「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

立派な「付和雷同の輩」

2012年02月20日 03時46分33秒 | Weblog

人は、自分の経験値には無い理解不能なことに直面すると
それを探求しようとタイプと、考えるのは面倒でもあるし
すぐに答えが出ないとイライラするから、とりあえず自分
の既存の少ない事柄を寄せ集め、少しばかり難があっても
無理に結論を出し、以後、そのことに関しては思考を止め
るタイプに分かれる…らしい

前者のタイプは、新事実が現れると、それに対し謙虚に取
り組むが、後者は頑として「認めない」。まるで時代劇に
出てくる因習深い田舎の人みたいだが、現実にこのタイプ
の人は多くいる。そしてこのタイプの人が、何かに挑戦し
ている人や、戦っている人、自分たちと異なる論を言う人
に対して、中味を精査せずに批判的態度を表す場合が多い

だから、世間の批判を分析する場合、この二者を見極める
ことが肝要だ。自分たちは何も行動を起こさないのに、批
判することだけは一丁前の人たちは、少し世間の“風向き”
が変わると途端に豹変し、世間におもねる。そして、以前
からの主張を翻した責任をとることもなく頬被りを決める
哲学もなく、その存在自体も知らない、こういった連中を
付和雷同の輩というのだが、これら全く信用なら無い者た
ちの代表が「マスコミ」である…と僕は思うのだ

マスコミが性質の悪いのは、経済活動が優先している点だ
視聴率、売り上げ部数の高い、番組、報道が“正しい”と
されている。その番組や報道で名誉を汚され、地位を失わ
せたとしても、全く関係ないのだ。彼らの良心は痛まない
たとえ火の無いところでも煙を上げ、騒いで注目され、視
聴率が上がり、発行部数が増えれば“勝利”なのだ。だか
ら彼らは“勝利”しようと、今日も“大騒ぎ”する

そんなマスコミの言うことを鵜呑みにする事ほど、愚かし
いことはない。「否、自分は鵜呑みにはしない」と言う人
も、例えば職場である人物の悪口を聞かされたなら「えー
そうなの?」と、それを確かめもせずに、悪口を言われた
人物に悪印象を抱かないだろうか。多くの人は抱くはずだ
それは立派な「付和雷同の輩」の証明だ

一人ひとりが賢くなれば、社会も賢くなっていく。それに
引っ張られて、マスコミも政界も変わっていく。要は世間
ではなく、自分なのだ…と思う昨今
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