181007 箱根の今昔 <ブラタモリ 箱根の温泉がNo.1になった理由とは?>を見ながら
昨夜は久しぶりにブラタモリを楽しみました。場所が箱根と言うことで親しみ深いですし、地質的特性も興味深いです。ブラタモリで学んだ分もありますが、背景の箱根湯本駅などを見ながら思い出すこともありました。
テレビドガッチというウェブ情報では放送前日に<タモリも思わず「素晴らしい」連発!箱根の温泉がNo.1になった理由とは?>とアップしています。そこに放送内容の概要が紹介されています。
箱根はいま、日本一の温泉地ということで、なにが日本一かというと、<年間温泉入湯客数>という客観的な数値で、なんと<553万人>だそうです。たしか箱根の観光客は年間2000万人とか言われていたように思いますが、ま、ざっと4分の1ですか。温泉に入らない人もいるのですね。実は素通りが結構多いのです(これは番組では取り上げていませんでした)。
その問題を箱根町や神奈川県は長年取り組んできており、以前、私自身は国立公園管理の問題(過剰な公園内交通問題)として少し検討したことがありますが、今日は取り上げません。
とはいえ、箱根は首都圏の居住者にとっては(とくに年配者?)、格好の温泉地でしょうか。私も毎年1,2回は家族旅行で通っていたように思います。先輩の弁護士の中には40年以上夫婦で年数回通っているという人もいましたが、熱海・伊豆とは違うよさがありますね。名前が話題になった強羅も、ある研究会でその一画にある企業保養地を利用させてもらいなんどか温泉と研究討議の場として訪れました。
ところで、湯本という名前は全国にありますから、箱根湯本と通常言われていますね。ただ、町の名前は箱根町湯本で、駅名としてあるくらいでしょうか。ブラタモリでも紹介されていましたが、駅前にはお土産屋さんが一杯で、温泉はごくわずか、早川と須雲川の合流点のたもとに元々温泉源が古代からあったとか。
江戸時代は温泉番付では前頭と、有馬などに比べて格下だったのですね。当時は温泉場というの湯治場だったわけですね。それを改革してある種観光地巡りのようにしたのがブームを呼んだようです。箱根湯本の福住旅館に大切に保管されていた<「七湯の枝折(しおり)」>という巻物に、<枝折は、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯という古くからある箱根の7つの温泉、それぞれのお風呂の入り方を書いたルールブック>といった内容が書かれているのです。
それが現代版のツアーガイドブックになって全国的な?評判を呼んだようです。描かれた絵には、男女混浴で、隠すこともなく裸のママで入浴、むろんタオルなどは持ち込み禁止だったのでしょう。
そのことは幕末期から来日した多くの西欧人が驚いた様子で、それぞれ描いていますね。当時の日本人は、入浴するために裸になることは、公衆浴場で混浴も自然な営みで、浴場外で外国人が訪れたりなにか面白い見物があると、裸のママ外に出ることも、破廉恥ではなかったようです。おおらかだったのでしょうね。
登山鉄道のスイッチバックは鉄ちゃん族には興味深いかもしれませんが、地質族?には早川中流域の宮ノ下当たりが噴火で飛んできた火山灰などが滞積した後、河川の浸食でのこったわずかな平地というのは興味深いですね。ただ、宮ノ下もなんどか温泉に入りましたが、たしか旅館のケーブルかなんかで降りていくとても急傾斜地の底付近にあったような記憶です。
やはり強羅が面白いですね。目の前にそびえる早雲山が山体崩壊して流れてきた土地ということで、石があちらこちらにごろごろしていたことから、名付けられたとか。で、ここからが今日の本題に入ります。
ブラタモリでも解説がありましたが、分譲地として強羅が開発されたのですね。しかも一区画500坪という当時としても大規模な区画です。そのうえフランス式庭園まで備えるというのですから、いくらVIP相手と言ってもやることがすごいですね。
この開発前身は地元に人がいたと思いますが、結局は西武王国をつくった堤康次郎氏が、20世紀初頭に世界的流行となった田園都市構想を、強羅分譲地開発を始めた頃、次々と目白、麻布、広尾など山手線内はもちろん大泉学園や国立など首都圏各地で西欧風田園都市開発を繰り広げたのですね。これは神奈川では東急との開発競争となり、熾烈な戦いとなりました。
ところで、箱根では道路・鉄道・バスなど交通をめぐる「箱根山戦争」と呼ばれる紛争が、小田急との間で1950年頃から10年余にわたり熾烈な争いとなりました。
小田原駅では、両者のバス会社が乗客を奪い合う状態で、さらにバス同士もぶつかるほど接近したりして、物騒な状況があったそうです。
でも、最終的には両者ともけんかをやめて仲良く、箱根周遊旅行を楽しめるようにしてくれました。小田急線の箱根湯本駅を見たり、登山鉄道やロープウェイなどを見ていますと、平
この箱根戦争は獅子文六著『箱根山』で熾烈な争いを描いているそうで(まだ読んだことはありませんが)、評判になり、映画(なんと加山雄三さんが星由里子さんと共演)にもなっているのですね。
そして「戦争」も終わり、平和の中の賑わいという「宴」も一段落した今、箱根は国立公園として改めて、そのあり方が問われているのだと思うのです。いつかかける状況が整ったら取り上げてみたいと思います。
今日はこのへんでおしまい。また明日。
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