2013-06-22
中学か高校のときか忘れた。国語の教科書に浦松佐美太郎の「たったひとりの山」という題の文章(多分抜粋)が載っていた。それがなぜかスケッチブックに手書きで書き写したものがあったので、よほど気に入っていたのだろう。
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夏、八月。残雪をいただく山々はすぐそこからそそり立っている。
谷を登りつめた槍沢は深い残雪の雪渓に埋められている。
雪の下から走り出た水は、山ふところの雪の神秘をまだ大事にじっと抱いているのだ。
凍るような水の冷たさは、山の雪がどんなに近いかを思わせるものだ。
水の光は、山の雪がまだ消えやらぬ姿をそこここにとどめているからだ。
光を追って水が、水を追って光が、岩を乗りこえ乗り越え、梓の谷を落ちてゆく。
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このあとも、手が切れるように冷たいとか、まだまだ続いたような気もするし、抜け落ちた語句もあるだろうが、ちょっと懐かしくて、山小屋のランプの灯りのようなものが胸に滲み出してきた・・・。
登山など縁がなかった紅顔の美少年当時の自分にも、峻厳で鮮烈なイメージが強く感じられた。
私が上高地に入ったのはずっとあとのことだし、私の山といえば縦走だったが、この文章は山の景色と空気と水に憬れる気持を私に芽生えさせた。
もうとっくに山には行かなくなったが、「たったひとりで歩く山」を若いときには結構楽しませてもらった。
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2014-7-1 0701
山開きだという。もうすっかり、山に足を運ぶことが無い。
真夏の鋭い陽射しが針葉樹林帯を焼き、強い匂いを放つ中を進む喜び(苦しみ)も、冬、岩につく雪の凍て寒さに苦しむ(楽しむ)こともない。
年寄りの運動としては、体にも心にも贅沢過ぎるほどの感動もある。けれど、ベテランになったような気持ちが芽生えても、それは自己満足であり、絶対的な全体としての自然は時として容赦がない。
命と隣り合わせで歩くような感覚は、自然のフィールドでは容易に感じられるものだと思うが、どう考えても体力気力は落ちており、判断の「固執、ブレ」度は若い時以上に増している。固執やブレは年齢に関係ないかもしれないが、しかし、山は、、、自分としては閉山。自分は単独で歩くことが多かったからなおさらだ。
ただ、団体での登山はむしろ危険なことがある。 【八海山/星空/】
いつかテレビで沖縄出身の芸能人女性が、『泳げません。』と言うのに対して、「だって周りじゅう海だらけでしょ?!」とツッこまれると、他の男性が『海は入るものじゃない、あれは見るもんだ。』と言っていたのが笑えた。
山に関して言えば、私もまあ、そんな心境になったのである。
これから梅雨明け前の集中豪雨期間を経て南高北低となるサマースタイルの気圧配置は、昔でいえば梅雨明け十日の安定した晴れ間が続いたものだが、昨今の亜熱帯みたいな日本の気候は予断が許さない。
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2013.6.30 教科書に載っていた文章の題は「梓川」だったような気がしてきた。大好きな文章。
2020.6.30 上高地には宿泊したことが無い。けれど、梓川の文章に触れた中学生の頃に、憧憬をもったのも確かだろうか。