昨日は娘と『ゆかた』を買い物に行った。
娘はバレエを習っているため、足の指の形が軽度の『外反母趾』になりつつある。子供の骨は柔らかく、そしてメンテナンスをする時間を自ら取ろうとはしない。
チャコットを覗き、簡単に着脱できる矯正ソックスみたいなものを手に入れた。
もちろんこれで治る事はないけど少しは意識をするようになると良い
女性は見目形も大事。
洋服を買ったり小物を見たりしてさんざん歩き、いつもの『みはし』で抹茶あんみつを食べて帰宅。
娘が入浴後に『ゆかた』の着付け方を教えて一日が終わっていった。
ふと、考えるのだけど
『少子化』に対する対策など立てられないのではないだろうかと思う。
先日はNHK教育テレビで『セックスレス』に対する(ので良いのか見てないからわからない)番組を放映したようで
びっくりした。
男性の本能として『飢餓感』『危機感』みたいな、種族が絶える心配が無い、或は感じられない、或は考えてられない、物だけ豊富な精神的に薄ら寒い世の中で、あたしゃどーーーーしても男性がその気になる(種族を残しておかないとだめだめ、みたいな)とは思わないのだ。
その原因はやっぱ『戦争体験』なんだろうなーと戦争を体験してないあたしは漠然と思ったりする。
男性はあんまり割り切った考え方が出来ないもんなんだろうなとも思う。
上半期の読書量はレシピ本趣味の本ひっくるめて100冊近くなった。
その中で印象に残った本は
「サヨナライツカ」辻仁成 「ひとりの午後に」上野千鶴子 「味」「舌」秋山徳蔵
とくに最近読んだ「ひとりの午後に」上野千鶴子は良かった
この著者は歯切れのいい文章、切れる考え方、毎度文章を読んでいて「スカッと爽快」だった。
いいな、いいな、憧れるなー、こんな姉さんいたらいいなーと思いつつ、本屋さんで彼女の著を見るとどうしても手が伸びていた。
新聞の中に彼女の書いた物があるとなにか宝物を見つけたような気分にさえなった。
特に悩み相談では悩んでる読者に遠慮なくズバズバっと言って除ける「してやったり感」が間接的に感じられてそれを読みながら毎回興奮していたのだった。
しかし、今回の本はちょっと違う。なにしろ帯の文句からして良いじゃないか
「わたしは研究者だから『考えたことは売りますが、感じたことは売りません』とこれまで言ってきた。この本のなかでわたしは禁を犯して感じたことを語りすぎたかもしれない」とある
これはそっくりそのままあたしの晩年にいただきな台詞だ!
読んでいてこの薄っぺらなあたしの胸に、じわりと温かい涙があふれて行くような感情をおぼえた
鉄の仮面の下に隠れた繊細な美しい女性を見た気がしたような、
いままでの著の中でこんな豊かな感情のプロセスは語られていなかった
そのギャップ、というか。年月を経て、やっとその感情を語っても良いと思った著者の過程というか、
なんかそういうものにあたしの琴線が触れてしまったわけだ
人に貸してあげる約束をしている本だから、綺麗に読んだけど手許に帰ってきた暁には
赤丸ぐりぐりでもう一度読み直そうと思う