170915 柿と人、自然 <全国最大の柿産地、JA紀北かわかみ ・・出荷始まる>を読みながら
今日はある土地をめぐる紛争で柵をしたところ、少し工事人と相手方との間でトラブルになり、私が駆けつけ、一応収まったのですが、成り行きからしばらく現場で工事を見ることになってしまいました。
帰ると、ある法務局から電話がかかり、登記申請書が届いたのだが、管轄違いとのこと、うっかり出張所があることをチェックせず、本局に送ってしまい、また送り直しになりました。慣れないことをすると、この種の凡ミスがありますね。市内だから一カ所が管轄との先入観ですすめた結果です。
ところで、当地は柿畑が多く、風景の中にも秋らしい雰囲気を醸し出す一つ、柿が色づいてきました。事務所の横も柿畑です。最近までは柿畑の草刈り三昧をしていたのをつい思い出します。
昨日の毎日朝刊で<農の歳時記全国最大の柿産地、JA紀北かわかみ 主力の種なし、出荷始まる /和歌山>を読みながら、地元のJA紀北かわかみが「全国最大の柿産地」というのは知りませんでした。先日、才蔵の会で組合長が参加されていましたが、このことを知っていれば少し質問したかったですね。
少しこの記事をとりあげましょうか。<3日から「極早生たねなし柿」、10日から主力の種なし柿「刀根早生」の出荷が始まった。>早いですね。まだ多くの柿は青っぽい感じでしょうか。
この種なしというのはすばらしいですね。私の実家にも柿の木がありましたが、種ありでしたし、さほどおいしいとは思わず、あまり食べたことがなかった記憶です。通りに面した庭で垣もないところにあったので、通りがかりの人が(子どもがほとんどか)食べていましたが、こちらはどうぞという感じでした。
当地の柿は、もちろん美味ですし、それとでかいのです。驚くほど。実家に最初送ったとき、種のないことに加えて、その大きさにびっくりしていました。それだけ農家が丹精込めて作っているのです。私の知っている農家は、毎日のように様子を見て、年間を通して手入れをしているように思います。細やかな配慮があるからこそ、おいしい、きれいな、そしてでかいものができるのでしょう。
となりの九度山町の柿も日本一とか幟を揚げていて、美味しいのでしょうね。私の知っている農家は大河ドラマ・真田幸村のとき、取材されたり、俳優も訪問したとか、なかなか立派な柿作りをされています。
個々の農家の努力があってのことでしょうけど、<JAと生産者は、生産日誌の提出や家庭選別の徹底、収穫後の軟化防止対策の他、果実サンプルで着色や等級の基準を確認するなど、高品質果実の出荷を目指している。>とJAのブランド維持向上のための働きかけも重要な要素でしょう。
<JAやっちょん広場の木村佳弘店長は「やっちょん広場は味・品質・出荷量ともに日本一の柿の取り扱い直売所。贈答品から自宅用まで、甘くてみずみずしい柿をたくさん用意している。シーズン中にぜひ来店してほしい」とPRしている。>この広場は私の事務所のすぐそばです。紀ノ川河岸道路沿いにあり、週末や祝日などはそこが渋滞して全然前に進まないこともあるので、別の道を通って事務所に行くのです。
で、柿をなぜ取り上げたかと言いますと、折角のこの柿、当地の評判は全国的かというと、とてもそんな状態ではないですね。むろん直売所などでごった返す人気はいいのですが、このまち全体の評判としてはさほど高まっていない印象です。マスコットキャラクターもたしか柿のイラストでしたが、ひこにゃんとか、くまモンとか、といった人気を博するにはほど遠いかもしれません。
いま市役所を中心に、日本最初の女性五輪金メダリストの前畑・がんばれをNHKの朝ドラにしてもらうよう動いていますが、それはまちの中で浸透しているかどうか、気になるところです。現在のまちとの関係性がどうもよくわからない印象です。いや、そんなことはない、と関係者の方は一生懸命やられているのでしょうけど、一般的にはそれほど関心を呼んでいるとは思えないのです。
「がんばれ」の呼びかけは、あのラジオ放送で非常に印象深く残っていますが、さて現代の日本で共感を呼ぶには大変かなと思うのです。それでもまち全体が、がんばれ、がんばろうという声かけなり、挨拶なりが浸透しているのであれば、これはまた一度訪ねてみたいと思うことにもなるでしょうし、NHK番組としても取り上げる価値が出そうと勝手に思うのですが、どうもまち全体の雰囲気がそうなっているか心配です。
といって代替案があるかといっても、私の関心のある才蔵も、前畑に比べれば知名度はないですし、他にそれほどのものがない?いや、柿があるじゃないかと思うのは勝手な思い込みでしょうか。たしかに当地で柿栽培が盛んになったのは戦後ですし、歴史は浅いですね。そいういう意味で、開祖者的な超然とした人はいないのかもしれません。でもここまで生産量を増やしたのには、多くの切磋琢磨した人物像が出てくるのではないかと思うのです。それを掘り出し、その創意工夫や熱心な努力を取り上げるだけの価値があるようにも思うのですが、どうでしょう。
ところで、私は子規の俳句が好きです(よくわかっていないのですが)。子規はとても柿好きですね。その子規が俳句にした柿の句は大変な量になるのだと思うのです。その一部を<子規俳句>から取り上げたいと思います。
明治35年9月19日死亡の子規(34才)は、死の直前まで、病床の中で、病気で食べれなくなっても、柿を恋い慕ったように感じます。
明治34年〔きざ柿の御礼に〕 柿くふも今年ばかりと思ひけり
明治33年 柿をもらひ柿の一句を報いけり
明治32年 胃痛〔八句〕胃を病んで柿をくはれぬいさめ哉 側に柿くふ人を恨みけり
明治31年 秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味
明治30年 我死にし後は 柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし
明治29年 渋柿は馬鹿の薬になるまいか
明治28年 法隆寺の茶店に憩ひて 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
明治27年 渋柿や渋に取られて秋寒し
明治22年 渋柿のとり残されてあはれ也
なんとも子規らしいユーモラスな句で、病気や死の気配を感じながらも、負けないぞという心意気をはき出しているその強さを感じます。
もう一つ、和辻哲郎が学生の時書いた『古寺巡礼』は、とても素晴らしい、感覚であり、文章だと思うのですが、そこに柿の木がもつ歴史的な風景の一端を示しているところがあります。
「京都から奈良へ来る汽車は、随分きたなくガタガタゆれて不愉快なものだが、沿線の景色はそれを償つぐのうて余りがある。桃山から宇治あたりの、竹藪や茶畑や柿の木の多い、あのゆるやかな斜面は、いかにも平和ないい気分を持っている。茶畑にはすっかり覆いがしてあって、あのムクムクとした色を楽しむことはできなかったが、しかし茶所らしいおもしろみがあった。柿の木はもう若葉につつまれて、ギクギクしたあの骨組みを見せてはいなかったが、麦畑のなかに大きく枝をひろげて並び立っている具合はなかなか他では見られない。文人画の趣味がこういう景色に培つちかわれて育ったことはいかにももっともなことである。」
柿は、高い栄養価のある果物ですが、その多様な価値もまた、さまざまな用途に使われてきました。それに景観的価値もまた、日本人の心に深く根付いているように思えます。
そういった柿をテーマにまちづくり、そしてTV番組づくりにも取り入れてもらえるとうれしい限りです。柿は毎日食べても飽きない(これは個人的感想、今はやりの問題PR)です。
そんなことを徒然に書いていると、ちょうど一時間となりました。きょうはこれでおしまい。