たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

歩く道(その10) <大畑才蔵歴史ウォークで藤崎井・小田井用水を歩く>

2019-02-16 | 大畑才蔵

190216 歩く道(その10) <大畑才蔵歴史ウォークで藤崎井・小田井用水を歩く>

 

大畑才蔵ネットワーク和歌山>では、昨年初春と秋でしたか第2回歴史ウォークを企画しましたが、いずれも悪天候のため順延となりました。今回も昨日からの危うい天候でどうなるかと心配でしたが、無事開催できました。三度目の正直ですね。これどういう意味でしょうか。

 

ちょっと変ですが、日本書紀になんか似たような話があったと思いだし、仁徳天皇の巻を読んで見たら、少し違いますが、父・応神天皇死後、3年天皇不在でした。応神天皇が継承者である太子にしたのは弟王でした。でも弟王は兄王を尊敬し自分は天皇の器でないと地位を譲るのです。でも兄王は断ります。その後漁師が献上品を弟王に届けたところ、断られ、兄王も断ったので、魚が腐り、再び献上しても同じことになり、漁師が嘆くのです。それを受け弟王は兄王の意思を変えられないとついに自殺するのです。それを聞いた弟王は3日目に宮に駆けつけて、3度弟の名を呼んで嘆くと、弟王は「天命だ」といって天皇になることを依頼して再び黄泉の世界に戻るのです。そして兄王は3度目に?の正直でしょうか、天皇(仁徳天皇)になるのです。そんな3にまつわる話、3度目の正直というようなことが昔から伝承があったのかもしれません。

 

さて今日は曇り空ながら風もなく穏やかなほどよいある国最適な日和でした。最初は紀ノ川北岸を潤す藤崎井、南岸を灌漑する荒見井など複数の井堰を統合した、藤崎頭首工を訪れました。元の藤崎井は現在の頭首工より少し上流にあったそうで、先般私が歩いた名手川河口のちょっと下流付近でした。Yさんの説明では、藤崎井の取水口の高さに合わせて洪水吐けの高さを維持するため、頭首工の中央に木製の堰をおいているそうです。そういえば頭首工の真ん中へんがいびつになっていました。この木製堰は大雨で大流量になれば流されるように設計されているそうです。

 

藤崎頭首工については、Kさんから、上記のような解説でその歴史、現況の話がありました。最近大雨もないので、川の水はとてもきれいでした。

 

一人の参加者から水面の上になにか出っ張っている装置があり、これはセンサーですかといった質問があり、Yさんから説明がありました。水面の高さを測る監視センサーで、その計測データは大淀町のセンターに送られ、そこで紀ノ川全体の水量制御をしているとのことでした。

 

<十津川紀の川総合開発事業の一環として、国営十津川紀の川土地改良事業等で造成されたの農業水利施設(ダム、頭首工、農業用水路など)>で、数百年にわたる念願がかない、奈良と和歌山の河川事業が統合されたのは戦後まもなくですね。紀ノ川の水も、上流の吉野川で奈良県に通水していますので、水利調整が必要なのでしょう。ただ、最近は旱魃とかで水不足といった懸念よりも、洪水リスクの方が心配ですね。紀ノ川の堤防はしっかりしたものができあがっていますが、支流の河川となると、紀ノ川に流入(排水)する箇所が少ない、あるいは小さいため、出所がなく、堤防内で中小河川の氾濫が起きやすくなっている状態でしょうか。また、多くのダムができて、洪水対策はできたものの、愛媛県のダム放水洪水のように従来型のダム調整規則では、最近の異常豪雨に対応できなくなっていることも検討されないといけないでしょうね。

 

余分な話で脱線しました。軌道を元に戻します。

藤崎井用水は取水口からしばらく紀ノ川川岸付近を流れていて、途中から少し北に走りますが、それほど陸地の中に入っていきません。河岸段丘だから北に向かって傾斜になっていると思っていたら、Yさん曰く、昔は小田井用水付近の高台麓まで紀ノ川の河川敷だったというのです。まあ氾濫源ですから平坦だったわけですね。ですから江戸時代の藤崎井用水(延長24km)の位置でも十分灌漑できたのでしょうね。とはいえやはり北方に向かって高くなっているので、藤崎井だけでは多くの農地を灌漑することができず、小田井開設を企画したのですね。

 

藤崎井用水と小田井用水は名手川付近からほぼ並行に通水していますが、前者は紀ノ川沿いの少し低地(高度がおおよそ40mくらい)、後者が少し高い位置(高度がおおよそ50mくらい)を通しています。とくに小田井は崖地とか斜面地の麓付近を通している印象です。

 

そこに用地取得の戦略を感じます。先日、穴吹川沿いの農家と話をしたとき、大畑才蔵の業績を評価しつつ、用水路用地として提供した農家も当初は諸手を挙げて賛成したのではないと思われ、合意を得るのには地元の協力が不可欠で大変だったでしょうといった話がありました。

 

斜面地に沿って用水路が開削されているところが結構多かったように思います。まあいえば農地不適地ですね。むろん高度を一定に保つために選んだという見方もできるかもしれませんが、費用対効果の視点や用地提供を得やすい地点といった観点に立つと合理的な選択ではないかと思われるのです。

 

藤崎井用水は多少通水されていましたが、それほどの流量ではありませんでした。ところが小田井用水では相当量の流水でした。通年維持用水で、環境用水としての機能があるのでしょう。以前、近畿農政局の担当者と話をしたとき、奈良県側では灌漑用水利用としては十分で景観用水として利用する流水量が相当程度となっていて、名称をうっかり忘れましたが環境価値・機能を市民の投票などの手段を講じて評価する手法を使っていました。まあこれ自体はあのエクソン・バルディーズ号事件を契機に、1990年ころから北米で普及した制度で、ようやくわが国でも使われ出したかと思いつつも、さほど理解が進んでいないようにも思うのです。

 

今回の歴史ウォークを共催していただいた小田井土地改良区の事務所で、スライドを使って小田井の歴史が簡潔に整理されて解説されました。その後最近の小田井の様子がビデオ撮影を通して放映され、楽しいひとときを過ごすことができました。昼食の弁当は美味しく、とりわけ手料理で作っていただいた豚汁は格別でした。ただ高齢者としてはそれで十分で、おかわりを催促されましたが、残念ながら若い人のようにはいきません。

 

その後大畑才蔵翁彰功之碑(しょうこうのひ)がある粉河寺を訪れました。初めて行きましたが、立派な伽藍でいいお寺でした。小田井用水の受益面積としては粉河寺周辺がとりわけ大きかったのでしょうか。

 

 

彰功之碑の前で、若いスタッフの歌と演奏があり、なんとザ・ピーナッツの恋のバカンスでした。参加者の年齢にぴったりで、口ずさむ人が大勢でした。拍手喝采の余興でした。まあ私も好きな歌手の一人でした。最近は紅白も見ませんが、彼女の時代はよく見ていたように思います。

 

そんなこんなで無事終えました。今日はこれでおしまい。また明日。


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