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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

米訴訟の巨額賠償の行方? <賠償命令トヨタに267億円 シートに問題>+補足

2018-08-19 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180819 米訴訟の巨額賠償の行方? <賠償命令トヨタに267億円 シートに問題>

 

アメリカがあらゆる分野で世界をリードしたかのように思われた時代があった、そういう意識を抱いた日本人は戦後長い間いたように思うのです。むろん、異なる見方をしっかり抱いていた人もいたと思いますが少数派だったと思います。

 

それでも80年代後半には経済大国日本を引っ張る意気のいい人たちは一時的にアメリカを超えたと思ったかもしれません。ともかく一時的な浮き沈みがあっても、やはりアメリカをいい意味でも悪い意味でも先導者として見てきた日本人が多かったように思うのです。

 

トランプ政権となってアメリカファーストを政治・経済・軍事などあらゆる領域で言葉通りに実施しようとするようになり、本気で日本の,日本人の立ち位置を考えなければならないようになったと思う人が以前より増えてきたように思うのです。

 

とはいえ、元々、アメリカ自体が様々な考え方で成り立っていて、振り子のように見える形で大きく振れていたように思うところもあり、現在もそれが少し際立っているだけかなと思ったりしています。

 

余分な前置きが長くなりました。実は高野山金剛峯寺の主務総長の母親が昨年97歳で書かれた著作を読み、高齢者の鏡のような語り口で、この内容を紹介しようと思ったのですが、手元に置いてなく、別の機会にしようかと思います。

 

で、話変わって本題の毎日記事<賠償命令トヨタに267億円 シートに問題 米州裁>をとりあげたいと思います。自動車メーカーに製造物責任を追及する訴訟では267億円くらいの巨額賠償を認めるケースは60年代以降の、あの著名なラルフネーダー氏を筆頭に、膨大な事例がありますから、驚くに値しないのですが、ふと気になりました。

 

まず事案を記事から見てみましょう。

<米テキサス州の裁判所の陪審は17日、同州で起きた追突事故を巡る訴訟でトヨタ自動車の高級ブランド「レクサス」のシートに問題があったとして、計約2億4200万ドル(約267億円)の賠償金を乗っていた夫妻に支払うよう、トヨタに命じた。米メディアが18日までに報じた。>

 

事故はよくある追突事故です。

<原告の夫妻が2016年に「レクサスES300」の後部座席に子供2人を乗せて走っていた際、追突された。衝撃で前の座席が後ろに倒れ、5歳と3歳の子供が大けがをした。>

 

追突事故ですから、むろん追突車両運転車に責任があるのが普通ですね。ただ、この事故では、上記で指摘されているように、「衝撃で前の座席が後ろに倒れ」た結果、後部座席に座っていた2人の幼子が大怪我をしたというのです。

 

この記事で、よく分からなかったのは、前の座席が後ろに倒れた結果、どのようにして後部座席のチャイルドシートに座っている子供のどこに当たって、どのような傷害を受けたのかです。むろん前の座席が後ろに倒れること自体、欠陥があったと見られるでしょう。でも後部座席に座っている幼子に大怪我を起こすということは、車の中で寝るように、シートが完全に倒れてしまったと言うことのように思えるのですが、そのようなことがあるのか、気になったのです。

 

前のシートの欠陥について、<原告側は、トヨタが前の座席に座る人の安全性を高めるために、後部座席の安全を犠牲にしたと主張した。>というのみで、どのような欠陥かは明らかでありません。

 

陪審の判断とトヨタの会見とはずれていると思われるのですが、この記事からはさっぱりわかりません。

<陪審は、シートに問題があり、それを原告側に知らせなかったのは、重大な過失と認定した。

 米メディアによると、トヨタは「(大けがは)設計や製造の欠陥によるものではないと確信している」とコメントした。>

 

それで少し英文記事を探したのですが、詳細な記事を掲載したものをみつけることができず、とりあえずDALLAS NEWSの<Jury awards Dallas family $242 million after finding Toyota liable for children's injuries in crash>が少し詳しく掲載していたので、これを参考にしてみたいと思います。

 

被害車両は2002 Lexus ES 300で、20169月に高速道路上で停止中にHonda Pilotに追突されたのです。その際、前部座席が2つとも、後部座席にいた幼子2に倒れ、その結果、頭蓋骨に多発性骨折と外傷性脳損傷の障害が残ったというのです。

 

で、このシートの製造上の欠陥については、どのような技術的欠陥かについて、原告代理人も、法廷文書も、記事からは、具体的言及がありません。評決文を見ればわかるのかもしれません??

 

原告代理人は、後部座席の人を犠牲にして、前部座席の保護を意識的に優先していた旨主張して、トヨタの責任を追及しています。

 

そのようにいえるかは気になるところです。前部座席が追突によって、後部座席まで倒れた場合、それで追突による大きな身体損傷を回避できるか疑問だと思うのです。たしかに頸椎へのダメージを緩和させ、むち打ち損傷のおそれは軽減するかもしれません。しかし、後部座席まで倒れてしまったら、それはかえって別の損傷をうけるおそれもあるでしょう。

 

この事案では前部座席に座っていた両親の怪我は問題になっていないようですので、後部に倒れることは追突されたとき通常発生するむち打ち損傷を回避できるのかもしれません。

 

しかし、いくらなんでも、追突のとき後部に倒れてしまうようなシートは安全性の見地からも前部座席車の保護のためになるとはおもいませんし、トヨタもそのような設計をしていたとはとても思えません。

 

たしかに一定の高級車は、たいていシートのリクライニングや前後、高低の移動が自動でできる構造になっています。その装置が衝撃で壊れた可能性があるのではないか、その点の安全対策が不十分であったのではないかと勝手に推測しています。

 

もう16年前の古いタイプですから、現在では大きくモデルチェンジしていますので、このような安全性を欠く車両はないと思っています。

 

とはいえ、障害の程度がよくわかりませんし、介護の必要性がどの程度かよくわかりませんが、この障害慰謝料として9840万ドル、それに懲罰的賠償額として14360万ドル、合計金24200万ドルの賠償責任をトヨタに認める評決を下したのです。

 

前者も日本の基準が妥当かは別にして、よほどの治療が必要であっても、このような高額の賠償責任は認められません。治療や介護に要する合理的な損害を認定するのですね。なにが合理的かが問われるかもしれませんが、損害の公平な分担という考え方を妥当とすると、アメリカの場合少し異常かなと思ってしまいます。

 

懲罰的賠償はある程度わが国にも導入されてもいいのではないかと思いますが、アメリカの賠償額が異常に高すぎますので、参考にはならないでしょう。

 

ただ、追突者の運転手も責任が認められていますが、トヨタが95%で、運転手は5%というのはどうも強いもの、お金持ち、あるいは外国メーカーということで、なにか異様な判官びいきのような印象を感じてしまいます。

 

トヨタ側は、評決の結果を尊重しつつも、後遺障害については異常な追突事故による特殊事情であって、デザイン・製造上の欠陥がないとの立場を崩してなく、別の記事では上訴するといった指摘もありました。

 

どうも内容がはっきりわからない中、適当なコメントになりました。私も相当数追突事故のケースを扱っていますが、不思議な事件ですね。同型車両に同様の欠陥が見つかっていれば、評決もある程度、合理性があるように思えるのですが・・・

 

そろそろ一時間が過ぎました。今日はこれにておしまい。また明日。

補足

 

ちょっとこのケース気になって、評決文なりを入手できないかと少しだけネットサーフィンしたのですが、

担当弁護士のホームページでは次のような事件名を含んだ記事が自信たっぷりに掲載されていました。

Dallas Jury Returns $242.1 Million Verdict in Toyota Product Defect Trial

 

ところがこの事件の評決文か裁判文書を探したのですが、どうもProtect Order(秘密保持命令)が下されているのではないかとおもいます。それらしいケース名で調べたら、でてきませんでした。

 

他方で、<MEMORANDUM OPINION>としては、証拠開示請求をめぐって繰り返し当事者間で争われた上で意見が述べられているのが見つかりました。ま、アメリカのトライアルでは証拠開示論争が映画並みに激しく争われるようですね。

 

ともかく結局、この事件の核心である車の欠陥がどのようなもので、どのような障害をうけたのかは、わかりませんでした。これだけの裁判ですので、解説なり、いろいろ情報が今後でてくると思いますので、その機会にでも検討しましょうかね。




日本版「司法取引」 <『“司法取引”運用開始 冤罪の危険性と対策は』>を少し見た感想

2018-06-02 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180601 日本版「司法取引」 <『“司法取引”運用開始 冤罪の危険性と対策は』>を少し見た感想

 

昨夜久しぶりにプライムニュースを少しだけ長く見ました。キャスターが反町氏から松山氏に代わって、なにか議論が今ひとつパンチがないというか、原稿通りの流れのように思えて今ひとつ突っ込みが感じられないという印象です(偏見かもしれませんが)。登場する人物に大きな違いはないように思うのですが、反町氏がゲストに振るタイミングや、突っ込みの調子が私にはいい感じに見えたのでしょうね。

 

昨夜は以前から話題の司法取引がテーマで、ゲストは<山下貴司 法務大臣政務官、高井康行 弁護士、今村核 弁護士>と、前2者は検察官出身、今村氏は無罪判決獲得が14件?とかすごい弁護士です。

 

私も以前から弁護士会からの情報で、改正刑事訴訟法により司法取引の導入が61日から始まるということは知っていたのですが、なかなかその内容にまでは関心が及ばなかったのです。それで、参考にするためこの番組を一部見ました。というのは概要を聞いている限り、今回の改正による合意制度だけでは、なかなかスムーズに使われるかどうか怪しいなと思ったからです。

 

司法取引と言えば、すぐ思い出すのは、90年頃に見た映画“Wall Street”のクライマックスシーンですね。場所はセントラルパークだったでしょうか。そこに主人公2人が登場します。ウォール街を我が物のように自由に操り、インサイダー取引、情報窃取、株価操作などあらゆる不正な手段を使って超富裕層になったゴードン役のマイケル・ダグラスが見事なほど悪役を演じていました。もう一方は、その片腕のごとく活躍してのし上がり、父親が長年まじめに勤めていた航空会社をゴードンの餌食に提供してしまった若きトレーダー役(名前を失念)のチャーリー・シーンです。チャーリーはFBISECかの依頼で、隠しレコーダーで、ゴードンの悪行をしゃべらせて録音するのですね。それでゴードンは逮捕され、チャーリーは軽い刑?あるいは起訴猶予?だったように記憶しています。

 

当時、日本ではインサイダー取引規制が始まったばかりで、あまり関心がない状況でしたし、株式市場もバブル全盛期で、対岸の火事のように思えました。ただ、株式取引の闇を暴くには、こういった司法取引も効果的な手法かなとそのとき思ったぐらいでした。

 

さて、今井氏は、多くの刑事弁護専門家と同様に、そもそも検事側証人が十分にテストを繰り返して作られた証言をするおそれがある中で、それに輪をかける危険など、批判的な視点で問題を指摘していましたが、推進派の山下氏は当然ながら積極論を論じていました。他方で、高井氏は推進派ではあるものの、最近の検察不祥事などから検事の能力衰退を指摘して、この合意制度を安易に使う危険を指摘してより補強証拠を固める必要を指摘しつつ、弁護人の立場から過った認定にならないよう制度を活用することの利点を述べていたように思います。

 

それにしても適用対象が限定されていること、検事側と弁護人側の合意した量刑が裁判官の判断を拘束するものではない点など、必ずしも実効性の点でどの程度効果があがるのか懸念されることも指摘されていました。

 

当該制度は刑事訴訟法350条の2本文で次のように規定されています。

「第三百五十条の二 検察官は、特定犯罪に係る事件の被疑者又は被告人が特定犯罪に係る他人の刑事事件(以下単に「他人の刑事事件」という。)について一又は二以上の第一号に掲げる行為をすることにより得られる証拠の重要性、関係する犯罪の軽重及び情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、被疑者又は被告人との間で、被疑者又は被告人が当該他人の刑事事件について一又は二以上の同号に掲げる行為をし、かつ、検察官が被疑者又は被告人の当該事件について一又は二以上の第二号に掲げる行為をすることを内容とする合意をすることができる。」

 

他人の刑事事件について情報提供を求めるものです。

被疑者または被告人が求められる行為は次の行為です。

「一 次に掲げる行為

イ 第百九十八条第一項又は第二百二十三条第一項の規定による検察官、検察事務官又は司法警察職員の取調べに際して真実の供述をすること。

ロ 証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること。

ハ 検察官、検察事務官又は司法警察職員による証拠の収集に関し、証拠の提出その他の必要な協力をすること(イ及びロに掲げるものを除く。)。」

 

検察官が提供するものはというと

「二 次に掲げる行為

イ 公訴を提起しないこと。

ロ 公訴を取り消すこと。

ハ 特定の訴因及び罰条により公訴を提起し、又はこれを維持すること。

ニ 特定の訴因若しくは罰条の追加若しくは撤回又は特定の訴因若しくは罰条への変更を請求すること。

ホ 第二百九十三条第一項の規定による意見の陳述において、被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること。

ヘ 即決裁判手続の申立てをすること。

ト 略式命令の請求をすること。}

 

当然ながら、公判手続では、裁判官の事実認定や量刑判断は専権事項ですから、それを合意対象とはしていません。検察官が独占している公訴権や訴因の変更が主たる内容です。ただ、293条に基づく論告求刑の意見陳述において、特定の刑を科すべきことを合意できるとしていますので、裁判官の量刑判断に大きく影響することは間違いないでしょう。

 

ただ、私の狭い刑事弁護の経験から言えば、覚醒剤密売事件などのような事案では、決して背後の組織の名前はいいませんね。甘い汁を与えると違うかというと、彼らはまず組織を怖れていますね。また、出所後は声がかかることを期待しているようにも見えます。それ以外のことはすらすらしゃべりますが、大量に販売しているのですから、販売元をよくわかっているはずなのに、そこは口が堅いですね。ま、私は弁護人ですので、当人の更生のため、組織から脱するためにも話すことを説得するのですが、無駄骨ですね。

 

同様に、グループで行う詐欺犯も似ています。犯行内容はすらすらと話しますが、その組織のボスを含む構成員の名前はいいませんね。反省しましたとは言うのですが、やはり組織を壊滅するような情報提供はなかなかないですね。今回の合意制度でそれが変わるかどうか、私もまだ勉強していないので、なんともいえませんが、簡単ではないと思います。

 

今日は別の話題を考えようとしていたのですが、どうも整理できず、安直に昨夜ちらっと見た番組を思い出し、書いてみました。お粗末様でした。また明日。


四大公害病訴訟 <イタイイタイ病 病苦も古里の歴史>を読んで

2018-05-09 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180509 四大公害病訴訟 <イタイイタイ病 病苦も古里の歴史>を読んで

 

今日はどうやら調子が良くないですね。さきほどまで打ち合わせをしていたのですが、いろいろな電話対応や雑務もあって、仕上げなければいけない仕事があるのに、どうも一休みが必要です。ブログ書きはそういうときに役立つこともあるのですが、簡潔にしないと気分転換になりません。武田のシャイアー買収も興味深いと思ったのですが、これは込み入りそうなので、あきらめて表題にしました。

 

70年当時であれば重い課題ですね。いまでも苦しんでいる方がいますので、重くないとはいいませんが、やはり振り返ることができる問題になったかと思います。

 

毎日記事<イタイイタイ病病苦も古里の歴史 公害病認定50年、父の闘い語り継ぐ>も、苦しみをふるさとの歴史と捉えて、語り部となっている小松雅子氏を取材したものです。

 

<富山県の神通川流域で発生した「イタイイタイ病」(イ病)を国が初めて公害病と認めてから8日で50年となった。患者と遺族らでつくる「イタイイタイ病対策協議会」(イ対協)の初代会長で、半生を被害者救済にささげた故・小松義久さんの次女雅子さん(62)はこの日、「イ病は忘れてはならない古里の歴史です」と中学生に特別講演し、語り継ぐ責務を強調した。【森野俊、田倉直彦】>

 

病苦と訴訟で闘ったご本人はすでにお亡くなりなって、次の世代がその価値を継承しようとしているのですね。

 

ところで、四半世紀以上前でしたが、この四大公害訴訟を研究者、告発者、医師などの立場で立ち向かった先人と一緒に飲み会談し、雑魚寝したことを思い出しました。宇井純、原田正純など諸先輩が弁舌を振るい、大いに飲み酔っ払い、その当時の話を力説されました。懐かしい話でしたが、すっかり忘れてしまいました。多くの方が物故者となられましたが、当時でもまだ青年のような心意気をお持ちだったように思うのです。

 

70年頃は、この四大公害訴訟も私も関心を持ち、未熟ながらいろいろ書籍を読み勉強したものです。でも生きた諸先輩の語りは「公害原論」や「水俣病」を文字で追うのとは全然違っていましたね。

 

それはともかくイタイイタイ病の歴史の一端が紹介されています。

< 小松さんや住民は、国の公害病認定に先立つ1968年3月、原因企業の三井金属鉱業に損害賠償を求めて提訴に踏み切った。

 だが財閥企業相手に鉱毒被害を訴える行動には、反発さえあった。「米が売れなくなる」「嫁が来なくなる」。小松さんは「裁判に負けたらここに住めない。戸籍をかけた闘いになる」と決意を固めた。無言や脅迫めいた電話がかかってきた。黙って聞いた後、決まって下を向いて黙考する姿に雅子さんは胸を痛めた。72年の勝訴確定後も患者に寄り添い続けた。「だめだったか」。訃報を聞くと、真冬の深夜でも雪を踏みしめ、亡くなった患者のもとへ駆けつけた。

 小松さんは母、祖母ともイ病で失い、自身も85歳で亡くなる2010年2月の数カ月前から入院。原因物質のカドミウムの影響で腎臓が悪く、体の痛みもあり、「やっと患者の気持ちが分かった」とつぶやいたという。一方でイタイイタイ病資料館の開館(12年)が決まると喜びをかみしめた。「真実を真実として伝えてほしい」>

 

公害病って何という時代でしたからね。原因物質を特定して、排出源としての特定企業自体の工場内での発生機序、排出から被害発生までの因果関係を被害者が証明しないといけないとの立論が支配していましたから、大変なことでした。

 

当時の先端的法学者はさまざまな法理論を生み出し、支援する役割を担ったと思います。いま記憶のままに理論を思いつくまま書き出すと、ぼろが出そうなので、今回は差し控えます。

 

記事では<67~69年は四大公害病訴訟の提訴も相次いだ。68年提訴のイ病第1次訴訟はいち早く原告が全面勝訴し、72年控訴審で確定。それまで企業側は科学的証明が不十分として因果関係を否定してきたが、イ病訴訟原告は、地域の発症率などから原因を推定する疫学的手法で立証した。>とそれまでの個人ごと、原因物質ごとの因果関係立証から、疫学的因果関係による立証によりこれを代替する役割を裁判所が認めていったことを取り上げています。

 

このような疫学的因果関係論は一時相当人口に膾炙されたと思いますが、最近はどうでしょう。今回の福島第一原発事故での損害賠償論でどのような活用がされているのか、私は事件をフォローしていませんので、なんともいえませんが、相当後退してきた印象です。

 

<元環境事務次官で一般財団法人「日本環境衛生センター」の南川秀樹理事長は、当時の住民運動や国の施策について「原因企業に公害防止や患者への賠償などを負う義務を確立させた。国の環境行政にも汚染対策事業を盛り込むきっかけになり、他の公害対策に大きな影響を与えた」と話している。【鶴見泰寿、森野俊】>というのはたしかに事実でしょう。

 

ただ、あくまで原因物質を特定し、その定量分析結果を踏まえて、閾値を超える排出を追求するということが、いつのまにか疫学的因果関係の基本要素になったような考え方が支配的になってきて、そこにこの考え方がある意味で使われにくくなったようにも感じています。

 

本来、疫学的証明は、原因物質の特定は必須ではないはずです。多様な有害化学物質が、特定できないものも含めて大量に排出され、それぞれの原因物質の定量分析結果では閾値を超えない程度のものであっても、それは疫学の因果関係証明としてはそれだけで否定されるものではないはずです。

 

四大公害訴訟で重要な役割を果たした疫学的手法、改めて問い直される時代かもしれません。

 

そんなことを考えながら、30分で終わらせました。また明日。


犯罪被害者の救済 <記者の目 道半ばの犯罪被害者救済>と<日弁連決議>を読みながら

2018-03-27 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180327 犯罪被害者の救済 <記者の目 道半ばの犯罪被害者救済>と<日弁連決議>を読みながら

 

今朝再びわが家から見える桜木を見ると、一本だけ三分咲きで、後は七分咲きと、淡い桃色がかった花びらが咲き誇っていました。そして和歌山まで往復しているとき、和泉山脈の麓がよく見えるのですが、桜木があちこちに点在していて、ほぼ満開の様子でした。

 

担当している刑事事件について昨日公訴提起があり、すぐに保釈請求したところ、今日保釈許可決定がされ、日本保釈支援協会の支援を受けて、裁判所まで保釈保証金を納付してきたのです。刑事事件が極端に少なくなり、久しぶりに担当し、それも数少ない保釈請求事案でしたので、事前準備よろしく対応しました。

 

最近はネットなどで、刑事事件専門とかをうたっている法律事務所に依頼するのでしょうか、あるいは当地は平和になって刑事事件がすくなくなったのでしょうか、後者のような気がしますので、いいことかと思っています。

 

ところで、弁護士というと、刑事事件の被疑者や被告人の弁護をする姿ばかりが目立ち、TV番組でも弁護士とはそのような仕事とみられている可能性があるかもしれません。

 

私の記憶するところでは、和歌山で起こったカレー殺人事件頃から、犯罪被害者のために弁護士が立ち上がり、その支援活動を次第に強化してきたように思います。最近は法制度も少しずつ整備されてきて、以前に比べると多くの弁護士が犯罪被害者のために活動する領域が広がってきたように思いますが、ま、なかなか認知されて亡く、緒についたばかりといった見方もあるでしょう。

 

さて今朝の毎日の記者の目では<道半ばの犯罪被害者救済 賠償の新たな枠組みを=袴田貴行(北海道報道部)>と、この問題のとくに経済的損害の回復という面に着目した記事となっています。

 

まず、制度はできたけど、成果が現れていないという問題点です。

<回収できないケースが大半>という見出しは、新しい救済制度の問題をデータを踏まえて指摘しています。

 

新制度は<凶悪事件の被害者や遺族が民事訴訟を起こす負担を軽減しようと、有罪判決を言い渡す刑事裁判の裁判官が被告に対する損害賠償請求も審理する損害賠償命令制度が2008年に導入された。>この制度自体は、わが国の法体系上、刑事裁判と民事裁判は別個の制度という仕組みの中で、画期的なものといえるでしょう。

 

ただ、私は35年以上前に起こったヨーロッパでの交通事故の事例で、イタリアでは刑事裁判と民事裁判が同じ法廷で審理されることを知り、当時から別々に審理するわが国の法制に改善の余地があるように思っていました。

 

被害者にとって、刑事裁判と民事裁判を別々に対応しなければならないのは、精神的にも肉体的にもきついことは明々白々です。交通事故でも死亡者の遺族は二度も審理を通じて苦しみを味わわなければならないのですから、つらいことです。

 

その意味で、08年の損害賠償命令制度の導入は望ましい前進であったと評することができるでしょう。なお、この制度については和歌山弁護士会の委員が<損害賠償命令制度の新設について>と題して解説していますので、興味のある方はクリックしていただければと思います。

 

記者がその制度の実態について全国調査した結果、<命令・和解額通りに支払われたのは9件のみで、賠償の回収率は22%。4割以上の24件は1円も回収できていなかった。加害者が収監されるなど支払い能力がなかったり、支払う意思がなく回収できなかったりするケースが大半だった。>

 

この制度の仕組み自体、本格的に争わない場合を想定していると思われます。この手続きに不満があれば、加害者側が異議を述べれば通常の民事訴訟となるわけで、ちょっと仕組みとしては脆弱ですね。

 

記事に掲載されている事案でも、行方不明とかで欠席判決であったり、上記のように元々お金がない、支払う意思がないので、争わず、命令なり和解なりが簡単に成立したのでしょう。

 

よくいう張り子の虎みたいなものでしょうか。こういったことは十分予想されるので、そういった手当を欠いている不完全な制度設計のように思えるのです。とはいえ、一部はこの制度で支払われたのですから、それなりに成果があったと見えるのでしょうかね。

 

しかし、犯罪被害者の気持ちを考えれば、費用をかけてこの制度を使っても、加害者のひどい仕打ちに二度被害を受けたような感じなってしまうのではないかと危惧します。

 

記事では、犯罪被害者救済のために、より実効的な制度を訴える主張を紹介しています。

<ドイツやイギリスで導入されている制度を参考に、生活が困窮する被害者や遺族への年金支給や医療支援などの制度を導入>あるいは

<国が被害者や遺族への損害賠償をいったん立て替えた上で加害者に請求する「代執行制度」の導入>

 

ところで、日弁連も、刑事弁護だけでなく、長く犯罪被害者救済にも取り組んできましたが、昨年10月に日弁連人権擁護大会で決議されたと思い、日弁連のホームページを検索したら次の決議(案)が見つかりました。

 

犯罪被害者の誰もが等しく充実した支援を受けられる社会の実現を目指す決議>です。

 

日弁連は一貫して刑事弁護を主たる中核にして活動してきたと思います。むろん最近は国内外の多様な問題に取り組んでいますが、その本筋は変わっていないと思います。とはいえ、2003年以来、犯罪被害者の権利に着目して、その確立を求めて、繰り返し決議など提言を行ってきたことも確かです。今回の決議は、その中でもかなり注目されてもよい内容ではないかと思います(私は恥ずかしながら今日初めて知ったのですが)。

 

決議は<犯罪被害者は「個人の尊厳が重んぜられ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利」の主体>であるとして、犯罪被害者支援のために5つの項目を挙げています。

1 損害回復の実効性の確保

2 経済的支援の充実と手続き的負担の軽減

3 公費による被害者支援弁護士制度の創設

4 性犯罪・性暴力被害者のための病院拠点型ワンストップ支援センターの設置と支援

5 犯罪被害者支援条例の制定

 

今回の記事との関係では1と2を取り上げてみたいと思います。詳細は上記の決議をクリックすれば12ページ程度の内容ですので、概要がわかります。実際は数100ページの報告書で詳細に言及していますので、より詳しく知りたい方は報告書にあたっていただければと思います(日弁連事務局に連絡すれば在庫があれば入手可能です)。

 

1については、日弁連も記事が指摘する実態を承知していて、<消滅時効期間の伸長>と<強制執行段階の制度として,被害者の申立てに基づき,国が加害者の財産情報について調査する仕組み>の創設を提言しています。ま、後者は、わが国の強制執行制度自体が抱えている一般的な根本問題ですので、養育費請求の実効性などとも関係します。

 

2については

<犯罪被害者が国家から補償を受ける権利があることを明記した犯罪被害者等補償法を制定し,経済的支援施策の抜本的な拡充を図るとともに,簡易迅速な請求手続を実現させ,補償項目や補償額を充実させることを求める。>と述べています。なぜ国の補償かについて、どのような法原理を考えているのか、これは報告書を読まないとわからないですね(読んでも簡単にわかるかどうか?)。

次の点は結構重要でしょうね。

<犯罪被害者が安心して医療的・心理的支援を受けられるよう,医療や心理療法等の無償提供(現物支給)の早期実現を目指すべきである。>現実にはある程度、PTSD対策を含めなされているのでしょうが、制度的裏付けがないと思われるので、制度化して充実したものにするのでしょうね。

次はやはり日弁連としては必須かもしれません。

<弁護士による法律的な支援を無償で受けられる制度の実現についても検討されるべきである。>

欲張った次の提案は興味深いですが、なかなか現実味がしないですね。ただ、刑事罰と同等、いやそれ以上に求められるかもしれません。ただ、すべて金銭的な解決というのもどうかと思ったりします。これから議論に花開かせれば、新たないい案が生まれるかもしれません。

<国の機関が犯罪被害者による強制執行を代行する制度,あるいは国の機関が加害者に代わって被害者へ賠償金を支払い,追って加害者へ求償する制度の創設についても,議論を深めるべきである。>

 

といった不十分な紹介で、本日は打ち止めとします。また明日。


公害訴訟と弁護士 <公害病訴訟半世紀の歴史的意義 温暖化、原発に教訓生かせ・・豊田誠氏>を読んで

2018-03-05 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180305 公害訴訟と弁護士 <公害病訴訟半世紀の歴史的意義 温暖化、原発に教訓生かせ・・豊田誠氏>を読んで

 

いや懐かしい顔が毎日朝刊の紙面一杯に掲載されていました。<そこが聞きたい 公害病訴訟半世紀の歴史的意義 温暖化、原発に教訓生かせ 全国公害弁護団連絡会議初代事務局長・豊田誠氏>にあった豊田誠さんです。彼の存在は、日弁連の活動の中でも異彩を発揮していた、一時代を築いたような印象があります。

 

豊田さんが大勢のいる会議で発言すると、その切れ味鋭い、本質をついた内容は、会場の多くの参加者には心の深いところに訴えるものがあったように思います。小柄な体格でしたが、よく通る声で、この分野のリーダーの一人として、体験に根付いた発言は心に響いていました。私もその一人でした。

 

四大公害訴訟は私が学生時代に新聞を賑わし、最も影響を受け、その後その担い手の人たちと交流の機会をもつことができました。

 

豊田さんは訴訟参加へのきっかけについて<1967年に若手法律家の研究会で誘われたのがきっかけです。翌年1月には、イ病治療の第一人者として知られる医師の故・萩野昇先生から「自分は医者として最善のことはやるが、患者を救済するのは法律家の課題ではないか」と泣いて訴えられたことに心を動かされました。弁護団は地元の故・正力喜之助弁護士が団長を務め、若手を中心に約30人が思想信条を超えて結集しました。イ病の悲惨さが弁護団を団結させました。>

 

これはイタイイタイ病事件だけでなく、熊本水俣病事件、新潟水俣病事件、四日市公害訴訟でも、若手弁護士が手弁当で主導的な役割をしているのです。ベテラン弁護士の多くは過去の裁判例から勝訴の可能性を見通せず二の足を踏んでいたのです。

 

ベテラン弁護士が豊富な体験から裁判事件を勝訴に導く可能性と、それが新しい問題だった場合に「賢明な判断」の基、訴訟提起を躊躇する可能性、リスクを回避する可能性とは、一定の相関関係があるのではと思うことがあります。

 

豊田さんをはじめ当時若き弁護士たちが、理論より、裁判例の蘊蓄より、患者・被害者の山上を眼の辺りにして、情感で訴訟参加を止められなかったのではないかと思います。

 

豊田さんは<強調しておかねばならないのは、イ病訴訟の勝訴によって公害被害者の「敗北の歴史」が「勝利の歴史」に転換したことです。公害の原点としては足尾銅山の鉱毒事件が知られていますが、四大公害病訴訟以前の日本の公害は、企業や官憲の抑圧により、ほぼ泣き寝入りの歴史でした。イ病での勝訴は、苦渋の歴史を歩んできた全国各地の公害被害者と弁護団に「やれば勝てる」という確信と勇気を与えました。>

 

私は後日、神通川のほとりに立って、そのような被害者、弁護団の思いをわずかながら感じたことを覚えています。

 

ところで、豊田さんは、<勝訴の背景には法理論的な発展もあります。>これは豊田さんが指摘している牛山積氏以外にも多数の法学者にとどまらず、垣根を越えた科学者の支援が幅広くあったことを忘れてはならないと思います。それもほとんどがボランティア参加でした。

 

四大公害訴訟は、もしかしたらそういうボランティア参加が垣根を越えた法学者・科学者の中で広がった最初の時期ではなかったかと思います。70年前後の安保闘争とは少し異なる闘いが地に着いた形で広がっていったと思います。

 

豊田さんが理論的な革新性として、<訴訟の中で、カドミウムとイタイイタイ病の因果関係をどうとらえるかが問題となったのですが、そこで出てきたのが早稲田大で教授も務めた牛山積(つもる)さんが当時提唱していた「疫学的因果関係論」です。>を指摘しています。

 

そうです、私も当時、この議論をわからないまでも勉強したように思います。この「疫学的因果関係論」が他の公害訴訟でも、常に基本的な要素となり、これによって勝訴を勝ち取ったいったと思います。

 

従来は、原因物質を割り出し、閾値を明確にし、閾値を超える質・量について、発生源から人体への影響まで、発生機序を科学的に解明して結果に導く証明が求められていたと思います。

豊田さんは<三井金属側は「カドミウムがどのぐらい体内で蓄積されると、どういったメカニズムで病気が発症するのか」について証明を求めたのです>と指摘している部分です。

 

これに対し<弁護団は、そういった「量と質」を証明しなくても、神岡鉱山からカドミウムが神通川に流れたことや、その水で米を育てるなどした地域と発病地域との統計的な相関関係を示すことができれば法的には十分だと主張し、判決でも認められました。>

 

話しは変わりますが、20年近く前でしたか、ある大きな訴訟について、豊田さんに弁護団長を頼んだことがあります。彼はもう私の時代ではないよ、君たち若い世代の時代だよみたいなことをおっしゃって、やんわりと断られました。

 

ところが、いま東京電力福島第1原発事故について、<「原発こそ最大の公害だ」と表情を硬くした。避難者訴訟には「弁護士人生をかけて飛び込んだ」という。80歳を超えても気力は衰えない。>一兵卒として、頑張っている姿が見えてきます。豊田さんらしい「高齢者」弁護士の姿です。

 

少し痩せた印象ですが、意気軒昂な様子を拝見し、今後も活躍されることを祈っています。

 

<私たちは今、公害被害者に寄り添い続けてきた人の怒りに耳を傾ける必要があるのではないだろうか。>と取材した古川宗記者の言葉も大事ですね。

 

ここで終われば豊田さんの紹介に終わるのですが、半世紀前に席巻した「疫学的因果関係論」について、当時の公害訴訟としては重要な役割を果たしたことを適切に評価すべきと思っていますが、現代の複雑多岐に進む科学技術の進歩は、それでは問題の解決にならないおそれを感じています。

 

そもそもこの考え方は、ドイツ法制を移入した「相当因果関係論」といった法概念を前提に、当時、深刻化しつつあった公害に対処するために、うまれた議論であったと思います。

 

そして現在も、常に原因物質は何か、その閾値は何かが問われています。ただ、科学的因果関係論として、そのような理解が適切かは改めて検討されるべき時代に来ていると思うのです。

 

そもそも疫学は、医学の世界で唯一の科学的な因果関係の成否を調査解析判断する分野ではないかと思います。その手法として、原因物質の特定は必須ではないのです。医師はこの薬はこの症状に効果があるとか、この病変の診断名は○○であるといった診断の根拠は、まさに疫学です。わが国では病理学が幅をきかしていますが、それだけで判断できるわけではないのです。

 

他方で、訴訟分野でいうと、北米での民事訴訟の因果関係は疫学的証明という確率論が中心とうかがっています(ま、20年近く前にアメリカ法の専門家からの聞きかじりですが)。

 

でなにを言いたいかというと、現代の大気汚染、水質汚濁による健康被害は、多様な化学物質による複合汚染が累積的に影響することにより発生している可能性があり、それは個別の化学物質の閾値とそれを超えているか否かといった考え方では、因果関係を解明できないというのです。

 

これは当時、うかがった津田敏秀岡山大学医学部教授の話です。私がお会いした頃はまだ講師だったかと思いますが、その情熱、議論は的確でした。上記の議論は津田氏の詳密な論文を十分理解できていない中で、記憶で書いていますので、話半分にしておいてください。

 

いま津田氏の因果関係論は、私の頭の中で支配しているもの、神経回路がのんびりむーどになって追いつかなくなって、彼の活躍を期待するのみです。