なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

モチベーション

2012-01-30 20:30:13 | 雑感
仕事をする時にその原動力になる“励み”なるものをこういうのだそうだ。

しばらく前に糸井重里著の「オトナ語の不思議」という本を読んでいてあまりにもセケンがクダラナイなって思った

私は仕事先の店長をがっかりさせる自信が人一倍あるほうだ

話をしていて本当に頭をがっくりとさせたのを目撃したのが少なくても2回ある

一つはつい最近のお話合いの最後の最後で店長がいつも言うんだけど

「他に質問はありませんか?」といった
すかさず私は
「SPってなんですか?」(ある業界用語である)

で、店長の落胆した顔ったら無い、ごめん!



もう一つは

「モチベーションって何ですか?」って聞いた時だ
この時も店長はきちんと落胆してた。或は私がばかを装っているのだろうと思ったか謎掛けかと
いや違います、普通に知らないのね

だって、リーサラのけーけん無いもん

私は本気の本気でその言葉の意味が分からなかった
いや、今迄聞いたことはあるよ、でも関係のない言葉は私の脳みその語彙科学研究所からは跳ねられてしまうのだろうと思う
でも店長が「maricoさんのモチベーションって何ですか?」と聞くから答えに詰まっちゃったのだ

その時はなんて答えたのか良く覚えていないけど
今日仕事をしながら何故かつらつらと考えていたのだ


まず大事なのは「モチベーション」を外に求め(すぎ)ては良く無いんじゃないかなっつーことだ
だって、外的なものは信じられないもん
外のものは変わる。それに合わせてこちらの「モチベーション」が左右されるのは面倒くさいと思う
じゃ、私のは何か?と考えてみたら
「知的好奇心または知的欲求」なのかなと思った

私の理想の一日は、一日を4つに分けるとすると1つは就寝、1つは仕事、1つは趣味(スポーツをするとか読書とか)、1つは旨い物を作る食べる、という事をこなす、とミトコンドリア的にシンプルなのだ

その4つの欲求の質が良ければ絶好調で、どれかが良く無ければ他で補うカタチが理想
仕事は賃金確保としてきちんとそこに組み込まれていることなので、その質が良ければ良い程キモチよく眠れたり、気持よく戦えたりするわけだ
仕事の質が良い、というのは私の仕事の性質上ずっと前にブログでも書いたかもしれないけど

某シアトル系コーヒー店ではコーヒーを売ります。しかし他のものも売っています。物は売ってるけどお金を払わないでもらえる特別な“サムシング”が実はとても得難い物なのです。

「お客さんがきました、コーヒーを売りました、ありがとうございましたといいました」の一日に賃金の他何も得る物は無い

私は仕事をしていてお客さんが本当に顔を輝かせて“ありがとう!”と言ってくれること、つまり“サムシング”の提供が課せられた仕事であり、尚且つ矛盾するようだけど仕事では無い。

誰かから何かを見つけ出したりするのは良く観察したり、自分の中で考えたりしなくてはできないものだ
でもうまくそれが出来た時に私の「知的好奇心または知的欲求」が満足させられるのだ。

初めてあった知らない人が、その店を出て行く時は笑顔になって“また来よう”と思ってくれる。
それが私の仕事の醍醐味であり、そういうのが好きなんだなと思う。

痺れる

2012-01-30 20:10:20 | 雑感
某シアトル系コーヒー店の朝シフトを終えて店を出て左に曲がり、その後に控えている銃撃戦のためジムワークの為に信号を渡ろうとしたらば、突然ふと思い出して、その内容に痺れてしまった。

何を思い出したのかというと

作詞の文句だ

その詩は漢字表記の好きな特定の傾向がある方々に多いのだけど
意外に良く考えられてるし、軽い天才じゃないかと思う

例えば

「“愛”と書いて“オマエ”と読む」とか「“愛”と書いて“(実際の名前が入る)”と読む」とか
「ベイベー、イッツオーライ、もう離さないって決めた」とか
赤いルージュがなんたらとか、本当に多様で繊細だと思う

「“愛”と書いて“オマエ”と読む」だよ?
詩人だ。

この人にとっては“愛”=“オマエ”なのだよ。
詩人だ。


申し訳ないけど私は今迄の人生でこんな事は言われた事は無いし、「ベイベー」なんてハナワ君にしか言われた事無いし
もっと言っちゃえば私を題材にして詩を書いてもらった事なんて無いさ


こんな事を考えつつボクササイズに参加したら、なんとなくイラダチやハラダチを覚え、アドレナリンが大量流出した。

ラクテンテキ

2012-01-30 19:28:50 | 雑感
ラクテンテキだねと言われる

アカルイネとも言われる

チョウマエムキだね、などとも


自分ではあまり意識していないけど(ていうか較べようがないから較べないし)
そう見られるようだ


いや、実のところちょっとした考え方の違いなんじゃないだろうか?とさっき思った


私はせっかちな性格で、筋金入りの面倒くさがりやで、それを穴埋め上塗りするように合理主義なところがある

だから悩みが無いように思われたりするのだ


つまり

今、生きて動いてる人っていうのは(私も含めて)過去にはきっと様々な苦渋に満ちたファンタスティックな出来事なり
はらわた煮えくり返るような素敵なできごとや、完璧に美しい絶望に涙したことだってあっただろう

しかし、今生きている。しかもその出来事があったことなど忘れて(或は癒されて、或は不安要因が払拭されて)元気だったりもする

もちろんいまその苦渋のまっただ中、という人だっているだろう。もちろん

でもね、

あのね、

なんとか乗り越えて来ましたよね?え?来てるよね?

そう、それです。ある程度の出来事は乗り越えて来れる

だから、私の場合はそれを省いて考える事が人より多いんだろうと思う
つまり(つまりが多いな)

悩みができた=悩む=ぐだぐだする=相談する=まだ悩む=時間が経つ=少し思い悩む=また時間が経った=悩むのも厭きて来た=さらに風化=悩みの無い状態になる

もちろんこの図式の中には様々なアクションもあるだろうけどまあだいたいこんな感じじゃないだろうか

で、私はせっかちなので結果が分かってる事に関しては(乗り越えられる事に関してはと言い直そうか)

悩みができた=悩む=ぐだぐだする=相談する=まだ悩む=時間が経つ=少し思い悩む=また時間が経った=悩むのも厭きて来た=さらに風化=悩みの無い状態になる

と、このステップ数を減らしてしまうのだ

だってせっかちだからな

だから、悩みが出来たとしてもあまり永くは続かないように見えるんだと思う

乱暴な意見でした

ご清聴ありがとうございました



冷凍庫には

2012-01-30 18:21:38 | 美味しいもの
冷凍うどんが2ヶ、ローストアーモンド、豚挽肉が約200gほど、後はお菓子の材料とか笹のはとかが入ってる。

さて今日の夕飯はどうしようか、と考える
野菜室を開けて茄子、人参、大根、生姜、牛蒡があったのでそれらを乱切り
メインのおかずに説得力のなさげな時に味噌汁にコクのあるのを作る

出汁は別にとっておき、



その他の野菜陣をごま油で丁寧に炒める
冷蔵庫にあぶらげもあったのでそれもいれる
沖縄出身の母親がよく“クーブ”(昆布)も入れていたのでそれもいれる




良く炒めたら出汁に合わせて煮立て、味噌を加える




その他にブロッコリがあった
これでブロッコリのクリームソースがけをやろう




私の作るホワイトソースはお手軽
玉葱を半分(一個でもいいけど)薄切りにしてフライパンへ入れてサラダ油やバターやをいれる。
オリーブオイルで作った事もあるし、サラダ油だけで作ったこともある
何もブールからきちんと作らなくても日常のおかずには事足りる

点火してしばらく炒めているとしなっとする。
しなっとしたらそこに小麦粉を入れる
私は大さじを使ってきっちり3杯山盛りにしてフライパンへ
これが少ないとサラサラめのクリームに、多ければ固めのものになる




それを玉葱と炒め合わせて



こんな感じにする

そこに、牛乳を入れる
どのくらい?私はパック半分のを少しづつ入れたんだけど
ベースに玉葱炒めがあるからあまりだまとか気にしないでよろしい
ちなみに最初から最後迄私は菜箸で適宜かき混ぜながら作ってる

牛乳だけでもいいし、スープベースでもいいし、水を少し加えても良い

味付けはナツメグ(乳臭さを緩和する)、塩、胡椒

余計なものは入れぬがいいし、余計な事は言わない方がいい



仕上りはこんな風

今日は茹でたブロッコリにかけてチーズでも置いてトースターでこめげを付けるけど

残ったら明日は茹でたじゃがいもやウィンナーを入れたりして伸ばしてシチューでもいいし、
明日の朝、パンに載せて或は挟んでホットサンドなんかにしたら尊敬されてしまうだろう
またはご飯にハムでも載せてクリームをかけてトースターで焼いてドリアでもいい

冷凍も出来るから、多めに作っておいてもいいのじゃないだろうか


娘の食事

ご飯の上にブロッコリを適当において熱いコロッケものせてクリームソースをかけ
トースターで少しこめげが付くまで焼いたもの



いよかんのデザート付き