始まりに向かって

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光あらわすカラス神・・熊野のヤタガラス(その2)

2010-01-27 | 日本の不思議(古代)
前回紹介した、熊野とヤタガラスと太陽信仰の三題話である萩原法子さんの本について続きを書きます。
ヤタガラスがあちらこちらに現れる、なかなか興味深い本です。

以下、「熊野の太陽信仰と三本脚の烏」より抜粋して引用します。

リンクを張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


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(引用ここから)

中国では古くから、太陽の中に住む、足が三本ある烏のことを金鵜(きんう)と言っており、日本でもその影響をうけていたことが、「伊勢国風土記」に見える。

すでに7世紀の法隆寺の玉虫厨子・台座絵背後の須弥山図の右上に月(中にうさぎとカエル)、左上に真っ赤な太陽が描かれ、中に三本脚の烏が羽を広げている。

「延喜式」にも「三足烏 日の精なり 白うさぎ 月の精なり」とあることから、10世紀のころには中国にならい、三本脚のカラスは太陽のシンボルで、うさぎは月のシンボルとされていたことが知れる。


熊野那智大社では新年を迎えた早々の午前二時、ヤタガラス帽をかぶった権宮司が那智の滝本にある秘所で秘事作法のあと、カラス文字の護符、牛王宝印(ごおうほういん)をするのに使う清水を汲み上げる。

同じく那智大社の扇祭(おおぎまつり)でも、ヤタガラス帽の権宮司が祭りを取り仕切る。


熊野那智大社では、毎年7月14日、「扇祭」がおこなわれる。

12基の「扇神輿(おおぎみこし)」が、那智大社から滝本まで御渡りする祭りであるが、滝本へ降りる石段で迎えの松明(たいまつ)と出会い、その折の勇壮な火の競演が見どころとされ、今では「那智の火祭り」として有名になっている。

扇神輿は高さ6メートルもある杉の枠木にどんすを張り、その上に日の丸扇や鏡をつける。

それぞれの扇の最上部には神鏡を中心に六面の日の丸扇を円形につけ、六枚の板を放射状に配する。

その板は放射光を示すと言われ、「光」とよばれる。

扇神輿は神輿(みこし)と言っても特殊な形で、むしろ鉾のようである。


この祭りのキーワードとなるのは、ヤタガラス帽をかぶった権宮司が「打松」で神鏡を打つことであろう。

光が峰の遥拝を終わった権宮司は、松明を持って「扇褒め」の位置につくと、鏡を打って「扇ほめ」をする。


この「打松で打つ」というのは、どういう意味があるのだろうか。


「打つ」という行為は、牛王宝印の製作時の神事にも見られるが、神事や祭りに非常に多く見られる。


小正月に村村を訪れる神を「訪れ神」と言い、鳥取県稲葉地方ではホトホト、岡山県南部から広島の一部にかけてはコトコトなど、戸をたたく音から連想された呼び名もある。

姿形が見えない神の出現を知るためには、音が必要不可欠であり、「訪れ神」の“おとづれ”は“音連れ”という意味からである。

歌舞伎のドロドロは、太鼓を打つことで幽霊や神出現を誘うのである。


「打松」のマツは、木の名であると同時に「火」を意味した。

“松明”と書いて“たいまつ”と読むが、タイは元来は手に取る火のことであった。


扇神輿を担ぐのは、「扇指し」と呼ばれる56人の若者である。

「扇指し」は那智山の麓、市野乃地区に住む人々にかぎられている。

ヘビの柄の着物を着て、巴紋のついた白い手ぬぐいを鉢巻きにし、草履ばきで神輿を担ぐ。

市野乃に住む人々は「神武天皇を先導したヤタガラスの子孫である。」と称している。


那智大社元宮司から聞いた、として次のような話がある。

「那智の一番大きな行事は、元旦の夜明けに、神主が光が峰山、太陽の山に上がるのです。

大みそかの夜装束をして、そして押し日をつけて、太陽が太平洋を昇る瞬間に押し日をぱっと開く。

日の神を包みこむのは押し日なんです。

そして一目散にお宮さんに持って帰るというのが、那智の重要な儀式なんです。」


那智大社に伝わる神楽歌の一曲の中に、次のような「光峰の歌」がある。

ミチノヤ シルヘト ヒカリガミネニ ヒカリアラワス カラスカミ カラスカミ

ひかりをあらわす、というのは陽光を発するということであり、カラスが太陽の神として歌われている。

権宮司がヤタガラス帽をかぶって行う「扇ほめ」と、「光が峰遥拝」は、那智信仰の大元になっている太陽崇拝を、太陽の神、ヤタガラスに成り変って執り行うのであろう。

(引用ここまで・続く)


               *****




扇祭りではありませんが、2月6日に行われる熊野新宮の火祭りの準備が行われているという記事がありました。

http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20100117ddlk30040287000c.html
たいまつ作り:火祭り近づき、ピーク--新宮 /和歌山

 新宮市の神倉神社で2月6日にある勇壮な火祭り「お灯まつり」が近づき、参道沿いの同市千穂、上道益大さん(78)宅作業場で、たいまつ作りが追い込みに入った。

 上道さんは、この道約40年のベテラン。
「たいまつの姿、形がいい」と評判を呼び、県内外から注文が来る。

祭りの前日までに500本以上を仕上げる。

熊野材のヒノキを加工、板状にした5枚を持ちやすいように5角すい形に組む。上部にヒノキの板を削った薄い房(別名、花)を取り付けていく。

 たいまつは、祭りの主役の「上り子」と呼ばれる男たちが持ち、房に点火。

かざしながら神倉山の石段を駆け下りる。

長さ約85センチの大きいものから小型の約30センチまで7種類。

上道さんは「外材のたいまつもありますが、私は熊野産にこだわっています。朝早くから午前0時ごろまで作業をしています」と話した。


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写真 「別冊太陽・熊野」より


wikipedia「扇祭」より

神事としての扇祭は、かつて夫須美(ふすみ)大神を「花の窟」から勧請した故事にまつわるものであるとされ、かつては寄り木となる木を立てて大神を迎えた後、その木を倒して大神が帰らぬようにする神事があったという。

しかし扇祭は、例大祭当日の祭礼に見られるように火と水の祭りであり、今日では祭の意義は、例えば農事繁栄のような生命力の再生と繁栄として解されている。

水は那智における古くからの崇拝の対象である滝の本体であって、生命の源と解され、一方で火は、万物の活力の源を表す。

そして、滝本から本社への還御の儀式に見られるように、扇祭の祭礼は神霊の再生復活と、それによる生命すなわち五穀豊穣を祈念する祭りなのである。

祭礼の名や扇神輿に見られる「扇」もまた、農業神事としての性格にまつわるものである。

扇に備わる徳により、扇の起こす風は、彼方に向けて吹くときには災厄を除き、此方に向けて吹くときには福を招く、そうした霊力を発揮するとされ、扇自体にも『古語拾遺』によれば虫害を斥け、穀物の豊穣に関係する故事があるといわれている。

また、扇祭の様式には神仏分離以前の修験の祭りとしての要素も指摘することが出来る。

祭りの核心をなす「扇褒め神事」を執り行うのは、17世紀初頭の史料によれば、青岸渡寺の僧房のひとつ尊勝院を拠点とする修験者たちの役目であり、彼らは八咫烏帽をシンボルとした。

神仏分離後に、扇褒め神事が那智大社の権宮司に委ねられるようになってからも、権宮司は八咫烏帽をかぶった姿で神事に臨むだけでなく、松明の火を媒介・操作することにより神霊を導き、扇神輿に招くという点で、火の操作者としての修験者の像を読み取ることが出来る。


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