たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

認知症高齢者との触れ合い(8) <ユマニチュード・自由と自律を目指すケアとは>を考える

2018-04-17 | 医療・介護・後見

180417 認知症高齢者との触れ合い(8) <ユマニチュード・自由と自律を目指すケアとは>を考える

 

これまではユマニチュードのテクニカルな部分を中心に学んできました。むろんこの基本技術を身につけてしっかりと認知症高齢者の方に接することができれば、その人との触れ合いが深まることは間違いないように思います。しかし、それがケアの目的かとかというと違うように思うのです。イブ&ロゼットもその点を強調しているように思えます。

 

それは「第3章 私たちが権利を失うとき」というところで、繰り返しいろいろな表現で指摘しているように思います。その意味を学んでみたいと思います。

 

たとえば「高齢者になると誰もが失うもの」として、東京で一人暮らしをしていた80歳の男性を想定して、マンション生活から介護施設に入所したときの戸惑いを紹介しています。長年飼っていた犬と一緒に入れないことがわかってショックを受けるのです。風呂場に入ると、突然ノックと同時に看護師がドアを開けて入ってきたので、許可を得て入ってくださいというと、うるさい人と評価されるのです。晩酌を欠かさなかった彼が食堂で持参したワインを飲もうとすると、酒は禁止と言われて数少ない楽しみを奪われてしまいました。

 

毎晩12時に寝る彼に、8時か9時に介護士がやってきて就寝時間ですと、無理に寝かせられます。散歩しようとでかけようとしても、暗証コードがあってドアが開けません。さんぽの自由もありません。

 

親しいガールフレンドを部屋に連れてきたら、他人の入室は禁止、「ここはラブホテルではありませんから」とにべもないのです。介護施設はそういうところと決めつけられているのです。

 

夫婦であってもダブルベッドを用意して一緒に寝ることは許されません。私もある夫婦が同じ老健に入所していましたが、別々の部屋に入所していて、夫の方から離れさみしいと訴えられたことがあります。当時は介護施設だから仕方がないねと答えていましたが、イブ&ロゼットはそこに疑問を投げかけています。

 

ユマニチュードの神髄ともいうべき言葉でしょうか。

「ケアの世界でも、「尊厳は大事だ」と口にはします。しかしながら、知的または身体的にハンディを負った高齢者から権利を奪っているのが実情です。ユマニチュードは、自由と自律に関するすべての権利を尊重します。」と。

 

従来のケアをその権利を奪う、強制というのです。たしかに上記の例は一種の強制になりうると私も思いますが、はたして大勢の利用者をケアする介護施設で自由や自律をどこまで尊重できるか、気になります。

 

イブ&ロゼットは次のような例を挙げています。

「ユマニチュードを導入している施設では、強制ケアはしません。犬を飼いたければ一緒に暮らせます。恋人と同じベッドで寝ても大丈夫です。その場合は140センチ幅の大きなベッドを入れます。24時間のうち好きなときに食事ができます。ほとんどの人は同じ時間に食堂で食べますが、人によっては、深夜にお腹が空いたと感じる人もいます。そういう人には夜に食事を出します。夜中の2時にシャワーを浴びたければ介助します。」

驚くべき内容ですね。

 

しかもですね、「信じ難いかもしれませんが、これを実現しているフランスの介護施設の入居者数に対する夜間勤務の職員の数は、日本よりも少ないのです。」というのです。

 

「従来のケアの哲学を見直す」というのですね。従来のケアは、「へンダーソンの『看護の基本となるもの』」を基礎にしていて、生理的ニーズにだけ注目する傾向があるというのです。「生理的欲求から安全への欲求、愛情、尊敬、自己実現へのニーズ」が人間の基本ニーズとしつつ、マズローの法則では、これら5つを下から上に築くピラミッド構造ととらえて、最初のニーズを満たした上でないと、次の段階にいけないというのです。

 

パンより愛をとか、といった自由な選択は許されないのです。個々人の自由、自律を尊重しないのですね。

 

しかもこの自律とは、これを可能にする依存のあり方を重視するのです。

「ユマニチュードにおいては、自律と自由と依存を掲げます。誰かに依存していなければ私たちは生きていけない。これも重要な価値として定義しているのです。」と。

 

依存することは決して恥ずかしいことでも、自律することに障害になることでなく、むしろ依存に価値があるというのです。

「私たちは依存関係なしに絆を結ぶことができないからです。関係を築く絆は私とあなたを結びます。絆がなくなると孤独になります。・・・私の人生の目的は物事から離脱することではなく、つながることにあります。」と。

 

人生の充足感、幸福感でしょうか、そのことに関わる指摘もあります。

「人生において充実している瞬間は、誰かを愛しているときではないでしょうか。子供や夫、妻を愛おしく思うとき、自身は美しく強く繊細であり、「私はそういう自分なのだ」という自律した感覚、高揚感が訪れます。それは依存関係があって初めて感じられるのです。」と依存の貴重な意義を強調しています。

 

ちょうど一時間となりました。今日はこれにておしまい。また明日。