“金木犀”の香りを感じた今朝「そろそろ本格的に秋なんだな」と思った。
毎年それを感じると周りを見渡し、“金木犀”の木を捜し花の開き具合なんかを見るのだけど
今年の私は鋭敏だったね、まだ殆ど開花していなかった。
“金木犀”が咲いて終わり、そして椿や侘助なんかが咲くのね。
そんでもってストーブには牛骨の入った大きな寸胴がきっとかけられて、そのストーブの前にユージンが陣取っている様をはっきりと感じるよ
それぞれの儚い人生に
それぞれの尊い出来事がある
私の今迄の生きて来た年月にも
4度ほど「もうだめかな」と思った事があった
一度目はオーストラリアのグレートバリアリーフ、シュノーケル中の未事故で。
二度目は彼氏が運転するベ○ツの中で高速道路をものすごいスピードで走りながらも、変なタイミングで別れを宣告してしまい、彼氏が動揺して激しく泣いてしまった時。
三度目は腹膜炎で救急車で運ばれた時。
四度目は東日本大震災の時、水戸で被災して。
それぞれに激しい思いをし、後悔をし、懺悔をし、過ちはもう二度と繰り返しませんなどと口の中で唱えてきたけど
そうは簡単に立派な人間になれるわけもなく、
現在も過ち多き、懺悔多き人間なのである。
少しは頑張れよ、ワタシ。
QOLというのを時たま考える
「Quality of Life」とは、その人の人生における質の意味であり、医療の現場などではこの言葉はポピュラーかもしれない。
ウィキペディアによると、
一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。で、ある。
私の人生のマラソンもハーフ折り返してどこまで走ってきているのだろうかはわからないけど
心臓が動いているのと、人生が充実しているか否かは全く別問題であり
じゃあ、難しいこと捏ねくりまわしてないで、実際のとこはどうなのよ?と良く私は自問自答をしている。
過ち多き、懺悔多き人間なワタシなんだけども、二つだけは胸を張って言える
「旨いもん喰った時」「旨いもん作った時」
その時「Quality of Life」を激しく感じるね。
ああ、もうひとつ先に立たない後悔ばっかししてる私にとっての「栄養剤」に
接客業でお客様に「ありがとう」と言われたときなんか結構感じますな、「Quality of Life」。
それもただの「あ、ありがと」じゃなくって、その方が思いもよらなかったジャストタイミングでナイスなサービスを
私が提供出来た時、その方の目が輝いて「わ!ありがとう!」と、ただの某シアトル系コーヒー店に来たお客さんAではなく、素の人格が出た時、
私は全身で満面の笑みを浮かべようかな。
お客様から本音の「ありがとう」の言葉をいただいて、毎日が輝いていくのだろうな、などと思う訳である。
毎年それを感じると周りを見渡し、“金木犀”の木を捜し花の開き具合なんかを見るのだけど
今年の私は鋭敏だったね、まだ殆ど開花していなかった。
“金木犀”が咲いて終わり、そして椿や侘助なんかが咲くのね。
そんでもってストーブには牛骨の入った大きな寸胴がきっとかけられて、そのストーブの前にユージンが陣取っている様をはっきりと感じるよ
それぞれの儚い人生に
それぞれの尊い出来事がある
私の今迄の生きて来た年月にも
4度ほど「もうだめかな」と思った事があった
一度目はオーストラリアのグレートバリアリーフ、シュノーケル中の未事故で。
二度目は彼氏が運転するベ○ツの中で高速道路をものすごいスピードで走りながらも、変なタイミングで別れを宣告してしまい、彼氏が動揺して激しく泣いてしまった時。
三度目は腹膜炎で救急車で運ばれた時。
四度目は東日本大震災の時、水戸で被災して。
それぞれに激しい思いをし、後悔をし、懺悔をし、過ちはもう二度と繰り返しませんなどと口の中で唱えてきたけど
そうは簡単に立派な人間になれるわけもなく、
現在も過ち多き、懺悔多き人間なのである。
少しは頑張れよ、ワタシ。
QOLというのを時たま考える
「Quality of Life」とは、その人の人生における質の意味であり、医療の現場などではこの言葉はポピュラーかもしれない。
ウィキペディアによると、
一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。で、ある。
私の人生のマラソンもハーフ折り返してどこまで走ってきているのだろうかはわからないけど
心臓が動いているのと、人生が充実しているか否かは全く別問題であり
じゃあ、難しいこと捏ねくりまわしてないで、実際のとこはどうなのよ?と良く私は自問自答をしている。
過ち多き、懺悔多き人間なワタシなんだけども、二つだけは胸を張って言える
「旨いもん喰った時」「旨いもん作った時」
その時「Quality of Life」を激しく感じるね。
ああ、もうひとつ先に立たない後悔ばっかししてる私にとっての「栄養剤」に
接客業でお客様に「ありがとう」と言われたときなんか結構感じますな、「Quality of Life」。
それもただの「あ、ありがと」じゃなくって、その方が思いもよらなかったジャストタイミングでナイスなサービスを
私が提供出来た時、その方の目が輝いて「わ!ありがとう!」と、ただの某シアトル系コーヒー店に来たお客さんAではなく、素の人格が出た時、
私は全身で満面の笑みを浮かべようかな。
お客様から本音の「ありがとう」の言葉をいただいて、毎日が輝いていくのだろうな、などと思う訳である。