なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

「ノドカワイタ」

2012-01-11 18:21:58 | 雑感
ヒトは生まれた時に、そばについて教育、或は育児をするものによって言語が形成されていく。
日本人なら日本語
英語圏の人間なら英語
フランス人ならフランス語
ひょんなことから、狼さんに育てられると狼さんの言語を修得する

生まれてしばらくするとクーイングの後、「あー」だの「やー」だの喃語をしゃべるようになり
そしてから単語を発するようになる

単語を発する事で、そばについているものが反応すると徐々にその単語の種類を増やし
そして意味付けを覚えていく

赤子は「一語文」を語りかけ、そばにいるものがそれを受けて行動する
少し成長して行くと「二語文」を作り始める「ママ、マンマ」などだ

赤子はそばについているものが「一語文」または「二語文」できちんと反応すると、もうそれ以上のコミュニケーションは必要なくなる
だって、用足りるもの

そばにつくものが、その小単位の世界を外に向けてどんどん拡げてあげないと
赤子=子供はその能力を存分に発揮出来ない
つまりコミュニケーション能力が劣ってしまうのだ

いつまでたっても親と子の世界だけで生きて行くのならそれもよかろうが、残念ながらそうはいかないので
子供の言葉を育てていかなければならないのだ

子供は或は「私生活」と「公的生活」を分ける事も覚え、「公的」な場所ではある程度の言語を駆使し
「私的」な場所では楽して簡単な言葉で過ごしたりもする
例えば「ノドカワイタ」である。
私の娘も良くこういう風に私に言う。
「ノドカワイタ」というのは感想とかいまの状態を表すことであって、他人に何かをしてもらいたいから語りかける言葉ではないのだ。
少なくても私はそう思う。

小学生の3年生やそこらだったらまだ可愛いよね

中学校1年生で、セクシーゾーンのなんたら君がちょっと可愛くって良い!なんて言ってたりする子が「ノドカワイタ」じゃ困るよな。おまけにそれを注意したらどうして注意されているのか分らないときた。
赤子の時に簡単な言葉で相手が反応したからずっとそれをひきずって生きてきたのだ
途中、どのくらいの書物を読んだり様々な媒体で勉強して来たのか不思議に思ってしまう
「見る」「聞く」「読む」「感じる」ことはしてもそれが何だかを「考える」「調べる」「洞察する」時間が無いのだろう

ある程度言語を覚えて学習の仕方を教えてもらったらあとは自分の個性や能力でいろんなものを自分のものにしていかなくてはならない
それがある程度の歳になっても幼児性の強いまま大人になってしまったりすると、これはやっかいなものだ
「メシ」「フロ」「ネル」というのもそのひとつなんじゃないだろうか


娘には少しづつでも説明して教えてあげなくてはならない




先日息子に、出し忘れたハガキを投函してもらった。

出先から息子の携帯にメールで知らせたのだ。

「申し訳ないんだけど、出し忘れてしまった○○さんへのハガキ、投函していただけませんか?ドラえもんの切手が貼ってあるものです。」と書いた。息子からは
「了解ー!」と返信。

ある程度の時間が経ってからお礼を言うのを忘れていたのでもう一度メールした
「お礼言うの忘れていました、ありがとうございます。あとipodの充電器を元に戻しておかないでてごめんなさい」と書いたところ
少し経って彼から返信がきた

「どういたしまして。」



息子はつい最近まではそんな言葉をメールで送って来たことはないと断言できる

「ん。」とか
「うん。」とか
いいとこ「はいよ」だった。

これはお母さん的にはとても嬉しい言葉であった。
喃語を話していた息子が、いくら言っても「ノドカワイタ」的な言語能力だった彼が、母親に対して「どういたしまして。」ときたもんだ。

やっぱり仕事をし始めると違うな、すごいな。
周りの皆さんのお陰さまさまである。

ありがとうございます、みなさん!







逃亡生活

2012-01-11 16:28:55 | 雑感
ここにきて、にわかに逃亡生活者が自らを名乗ってあらわれた。


彼等の仕業などはネイビーブルーの制服を着た直立不動気味の彼等に任せたとして、
私が興味を持ったのは最初に出頭してきた男を匿って17年生きて来た、という女のほうだ。

17年、女手ひとつで男を匿う、っていうのは並大抵な事ではないだろうなと
ものすごく複雑な気持になった

偽名を使い、その偽名で仕事を捜し、その偽名で素人が不動産書類をどうやって作ったんだか
転居も何度かしているのだ。

狭いワンルームマンションで別に匿う義務のある人間でもないのにその人のために17年間
楽しい事もなく華やかなこともなく豪華なこともなく友達もなく
彼等は一体何を支えに今迄生きて来たのだろうかと思う

逃亡生活の目的の最初は身を隠す、ということだろうがそれを続けるうちに
身を隠す、ということがその人達の生活の一部になってしまったので麻痺してしまったのだろうか

彼等がその生活の中で話し合った事は将来のどんな構想だったのだろうか

切ない そういうのを考えていると、あまりにも切なくなった


たまたま運命の津波に飲まれてしまった人間が二人
そのうちに手記にもなろうぞ



村上春樹著の「約束された場所で」を購入

罪は罪として、そこに至った経緯が大事である