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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

文化と行政と人 <文化行政50年の課題 前文化庁長官 青柳正規氏>を読みながら

2018-06-25 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180625 文化と行政と人 <文化行政50年の課題 前文化庁長官 青柳正規氏>を読みながら

 

昨夜はセネガル戦を見ようかと思いながらも、試合開始時間が0時ということではなからあきらめました。案の定、11時前に本を読んでいたら眠くなり、目が覚めたら早朝の野鳥の鳴き声でした。朝のニュースではイーブンながら22で、しかも日本が追いかける試合展開で、見ていた人はとても興奮したようですね。

 

それにしても、コロンビア戦後の日本はTVで見る限り異様な状態ですね。たしかにとてもエクサイトした内容で、各選手の動きの俊敏さやスリリングなゴールシーンなど、サッカーファンでなくても引き込まれる要素はあったと思います。でもマスコミが取り上げすぎなのか、ちょっと異常かなとも思ってしまいます。それが文化なのかとも思いつつ、では文化とは何かとか、文化に対する意識とは何かとか、少し気になりました。

 

そこにちょうど今朝の毎日記事では<そこが聞きたい文化行政50年の課題 前文化庁長官(東京大名誉教授)青柳正規氏>が取り上げられていましたので、なにかヒントがあるかなと思って読んで見ました。

 

青柳氏は、以前何回かNHKBSの古代ローマの遺跡を紹介する番組で解説されたことがあり、とても柔和で優しい語り口ながら奥深い内容を語っていて、魅力を感じた一人でした。

 

ただ、この記事では、文化行政という、やはり少し文化自体とは少し距離を置いた視点から、しかも元長官の立場として語っていますので、残念ながら文化行政の文化とは何かといった本質的な問題については語られていません。とはいえ参考になるインタービューなので、少し考えてみたいと思います。

 

<文化庁が1968(昭和43)年に創設=1=されて50年を迎えた。今国会で改正文化財保護法が成立し、観光資源として文化を地域振興に生かす機運が高まっている。東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年を前に政府が訪日客の増加を成長戦略に位置づける中、現在の文化行政にどんな課題があるのか。青柳正規・前文化庁長官(73)に聞いた。【聞き手・岸俊光、写真・宮武祐希】>

 

文化庁が創設されたのが、なんと都市計画法の制定と同じ年だったのですね。これは偶然の一致と言うより、この都市計画法の制定により、はじめて中央集権的な全国一律の基準で都市開発を推し進める法制度を整備することで、それまではローカルルールという明文化されない地域に根付く高さ制限や景観配慮を取っ払い、開発許可基準に適合すれば地域の行政はそれに縛られて地域特性に応じた開発コントロールができなくなったのですね。用途地区も当時はたしか8種類でしたか、建ぺい率・容積率も根拠のないデータを基に過大な数値を設定するなど、貴重な地域の環境や遺産が容易に破壊されるトリガーとなったといってよいと思っています。

 

昭和30年代後半の開発ブームが鎌倉にも波及し、関東圏では珍しく起こった御谷(おやつ)騒動も、地元人・大佛次郎氏ら文化人多数が先頭に立って、鶴岡八幡宮裏の森を開発するのに反対運動を展開し、その後古都の文化遺産・景観を保全する目的で、昭和41年古都保存法が制定され、京都、奈良、鎌倉では一定の保全策が講じられました。とはいえ、こういった単発の法制度では国全体の総合的な文化行政の根拠とはなり得ませんね。そこで文化行政の総合的な役割が期待されていた背景もあったと思います。

 

文化行政50年について、青柳氏は<経済成長の時代は、経済の活性化が政治の中心課題で、文化への目配りはありませんでした。成熟社会が訪れ、文化が大きな存在になったのに、政治はまだ文化に十分アプローチしていないと思います。「守りの文化政策」をとり、国民生活の中で文化を重視しなかったことは反省点です。>

 

それは偽らない事実でしょうね。高度経済成長の波は各地で開発の嵐となり、道路建設、マンション・分譲地開発で、古い町並みはもとより地下に埋設されていた文化財は掘り返され、それは保存されるのは極めて例外で、ほとんどが調査して記録として残されるとしても破壊されるか移設して別の形で残されることがほとんどだったのではないでしょうか。

 

京都や鎌倉(いずれもかなり後に居住していたことがあり住環境として日々感じていました)では、至る所にいわば文化的価値のあるものが残っていたと思います。それをすべて保存していたら、都市の発展、現代人の生活が成り立たないかもしれないと言った考え方がまかり通ってのでしょうね。各地の開発許可や建築指導などの担当部署に比べて、文化財担当の部署(多くは教育委員会の中?)では権限も弱く、あまり目立たなかったように思います。

 

国の行政の中でも文化庁の位置づけが低いようです。青柳氏は<文科省の中心は初等中等教育、次は高等教育、その次は旧科学技術庁系という具合で、文化庁は最後の方です。文化庁一筋の人もいないわけではありませんが、文化庁プロパー(生え抜き)の人材を育てる機運は薄弱です。>

 

鞆の浦の景観訴訟では、イコモスや行政法学者の支援や協力を得ながら、画期的な勝訴判決を得ましたが、それは文化庁の権限が弱い中で、このままでは世界遺産的価値を破壊してしまうことを懸念した多くの有志が動いてくれたおかげでもあります。

それは国交省という強い権限をもつ行政にも強い影響を与えたのだと思うのです。

 

ところで、中央官庁の組織のあり方も重要ですが、地方がしんぱいされています。

青柳氏は<在任中、痛感したのは地方の衰退です。それなのに01年の省庁再編で文化庁の地域文化振興課はなくなり、担当が縮小しました。私はそれを作り直そうとしましたが、うまくいかなかった。衰退する地方を経済では再生できないんですよ。昔なら工場を誘致する方法があり、未使用の土地もあった。しかし、いま経済を活性化しようとすれば、環境や医療福祉など脇から攻めなければならない。文化の面ももっと振興しなければいけないのに、それを政策化し、実現できる役人がいない。>

 

文化を経済にすぐ結びつけるのもどうかと思いますが、文化的価値が内包する経済的効用にもっと注目して、観光資源としてより効果的なあり方を見直すという考えはすでに議論されてきたかと思いますが、実践的な意味ではまだ地に着いていないように思えます。

 

青柳氏は姫路城の大天守修理を取り上げて具体的に解説しつつ、<文化庁の調査では、文化投資は公共投資より経済効果があります。海外に目をやると、多くの国が文化を軸にしながら、経済活性化や国際的なアイデンティティーの確立を図っていることに気が付きます。>と述べています。

 

外国人客が大勢来日するようになって、城を含めさまざまな文化財がこのような文化投資の対象にもなっているようです。しかし、どうもハードに偏りすぎではないかと懸念しています。文化財というか文化的価値を認め開示し、啓蒙するなどの専門分野の担い手が、とくに地方では少なすぎるのではないでしょうか。

 

公共事業によって生態系が破壊されることへの配慮から、欧米では生態系に対する知見のある専門家をスタッフに入れることを必須としているところもあると以前、聞いた覚えがあります。環境アセスメントといった計画内容のチェックだけでなく施工段階で具体的なチェックがされないと、絵に描いた餅になりかねないと思うのです。

 

同様に文化的価値についても、必要な人材はもっと多様な分野に配置されても良いと思うのです。

 

<改正文化財保護法が今月成立しました。>というのは、初めて知りました。なにがどう変わったのでしょう。少し勉強が必要ですね。

 

安倍首相が文化財を将来の世代に継承することをしせい方針で語ったことについて、青柳氏は<「観光立国」の狙いはうまくいきますよ。今は語学を始めて勉強が面白くてたまらない頃のような状態です。だけど蓄積がないから非常に薄っぺらな運動です。・・・日本はその経験がないから、観光が一巡した時にどうするかなど考えていません。東京五輪後には過剰投資の問題が出てくるでしょう。>と文化とは何か、その保全とは何かについてのしっかりした議論がない現状では、青柳氏の指摘はごもっともと思うのです。

 

青柳氏は、改正法で権限を地方に移譲する仕組みを踏まえ、また、東京五輪を踏まえ、<文化の棚卸し>をしたいと述べられている。

それはどんなことか。<どこにどんな文化財があるのか。文化庁は、全国の文化イベントの情報を登録し、国内外に発信する「文化情報プラットフォーム」の運用を始めました。英語と中国語、韓国語、フランス語に機械翻訳され、誰もが自由に使えます。私が文化政策顧問を務める奈良県では、未指定の文化財のリスト化を行う予定です。具体化したら全国で「右へならえ」してもらいたいと思っています。>

 

文化の棚卸しという言葉は、魅力的ですが、一体誰がどのように行うのでしょう。むろん専門家が中心になって洗い直しを行うのでしょうね。しかし、その文化とは何か、私たち庶民の意識を変える意味でも、だれもが参加できる仕組みでの棚卸しをすることで、文化とは何かが少しずつ明確になってくるのではないかと思うのですが、どうでしょう。

 

専門家は、医療の世界の真のインフォームドコンセントのように、わかりやすいことばで文化の価値を説明;解説することが求められ、だれもが文化に親しめる社会が構築されることを期待したいと思うのです。

 

青柳氏はスイスの観光立国が長い歴史の中で国民の中に培われてきたしっかりした土台をもっていることを指摘していると思いますが、いまがそのときかなと私は違った目で思っています。たとえば●女子といったムーブメントが流行です。●男子があってもいいでしょうし、●おじちゃん、おばちゃんがあってもいいでしょう。そこに古墳や神社仏閣、仏像など、いろいろなものがはいっていいのでしょう。そういったものをも射程に入れた文化行政、観光立国を考える時代になっているように思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


河内湖と巨大古墳 <河川灌漑の歴史と古墳との関係をふと考えてみる>

2018-06-24 | 古代を考える

180624 河内湖と巨大古墳 <河川灌漑の歴史と古墳との関係をふと考えてみる>

 

車のディーラーからの連絡で、定期点検の通知が来てもう一ヶ月以上経ちます。ディーラーの住所が堺市なのと、そこまでいく道中がとても混んでいるため、二の足を踏んでいます。無料点検と言っても、あれこれ言われてそれなりの費用がかかることはいいとしても、安全確保のために見てもらった方がいいのはわかっているのですが、その点検時間をどう使うかにも苦渋しています。

 

前回は大仙陵古墳(いわゆる仁徳天皇陵)に出かけたのですが、今回、周辺の百舌鳥古墳群を見て回るのもあまり意味のあることではないなと感じています。誉田山古墳を含む古市古墳群を見て回るのも、これまで車上からは見ていますし、航空写真ではなんどか見ています。南方の太子墓を含む一連の天皇陵のある磯長谷古墳群も以前、訪れましたが、感度が悪いのか、見ただけではあまりぴんと来ません。いま読んでいる『蘇我三代と二つの飛鳥』 (西川寿勝、相原嘉之、西光慎治著)によると、そのさらに南方にある「一須賀古墳群」は蘇我氏一族が近つ飛鳥で眠ると考えられているそうです。明日香村にある遠つ飛鳥の石舞台古墳(馬子の墓と言われている)は有名ですが、石川流域は蘇我一族のルーツとも言われているので、興味深いと思っています。

 

それでこの「一須賀古墳群」当たりを訪ねようかと思いつつ、思案しています。そんなとき、関裕二著『地形で読み解く古代史』の中で、少し驚く指摘があり、気になっています。関氏は「日本書紀」が藤原不比等によって自分たち一族に都合の良いように歴史をねつ造したと主張していますが、どうも応神記や仁徳記の記載は問題ないように考えているようです。

 

その関氏、百舌鳥古墳群や古市古墳群の巨大前方後円墳について、これらは「、五世紀の天皇の巨大な富と権力を想像しがちだ。」としつつ、これを否定します。そして「ヤマトの王は、そう単純ではない。遠征軍は「天皇の軍隊」ではなく、豪族層の寄せ集めであり、天皇が独裁権力を握っていたわけではない。」と述べて、巨大古墳群を作り出すほどの巨大権力を持っていなかったとするのです。私自身も、巨大古墳をつくる力がどのようにして生まれ、また何のためであったかは興味のあるところで、関氏の見解も魅力を感じます。

 

しかし、関氏がその造成目的が「治水事業だったのではあるまいか。」ということには唖然とします。とはいえ、もう少し関氏の議論を紹介しておきたいと思います。

 

関氏は日本書紀の「池堤の構築」という見出しの冒頭を引用しています。

「『日本書紀』仁徳十一年夏四月条には、次の記事が載る。五世紀前半のことと思われる。天皇は群臣に詔した。

「今、この国を見れば、野や沢が広く、田や畑は少なく乏しい。また、河川は蛇行し、流れは滞っている。少しでも長雨が降れば、海水は逆流し、里は船に乗ったように浮かびあがり、道はドロドロになる。だから群臣たちも、この状態を見て、水路を掘って水の流れを造り、逆流を防ぎ田や家を守れ」

 

この後、日本書紀では堀江の開削と茨田(まんだ)の築堤について記載があります。

 

この堀江の機能について、関氏は「この堀江は、上町台地を東西に突っ切る大工事だった。河内湖にたまった水を、直接瀬戸内海に流すショートカットを造ったのだ。ちなみに難波の堀江は、大坂城(あるいは難波宮)のすぐ北に接する大川(旧淀川)となって現存する。

この結果、水害が激減したにちがいない。」

 

この点、ウィキペディアの<河内湾>でも縄文海進で河内湾が生まれたものの、次第に湾口が塞がれ、弥生後期以降には河内湖になったとされています。そして問題の5世紀初頭頃以降次のような変遷があったとされています。

 

<河内湖は、淀川・大和川が運ぶ堆積物によってゆっくりと縮小していった。

紀元後も河内湖は残存しており、4世紀–5世紀ごろには草香江(くさかえ)と呼ばれていた。

草香江は淀川・大和川の2つの大河川が流入してくる反面、排水口はかつて湾口だった上町台地から伸びる砂州の北端の1箇所のみであり、しばしば洪水を起こしていた。4世紀後期もしくは5世紀初期の仁徳天皇(オオサザキ大王)は上町台地上の難波に宮殿を置いたが、草香江の水害を解消するため砂州を開削して難波の堀江という排水路を築いた。

その後、河内湖の干拓・開発が急速に進んでいき、湖は湿地へと変わり縮小していく。江戸時代までに河内湖は深野池(大東市周辺)・新開池(東大阪市の鴻池新田周辺)の2つに分かれた部分のみが水域として残り、1704年の大和川付け替え工事後はこれらの水域も大和川と切り離され、周辺は新田として干拓された。>との記述があり、おおむね符合するかもしれません。

 

しかし、堀江の治水事業からは、なぜ遠く離れた位置に、巨大前方後円墳を作ることになるのか、その道理が判然としません。灌漑事業が行われて田畑が開拓されたのであれば、豪族や民も協力したといったことは理解できますが、洪水被害を減少したからといって、河内湖の干拓につながるわけでもないので(関氏はそのような指摘をしていますが根拠があるのでしょうか)、5世紀当時にそのような農業生産の増大につながるような結果があったとは考えにくいのです。

 

関氏は、「河内王朝は治水王」と名付け、エジプトのピラミッドの造営の目的がナイル川の治水事業と河口デルタの干拓であったとの見解を引用しつつ、同様に、河内湖の堀江開削をそうみているようです。

 

そして森浩一氏が『巨大古墳の世紀』で「河内の巨大古墳を出現せしめたひとつの遠因が、長年にわたる河内湖との戦いであったことは認めてよかろう。つまりピラミッドにたいするナイル河の役割が、巨大古墳では河内湖とその関連河川であった。」と指摘していることを引用して、自説の根拠付けのようにしています。

 

たしかに森浩一氏の見解は多面的でいろいろな議論をされ、とても説得的だと思っています。ただ、日本書紀の記述をかなりの程度で重視されているのかなと思うことがあります。

 

それは森浩一氏の高い知見・経験を揺るがすものではありませんが、注意しておいて良いのかもしれません。

 

ところで、日本書紀の同じ見出しの後の方に、「栗隈県(くるくまのあがた)」に、大溝を掘って田に水を引いた。これによってその土地の人々は毎年豊かになった。」と明記されています。このように日本書紀では、当該事業が治水事業か灌漑事業かを区別している節があり、とりわけ水田への引水ができたかとか、新田が得られたとか、書かれています。

 

では堀江や茨田ではなぜそのような記述がないのでしょう。この当時、まだ新田開発までできるような状態ではなかったと見るべきではないでしょうか。

 

ところで、「栗隈県」については、木下晴一著『古代日本の河川灌漑』では、「栗隈溝」との見出しで、木津川右岸の地を比定し、灌漑水路であったかを詳細に検討していますが、明確な根拠を見いだせなかったようです。

 

また同書では、日本書紀に記されている「感玖の溝と古市古墳群中に所在する古市大溝」についても取り上げて、比定場所やその機能について考察を加えていますが、これまたはっきりしないようです。

 

そういうわけで仮に仁徳天皇が実在したとしても(私自身は名前は別にして、まだそう信じる根拠を見いだせていないのですが)、関氏が主張するような豪族や民が一緒になって共同作業として治水(利水)事業を行い、その結果?として巨大古墳群をも作ったということにはつながらないと思っています。

 

とはいえ、この関氏や森浩一氏の見解とまったく異なる立場に立つとまではいえないように思っています。というのは江戸時代のこれら巨大古墳群の利用のあり方を見るとき、古代においてもそうであった可能性を示唆するとも次第に思うようになりつつあるのです。

 

それは渡辺尚志著『百姓たちの水資源戦争』で取り上げられている誉田山古墳周辺のため池・河川用水が連綿として連続利用され、周囲の用水組合でその利用をめぐる長い闘争をへながらも、一定の秩序を保ち続けるあり方というのは、もしかしたら古代から続いてきた名残ではないかと思ったりしています。

 

巨大古墳の周濠の多くは灌漑用水としても利用されてきたこと、それはため池・河川用水のネットワークの一端を占めていたことも、もしかしたら造営時から想定されていたことであったのかもしれないと思ったりするのです。

 

さてと、このようなまだ未検討ないろいろな事柄を現地でなにかを検証するのに、時間つぶしができないかと思っているのですが、どうなることやら・・・・

 

今日はこれにておしまい。また明日。


自分以外の人と接する基本 <対等な関係で「性的同意」>を読みながら

2018-06-23 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180623 自分以外の人と接する基本 <対等な関係で「性的同意」>を読みながら

 

今朝は薄曇りといった風でしょうか。それでも高野の峰々は濃緑色の形状をしっかりと見せてくれます。そういえば町石道をへとへとになって登ったとき最大の成果?があったのを忘れていました。ずっと私が山の名前を間違って同定していたのに初めてわかったのです。

 

北方から高野の山並みを見ると、すぐに目立つのが雪池山です。そのすぐ背後(南側)にある楊柳山(988)は周辺で最高峰といってもいい1008mの高さがありますが、隠れて見えないのです。同じようにその南方にある転軸山(915m)も同じです。ちょっと東にずれた位置にある摩尼山(1004m)は突き出ていますのでわかります。ということは高野三山と入れる楊柳山、転軸山、摩尼山のうち、北側の下方から見上げてみえるのは摩尼山だけではないかと思います(ある場所に立って角度によっては楊柳山も見えますが絞られるでしょう)。

 

他方で、弁天岳(984m)も高野の山の中ではほぼ西端に位置して高く、その南方に大門があるので、私は位置関係から、いくつかの三角形をした山の西端とおぼしき山をそうだとおもってきました。ところが、町石道の途中で見晴台があり、そこから見える高野の山々についての銘々だと、私が思っていた山よりずっと離れたところにある奇妙な格好の山容がそれだったのです。それはおもったより高野の町が広がっていることの証でもありますが、いかに私の見立てがいい加減か証明されてしまいました。

 

それではたと困ったのは、いつも見えている雪池山より西方で弁天岳を除いて、3つくらいの頂はいったいなんという山だろうかと疑問がわいてきました。ネットでみえる2.5万分の1の地形図ではそこまでの名前が載っていません。詳細な地形図を買うしかないかと思案中です。

 

ところで、高野の地は、空海が修行の地として選んだだけでなく、浄土の世界を表しているとも言われ、8つの峰々に囲まれ蓮の花が咲いたような場所として形容されることもあると言われています。その高野8葉についても諸説あるようです。ウィキペディアでは<八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)>とされています。

 

しかし、これを外八葉と内八葉があるとして、前者は上記の8葉(別の見解もあり)、後者は<伝法院山 勝蓮花院山 真言堂後山 正智院山 御社山 薬師院山 中門前山 持明院山 >(これも別の見解があり)といわれているようですが、こうなると余計、それがどこに当たるのか、ますます混乱してきます。やはり2500分の1くらいの地形図を備えないとだめか?いやますます混乱に拍車をかけるかもと、当分は様子見となりそうです。

 

とここまで余談が長引いてしまいました。ここから本論です。昨日の毎日記事に<くらしナビ・ライフスタイル対等な関係で「性的同意」>というタイトルで、<「性的同意」>という耳慣れない?言葉がとりあげられていました。

 

その学生の中に、女子栄養大の学生が写っていて、そういえば昔、同大の教授と研究会をやって親しくさせていただいていたことから、女子学生を相手に話をしたことがあったのを思い出しました。もう四半世紀以上前の話ですが。なんの話をしたのか、もしかしたらボルネオの熱帯林調査の話でもしたのかしら、まったく覚えていませんが。栄養学などを専攻する女子学生ですので、どれだけ関心を惹いたかはわかりませんが、笑顔がまぶしかったように思います。

 

また脱線しましたが、<セクシュアルコンセント>がテーマとなって、実践的な取り組みが始まっているようです。

 

<講師で慶応大4年の戸谷知尋(ちひろ)さん(22)が、そう問いかけた。「相手に問いかけて、OKが返ってくること」「お互いが心から望んで、そうしたいと思うこと」。マイクを渡された参加者は口々に答えた。戸谷さんは、こう続けた。「全ての性的な行為において確認されるべき同意のことです。互いの積極的な意思表示、つまり言葉で表すことが大切です」>と。

 

戸谷さんが<活動に参加したきっかけは数年前、大学内のサークルで起きた性暴力事件だった。被害者も加害者も同世代の大学生。もし自分や友だちが被害に遭ったり、逆に遭わせてしまったら……。レイプではないけれど、同意のないキスは耳にしたことがある。・・・「性に向き合う文化を持っていきたい」と思い立ったという。>

 

そうですね、性的関係というか性文化そのものをタブー視する土壌が残っているのかもしれません。

 

<昨年から仲間とクラウドファンディングで資金を募り、集まった約170万円で冊子を作製した。・・・

 拒むと身の危険を感じる時の「YES」は「同意」ではなく、社会的地位や力関係に左右されない対等な関係性が大切な要素--。冊子は、そう記す。・・・特に強調するのは、性的言動では「アクションを起こす側に同意を取る責任がある」ということだ。>

 

いずれも本質的な問題提起ですね。昔、インフォームドコンセントが話題になりました。こういった同意を具体的に示す、あるいは同意を得て相手に何かを行うという文化・意識がわが国では十分に理解されないまま、置き去りにされてきたのではないかと思うのです。それは以心伝心なんてことや同じ民族だから言わなくてもわかるとか、勝手な理屈でやり通してきたのかもしれません。

 

しかし、そこにはたいていの場合、身分制があったり、支配服従の関係があったり、家制度による規律があったりで、基本的には差別の構造を背景にしていることが割と見過ごしにされてきたように思うのです。

 

現在問題になっているセクハラ、パワハラ、マタハラ、あるいはDVなどの問題も、基本は同意を得て行うという意識が根付いていないことに大きな要因があるのではないかと思います。それはあらゆる社会のあらゆる言動についていえるかもしれません。

 

それは専門職の立場での言動でもありえますし、弁護士なんかも心しないと、その言動に大変な不快感やあるいは傷つけることにつながることもあるでしょう。

 

その意味で、戸谷さんたちの活動はまずは、基本的な性的行為について同意原則を訴えるもので、正しい方向を目指していると思いますし、よりひろがることを期待したいと思うのです。

 

<作製の背景には昨年の刑法改正がある。現行の強制性交等罪(旧強姦(ごうかん)罪)の条文には「暴行または脅迫を用いて」とある。このため、性行為への同意能力があるとみなされる13歳以上が被害者になる場合、抵抗が著しく困難な程度の「暴行または脅迫」が犯罪成立の構成要件になる。昨年の改正にあたって議論になったが、撤廃は見送られた。>

 

たしかに改正された<強制性交等罪>は、<抵抗が著しく困難な程度の「暴行または脅迫」>が認められないと、相手の同意がなくてもOKというのですから、旧来の「同意軽視社会」(私の造語)を反映しているといってよいかもしれません。

 

学校教育において、同意の重要性を学ぶ必要がありますし、それこそ長い期間をかけて、医療分野のインフォームドコンセントと同レベルの意識改革が必要ではないかと思うのです。

 

<「どれくらい抵抗したか」が重要なのではなく、「同意がない性行為は性暴力に当たる」という考えを根付かせたい。「NOと言ったか」ではなく、「YESと言ったかどうか」が求められる社会に変えたい--。冊子には、こうした思いが込められている。「嫌よ嫌よも好きのうち」という俗説や、性について語り合いにくい雰囲気は今も残る。だからこそ、戸谷さんは思う。「文化を変えて、同意が当たり前の社会にしたい」>こういう動きに、世の中全体が理解を示すようになってもらいたいものです。

 

<性的同意は全ての段階で得ることが原則だ。>という繊細な意味合いを私たちは理解し、受け止めないといけないと思うのです。そして欲を言えば、さらにさまざまな言動についても。いまは性的同意がます大事ですので、これを本格的すすめて、同意を必要とする社会づくり、人間づくりをしていくことを期待するのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


画像診断の信頼性 <画像診断、がん見落としなぜ?>を読みながら

2018-06-22 | 医療・医薬・医師のあり方

180622 画像診断の信頼性 <画像診断、がん見落としなぜ?>を読みながら

 

今朝はなぜか4時過ぎに目覚め、しばらくうとうとしながら、野鳥の声が賑やかになったので、起き出しました。

 

最近は繁殖の時期ではないのでしょう、以前ほど騒がしくないのです。ところが急にばたばたと大きな音。驚いて窓の外を見ると、ベランダの手すりの上で、イソヒヨドリ2羽が戦っているのです。きっと一羽がここを縄張り?にしているのでしょう。よくやってくる一羽といいたいところですが、それほど個々を識別する能力はありません。たぶんという感じです。

 

野鳥はそれぞれ縄張りをもっていますね。自分のテリトリーは大事にして、よほど叶わない相手でない限り、そこにやってきた鳥は追っ払いますね。とはいえ、その縄張りといったものも、さほど厳格ではなさそうで、やはりお互い遠慮というか、大きな地域環境の中で強制しているようにも見えます。だいたい、木の梢なんかは、たいていの野鳥が留まりたがりますが、いずれも一時的なもので、ずっとそこを占領して唯我独尊を貫くようなのはいませんね。モズなんかも結構、強気な感じですが、それでも威勢がいいのは声くらいで、簡単に譲ってしまうこともありますね。

 

ところで、医療の世界はどうでしょう。技術の進歩が日進月歩で、飛躍的な治療改善も見られたり、専門化が急速に進んでいるようにも見えます。それで総合医なんて制度もできましたが、なかなか現実は自分の専門領域の枠を超えられないようにもみえます。

 

そのテリトリーの範囲では素晴らしい実績をあげるかもしれませんが、自分の専門分野以外は、あるいは担当する臓器以外は、見ていない、見えない、あるいは意見を述べないこともあるのではと懸念することがあります。

 

そういった懸念が実際に現実化すると、医療事故として重大な結果になりかねませんね。

今日の「なるほドリ」欄は<画像診断、がん見落としなぜ? 病院チェック態勢不備 医師連携不足も=回答・熊谷豪>と、その問題の一端を指摘しています。

 

まず<千葉大病院(ちばだいびょういん)でCTの検査(けんさ)をしたのに、がんの見落としが9件もあった>件から問題をクローズアップしています。

 

画像診断はさまざまありますが、ここではCTが問題となっています。

その解説を<CTは放射線(ほうしゃせん)を使って体を輪切りにしたような画像(がぞう)を撮影(さつえい)する装置(そうち)で、「コンピューター断層(だんそう)撮影」(Computed Tomography)の略称です。胃や肺など内臓の様子がよく分かるため、病気の早期発見(そうきはっけん)にも役立ちます。日本は人口100万人当たりのCT台数が世界トップで、技術も向上して鮮明(せんめい)な画像を大量に撮影でき、利用が増えています。>と書いています。

 

画像診断は精細で、それもどんどん進化していますから、これを見て鑑別診断すれば、がんなどの早期発見に役立つわけですね。でも意外と?落とし穴があるものです。

 

<千葉大で実際にあったケースによると、放射線診断(しんだん)の専門医(せんもんい)がCTの画像を見て肺がんを疑い、報告書(ほうこくしょ)で指摘しました。しかし、患者を診察した医師は、自分の専門の頭や首のがんしか注目せず、見落としたのです。>

 

放射線科の医師でしょうか、肺がんの疑いを報告書であげているのに、主治医は頭や首のがんを専門としているようで、肺を見落としたというのです。そんなのあり?ですね。

 

報告書にきちんと肺がんの疑いと記載されているのに、自分のテリトリーと違うから、書かれているものも見落としたなんてことは許されないですね。少なくとも自分が専門でないとしても、肺がんの専門医に見てもらうよう患者に指示なり指導するのが医師のつとめでしょう。

 

あるいは実際は肺の画像を見たのだけど、自分が専門でないこともあり、画像診断で判別できなかったのかもしれません。その場合報告書そのものは見落とさなかったけれど、画像診断で見落としたということでしょうね。

 

そんなことがあるのかしらと思われがちですが、私は十分ありうると思っています。

 

私がいま担当しているケースは、その画像診断を問題にしています。それでCDに入っている画像を私が見てもどこに問題があるのかは見つけることはむろん無理な相談です。それは実際、診断した医師がPC上で問題の画像を摘出するのでも、何度もその画像を見ているのに、簡単に特定することができるわけではないのです。断層写真は膨大な量があって、その中で、特定の断層写真を摘出するのに、問題部位を極めて詳細にするPC上の表示がないようです。アドレスのようなものはないのですね。

 

そうなると、専門医でも当該箇所を特定していないと、そこを大量の画像から見つけ出すのは容易ではないと思うのです。地球の経度緯度といったものとかに似たものですね、たとえば、写真にしても動画にしても、電磁気的記録では特定する数値など容易にその画像を割り出すことができますね。そういったものがCT画像上できるといいのですが。

 

記事では<手軽に鮮明な画像を撮影できるようになったのに、チェックする病院の態勢(たいせい)が追いついていないと、専門家はみます。また、大病院は医師の専門領域(りょういき)が細かく分かれ、連携(れんけい)が難しいという背景(はいけい)も指摘されています。>といった専門領域間の連携の欠如を問題にしています。それはそうだと思いますが、その前提として、上記述べた画像の特定の問題とそれを容易に抽出するソフトの問題もあるのかと思っています。

 

それでも記事によると対策は少しずつ講じられているようです。<主治医(しゅじい)が画像診断の報告書を読まないと、電子(でんし)カルテに警告(けいこく)が表示される仕組みを導入した病院があります。医師だけでは防ぐのに限界(げんかい)があると、検査結果を手渡すなど患者に協力を求める病院も出ています。(医療福祉部)>

 

これもまだ、私が懸念している問題の解消とはならないように思っています。私のCT画像診断に対する認識不足ならいいのですが。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


ブロック塀の安全確認? <ブロック塀、資格ない職員点検>などを読んで

2018-06-22 | 教育 学校 社会

180622 ブロック塀の安全確認? <ブロック塀、資格ない職員点検>などを読んで

 

一つの仕事を終え、次の仕事にかかろうとしたのですが、気になるニュースが目に入り、とりあえずブログを書くことにしました。

 

共同通信記事は午後1時過ぎ<ブロック塀、資格ない職員点検 高槻市教委が謝罪>と崩じています。これはひどいですね。

 

<高槻市教育委員会が22日、市役所で記者会見し、専門家の危険性の指摘を受けて点検した市教委職員2人には建築士などの資格がなかったと明らかにした。塀は安全と判断しており、市教委は「(事故を)結果として防げなかったのは痛恨の極み」と謝罪。安全対策の不備が浮き彫りになった形だ。

 点検は20162月に実施。ブロック塀を目視し、棒でたたく簡易な手法だったという。>というのですから、お粗末を通り越していますね。

 

私は過去数十件くらいさまざまな危険性のある物件について、訴訟に関与してきました。とはいえ素人です。むろん訴訟では地質学者や地盤工学の研究者の協力を得て、専門家相手に尋問しますが、ほんとのところよくわかっていません。ただ、建築基準法や都市計画法などの技術基準を記載した施行令や告示の解釈には幅があり、前提があるなど、難しい計算式はわからなくても危険性をそれなりに肌で感じてきました。といっても、地盤工学会の研究会のメンバーになって難しい議論をなんども聞いていますが、よくわかっていないというのが正直なところです。

 

しかし、今回の事例は、そういう私が見ても、あってはいけない怠慢と言わなければならないと思います。先日もこの件の一報を踏まえて取り上げました。最初の記事では写真も漠然としていましたが、その後の情報でよりこのブロック塀の問題性が明らかになってきました。

 

ただ、私が基礎の高さ1.9mあるコンクリート上に1.6mのブロック塀を設置している状態を見ただけで、とても危険で放置できないと、当初指摘しました。控え壁がないことなど多数、告示に適合しないことはちょっと調べればわかりますが、この外観自体がとても危険で、安全を構造計算等で確認しないといけないということは素人判断でもわかります。

 

私は、高い擁壁を設置する建築物などの事件を多数手がけましたので、その安全性が建築確認や施工の中間検査などで行われていることから、周辺住民が不安視することは理解できても、外観からその危険性に結びつくような判断は避けています。

 

しかし、ブロック塀となると、全然別です。私の年代より若い世代でも宮城沖地震のときや、それ以前からブロック塀倒壊による死傷事例をたくさん見てきたはずですから、ブロック塀の危険性は直感的にわかるはずです。

 

自分の大切な子供を通わせている学校に本件様な高い基礎の上にブロック塀を設置している状態を見れば、しかもその真下に通学路がある状況なのですから、専門家の指摘をまつまでもなく、不安を感じた人がいたはずです。

 

この共同通信の記事では、そういった保護者などの声はまだ取り上げていませんが、私はもっと以前から懸念の声が上がっていたと思います。

 

とはいえ、本件では専門家もしっかり報告していたというのですから、これは行政のひどい対応だと指摘せざるを得ません。

 

毎日記事<大阪震度6弱ブロック塀危険性 外部専門家が2度指摘>はこの件をさらに詳細に報じています。<3年前に外部から危険性を指摘されていたこと>、その内容は次の通りです。

<指摘していたのは、2015年11月2日に同校で防災教室の講師を務めた防災アドバイザーの吉田亮一氏(60)。吉田氏は同日、子どもたちの登校風景や校区内を確認し、学校周辺や今回の地震で倒壊したプールサイドのブロック塀の危険性について、校長や教頭に口頭で伝えていた。

 さらに、1981年の建築基準法施行令の改正で、ブロック塀の耐震規制が強化されたことを念頭に、「35年以上前に建てられたブロック塀は注意が必要」「危機感を持つこと」などと記した報告書を作成。>

 

この内容からは、吉田氏も、構造や法令の専門家ではない印象です。もし施行令を承知していたら、施行令の条項を指摘して、直ちに適合しないとの判断を報告書に記載できたはずですし、しなければならないと思います。

 

その意味で、学校の対応が、専門家とはいえ、建築法規や構造計算の専門でない方の報告書を基に、教育委員会に判断を仰いだのだとすると、それだけでも適切でないといえるでしょう。ところが、学校はこの報告を基に、市教委に対応を相談したりしたわけではなさそうなのです。

 

<高槻市教委によると、同校の田中良美校長は16年2月25日、別の用事で同校を訪れた市教委学務課の職員2人にブロック塀の点検を依頼。>このような依頼自体、真剣に問題に対処しているとはいえないでしょう。

 

当然、市教委職員も、問題を的確に把握せず、おざなりの確認?作業らしき事をしたに過ぎません。

<うち1人は建築職としての採用で、目視による確認と点検用の棒でたたく打音検査を実施し、塀に傾きやひび割れがないことから、「安全性に問題はない」と判断していた。17年1月にも業者に依頼して定期点検を実施していたが、点検結果の報告書については「業者の記憶が曖昧で、当時の安全状況を確認している」と説明していた。>

 

だいたい、<目視による確認と点検用の棒でたたく打音検査>でわかるほど、単純で有るはずがないでしょう。なぜ改正施行令がさまざまな安全措置を講じることを求めているか、ブロック塀の安全性を確認するとすれば、専門家として最低限やるべきことをやっていません。どうやら建築士などの資格ももっていなかったようですね。

 

<浜田剛史市長も三宅さんの両親と面会し、「市に責任がある」と謝罪している。【池田一生、大久保昂、津久井達、真野敏幸】>ということですが、死傷者がでてからでは遅いのです。

 

このブロック塀設置の際、ほとんど安全性を担保するような措置を行っていないと思わざるを得ないことは、すでに指摘したほか、毎日記事でも<倒壊の塀、鉄筋不足 基礎との接合部分>と根本的なミスを犯していると思われます。それだけでなく、長さ40mものブロック塀を連ねた場合、地震による揺れはさらに強まることが明らかで、そのような発想自体とそれに対する万全の備えに対する配慮を欠いていることを強く感じます。

 

別の記事では<塀の点検項目、国交省が公表 安全確認呼びかけ>と、とくにブロック塀の安全確認の点検項目を5つ指摘していますが、これくらいは簡単ですので、早急に確認・報告・是正措置をしてもらいたいものです。

 

改めてブロック塀など、高い塀を好むわが国の建築文化、それは開発する業者の意識だけでなく、施主の意識も変わらないと、簡単にはなくならないかもしれません。盗難防止という面では、一般的には逆に、これによって塀を上れば(泥棒にとって朝飯ですね)、家人がいない留守を狙うので、近隣の目を気にせず、ゆっくり盗むことができる状態となるので、効果的とは思えません。一般的な目隠しは確かにあるでしょうけど、それは家自体がいまはカーテンなどで目隠しできるのですから、あえて高い塀は必要ないと思うのです。

 

外国の住宅地を歩くのが好きですが、こういった塀があるのはいわゆるマンションといったほんとに超高級住宅くらいで、日本で言えば相当広大な敷地があっても、高い塀はないですね。わが国も最近の分譲地は塀が低いかないのが一般的ではないかと思いますが、古い分譲地や住宅だと、いまだ多く残っていますね。これも終活の一つとして解決しておくべき課題かもしれません。

 

30分あまりでざっと書き上げました。もう一つ、帰る前に書こうかと思っています。