「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

実は、誰も見たことがない

2012年11月27日 14時55分37秒 | Weblog

本当に不思議なことだが、ユダヤ系宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)
では、唯一神と呼ばれる擬人化した“人”のような存在を信じている。
その数は数十億人。世界の中の圧倒的な数だ
だが…実はこの“人のような唯一神”を見た人は、未だかつて誰もいない
厳密に言うと数人(一説にはムハマンドなど2人。更には10数人、百数十人
という説も…)いる(らしい)が、これも“見た”のではなく「神からの
啓示を受けた」ので、それも勝手に「受けた」と言っているだけなのだ。
何の証明もされていない
本当は、そんなものは存在しない想像の産物、全くの架空の“モノ”
なのかもしれないのだ(こんなことをイスラム圏で喋ると、即、殺さ
れるような恐ろしい説なのだが、幸いにしてここは日本。良かったァ~)

例えば僕が「アッ…」と神がかり的な態度の後で、目を輝かせて
「いま…啓示を受けた」とかなんとか言って、少し意味不明な難
解な語彙を織り交ぜながらもっともらしいことを言ったとする。
そして支援者(共犯者)に「おお、まさしく神からの啓示のようだ」
と演技させれば、そこらへんにいるおバカで信じる者も出るだろう。
そのおバカがおバカを呼び、時代を重ねて雪だるま式に増える…。
増えた信者を見て、また入ってくるおバカもいて、更に増える…。
そうして一大勢力となると、神の啓示の真偽や、そもそも神は存在
するのかなどという問題は、もうどうでもよくなり、教団自体が既
成事実となってしまうのだ
それが現代の世界宗教の実体だ…とは言わないが、それでも色々と
腑に落ちない。まるで、世界が大掛かりな暗示に掛かっているよう
だと思うのは僕だけか

そんな風に斜に構えていると、「私も同意見」と近づく者もいる。
そして、彼らは言う「だから私たちは“無宗教者”なのです」と。
“無神論”と“無宗教”を混同している。“無神論者”は宗教が必
要だという土台に立った上で「神はいない」といっているのだ。
“無宗教者”は世界では「自分の人生を高める作業を放棄した者」
「自分を精神的に成長しようとしない愚人」「自分を越えた大い
なるものとの真摯な繋がりを求めない傲慢な野獣」もしくは「単
なるおバカ」と捉えられてしまうのだ

そもそも、「無宗教者」に限って、「宗教」の意味を判っていない。
神社でダラ銭を投げ入れ「願いを叶えてくれ」と手を叩くのが「宗教」
と思っている。もしくは、死ぬ時に三途の川を渡るために、閻魔様に
怒られないようにお経を唱えてくれ、程度の理解なのだ

前述したように、世界では「宗教」への「信仰」は「自らを越えた
存在への畏敬。人智を超えた大いなる世界に近づく作業=自分を高
める作業」なのだ
「助けてけろ~」「願いを叶えてけろ~」は信仰の極一部。本来の
信仰の枝葉に過ぎない

それが「誰も見たことのない神」への信仰でも、ある程度の意味はある。
つまり、自己を磨こうとする動機としては…。それが本当に力のある宗
教なら申し分ない

例によって、発射したロケットが別の方向に向き、いつの間にか紙飛行
機に変身したようなエッセイになってしまったが、実はこれは意図的

さて「宗教」とは、「信仰」とは、一体何?
コメント
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