「〈石牟礼さん死去〉水俣病の受難に感応・絶対的な孤独描く」
「石牟礼道子さん死去・水俣病を描いた小説「苦海浄土」」朝日新聞デジタル 2018・02・10
大好きな作家の石牟礼道子さんが亡くなりました。
つい先日、昔とまったく変わらない石牟礼道子さんの文章を、朝日新聞の連載「魂の秘境から」で読んだばかりでした。
猫の話を書いておられ、全文が詩であるような散文の間に、猫にまつわる詩をはさんで、極上の美味な文でした。
90才にして、むかしと全く変わらない文章を書かれる、この方に、なんという力をお持ちなのかと感嘆し、変わらぬ語り口に安堵したばかりでした。
ご冥福をお祈りいたします。
以下、1月31日の朝日新聞「石牟礼道子・「魂の秘境から」7「明け方の夢」を、追悼の心を込めて、ご紹介させていただきます。
*****
(引用ここから)
先日、年若い友人が熊本市の療養先を訪ねてみえた。
新聞社の水俣支局にいるうちに働き盛りで早期退職をして、そのまま水俣に居着いてしまった人である。
「最近、一緒に住むようになって」。
かざして見せられた携帯電話から、「にゃあ」と声がした。
赤茶色の虎猫の仔であった。
もの心ついたころから、いつも近くに四、五匹はいたものだったが、足腰の自由が利かなくなり、飼うのをあきらめてもう数年になる。
時折、こうして猫のお福分けにあずかって気を紛らわせている。
水俣川の川口近くに住んだ家は、近代化の波がそこだけ遠慮して通り過ぎたような百姓家であった。
猫たちは飼うともなく、床や壁の破れ目から、するりと入り込んで来るのである。
父や母と追い出し役を押しつけ合ううち、十数匹も居着いてしまって、しまいには猫一家に人間一家が同居させてもらっている風にもなってくるのだった。
白も黒も赤も三毛もいて、みなミイと呼ばれていた。
あれは黒白ぶちのミイだったろうか。
ほとんど納屋のような貧家であったから、水俣川を下ってきた流木を使った梁はむき出し。
ボラやアラカブ、海のものを囲炉裏であぶった煙が染みついてもいる梁の上で、ねずみが台所からくすねたダシジャコをこれ見よがしにカリカリやる。
その顎の動きまで目に入ってしまう。
「お前や、好物の盗らるっぞ」と、ミイの太ったお尻を押してみると、後足で蹴り返して抗議する。
母のはるのは「ほんにほんに、ねずみもろくろく捕りきらん」とあきれた声を出しながら、魚を料る(こしらえる)時はいつも、わたをまず煮てやって、人間より先に食べさせてしまうのだった。
この前、明け方の夢を書き留めるようにしるいた「虹」という短い詩にも、やっぱり猫が貌(かお)をのぞかせた。
どうやら、黒白ぶちの面影があるようにも思える。
不知火海の海の上が、むらさき色の夕焼け空になったのは
一色足りない虹の橋が かかったせいではなかろうか
漕ぎ渡る舟は持たないし なんとしよう
媛(ひめ)よ そういうときのためお前には 神猫の仔をつけておいたのではなかったか
その猫の仔は あそびほうけるばかり
いまは媛(ひめ)の袖の中で むらさき色の魚の仔と 戯れる夢を見ている真っ最中
かつては不知火海の沖に浮かんだ舟同志で、魚や猫のやり取りをする付き合いがあった。
ねずみがかじらぬよう漁網の番をする猫は、漁村の欠かさぬ一員。
釣りが好きだった祖父の松太郎も仔猫を舟に乗せ、水俣の漁村からやってくる漁師さんたちに、舟縁越しに手渡ししていたのだった。
ところが、昭和三十年代の初めごろから、海辺の猫たちが「狂い死にする」という噂が聞こえてきた。
地面に鼻で逆立ちしてきりきり回り、最後は海に飛び込んでしまうのだという。
死期を悟った猫が人に知られず姿を消すことを、土地では「猫嶽(だけ)に登る」と言い慣わしてきた。
そんな恥じらいを知る生きものにとって、「狂い死に」とはあまりにむごい最期である。
さし上げた仔猫たちが気がかりで、わたしは家の仕事の都合をつけては漁村を訪ね歩くようになった。
猫に誘われるまま、のちに水俣病と呼ばれる事件の水端(みずはな)に立ち合っていたのだった。
(引用ここまで)
*****
わたしが石牟礼道子さんを、深く好きなのは、上の文章にも「変わらぬ語り口に安堵した」と、気づかないで書いたように、まさに「語り」として、読み手の心に触れてくるからだと思っています。
口承文化というのは、文字の無い世界の文化のように思われがちですが、石牟礼さんの文章は、書き言葉が、語りの言葉として、ひとびとの心の非常に深いところに届くように思われます。
信じられないほどの、魂のこもった言葉が、ひとびとの心を、知らないうちに、浄化し、癒すのだと思います。
これがシャーマニックでなくて、なにがシャーマニックであろうと、わたしは密かに思っています。
下にリンクを張った、過去のご紹介記事でも、そのことに触れています。
また、元タイトルは、「名残りの世・石牟礼道子の語り」でした。
こころ急いてアップしたもので、「の語り」の文字を落としてしまいました。
「石牟礼道子全集」というものは、もうすでに出来上がっていて、折々に、追加をしていくばかりの体制なのだそうですが、1月31日に掲載されたこの文章が、「絶筆」になるのかもしれませんね。
石牟礼道子さんの言葉でいうところの、「ことづて(言伝て)」を、たしかに受け取れましたことを、幸せに思います。
ブログ内関連記事 次に順次「再掲」します。
「名残りの世」石牟礼道子(1)・・いとしく思いあう風景」
「名残りの世」石牟礼道子(2)・・草であり、魚であった私たち」
「名残りの世」石牟礼道子(3)・・生きる悲しみ、死ぬ悲しみ」
「春分の夜の蝶」石牟礼道子随筆「ふたりのわたし」を納めています。