私の住んでいる関東に、昔は"恵方巻"の習慣なんてものは無かった。今日どこぞのお婆さんが「私なんか豆も恵方巻も買ったわよ」と話すのが耳に入った。あまり深い共感は持てなかったが、昔風に言うと今日は大晦日なんだろうか。
今年は0201が旧正月だった。中国では春節と言って祝うらしいが、その言い方も日本人には馴染みが無い。
細かな細かな新年の定義はさておき、外の陽だまりは寒気が強くても密やかな温もりを宿していたりする。そこんところは、気持の上でおんなじか。
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<2021-02-02 0202はオニ オニとも読める >
鬼打ち豆(福豆とも称される)が余ったら、砕いて黄な粉にしたり、揚げ物の衣に利用できるとTV情報があった。
私が幼いころ、どこの家でも夜になって窓を開け、家長である親父を始めとして、それこそ大声で「鬼は~外!福わ~内!」と唱えながら家の内外に投げつけていた。決して豊かな時代ではないのに、子供心にはなんだか勿体ないかんじもしていたが、大声を出してよいことが日頃とは違う高揚感もあって、上気していたようにも思う。
でも、齢の数だけ食べられるのだから、基本的には勿体ない。結果的にはあとから食べられて、めでたしめでたし。と言いたいところだが、姉たちがいる。
なんだかんだ言っても、食べる数は少な目で推移したような・・・。
あの、カリッとした香ばしさは堪らない。
コメダ珈琲で出されていた豆は、さらにサクッと感がハンパでない旨さがある。このごろ食べてないのはモーニングタイムだからだろうか。
(あの豆が出なくなったら、あまり行かなくなるだろうな~ってくらい、私は好きだ)
明日の立春は「寒明け」だが、娘夫婦は昨日迄に風邪を引いたようだ。寒いからね。風邪はこれからも続くだろうが、やはりよく眠れるかどうかがカギになると思う。
一方で、眠さの質が少し変化したと感じるのは気のせいか・・・。
今年の旧一月一日(旧元日?)は、0208(月曜日)だが、「迎春・新春」といった季節感をより深く味わい始められるのは「雨水(うすい)」のころまで待たなくてはならないだろう。
昨年は「恵方巻」というのをやってみたが、あの黙して食べて願うやり方は、いまだ身につかない。といって、大声で豆撒き散らすことも、もういいや。胃が靠れるから多くも食べられない。
(節分の話が、豆撒きの豆だけになってしまった・・・、やれやれ)
【TV爺ぃ/二十四節気/自分だけの旧正月行事を持とうかな/】
++++++++++++++++節 分+ <2016-02-03 0203>
2021.2.2 今年は節分が0202。孫と娘が急遽豆を買ってきた。恵方巻は1500円の物も!。商に踊らされてる我らかな。