アジアにおける弥勒信仰のひろがりについて調べています。
韓国の「花郎」という集団についての、別の研究もありました。
前にも紹介している宮田登編「弥勒信仰」の中に「花郎制度の本質とその機能」という文章がありましたので、読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
筆者は、少年という形で訪れる神について、考えています。
弥勒像のほっそりとした姿は、少年のしなやかさを感じさせますが、少年の姿で現れる神への信仰が、仏教の到来以前にすでにあったのではないか、ということが考えられています。
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(引用ここから)
神霊が小童の姿で来臨するというのは、古く、かつ一般的な考え方であったらしい。
韓国の始祖伝説においては、神の来臨は小童の姿で観想されている。
花郎と神霊の関係を物語る伝説のうち、神聖が小童の姿で出現する話が見えているのも、そうした古い精神の存続と見てよかろう。
花郎の徒の月明師が郷歌をもって弥勒仏をまつり、王のために天怪を消散せしめた時の話には、
弥勒が不思議な小童子の姿で出現し、花郎の徒の歌楽に応じて奇瑞を表わした、
とある。
弥勒仏が花郎たちの一種の守護神のごとくに崇拝されていたことは、はなはだ顕著な事実であった。
神の出現に関するこうした観念は、仏教以前から彼らの持っていたものであり、いわば弥勒信仰はその上にきせかけられた外衣にすぎない。
(引用ここまで)
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同じく、樹木や花への信仰に関する指摘もありました。
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(引用ここから)
現れてくれるよう願った「花郎」が樹下において発見された、という逸話は、始祖伝説において「神童が樹下に出現する」という話とまったく同一であり、おそらく「花郎」はある儀礼過程において、神そのものとして現れたものではあるまいか。
元来仏教の信仰には、樹木崇拝が顕著に見られる。
釈迦の菩提樹の話をはじめ、弥勒が龍華樹の近くに現れる、など。
かくのごとき崇拝が、朝鮮の類似の樹木崇拝と習合されたと考えられる。
月明師は僧でありながら一文の経すら知らず、ただ花郎の徒なるのゆえをもって郷歌をよくしたのであったが、その歌はたちまちにして呪的効果を示したのである。
ここに見える弥勒は、経文の功徳によるのでなく、経文ひとつ知らない花郎の歌に応じて奇跡を顕す神性であり、そこに行われている行事と観念は仏教的であるより、固有のシャーマニズム的なものであった。
また、新羅時代に花郎の関連する年中行事の一つとして、四月に「花散らし」の神事が行われ、妖気がはらわれたらしいが、これが仏教の儀式から来たものであるか、あるいは民族の行事であるかは知るよしもない。
一般の若者集会でも花の行事に関係をもっていた場合も少なくない。
桃の節句に「花散らし」を行ったのも、一面妖気を祓うことを意味していた。
桃の節句の意義からも、そう考えられるべきであろう。
(引用ここまで)
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また、竜への信仰の指摘がありました。
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(引用ここから)
高麗全時代にわたって盛行した宮中仏事により、多くの寺、仏像、塔が造られた。
国外の脅威と恐怖の中で諸仏菩薩の護威力だけを信じて頼る心情が国民に広まっており、呪術依存性の色彩が濃く現れ、民間信仰と仏教は関わりを強めた。
そのため民間宗教は一層仏教化の道を歩くようになった。
特に伝統的竜王信仰および、「ミリ信仰」は、弥勒信仰と深い関係を維持して、仏教の弥勒信仰は民間信仰としての局面を展開するのである。
(引用ここまで)
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「ミリ」という韓国語は、竜と弥勒と、同時に意味するということです。
ほっそりとした弥勒菩薩は、朝鮮半島の龍神のおもかげも含んでいるのでしょうか。
朝鮮半島の国々は、特に弥勒を深く信仰してきたということです。
花や竜に心を同化させる、東洋人独特の文化が花開いているように思えます。
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(引用ここから)
朝鮮半島においても、社会が混乱に陥った時、その時代を末法時代と考えて、みずから弥勒であると称し、「弥勒下生が到来した」、と主張した例をみることができる。
その代表的な例が新羅末期における「弓えいの乱」である。
かれは社会が混乱に陥ったのを期に民乱をおこして勢力を得、国を建てた。
その時、みずからを「弥勒菩薩」であると称し、頭には金の冠をいただき、身には袈裟をまとって、その子どもには青光菩薩、神光菩薩と称させて、また自ら経典もつくり、「今の世こそは弥勒である自分の時代である 」と述べた。
高句麗の末には、ある男が地を深く掘って乾いた豆を播き、その上に石の弥勒像を置いて、土をかぶせた。
そして「土の中から、弥勒像が盛り上がってくるだろう。」と予言をしたという。
そして、豆が膨らんで石の弥勒像が土の中から盛り上がるや、民衆たちは彼に誘惑されることになったという。
百済においてもまた、弥勒信仰は盛行した。
百済は日本に仏教を伝えた時に、弥勒石像を送ったという事実もその例証としてみることができる。
百済の弥勒信仰のありさまを代表的にみせてくれるものに、現今まで伝えられている益山弥勒寺の経営がある。
これは百済弥勒信仰のありさまを代表的に見せてくれる。
百済の弥勒信仰の特徴は、百済という現実の国土を弥勒国化しようとする国土的具現に、その目的があったと思われる。
したがって百済の弥勒信仰は、新羅よりも一層具体的な弥勒下生信仰が発展したものであった。
現存する巨大な伽藍がその例証である。
(引用ここまで)
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wikipedia「弓えい」より
弓裔(きゅうえい857年? - 918年)は、新羅末期・後三国時代の群雄の一人で、後高句麗を建国した王(901年 - 918年)。 姓は金、僧号は善宗。
911年には国号を泰封、年号を水徳万歳と改元し、自らを弥勒菩薩と称し、長男を青光菩薩、次男を神光菩薩と呼び習わせた。
この頃の弓裔には横暴な振る舞いが多く、多くの臣下を殺したために人心を失った。
918年、部下である卜智謙・申崇謙・洪儒・玄慶らが謀って王建を王に推戴した。
王位から逐われた弓裔は、逃亡する途中、平康で殺害された。
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バテレンが火薬と交換に日本の若い女を性奴隷として輸出していることを知り
利休への怒りとキリシタン増加に危機感を感じたのでしたのでしょう
現代社会で周知されている、千利休が茶の湯の才人として描かれていることは
現代でも巧妙なプロパガンダ的歪曲による歴史改竄が行われているということです
その歴史改竄を行っている連中が明治維新というクーデターを成功させた勢力
ここで、朝鮮渡来の「弥勒教団」というのが絡んできますね
江戸幕府末期は城内に寄生していた茶坊主と京都の公家が執政に介入・・・
現代社会で、婚姻関係を利用して結束を強化した財閥、閨閥、学閥が一体化し
法律を悪用する官僚と資本家が支配する国家主義体質と似ていますね
茶の湯の神秘性・・・
http://www.archivelago.com/Garden/Cloisters/cho-rekishiteki/hoju_1.html
///様
コメントどうもありがとうございます。
日本文化が、なにを祀っているのか?というのは、大きなテーマですよね。
ほんとうに、何を祀っているのか、不思議です。
茶の湯に関するサイトのご紹介もありがとうございました。
茶の湯は毒の回し飲み。。
そうかもしれないですね。
日本文化は、洗練されすぎなくらい洗練されているので、分かりづらいと感じることがあります。
“毒の回し飲み”的な伝承が、もっとはっきり残っていればいいのに、すっと消してしまうのでしょうね。。
天国も地獄も、両方消してしまうのでしょう。。
“秘すれば花”、の文化なのでしょうね。
聖杯と周期十字架?
“秘すれば花”
東風吹かばにほひをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな・・・
梅の花は五芒星を模したものだとか・・
妙見=プロビデンスの目
日本って不思議な国ですね
///様
コメントどうもありがとうございます。
星に、杯に、十字架に、花に、五角形に、毒に、目、、謎々のようですね。
妙見信仰というと、星信仰ですよね。
星や月は、いろいろな国の神話に主役級で登場しますけれど、日本ではなぜかマイナーなイメージですね。
北極星も、北斗七星も、金星も、日本では、なにか影のある妖しげな光を放つ存在となっているのは、不思議なことですね。