水戸へ
一ヶ月が過ぎるのは本当に早いものだ
毎日めまぐるしく動いて気がつくと一ヶ月が経っている
最近の老父母は
いろんな変化を見せる
そう、あまり喜ばしく無い方向にである
いや、喜ばしいとか、そうではない、とかは実際には違うことなのかもしれない
歳をとるということは当たり前すぎる事だし
その中で出来ない事が増えて行く事はある意味、自然なことなのであろう
父は83歳にしては家事をきちんとこなすし
母は80歳にしてはあまりにも幼稚である
この父と母の、事実私は子供だと思うと
ただの親子ではあるが、真摯な向き合いになってくる
家に着いて、父とスーパーへ買い出しへ
父は私と買い出しに行く途中で母についてのいろんな事を打ち明ける
日にちでは無いのに夜中にいきなり支度を始めて「いまから佳代が来て医者に連れていくから待ってる」とききわけなかった話
食べてはダメだ(身体に障るので)といっているのに言う事をきかないで困るし、お父ちゃんもついつい大きな声を出してしまう、本当は大きな声なんか出して言いたく無いのにという話。
二人で顔を突き合わせていたりしたときや、電話では(相手に聞こえているという配慮)話しにくい話を吐き出すのだ
昔から母は自分勝手でごく幼稚な考え方をしていた人である
その母を(まだ身体は動くとしても)介護するのは容易ではないのは推測される
きっとかなりな心的疲労であろう
私は子ではあるけど
母の世話を一手に引き受けるとしたらきっちりと断るだろう
ある程度離れているから良好に行く関係というのは存在するし
その方が長続きするのは経験上実際である
好きな相手とはなるべく会わないでおけ、という私が若いカップルに言う「金言」は
あながちふざけているわけでもないのだ
会わないでいると想いがつのる
それを会った時に優しさに変換するのだ
本当にたまにあうのだから、嘘も方便も甘えも拗ねもみんな丸ごと愛おしく感じることだろう
恋愛は「俯瞰」の感情で。
一ヶ月前に心配して購入した母のお漏らし防止用おパンツだけど、
どうしたものかと思っていたら意外に使いやすいらしく、素直に「もうパッドは要らない使わない」と言っている
歩かずに脚の力が弱くなって来た母も、ふんばる力がなくなってきて、自分で漏らしてしまうのがわかっていないはずは無い
だから素直におパンツ着用をしてるのだと私は考える
女性は又の力を強化しておかないと、いろいろとナニなのである
「努力」女が又に力をこめると言ったのは、まさにそれである
歯が弱ってこれは固くて噛めないだの、塩っぱくてなんとかだの、言って父を困らせる母の大好物なゴーヤチャンプルーを作る
ゴーヤチャンプルーは特別柔らかく調理するわけでもないのだが母は美味しそうに食べる。現金なものだ
そしてついでに母は辛いものが好きなので、トッポギを作る
父は辛いのが苦手なので辛みを押さえて
二人とも始めて食べたようで「美味しい」と言って不思議がって食べていた
私と入れ替えで明日来る妹のために
ズッキーニのナムルと
ほうれん草のナムルをこさえる
この人はとにかく野菜がたっぷりあればヨロコンでいる私と同じ昆虫である
最近家で流行の「きゅうりの一本漬け」も作った
きゅうりを一本塩で板ずりして、しばらくおき、ジップロックに薄めの麺つゆと好きな塩梅の酢を入れてそこに丸ごと漬ける
一晩経ったら丸ごとかぶりついて見なさい
「自分は生まれ変わったら河童でも良いかもしれない!」というくらい美味しいよ
料理を作って後片付けし、トイレと風呂場と台所を掃除して母のリハビリビリビリ用の散歩
近所をぐるりと杖をつきながらでも歩くのだけど
まあ、毎回同じ事を言う
「ここはね、誰それが昔住んでいてね、それでね、あまり付き合いは無かったの。だって根性悪だから」
「この家も今は息子夫婦が住んでいるの。奥さんはまあまあだったんだけど旦那がケチでね」
「あの、ばかでかい家のムスメ、家は綺麗だけどムスメはブスで。。。。」(我が母ながらひどすぎる)
と母は自分の卑小なところを魅せつけまくる
歳をとった人に、毎回同じ事を言うからやだ、とかいう人がいるけど
あなたも毎回同じ事言うよ。
これは絶対だと思う
いや、もうすでに同じ事何回も言ってるかもしれないよ
そんで同じ事何回も聞いてるかもしれないよ
同じ事何回言っても聞いても同じように穏やかに答えてくれる人がそばにいたら
それは幸せな事だと思うし
そういう気遣いのできる人に私はなりたいと思う
今回もぐったりと疲労し電車に乗る
普段日本酒しか呑まない私がビール
車内販売では日本酒は置いてないのだ
私が日本酒しか呑まないのは
舞妓時代にお姉さんお母さんから厳しく躾けられたからである
日本酒でないと肌が荒れるし、しかも燗をしてないと悪酔いして(次ぎのお座敷に差し障る)花がつかない
習慣とは恐ろしいものである