170110 森と生業と生命体考(その1) とりあえず書き始める
今朝の毎日の記事、あまり興味が湧かない気分です。感度がどんどん落ちている印象。多少気になったのが<貸家業向け融資金融庁、地銀を調査 需要増えリスク管理検証>という見出し内容。一度書いたようなテーマですが、以前fbに書いたのかもしれません。
ともかく土地のある人、ない人、補助事業に新規参入する、事業経験のある人、ない人、そこに賃貸物件を斡旋・ローン設定や建設まで引き受ける業者、これに加えて借り手を斡旋する業者、これらは普通の取引では類型的な一つでしょうね。ただ、賃料が通常の1.5倍とか2倍の設定というのが中にあります。土地を借りて建物を建築しても、ローン返済が可能なうまい話。そんな相場より高い家賃を払う業者がいるかというと、中に入る業者が家賃保証をする、たとえば1年だけその高額家賃を支払えば、その後は斡旋業者が不足分を保証するとか、その他いろいろうまい話を組み入れるのです。
にもかかわらず、根拠のない返済計画の図面や資料に基づき、金融機関も返済計画がしっかりしているとして、審査もパス。ところが蓋を開ければ、相当高額の収益がないと事業継続が困難。家賃が払えなくなる。ところが保証した斡旋業者が倒産。それで泣くのは事業者と貸し主ということになります。金融機関も貸し主が払えないと、当然不良債権化します。こういった素人欺し的な事業が金融機関の甘い審査で成立しているケースが今再び増えているのではないかと危惧します。この金融庁の対応、遅いような気もしますが、しっかりやってもらいたいものです。まじめに起業しようとする人の期待を裏切ることになりかねません。
前置きはここまでとして、今日からと言うか、これから毎日と言うことではなく、気が向いたら、継続的にこのテーマで書けるだけ書いてみようかと思っています。というのは正月に、森林ジャーナリストの田中淳夫氏の著作を何冊かぱらぱらと読んで、なんとなく触発されたというか、田中氏の域に達するのは無理ですが、そろそろ森をテーマに持続的に書いてみようかなと思っています。そういうテーマが多いのでなかなかスムースにいくかは今後の風向き次第ですが、ともかく始めます。
田中氏は森と林業について数多くの著作を発表しており、林業者とも林政専門家ともまたいわゆる自然保護運動家とも、異なる視点で書き続けている方で、これまで何冊か読んできました。最近、田中氏自身が森との経験を語る著作「森は怪しいワンダーランド」を読みました。その中で、ボルネオの森と先住民プナン族との出会いなどにより、それまでの探検家的な活動から森自体に興味を持ちだしたといった彼自身がこの分野に入るきっかけを語る場面があります。
時代は少しずれるかもしれませんが、私自身も森林、林業、生態系、先住民というキーワードに最初にであったのはボルネオ島バラム川上流に住むプナン族やケニア族(名前が正確でないかもしれません)との出会いと生活体験でした。89年から92年まで3年間連続して通いました。田中氏はボルネオ島サバ州が最初で洞窟探検が目的だったようですが、私はあくまで熱帯林違法伐採の現状調査が目的でした。
搬出トラックが走る道路は、森林保全や河川汚濁の対策などまったくされていない状況でしたので、そこを通過するトラックがやってくると、地盤の強度を無視して大量に積載したままスピード制限などありそうもうない猛スピードで、粉塵をまき散らして通り過ぎます。当然、周囲の木々や植生は破壊されますし、下に流れる河川は汚濁します。伐採現場では、そこで働く先住民の身長くらいの幹の太い巨木があっという間にチェーンソーで切り倒され、その後一定間隔で玉切りされた伐倒木はブルドーザーで近くの土場まで引っ張られていきます。そのとき周囲の育っている木々はなぎ倒されていきます。
集材の置き場は、丸太の間々川下りをするので、川のすぐそばにあり、巨木がどんどん積まれています。その積み方というのはこれまた荒っぽい運転で、後輪が後方で宙に浮き、まるで前回りでもしそうな状態で巨木を持ち上げて運ぶのです。このような荒々しい作業方法のためでしょう、当時作業による致死傷例が膨大な数になっていると報告されていました。労災安全基準も確立していなかったと思います。
そんな伐採業者の施設などへの立入は、まったく許可を得ていませんでしたので、それこそ不法侵入として逮捕される危険もありましたが、伐採業者の責任者は日本人という当時最有力の得意先だったこともあるのか、弁護士というのが少しはきいたのか、にらみ合いにはなりましたが、一定の調査ができました。テレ朝の下請け取材班が来ていたことも大きかったかもしれません。
この話はとりあえずここまでにして、その後90年代半ば、北米の森林問題に関心をもつようになりました。ちょうどアメリカが絶滅危惧種まだらフクロウの生息環境を破壊したと言うことで、国有林伐採制限がクリントン政権にとって直面する大問題で、一定の解決を得た頃でした。森林伐採のうちクリアカット(皆伐)について、一定の制限と環境アセスメントなどが対象となり、伐採方法が詳細に基準化されていったころでした。その影響がカナダ西海岸のBC州でも起こり、全州的にその伐採規則の改定をめぐって公聴会が行われ、林業者の大量抗議が続いていました。他方で、自然豊かなバンクーバー島西海岸にある地域での森林伐採を阻止しようと、非暴力抵抗運動が広がり、全世界から老若男女が集まってきて、知床でも行われた、体を木にくくりつける抵抗を行っていました。そして結局、数は忘れましたが、膨大な人が逮捕され、BC州の裁判所がパンクするほどになりました(この点ボルネオでは逮捕者はわずかで、参加者も先住民以外少なかった記憶です)。
とこんな話をするつもりでなかったのが、つい要領を得ない昔話をしてしまいました。これらは機会があればいつか資料を基に丁寧に議論したいと思います。
今日というか今後語っていくことは、森と生業と生態系ということについて、いろいろな角度から見つめてみようかと思っており、とりあえずしばらくは林野庁の最近の政策やプロジェクトについて触れていきたいと思っています。
林野庁のホームページを見ると、基本政策以下、見出しだけでも相当な領域にわたっています。それぞれのタイトル、小タイトルは相互に関連するので一つテーマを扱いながら他のテーマにも触れることになると思います。ともかく少しずつとりあげていこうかと思っています。順番はアトランダムで、とりあえずは中心的なテーマの一つ、森林整備事業について書きはじめようと思います。
森林整備事業をみると、まずその背景として次の2つを指摘しています。
・森林は、林産物の供給、水源の涵養、山地災害の防止等の多面的機能の発揮を通じて、国民生活に恩恵をもたらしています。
・我が国の森林は、その4割を占める人工林が資源として利用可能な時期を迎えつつある中、適切な森林施業を確実に実施しながら、資源としての持続的な利用と多様な森林の整備を推進していくことが求められています。
森林がもつ多面的機能と私たちの生活がその恩恵を受けていること、適切な森林施業を行って、持続的な利用と多様な森林の整備が必要とされていると、次に挙げる支援策の理由を指摘しています。
支援策として、4つあげていますが、最も力を注いでいると思われる事業の一つ、森林環境保全整備事業を取り上げたいと思います。この事業はさらに森林環境保全直接支援事業(経営計画、5ha以上の面積、搬出間伐などが要件)、環境林整備事業(0.1ha以上、搬出不要)、林業専用道等整備事業に別れますが、最初の事業が最近確立した「森林・林業再生プラン」の中心的事業なので、これに言及したいと思います。
森林環境保全直接支援事業は、森林経営計画が中心となります。この計画を策定して認定を受けないといけません。この認定計画に基づき搬出間伐や路網整備を中心に各種の作業を行うわけです。この計画対象面積は30ha以上(市町村が定める区域)あるいは100ha以上(所有林)とかなり広大な面積を必要としています。そのため、施業の集約化を図る必要があり、小規模所有者に対してその趣旨を理解してもらい合意をとる必要がありますが、これが大きな障壁となって、いまだに大きな事業展開がされているとはいえないと思います。
それにはいくつか理由があり、すでに林野庁はさまざまな対応策を講じています。その内容および問題点については次の機会に言及したいと思います。
今日のところは細かい議論をするより、現在の森、森林は、私たちにとってどんな意味があるかを少し触れて、終わりにしたいと思います。林野庁は、この事業について、次のように必要性を語っています。
戦後造成された1千万ヘクタールに及ぶ人工林資源の6割が、今後10年間で50年生以上となり、本格的な木材利用が可能となりつつあります。
このため、(1)適切な森林施業が確実に行われる仕組みを整えること、(2)より広い範囲で低コスト作業システムを確立する条件を整えること等を段階的、有機的に進めていくことにより、林業生産活動等が継続的に実施される仕組みを作り上げることを目指しています。
むろん林野庁は、森林が持つ多様な機能のうち、木材利用に適したゾーンについて、持続的効率的な林業生産活動の仕組み作ろうとしているわけです。それがたとえば温暖化削減など他の機能にも有効に働くことも考えていると思います。
そういった考えは、一定の支持を得ていると思います。ただ、ここで触れておきたいのは、森林は、森は誰のためにあるのか、何のためにあるのかをもう一度考え直してもいいのではないかということです。田中淳夫氏は美しい森とはと言う表現で語ろうとしているように思えます。むろんそれは客観的な基準とか、合理的な基準があるかといえば疑問でしょう。それでもそのような見方を必要とされていないかを、森林従事者だけとか、関係者だけで議論するのではなく、公の場で、そして地域で身近な人々の感覚で議論できないかを考えたいのです。林野庁の基準は、ある意味欧米や日本各地の調査を踏まえて、一定の合理性をもつものでしょう。しかし、それで森に手を入れてよいのか、それは別かもしれません。
森は地質・地形・風土、そして人間の営為により、いろいろ変化します。神宮の森のように荒れ地が入念な人為管理により原生的な自然に近い状態になることも事実です。人が利用し続けてきた里山は、戦後利用されなくなりジャングル(多くのジャングルは多様な生態系を育み先住民が活用しているので本来、多様であっても生物が行き来できないほど密集していないと思います)のようと批判され、ゴルフ場などの開発で破壊された時代がありました。
里山は、戦後初期まで、さらにいえば維新以前までは、里人・村人に利用し尽くされていたと思います。巨木などは限られた留山とかにだけ残っていたのではないでしょうか。古文書などでは、蒔山、芝山、草山、篠山、藪山などなど、その用途にあった山の呼称がつけられていて、その名称は多様だったと思います。そして山の姿は、たとえば維新時来日したフェリーチェ・ベアトが撮影した鶴岡八幡宮の裏山のようにほとんど丸坊主に近い状態が多くの地域で見られたのではないかと思います。
しかし、その異邦人たちは、里山や田畑といった田園風景を見て、その美しさに魅了されていました。百姓たちの利用の仕方がいい加減でなく、節度を持ち、適切に、利用できる物はすべて利用していたのでしょう。その利用した後の姿が美しかったのでしょう。現代の日本人はイギリスの郊外に広がる田園風景を見て、成熟した文化景観と感じますが、その彼らが維新時のわが国の農村景観に堪能したのですから、なんともいえません。
林野庁が指摘する戦後の造林と奇跡的に伐採されなかった木々は、決して日本人の英知によるものではないです。外材輸入や経済不況という外的要因です。他方で、森林管理の担い手である所有者、林業者は、森林管理を忘れて、他の経済活動に熱心だったのではないでしょうか。森は忘れ去られてしまったのではないかと思っています。
そのような森、森林は、所有者はもちろんのこと、所有しない人々も意識改革をしないと、美しい森になることは困難ではないかと思います。むろん持続的効率的生産ということも、森の価値、木の価値をわれわれが理解して消費しないと成立しません。その当たりをこの問題の出発点として、これから時折、制度論に言及しながら取り上げていきたいと思います。