「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

「仏」になりたい?

2012年11月12日 16時39分08秒 | Weblog

街行く人々に「仏になりたい?」と訊けば、ほとんどの人が
「と、とんでもない!」と慌てて否定し、足早に立ち去るはずだ
それもそのはず、日本では「仏になる」といえば、大抵が“死んだ人”
を意味する。つまり「死にたいか?」と同義語なのだ
「そんなに仏さんになりてぇのか?」暴力団がそんな言葉を吐けば
究極の脅し文句となり、立派に恐喝罪が成立するだろう
逆に「神になりたい?」と訊けば、多くの人が肯定するはずだ
何故なら、「神になる(なった)」といえば、とてつもない偉業を
達成したか、究極の成功を収めたこと意味するのが一般的だからだ

西洋には「仏」という概念はなく「神」だけが存在する。だが、人間が
どんなに偉業を達成しても、決して「神になった」とは言わない。何故
なら、彼らユダヤ系宗教(ユダヤ・イスラム・キリスト)の信者にとって
神は絶対的存在たる“唯一神”だけだからだ。その「神になる」など恐れ
多いのを通り越して、罰当たりなのだ
よく「ゴットハンド(神の手)」など、比ゆ的に「神」を用いることがあるが
それは「神になった」のではなく、「神の奇跡の力によって、限りなく神に近い
ものを授かった」「神に近づいた」ことを意味する。「神」そのものは、到底
到達できる境涯・ステージではないのだ。なにせ、神は「7日でこの宇宙世界を
創造し、人間を初めとする無数の生物を創りたもうた」のだから
(果たして、本当に“神”が作ったかの議論は別として…)
とても人間ができる芸当ではない。そう、ユダヤ系宗教の国々では、人間が
「神になる」など絶対に無理で、考えてもいけないことなのだ。だから西洋
では、どんなに成功しても「神」にはならないし、当然「仏」にもならない


「仏になった」といえば、先日、37歳のある坊さんが「仏」になったらしい
いや、死んだのではなく「生き仏様」におなりになった(らしい)ということだ

どのようにして「仏」になったかというと、まずは下界と関係を絶ち(もちろん
キャバクラにも行かず)12年もの間比叡山にこもった。その間の100日間はミイラに
なる寸前まで絶食し、塩と水も制限し、睡眠も3時間に区切り、起きている間は
護摩と称する木っ端を火に投じ続け、だみ声で経を唱え続けた
その後更に、7年かけて比叡山山中をグルグル周り、地球1周分を歩いたという
誰が決めたか知らないが、そうして彼は「仏」になった

荒行の末に仏となった彼は、憔悴しきって一人では歩けない。見た目はまるで
「死人」のようだったらしい。そんな「死人のような仏の彼」を見て、手を合
わせ涙する信者も多かったとか。AKB48の学芸会レベルの歌とダンスに涙す
る輩もいるのだから別段驚きはしないが、なんともいやはや…だ

その「生き仏様」となった坊さんは、教団では“生身の不動明王”と賞賛され
「大阿闍梨(だいあじゃり)」という最高位に就き、教団に君臨することになった
そうなると、もうやりたい放題。例えば、仮に、もしも、妾を囲ったとしても
誰からも文句は言われないだろう。なにせ、偉い「仏様」なのだから

そういえば、癌と闘いながら1年間かけてアースマラソンを完走した大阪の
芸人さんがいたが、彼にも「半分(もしくは四分の一)の仏様」くらいの称号
を与えてあげてもいいのではないかと思うが、比叡山は賛成するだろうか

まあ、冗談はともかく、日本の仏教では、そうやって体を苛めることで
「仏」になると(くどい様だが、誰が決めたか知らないが)信じられている

けれども、本来の仏教からすれば、それは間違った考え、“邪教”なのだ
仏教の創始者の釈迦・ブッダが言っているのだから間違いない

話は釈迦、ブッダの時代に遡る

今から2千数百年前、ネパールのタラーイ地方を治めていた釈迦族の王
浄飯王と善覚長者の娘・摩耶の間に、元気な(本当に元気だったかどう
かは不明だが)男の子が産まれた。後の釈迦・釈尊・ブッダである。因
みに、ブッダが産まれて7日後に、母の摩耶は病死している

さて、話はどーんと飛び、ブッダ青年期。彼は人生の諸問題「生老病死」に
苦悩し、出家して悟りを得ようとするが、父の浄飯王に「跡取りがいないと
由緒ある我が家系が絶える」と言われ、仕方なく一時出家をあきらめ、父に
薦められて隣国の王の娘・耶輪陀羅と結婚、一子をもうける
そして「ゴメンな、妻よ。わが子よ。父ちゃん、やっぱ出家して世の中の
不幸と戦いたいんや」「判ったよ父ちゃん。頑張ってきてや」
という感じで妻子と別れ、出家してしまう

息子を案じた浄飯王は、5人の従者をブッダにつけた。5人の若者を引き
連れたブッダは、国中の英才という会うため旅に出る。数々の英才と会う
が彼を満足させる答えを与える者はいない
悩んだ彼は、当時、インドで隆盛を誇っていたバラモン教の修行法を取り
入れ、自ら悟りを得ようとする
息を止める修行。断食修行。過酷な肉体労働。ブッダは5人の若者ととも
に苦行の日々を送る

それが12年にも及んだ時、「アホらしい! こんなこと幾らやっても悟り
なんか得られんわい!全くの無意味だ!」とブッダは修行を止めてしまう

5人の若者たちは「えーっ!ま、マジですかっ!」と、修行放棄したブッダを
非難し、彼の元から去っていく…

修行をやめたブッダは川で体を清め、村の少女から貰った乳粥を食べ、ガリ
ガリになった体の回復に努めた
そして…彼は復活する。この十数年、考えに考えたことをまとめようと
ピッパラ樹の木の下に座り瞑想する…そして「あっ!」と膝を叩いた
ブッダ大悟を得た瞬間だ

彼はどんな悟りを得たのだろう。その後の彼の行動は実に精力的だ
各地を回っては民衆と語り励ましていったのだ。人をやる気にさせ
他人への自愛を芽生えさせる。それがブッダの活動だった
また、民衆を苦しめる権力者と言論で戦い、その非を改めさせていった
教育にも力を入れ、多くの弟子を教育した。そして最大の活動は、人々に
バラモン教を捨てさせ、自らの教えに帰依させる布教活動だった

ブッダは晩年期に弟子たちに伝える。「実はな、仏ってのはな、皆の幸せの
為に戦う人間のことを言うんや。だから、お前たちも人の幸せの為に人生の
全てを使えば、仏になれるんや。私がそうしたように…」「ほんでな、仏はな
常に謙虚で向上心があって勉強家で深い知識を持ち、人格が精錬で清々しいん
や…私みたくな(笑)」「貧困・病気・失業など、人生の苦境にあってもへこた
れない。つねに大きな境涯で不幸を見下ろし、乗り越え、皆の太陽として輝く」
「何も特別なことやないぞ。普段の行動、振る舞いこそが仏の証明なんや、判るな」
「権威主義になるな。そうなった瞬間、堕落するぞ」「仏は、常に自分と戦い、権威
・権力の魔性と戦うんや」「世の中を底辺から支え、善なる生活をし、日々、社会を
より良くしようとする人間こそが、仏なんや」
つまり、菩薩の行動を絶えず続ける人が仏なのだ、とブッダは言いたかったのだ


さて…先の「生き仏様」の件。どうして比叡山で荒業をやるのかを考察すると
ブッダの嫌った「権威主義」の結果と思われる。ブッダのいう「仏」は、見た
目には判らないし、一般の人間が「仏」になってしまっては、僧侶の面目が立
たない。更に商売にもならない。何か特別なことをして「仏」になって尊敬を
集めることで、面目も立ち商売も成り立つ。それにはどうすればいいか…そうだ
バラモン教の荒業だ。ついでにバラモンの祈祷、護摩焚きもやっちゃおう。火が
メラメラしているのはビジュアル的にも劇的だし、なんかご利益がありそうに見
える。こけおどしにも最適だ。ウンウン、そうしよう。なんだか仏教から大きく
外れちゃったけど、深く知ってる奴もいないだろうから、いいよね。アハハハ

と言う訳で、上記の大掛かりな荒業が始まったと思われる。ブッダが言いたかった
普通の人も、その行動で仏になれるという慈悲深い教えを、「仏とは、死ぬほどの
荒行をやった選ばれたごく一部の人間・特権階級だけ」のものにしようとした仏教
界の無慈悲ぶり、狭量ぶり、権威主義が露呈した「生き仏様」修行と思うのは僕だけか…


ブッタが生涯を通じて伝えたかった「仏」は、彼の人生の行動・振る舞いに現れている
「釈尊の出世の本懐は仏の振る舞いにてそうらいけるぞ」とは、哲人の言葉だ
それを踏まえて再度聞きたい

「仏になりたい?」
コメント (1)
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