みんなでツアーを組んで、イタリアに旅行した。
みんなでっていってもかなり大勢、20名程だろうか
旅行の幹事は得意の子に任せて
私はただお金払って付いてくだけのお気軽旅行
ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ
イタリアの駅前ではいろんな出店が出ていてどれもこれもめっちゃ美味しそうである
三々五々にわかれつつみんな買い物をして楽しんでいた
私も何か買おうと思って、ふと財布をホテルに置き忘れた事に気がついた
「ち、何も買えないじゃん」
と思った瞬間になんとなんと私は円でお金を持って来ていたことに気がついた、ていうか換金すんの忘れてた
こんなことってあるのだろうか????
いくら私がもの忘れしやすいっていったってあちこちに「換金しろ」「換金しろよ」「換金しろって」
と書いて貼ってあるだろうに、相当やられてるんだなとがっかり
しかし、みんなの周りをなんとなくうろうろしてたらおこぼれにあずかれるだろうかと作戦を変更し
うろうろしてみた
お金持ちの子が日本で留守番してる私の子供らにお土産を買ってくれた
これをそのまま日本に送る手続き迄できるという
私はほくほく顔でカウンターへいくと
日本語の出来るウルトラダイナマイトの姉さんが
「アナタノオニモーツハコレトコレネ ドコオクルカ」
と聞いてくるので気圧されつつはいはいと言うと
「コレニカクネ アナタスミマストコロ」
長い物には巻かれるタイプの私は従順に書き始める
漢字とひらがなとついでにローマ字でも書いといたからなんとなく大丈夫だろう
「パスポト ダシテネ」
ン?パスポート?んなもん持ってないよ。置いて来たよ、だって大事なもんじゃんか。盗まれたら困るもん。
ちゃんと東京の家のタンスの抽き出しに入ってるもんね
ん?パスポートって、海外旅行のときって、逆にいるんじゃね?????
まったく浦島太郎ばりに海外旅行が久しぶりな私はパスポートまで忘れてイタリアに入国してしまったのだ、というのか?
私は「もしパスポート持っていなかったら大変な事になる」と思い、そのカウンターのウルトラダイナマイトからすこしづつフェイドアウトし、密かにめっちゃ焦った。
焦ったところでどうしても自分がパスポートを持ってきたとは思えない。
どうしたんだへいへいべいべ
表面はともかくとにかくものすごく焦っていた私はそばにいた人に言ってみた
「パスポート無くて入国ってできるっけ?」
「できるわけないじゃん」
「え?でもツアーの時っていらないとか?」
「ていうか、出国もできんぞよ」
「いや、出来たとしたら」
「そりゃみつかったらやばし、だよ。ムショケイ行きかな」
私はものすごく焦った
それで考えたツアー中に密かに自宅からパスポートを郵送してもらえばいいのだ
早速電話をかけよう。
あ!電話かけるにもコインが無い
ていうか、パスポートをどこにしまっていたかが問題だ。タンスの奥の奥だから見つかるかな?
いっそ、自分で捜したいぞ
という夢を見て起きた。
昨夜就寝前に茅木真知子さんのソーイングの本を読んでいたせいかどうかわからないけど、
イタリアの駅前で売っていたチーズたっぷりのフォカッチャみたいな食べ物はおいしかったなー
みんなでっていってもかなり大勢、20名程だろうか
旅行の幹事は得意の子に任せて
私はただお金払って付いてくだけのお気軽旅行
ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ
イタリアの駅前ではいろんな出店が出ていてどれもこれもめっちゃ美味しそうである
三々五々にわかれつつみんな買い物をして楽しんでいた
私も何か買おうと思って、ふと財布をホテルに置き忘れた事に気がついた
「ち、何も買えないじゃん」
と思った瞬間になんとなんと私は円でお金を持って来ていたことに気がついた、ていうか換金すんの忘れてた
こんなことってあるのだろうか????
いくら私がもの忘れしやすいっていったってあちこちに「換金しろ」「換金しろよ」「換金しろって」
と書いて貼ってあるだろうに、相当やられてるんだなとがっかり
しかし、みんなの周りをなんとなくうろうろしてたらおこぼれにあずかれるだろうかと作戦を変更し
うろうろしてみた
お金持ちの子が日本で留守番してる私の子供らにお土産を買ってくれた
これをそのまま日本に送る手続き迄できるという
私はほくほく顔でカウンターへいくと
日本語の出来るウルトラダイナマイトの姉さんが
「アナタノオニモーツハコレトコレネ ドコオクルカ」
と聞いてくるので気圧されつつはいはいと言うと
「コレニカクネ アナタスミマストコロ」
長い物には巻かれるタイプの私は従順に書き始める
漢字とひらがなとついでにローマ字でも書いといたからなんとなく大丈夫だろう
「パスポト ダシテネ」
ン?パスポート?んなもん持ってないよ。置いて来たよ、だって大事なもんじゃんか。盗まれたら困るもん。
ちゃんと東京の家のタンスの抽き出しに入ってるもんね
ん?パスポートって、海外旅行のときって、逆にいるんじゃね?????
まったく浦島太郎ばりに海外旅行が久しぶりな私はパスポートまで忘れてイタリアに入国してしまったのだ、というのか?
私は「もしパスポート持っていなかったら大変な事になる」と思い、そのカウンターのウルトラダイナマイトからすこしづつフェイドアウトし、密かにめっちゃ焦った。
焦ったところでどうしても自分がパスポートを持ってきたとは思えない。
どうしたんだへいへいべいべ
表面はともかくとにかくものすごく焦っていた私はそばにいた人に言ってみた
「パスポート無くて入国ってできるっけ?」
「できるわけないじゃん」
「え?でもツアーの時っていらないとか?」
「ていうか、出国もできんぞよ」
「いや、出来たとしたら」
「そりゃみつかったらやばし、だよ。ムショケイ行きかな」
私はものすごく焦った
それで考えたツアー中に密かに自宅からパスポートを郵送してもらえばいいのだ
早速電話をかけよう。
あ!電話かけるにもコインが無い
ていうか、パスポートをどこにしまっていたかが問題だ。タンスの奥の奥だから見つかるかな?
いっそ、自分で捜したいぞ
という夢を見て起きた。
昨夜就寝前に茅木真知子さんのソーイングの本を読んでいたせいかどうかわからないけど、
イタリアの駅前で売っていたチーズたっぷりのフォカッチャみたいな食べ物はおいしかったなー
今年の上半期で一番心に衝撃的だった事柄は「東日本大震災」に勝るものはないが、
下半期に入ったところで印象に残る言葉のベスト1のハナシをしよう
それは飲み会の時に同年代の女性が言っていた言葉である
「飲んで酔っぱらったら、もうどーーーーでも、なーーーーんでもいいのよね。」
まぁ、つまりはその方の会社員時代に上司等と連れ立って飲み会などに出席いたし、
その現場で上司なる人間が性別の異なる部下にちょっとばかり眉をひそめざる発言をしたり、行動をとったりした時に
その部下が必要以上に過敏なリ・アクションをとった時の模様をいっておるわけだが
あまりの反応の大袈裟加減にあきれたという発言内容なんだろうが
私は驚いた、と同時に胸のすく思いだった。
つねづね上野千鶴子先生の著をおおきくうなずきうなずき読んでいるワタシ。
その文章の切れ味の良さ、もうほんとバサバサ、バッサバッサと切って切って切りまくってくれて
「あたしゃ本当にこの本に逢えてよかった」と感謝の涙を流しありがたがって読みかえしているのだ。
今回その発言にはそういった爽快感があったと同時にプチ驚愕したとも打ち明けようか。
「飲んで」「酔っぱらったら」「もう」「どーーーーでも」「なーーーーんでも」「いい」「のよね。」
という内容は大きな声で皆さんに発言して良かったのだろうか。
しかもその後に続く言葉が
「一線を越えなければねー」
。。。。。。。。。。。。あたしはそこで少しだけ空白になった
「イッセン」て一体どこだろうか?
え?どの辺? きっと「イッセン」にもひとそれぞれあってすごい太い線の人もいれば
ほっそーーーー人もいるのだろうな
私はこのブログを開設するときにジブンに誓ったことがある
一つは「悪口に終わるようなコトは書かない」
もうひとつは「ジャンルを問わず素朴な疑問や考えを書いて行く」ということである
ジャンルを問わず、ということは下世話なネタでも自分の心に忠実に書けるような吐露の場にしたいと思ったからだ。
もちろんなんでもかんでも情報の垂れ流し的な事はタダではできないけど
少なくても自分の指先から叩きだされるものは薄っぺらい嘘にはしたくないのだ
言ってはいけない「イッセン」があり
やってはならない「イッセン」もある
「ニッセン」になると、これは買い過ぎに注意することになるし、
「エッセン」だと時々車でパンを販売している
一体その方々の「イッセン」はどこなんだろうかと考えるとやっぱ答えは「人それぞれ」なんだろうなと思い、
じゃあちなみにオノレの「イッセン」はどこなんだ?と言うと答えのでないものでもある。
「イッセン」っていうのはただの一本の線ではなく、複雑に絡み合い、或は伏線になり、複々線になり、幅広の紐にもなり、
もろく崩れ去る「蜘蛛の糸」のように哀れなものでもあるのだろう
下半期に入ったところで印象に残る言葉のベスト1のハナシをしよう
それは飲み会の時に同年代の女性が言っていた言葉である
「飲んで酔っぱらったら、もうどーーーーでも、なーーーーんでもいいのよね。」
まぁ、つまりはその方の会社員時代に上司等と連れ立って飲み会などに出席いたし、
その現場で上司なる人間が性別の異なる部下にちょっとばかり眉をひそめざる発言をしたり、行動をとったりした時に
その部下が必要以上に過敏なリ・アクションをとった時の模様をいっておるわけだが
あまりの反応の大袈裟加減にあきれたという発言内容なんだろうが
私は驚いた、と同時に胸のすく思いだった。
つねづね上野千鶴子先生の著をおおきくうなずきうなずき読んでいるワタシ。
その文章の切れ味の良さ、もうほんとバサバサ、バッサバッサと切って切って切りまくってくれて
「あたしゃ本当にこの本に逢えてよかった」と感謝の涙を流しありがたがって読みかえしているのだ。
今回その発言にはそういった爽快感があったと同時にプチ驚愕したとも打ち明けようか。
「飲んで」「酔っぱらったら」「もう」「どーーーーでも」「なーーーーんでも」「いい」「のよね。」
という内容は大きな声で皆さんに発言して良かったのだろうか。
しかもその後に続く言葉が
「一線を越えなければねー」
。。。。。。。。。。。。あたしはそこで少しだけ空白になった
「イッセン」て一体どこだろうか?
え?どの辺? きっと「イッセン」にもひとそれぞれあってすごい太い線の人もいれば
ほっそーーーー人もいるのだろうな
私はこのブログを開設するときにジブンに誓ったことがある
一つは「悪口に終わるようなコトは書かない」
もうひとつは「ジャンルを問わず素朴な疑問や考えを書いて行く」ということである
ジャンルを問わず、ということは下世話なネタでも自分の心に忠実に書けるような吐露の場にしたいと思ったからだ。
もちろんなんでもかんでも情報の垂れ流し的な事はタダではできないけど
少なくても自分の指先から叩きだされるものは薄っぺらい嘘にはしたくないのだ
言ってはいけない「イッセン」があり
やってはならない「イッセン」もある
「ニッセン」になると、これは買い過ぎに注意することになるし、
「エッセン」だと時々車でパンを販売している
一体その方々の「イッセン」はどこなんだろうかと考えるとやっぱ答えは「人それぞれ」なんだろうなと思い、
じゃあちなみにオノレの「イッセン」はどこなんだ?と言うと答えのでないものでもある。
「イッセン」っていうのはただの一本の線ではなく、複雑に絡み合い、或は伏線になり、複々線になり、幅広の紐にもなり、
もろく崩れ去る「蜘蛛の糸」のように哀れなものでもあるのだろう