昔のことになりますが、町のカトリックの教会のミサに何回か参加させていただいたことがあります。
カトリックのミサでは、神父さんがホスチアという白いおせんべいのようなものを一人づつ並んだ信者たちの口に入れていく儀式がありました。
これはイエスが弟子たちに“パン”を与えたことを模した儀式と思われますが、
わたしは後ろの方の席でこれを見学して、思わず陶然となってしまいました。
この変わった儀式が伝えているものは、人間の立場をとても正確に現わしている、と思いました。
人間のたましいはいつも飢え、乾いている。
その飢えと乾きを満たすものは神聖さそのものである、という儀式の意味が気に入ったのです。
そしてその人間の魂の餓えを満たす神聖さは、白い、丸いおせんべいのようなものとして目の前にあり、いつでも常に、すでに神によって人に与えられているから、飢えも乾きも幻想にすぎないと、ミサを見ていると体をとおして実感できたからです。
宗教オタクのわたしですから、受洗することはありませんけれど、、カトリックの神秘性は十分魅力的な文化だと思いました。
人間を罪深い者と考える、というスタンスを、わたしは多分生きているかぎり持ち続けるだろうと思っています。
臼井隆一郎さんという方が書いている「パンとワインを巡り神話が巡る」という本を読んでみました。抜粋して少し引用します。
血と肉をめぐるキリスト教、ユダヤ教、ギリシア文明、シリア文明の歴史が書かれていました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
イエスは「神の子」である。
この時代に「神の子」を主張するということは当然、別の「神の子たち」との競争関係に入ることを意味するであろう。
「わたしが命のパンである」と言うイエスは、今まで見てきた食の英雄ヘラクレスやワインの神ディオニュソスとどのような位置関係にあるのであろう。(略)
イエスが神の子であるならば、はっきりと名前そのものが「神の子」(=ディオヌソ)と意識されるディオニュソスとの関係が問題になる。
イエスは12月25日に生まれたことにされた。
ディオニュソスの誕生日を踏襲したのである。
厩(うまや)に生まれたイエスのゆりかごは飼い葉おけであった。
飼い葉おけで眠る赤ん坊は他にもいる。
ギリシアのアテネからエレウシスに向かう儀式の行列の先頭には乳母に変装した男やディオニュソスの赤ちゃん時代のおもちゃを座布団に乗せて運ぶ人々がいた。
ディオニュソスのゆりかごであった飼い葉おけを運ぶ人もいた。
厩(うまや)で動物を従えて生まれ、飼い葉おけに遊ぶ幼子イエスは、エレウシス復活信仰の象徴というべき幼子ディオニュシスに酷似しているのである。
ディオニュソスは奇跡をおこなった。
イエスもワインの奇跡をおこなった。
4,5斗も入った水がめの水をワインに変えるのである。
イエスもディオニュソスと同じく奇跡を起こすことが出来るのである。
しかしディオニュソスをディオニュソスたらしめているのは、ディオニュソスみずからの受苦を介して、ワインそのものとなり、人に飲まれ吸収され、人と合体することによって、神とも人とも区別のつかない“バッコスの境地”を作り出すところにあった。
イエスがディオニュソスに匹敵し、それを凌駕する神の子の実を示すためには、イエス自らがワインと化すことである。
イエスが犠牲のワインそのものとなってわれわれの前に立ち現われてくるのは、イエスが地上の最後の夜をすごすゲッセマネの夜である。
翌日は逮捕、処刑されるという最後の夜、イエスは苦しげに言う。
「父よ、あなたはなんでもお出来になります。この杯をわたしから取り除けて下さい。」
イエスは自分を、生贄としてのワインを入れる献酒杯に注がれるワインに見立てている。
実際イエスは、踏みしめられ絞りぬかれるブドウそのものである。
場所はオリーブ山の麓のゲッセマネ。
ゲッセマネとは油搾り器のことである。
イエスは言う。
「わたしは命のパンである。」
「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はいつでもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」
「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もまたわたしによって生きる。」
こうしたあきらかに食人を思わせる言い回しは、やはり驚くべきことである。
動物の血を飲むことはユダヤ人には禁じられている。
ましてや人間の血を飲むなどもっての他である。
パンを裂き、ワインを飲むことで暗示される、肉を引き裂き、血をすするという事態を含む神話の圏域はディオニュソスの圏域であろう。
それは巨人や信女に八つ裂きにされ、食いつくされるディオニュソスの再現以外の何ものでもない。
イエスにはパンの供養(エレウシス)、ワインの生贄(ディオニュソス)、小羊の屠り(ユダヤ)のそれぞれが等しく見られるにも関わらず、一つ類を絶した構造がある。
倶犠には、倶犠に献げられる聖なる犠牲獣と、共同体を代表して倶犠を献げる聖なる祭司が不可欠であるが、
その両方を、イエスと言う一人の人間が担っていることである。
イエスはみずから圧搾され飲まれるワイン、引き裂かれ分配されるパン、そしてほふられる小羊の三重の生贄であると同時に、
その生贄儀式が聖書に書かれた通り成就するために、式の進行を完全に取りしきる祭司である。
そしてイエスは、動物倶犠の手順を踏んでいるのである。
(引用ここまで)
*****
生贄には人類の意識のドラマが隠されていると、著者は考えています。
生贄とは、人間が差し出すものと神からやってくるものの交換の儀式であり、
イエスが言った「これはわたしの肉、これはわたしの血である」という言葉は、キリスト教のテーゼであるとともに、
はるか古代から、食べるために動物を殺し、宗教儀式として人や動物を生贄に捧げ続けてきた人類の意識の根幹の感覚を呼び覚ます言葉なのだ、と著者は述べています。
*****
(引用ここから)
人間は殺す存在である。
ならば殺してもよいのか、いや人間は殺すべきではない。
では殺すすべは習わなくてもよいのか。
それでは生活は成り立たない。
矛盾をとりいれた秩序として、たえず平衡をくずす危険にさらされながら、しかし発展性を宿した秩序として、生の運動平衡感覚とでもいうべきものが人間文化の基礎的伝統のなかに刷り込まれたのである。
新石器時代革命もまた革命であった。
農耕革命は暴力革命であった。
大地を耕作するとは、母なる大地をその武器で傷つけることに他ならない。
牧畜革命も同様である。
農業と牧畜という牧歌的な光景はけっして心底、平和と思える風景としては把握されない。
それはいわば、大地は鋤に痛めつけられ、ブドウの枝は鎌に切り払われ、牛はくびきにあえいでいる光景でもある。
しかしまさにそうであるからこそ、人間に“殺す人”の自覚を強いる太古の動物供犠は、農耕革命と牧畜革命の後もはるかに長い余命を保ち、
その優に5万年をさかのぼるとされる起源を、農耕牧畜社会の諸々の祭祀に残すことになるのである。
(引用ここまで・同書より)
*****
食べるという行為は、まことに大いなる神秘をはらんでいると思わずにいられません。
Wikipedia「エレウシスの密儀」より
デメテルの祭儀はエレウシスの祭儀、またはエレウシスの秘儀と呼ばれ、古典古代時代最もよく知られた秘儀のひとつである。
エレウシスの秘儀は紀元前1700年頃ミケーネ文明の時代に始まったと言われている。
マーティン・P・ニールソンはこの秘儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」事を意図されていたと述べている。
その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。
参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデメテルの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の秘儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。
秘儀への参加者には事前に身を浄めることが要求され、その秘儀は神の永遠なる浄福を直接見ることといわれた。
キリスト教が広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世により多神教的異教の祭儀が禁止されると、エレウシスの祭儀も絶えた。
Wikipedia「ディオニュソス」より
本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していた。
この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニューソスをギリシアの神々の列に加える事となった。
この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に反映されている。
またザグレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにもディオニューソス信仰の形成過程をうかがわせる。
とはいうものの、実際にはミケーネ文明の文書からゼウスやポセイドーンと同様にディウォヌソヨ(Διϝνυσοιο)という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。
ギリシア人にとっては「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。
アテーナイを初めとするギリシア都市ではディオニューソスの祭りのため悲劇の競作が行われた。
ローマ神話ではバックス(バッカス)と呼ばれ、また豊穣神リーベルと同一視されている。
カトリックのミサでは、神父さんがホスチアという白いおせんべいのようなものを一人づつ並んだ信者たちの口に入れていく儀式がありました。
これはイエスが弟子たちに“パン”を与えたことを模した儀式と思われますが、
わたしは後ろの方の席でこれを見学して、思わず陶然となってしまいました。
この変わった儀式が伝えているものは、人間の立場をとても正確に現わしている、と思いました。
人間のたましいはいつも飢え、乾いている。
その飢えと乾きを満たすものは神聖さそのものである、という儀式の意味が気に入ったのです。
そしてその人間の魂の餓えを満たす神聖さは、白い、丸いおせんべいのようなものとして目の前にあり、いつでも常に、すでに神によって人に与えられているから、飢えも乾きも幻想にすぎないと、ミサを見ていると体をとおして実感できたからです。
宗教オタクのわたしですから、受洗することはありませんけれど、、カトリックの神秘性は十分魅力的な文化だと思いました。
人間を罪深い者と考える、というスタンスを、わたしは多分生きているかぎり持ち続けるだろうと思っています。
臼井隆一郎さんという方が書いている「パンとワインを巡り神話が巡る」という本を読んでみました。抜粋して少し引用します。
血と肉をめぐるキリスト教、ユダヤ教、ギリシア文明、シリア文明の歴史が書かれていました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
イエスは「神の子」である。
この時代に「神の子」を主張するということは当然、別の「神の子たち」との競争関係に入ることを意味するであろう。
「わたしが命のパンである」と言うイエスは、今まで見てきた食の英雄ヘラクレスやワインの神ディオニュソスとどのような位置関係にあるのであろう。(略)
イエスが神の子であるならば、はっきりと名前そのものが「神の子」(=ディオヌソ)と意識されるディオニュソスとの関係が問題になる。
イエスは12月25日に生まれたことにされた。
ディオニュソスの誕生日を踏襲したのである。
厩(うまや)に生まれたイエスのゆりかごは飼い葉おけであった。
飼い葉おけで眠る赤ん坊は他にもいる。
ギリシアのアテネからエレウシスに向かう儀式の行列の先頭には乳母に変装した男やディオニュソスの赤ちゃん時代のおもちゃを座布団に乗せて運ぶ人々がいた。
ディオニュソスのゆりかごであった飼い葉おけを運ぶ人もいた。
厩(うまや)で動物を従えて生まれ、飼い葉おけに遊ぶ幼子イエスは、エレウシス復活信仰の象徴というべき幼子ディオニュシスに酷似しているのである。
ディオニュソスは奇跡をおこなった。
イエスもワインの奇跡をおこなった。
4,5斗も入った水がめの水をワインに変えるのである。
イエスもディオニュソスと同じく奇跡を起こすことが出来るのである。
しかしディオニュソスをディオニュソスたらしめているのは、ディオニュソスみずからの受苦を介して、ワインそのものとなり、人に飲まれ吸収され、人と合体することによって、神とも人とも区別のつかない“バッコスの境地”を作り出すところにあった。
イエスがディオニュソスに匹敵し、それを凌駕する神の子の実を示すためには、イエス自らがワインと化すことである。
イエスが犠牲のワインそのものとなってわれわれの前に立ち現われてくるのは、イエスが地上の最後の夜をすごすゲッセマネの夜である。
翌日は逮捕、処刑されるという最後の夜、イエスは苦しげに言う。
「父よ、あなたはなんでもお出来になります。この杯をわたしから取り除けて下さい。」
イエスは自分を、生贄としてのワインを入れる献酒杯に注がれるワインに見立てている。
実際イエスは、踏みしめられ絞りぬかれるブドウそのものである。
場所はオリーブ山の麓のゲッセマネ。
ゲッセマネとは油搾り器のことである。
イエスは言う。
「わたしは命のパンである。」
「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はいつでもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」
「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もまたわたしによって生きる。」
こうしたあきらかに食人を思わせる言い回しは、やはり驚くべきことである。
動物の血を飲むことはユダヤ人には禁じられている。
ましてや人間の血を飲むなどもっての他である。
パンを裂き、ワインを飲むことで暗示される、肉を引き裂き、血をすするという事態を含む神話の圏域はディオニュソスの圏域であろう。
それは巨人や信女に八つ裂きにされ、食いつくされるディオニュソスの再現以外の何ものでもない。
イエスにはパンの供養(エレウシス)、ワインの生贄(ディオニュソス)、小羊の屠り(ユダヤ)のそれぞれが等しく見られるにも関わらず、一つ類を絶した構造がある。
倶犠には、倶犠に献げられる聖なる犠牲獣と、共同体を代表して倶犠を献げる聖なる祭司が不可欠であるが、
その両方を、イエスと言う一人の人間が担っていることである。
イエスはみずから圧搾され飲まれるワイン、引き裂かれ分配されるパン、そしてほふられる小羊の三重の生贄であると同時に、
その生贄儀式が聖書に書かれた通り成就するために、式の進行を完全に取りしきる祭司である。
そしてイエスは、動物倶犠の手順を踏んでいるのである。
(引用ここまで)
*****
生贄には人類の意識のドラマが隠されていると、著者は考えています。
生贄とは、人間が差し出すものと神からやってくるものの交換の儀式であり、
イエスが言った「これはわたしの肉、これはわたしの血である」という言葉は、キリスト教のテーゼであるとともに、
はるか古代から、食べるために動物を殺し、宗教儀式として人や動物を生贄に捧げ続けてきた人類の意識の根幹の感覚を呼び覚ます言葉なのだ、と著者は述べています。
*****
(引用ここから)
人間は殺す存在である。
ならば殺してもよいのか、いや人間は殺すべきではない。
では殺すすべは習わなくてもよいのか。
それでは生活は成り立たない。
矛盾をとりいれた秩序として、たえず平衡をくずす危険にさらされながら、しかし発展性を宿した秩序として、生の運動平衡感覚とでもいうべきものが人間文化の基礎的伝統のなかに刷り込まれたのである。
新石器時代革命もまた革命であった。
農耕革命は暴力革命であった。
大地を耕作するとは、母なる大地をその武器で傷つけることに他ならない。
牧畜革命も同様である。
農業と牧畜という牧歌的な光景はけっして心底、平和と思える風景としては把握されない。
それはいわば、大地は鋤に痛めつけられ、ブドウの枝は鎌に切り払われ、牛はくびきにあえいでいる光景でもある。
しかしまさにそうであるからこそ、人間に“殺す人”の自覚を強いる太古の動物供犠は、農耕革命と牧畜革命の後もはるかに長い余命を保ち、
その優に5万年をさかのぼるとされる起源を、農耕牧畜社会の諸々の祭祀に残すことになるのである。
(引用ここまで・同書より)
*****
食べるという行為は、まことに大いなる神秘をはらんでいると思わずにいられません。
Wikipedia「エレウシスの密儀」より
デメテルの祭儀はエレウシスの祭儀、またはエレウシスの秘儀と呼ばれ、古典古代時代最もよく知られた秘儀のひとつである。
エレウシスの秘儀は紀元前1700年頃ミケーネ文明の時代に始まったと言われている。
マーティン・P・ニールソンはこの秘儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」事を意図されていたと述べている。
その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。
参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデメテルの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の秘儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。
秘儀への参加者には事前に身を浄めることが要求され、その秘儀は神の永遠なる浄福を直接見ることといわれた。
キリスト教が広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世により多神教的異教の祭儀が禁止されると、エレウシスの祭儀も絶えた。
Wikipedia「ディオニュソス」より
本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していた。
この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニューソスをギリシアの神々の列に加える事となった。
この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に反映されている。
またザグレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにもディオニューソス信仰の形成過程をうかがわせる。
とはいうものの、実際にはミケーネ文明の文書からゼウスやポセイドーンと同様にディウォヌソヨ(Διϝνυσοιο)という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。
ギリシア人にとっては「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。
アテーナイを初めとするギリシア都市ではディオニューソスの祭りのため悲劇の競作が行われた。
ローマ神話ではバックス(バッカス)と呼ばれ、また豊穣神リーベルと同一視されている。