Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

厳寒・軽井沢より (1/3) 「軽井沢・八風の郷にて」

2007-01-09 12:15:05 | つれずれ紀行

 なな、なんと!

     この一両日は、たいへんに恐れ入った・・・

 ご承知のとおり先週末から不愉快的変則「成人式連休」にかけて、日本列島の東半分は寒波に襲われた。軽井沢とて、例外ではなかった・・・

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 先週末に再び軽井沢に戻って3日目(1月7日)の朝、前の晩から降っていた「べた雪」が凍りついているではないか。あたり一面は銀世界。昼前からパウダースノウが舞い始める。それは粉雪というよりも、むしろさらにきめの細かい純白の粉塵に見えるのだ。我輩はこのような超乾燥なる雪の舞うを見たのは初めてであるから「うれしく」なる。しかも、僅か2時間足らずで積雪は15センチに達するではないか!山荘の通用門裏手入り口に通じる階段は、見る見るうちに階段の段差確認不可能となる。自然石(どうやら浅間石らしい?)で組み上げられた階段を下手に踏みはずすと、約20メーター程度下の駐車場まで滑り落ちるは必定!

 「これはやばいぜ。夜になると、いやもっと早く夕方になるとますますひどくなる。そのうち雪は凍ってしまい階段に張り付けば下から上がれなくなるし上からも降りれなくなる!」
 「・・・?」
 この発言の主を紹介しておく。
 かくなる人物は現地軽井沢の某視察を目的に東京よりわざわざ軽井沢まで出向き、視察はそこそこに済ませ、(隠れ)主目的を楽しみに来ている人物。我輩も打ち揃って前日の夕刻は軽井沢の某レストランにて、ステーキ&ワインを楽しみに来た友人の「独り言」なり、、、。さらに申し添えて於くならば、前回記事に現われた我が愛機CONTAXカメラを喫茶店OBの椅子から落とした張本人=悪友TO君、すなわち例の東京の友人なり、、、。
 でもしかし、彼が何を心配し、何をしようと思っているのか、云っているのか、我輩にはサッパリ理解できない。

 「今の間に大急ぎで雪掻きしなければ・・・」

 「・・・?」

 「おい、ちょっと手伝ってくれないか!」

 それから約20分間の長きに渡り、友人を手伝う羽目になる。手伝いとはすなわち、我輩にとっては全く不慣れな重労働「雪掻き作業」に借り出された次第、、、。

 来軽(軽井沢に来る事「らいかる」と発音する;現地人から真似る)早々、思いがけなく散々な目に遭ってしまった。まいったまいった!

 軽井沢から撤収しない限り、雪掻き作業は、我輩にとって日常的な作業になるであろう。この先考えただけでも厭になる。が、この冬、軽井沢に長逗留を決めたからには避けて通れぬ「現状」か・・・

 さて、
週末のPowder-Snow(超微粒子風粉雪の吹雪)襲来は、これで一段落。昨夜のうちに雪は止んだ。今日は朝から快晴である。

 今朝目覚めたのは午前7時半。
 なぜか、起床と同時に日課になってしまった外気温度チェックを始めるため、早速、部屋のテラスに置いている「寒暖計」を見たところ、何と零下8度ではないか!

 そして本日の添付画像をご確認いただきたい!

 これ、マイナス5度を示している。我輩がテラスに出るまで、ガラス越しに確認していた温度はマイナス6度であったが、約1メーター50センチの距離を置いてして、この温度計は人間の体温に影響され、撮影するまでに1度近くも周囲の気温が上昇した事になるのだろうか。たぶんそうであろう、、、。

 <・続く・・>


(厳寒の軽井沢について全く無知の不肖エセ男爵にして「予想外の寒さ」に感激?し、あと数回は「寒さ」の記事連載致したく、ご継読方宜しくお願いしたい・・・)

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8 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tono)
2007-01-09 15:30:03
 今年もよろしくお願いします。

>昼前からパウダースノウが舞い始める。それは粉雪というよりも、むしろさらに決めの細かい純白の粉塵に見えるのだ。我輩はこのような超乾燥なる雪の舞うを見たのは初めてであるから「うれしく」なる。
・学生時代に初めてSKIに白馬に行き、粉雪では雪投げ用の玉が作れない事を知りました。固まらないのですね。
 北海道では、更に細かい雪?がキラキラ光り、これが「ダイヤモンドダスト」だと知らされました。
 「純白の粉塵」は結晶してなければ「ダイヤモンドダスト」という可能性も無くは無いですね。

 今年はSKIに行きたいのですが、どうなる事やら。。
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降雪のご苦労、大変ですね。 (悠々)
2007-01-09 21:41:55
今日、沢ガニ取りに榛名の麓まで出掛けました。
遠くに真っ白な浅間が見えました。
先日の貴兄のブログでは浅間は山頂部だけが白かったのに、と思ってみてきましたら、この貴兄のブログで納得です。
沢ガニは200匹ほど捕まえました。
観賞用と唐揚げ用に無作為に半分に分けました。
私の選別が彼等の運命の分かれ道です。
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tonoさん・・ (エセ男爵)
2007-01-10 17:27:46
コメントありがとうございます。
今年も宜しくお願いします。
たぶん、なにしろ初めてでよく解らなかったのですがダイヤモンドに近い粉塵雪であったと思います。しかし、何しろカラット数が小さくダイヤモンド的光りを感じる為の「光源」が不足しており、あの時あの時間帯に於いて(雪の舞っている最中には)、その確認は不可能でしたでしょう。
白馬も下見に行きました。
素晴しいスキー場ですね!
今朝は、軽井沢駅前のスキー場も覗いてきました。
どうやら超圧雪アイスバーン的ゲレンデですが、本日ウイークデーにて、よく空いていました。
チョイト試しにやってみたくなりました。
しかし今この歳になって滑ると、翌日は、からだのあちこちが痛み、たぶん2~3日休憩しないと回復不可能でしょう。でも、中高年(たぶん私よりは年上か?)のオジ様オバサマ連中もわんさかわんさか、優雅にゲレンデ社交会場に参加している「様子」を目の当たりにしました。
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悠々さん・・ (エセ男爵)
2007-01-10 17:44:11
コメントありがとうございます。
榛名のふもとまでお見えになったのですか!
そう、
浅間は真っ白です!
沢カニ・・・
ムム、おいしそうデスね!!!!!!
選り分けられ「死刑宣告」を受けた沢蟹はかわいそうですが仕方ない。
観賞用とは如何?
悠々さんは「鑑賞魚」、否、鑑賞カニにもご趣味をお持ちなのですか?それともお寿司屋さんの「イケス」的存在でしょうか?
私は一時期、熱帯魚に懲りまくっていた時期があります。ナマエサをやると良く健康的に育つと言うので、岡山転勤時代にはわざわざ田圃まで出向いて、田圃に棲息する「みじんこ」を集めて水槽に入れ、生餌として熱帯魚や金魚(らんちゅう)に与えていました。後から観ると、どうやらタニシの種類の巻貝の小型のものが入っており、それなりに増えてそれなりに淘汰され、底に堪った熱帯魚金魚の糞の処理、或いは水槽のガラスに繁茂する青苔等も食べてくれました。
一度、淡水海老を飼いたいと思い、高価な値にて15尾ばかり購入。一晩水に慣らそうと別の容器に入れて温度をかけていたところ、温度計センサーが巧く作動せず、朝起きて容器を見てみたら水温は何と45度!かわいそうに、たった一晩で「湯で殺し」してしまいました。
しかし、沢蟹鑑賞とはさすがに悠々さん・・・
既に解っていましたが、やはり、情緒楽しみ方見所ありの悠々自適的発想をお持ちにて、あらためて敬意を表します!
沢蟹鑑賞!その贅沢さ加減、よく理解できます。
そう、
海老も蟹も「甲殻類」。
甲殻類の「動き」を観察するのは面白く、観ていていかにも滑稽で可愛いものです。水槽に入れて飼ってやり、鑑賞するのも「おつなもの」です・・・
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お運び頂きありがとうございました (flower-hill\2005)
2007-01-12 17:28:48
 軽井沢お隣の小諸市出身のflower-hill_2005です。
何時も軽井沢に親しみを感じながらブログを拝見しております。
 また,私のブログにもお運び頂き感謝しております。
 今頃の軽井沢は,さぞかし寒いでしょうね。
 昔々,軽井沢はまだ寒い早春の頃,信越線の列車が26個のトンネルを潜って,碓氷峠を下り,群馬県に入ると,青々とした一面の麦畑でした。春の遅い私達信州人には,この青々とした麦畑がとても羨ましく感じたものでした。
 あれから幾星霜,バロン様のブログを拝見するたびに望郷の念に駆られます。
 また,浅間山の雪が溶けて,暖かくなりましたら,故郷の山名ままと一緒に,浅間山を訪れてみたいと思っております。
 これからも素晴らしい記事を拝見できますよう期待しております。
 
返信する
flower-hill_2005さま・・ (エセ男爵)
2007-01-12 18:43:03
flower-hillさまから(たぶん初めて、或いは2度目)のコメントを頂き、たいへんありがとうございます。
そして、たいへん光栄です!
この度、また、新しい驚きです。
flower-hillさまのご出身は「小諸」なり!と・・・
存じ上げなかったとはいえ、いや、これは大変失礼致しました。
先月(12月)上旬、上田から小諸界隈を我が友人と共に訪問しました。
是非もう一度、いや、たぶん度々、小諸を散策いたしたく、春の訪れをひそかに待ち望んでいる今日この頃です。
11月中旬、上述の同じ友人の案内にて、既に廃線と化した旧信越線横川軽井沢間の鉄道路線望める旧道(旧碓井街道?)を走り、昼尚暗き原生林の巨木立隣する峠の山道を走り、見知らぬ土地の寂れ往く歴史の事実と現実のはざ間に出くわし、自ら得体の知れぬ郷愁と懐古の情沸き立ち、思わず感動感激し感涙状態に陥りました。
当地厳寒ゆえ、暫くは動くに動けないのが現状ですが、若し、このまま春先から夏場まで当地に逗留するような「動き」になれば、是非とも自分なりの長野県探索をおっ始める所存です。
私、山歩きは苦手ですが、山歩きの記事・紀行文・写真・随筆・諸々、大好きです。
ご存知、daimさんのところにも「そういった気分」にて、今も尚お伺いしているのです。
アウトドアースポーツを、書斎(あるいはカフェ?)で楽しもうという「横着者」不肖エセ男爵。以ってflower-hillさまの「山の記事」は、おおむね事務所や書斎でコーヒーを飲みながら楽しませて頂きたく、今年もどうぞ宜しくお願いします。
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ご丁寧なコメント恐れ入ります (flower-hill_2005)
2007-02-06 04:56:09
上田のことで,少々,コメントさせて頂きます。

flower-hill_2005は,上田高校(当時は上田松尾高校と言いました)の卒業生です。小諸の家から上田まで汽車通学をしていました。信越線上り方面からは軽井沢,小諸辺りから沢山の学生が汽車通学していました。

厳冬の頃は,ツルツルに凍てついた坂道を足袋と下駄履きのまま,小諸駅へ急ぎました。

上田高校は,上田城址の一角にあります。長野新幹線が開通してから,上田も小諸もすっかり寂れてしまいましたが,当時は,上田も小諸も,沢山の買い物客で賑わっていました。

なお,現在の小諸駅は,昭和20年代中頃に改築されたまま,現在に至っています。

これからも,時折,バロンさまのブログを拝見させて頂きますので,よろしくお願いします。
返信する
flower-hill 2005,,さん・・ (エセ男爵)
2007-02-08 21:26:12
コメントありがとうございます。
上田城址の中に、中学高校?の各学校がありました。
私が上田城跡(現在市民公園)を訪れたのは2日間に亘って、駅西側(駅裏?)の上田東急インから鉄道跨ぐ人道陸橋を渡り表口?に出て、向かって左側(北側?)に上田城址と定めつつ、東横インホテルの通りに出でてさらに北上すると、いよいよ上田城の千曲川に面する、とてつもない高さの丘陵が右手に見えてきました。これが天下の真田氏築いた名城にて、2度に亘る城戦に勝ち抜いた上田城址と、直ぐ確認できました。最初の一日は既に日暮れとなり、丘陵の下の駐車場で折り返しました。
翌日は、上田駅から真直ぐに市内に入り、直ちに2~3番目の左折れ小路に入ったところ、結局行き着いた先は迷路?行き止まりになってしまいました。適当なところまで折り返して、いたしかたなく東横インの通りまで下り、挙句の果ては「駐車場」の場所から急坂を登り、上田城の天守閣跡までたどり着きましたのは、先月23日夕暮れ時の出来事。たぶん体育系クラブに所属している高校生の一団が、急坂を登りつき息せき切らしている私の前を、トレーニングの駆け足で通り過ぎていきました。前の週に降った雪が未だ溶けやらぬ公園内の未舗装通路の足元は、十分にぬかるんでおり、その公園内の通路を10数人の団体徒党を為して駆け抜けて行く様子を、それでなくとも乾き目の私は、寒さと湿度の低い空気に長時間さらして乾燥し切った虚ろなマナコでぼんやりと、彼らの若い元気な姿を、羨ましく見つめていたのです。
そして、午後5時閉館予定の上田市博物館に入ったのは午後4時15分。閉館ギリギリまで見学し、滞在ホテルまでの帰路についたのは、午後5時過ぎ、、、。
旧上田城の正門から上田市内に出入りする「正式通路」を通って上田市内をひたすら歩き、上田駅に向かいました。この時間の上田駅付近には、何と、鉄道を使って通学するであろう男女高校生ばかり?!わんさか群れており、逆に、一般通勤社会人の少なさに唖然とした次第です。たぶんキョウビの事、全員マイカー通勤なのでしょう。
かくして、
頂いたコメントの中、小諸から上田の高校に通学されていた由、よく理解できました。
たぶん、
今でも上田市近郊から、多くの高校生が上田の高等学校に通学している現実を、とくと見て取りました・・・
この日、上田城址を見学する前に小諸の懐古園を訪れています。
小諸駅と小諸駅周辺の佇まいや如何に!いかにも情緒あり。
藤村の誌を思い出せば、その情景たるや眼前にあり、想像していた千曲川の旅情景色は想像していた以上に険しく力強く活き活きとしており、藤村の作品により描いていた(自分自身の)イメージとのギャップ違いの大きさに、たいへん驚き、あわせて藤村の時代の農民の、ひたむきな向学心と力強い信念の高ぶりまで感じ取り、明治時代の凛とした息吹にまで、想像を膨らませてしまいました。
コメントに頂いた小諸駅の改築情況(昭和20年代とのこと!)と、つい先月訪れた駅。現実と比較するものあればこそ!今に残る当時の小諸駅の姿は、無言の存在は大にして、もはや「歴史のカタリベ」か!
史実をお聞きして、またまた仰天しました。
何と、当時を想えば、お洒落でこじんまりとハイカラな駅の建造物と周辺の当時の賑わいが、まぶたに浮かんで当時の町の喧騒などなど、我が勝手な想像が膨らみます。
・・・・改めて、感動モノです。
もっともっとたくさんたくさん、flower-hillさまの「回想のお話」、お聞きしたく思っています。
そして、
たぶん、もう一度、上田と小諸には出向くと思います。加えて、長野の善光寺平?にも・・・
尚、
今、由あって、郷里に帰省しています。
再度軽井沢にて長逗留するかどうか?今のところ未定です。
でも、4~5月くらいに再び軽井沢に赴く感、なきにしもあらず!です・・・
また貴ブログに立ち寄らせていただきます。
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