「UFO」ということばもかけている。
未確認だけれども、科学のこころがわかって、かつ夢のある人なら、こころ躍らせて待っているUFO・・そんな気持ちをこめて。
寝たきりに近かった幼き日、遊び歩くという、こどもにとっての生来の権利・自由も、私にとっては夢のまた夢だった。
兄が私に見せようと、オタマジャクシやトンボを取って来てくれると、その目の前でオタマジャクシの缶詰を作ったり、トンボの脚をむしって糸をつけ、永久に飛び続けさせようとしたり。
またある時は、妹の人形を取り上げて、自分がされたと同じ手術を、その人形に施したりもした。
「やめて!」と泣きながら頼む妹の声を聞きながら、メスに見立てたナイフを人形の足に入れたのだった。
小さな「純子」の、閉ざされた自由への激しい渇望は、幾重にも屈折して表現され続けた。
歩けないことが悲しいのではない。
車椅子で動くことが辛いのではない。
私の絶望と無力感は、障害を持つ女性に対する様々な思い込みと、その思い込みの上に作り上げられた社会システム、そうしたものがもたらす抑圧から来ているのだ。
ならば、絶望と無力感から立ち上がる最初のステップは、自分の名まえに最高の自由と誇りを取り戻してやることだ。
もちろん、親がつけてくれた「純子」という名前も嫌いではない。
しかし純子と呼ばれる度に、ハッシとまわりを睨みつけ(実際、子供の頃の写真を見ると、ほとんどいつも私はそんな顔をしている)、闘って闘ってしか生き延びてこられなかった、小さな自分の姿が頭をかすめてしまうのだ。
これから、どんな人生になるのだろう。
一方的に何かを押し付けられ、様々なものを担わされる人生なんて、もうごめんだ。
私が今、反原発の運動や環境問題に関わっているのも、死や病気に対する恐れからではない。
原発や環境汚染が、自由を希求する心、生きようとする意思に対する妨害であるからこそ、戦うのだ。
たとえ苦しみでさえ、いや、とくに苦しみであるからこそ、自分で選び、チャレンジしていきたい。
積極的に「遊歩」と名乗り始めて6~7年、「遊歩」の人生と、抑圧されている人々の代表である小さな「純子」の日々は、解放に向けてまっすぐにつながっているのだと確信してから、更に自分の人生が興味深く感じられる。
この本を書こうと考えたのは、たぶん小さい「純子」なのだろうと思う。
今、私が「遊歩」となってエネルギーいっぱいで駆け回るのを見て、「純子」が「もっとよく私を見て!」と叫んだのだろう。
本が出来上がるまでのこの一年、私のなかでは繰り返し繰り返し、「純子」と「遊歩」の対話、思いの掛け合いがあった。
そして次第にその対話を、まわりの人と共有したいと心の底から思えるようになっていき、その心の動きに合わせて本も完成されることになった。
「この本を読んでくれた人、一人ひとりの感想が聞きたい」と「純子」が、そして「どこかでの出会いを楽しみにしている」と「遊歩」が言っている。
(引用ここまで)
*****
わたしも、パワフル遊歩さんに出会い、小さな純子さんをみつけた一人ですよ~。
ブログ内関連記事
「老人ホームの母・・有りがたき日々」
「石牟礼道子の語り・「名残の世」(1)・・いとしく思いあう風景」(3)まであり
「春分の夜の蝶」
「女の肩と背中には。。」
「畑正憲の「ヨーシヨシヨシ」・・動物抱きしめ、心の交流」
「歌よ、平和につながって・・俵万智さん(朝日新聞)」
「心身障がい」カテゴリー全般
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます