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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

登山の魅力とリスク <NHK 親子でHAPPY!百名山・・・>を見て

2017-04-30 | 自然生態系との関わり方

170430 登山の魅力とリスク <NHK 親子でHAPPY!百名山・・・>を見て

 

今朝も暗いうちから目覚めてしまいました。少しうつらうつらしている日の出の気配がししたので、耳を澄ますと、野鳥の朗らかな声が聞こえてきます。時折、鶏かな、甲高い声も混じって聞こえてきます。当地は地鶏がおいしいと銘打っていますし、実際、看板を上げている店で食べるとやすくて美味なのです。

 

高野の山々も濃い緑と淡い黄緑が混じって谷筋に走る稜線もくっきり見えてきます。鎌倉仏教の立役者、栄西、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍は比叡山で修行し、いずれも変革を訴え、新しい宗祖となっています。そのいずれもが高野山にも訪れていると記憶しています。高野山には空海が残した深いものがあるのではと思ったりしながら、眺めています。

 

比叡山といい、高野山といい、僧侶にとっては修行の場となる何かがあるのでしょうか。人里離れた山には、何か人が悩んだとき、苦しくなったとき、そこを歩くだけでも、あるいは一夜を過ごすだけでも、救いが得られるという気持ちになるのかもしれません。

 

いやいや、そこに山があるから登るのだというのが、多くの登山家の心境でしょうか。それに加えて花々、荘厳な滝、急峻な崖、頭上高くそびえ立つ針葉樹に木々、そういった山地景観や風景が人の心を誘うのかもしれません。

 

さて、本日のお題は、昨夜見たNHK番組<親子でHAPPY!百名山 ~高尾山・屋久島・大菩薩~ BY 水野・浅井・荒井>を楽しみながら、いろいろな思い出に浸りました。

 

高尾山は何度登ったでしょうか。数え切れないほどということはありませんが、それでも40年近く前から結構登りました。当初はバードウォッチング目的であったり、初日の出をみるためであったりでしたが、四半世紀前に一度東京都の環境アセスメントを調査する中で、高尾山にトンネルと通すという圏央道高尾山ルーツの問題に関わるようになり、ついには「天狗裁判」という名称で長い裁判闘争をしていく中で、高尾山を愛する大勢の人たちと知り合うようになり、その魅力にずいぶん魅了されました。

 

番組でもガイドの女性が裏高尾ルートから入り、多くの花を次々と取り上げて、同行した姉妹は最初きょとんとしていましたが、それぞれの花の魅力、多様性に魅了されて、どんどんはまっていったように思います。

 

番組では高尾山だけで植物種が1600種でしたか、とても多いことを指摘していましたが、標高600mしかない山なのに、イギリス全体よりも多いという記憶です(裁判で取り上げましたがいつの間にか記憶がおぼろげになっています)。種類が多いということだけでなく、固有種が多いのです。そしてブナ種としては南限に近いところに巨木のブナが風雪に耐えた姿を見せています。

 

その表面的な植生の多様性は、まさに日本列島の成り立ちとも関係するとうかがった記憶です。たしか小泉武栄東京学芸大学名誉教授に当時、いろいろお伺いし、証人として証言していただいたのですが、いつの間にかおぼろげな記憶しか残っていません。小泉氏はわが国の地形・地質のレッドデータを収集出版したりされていて、各地の特徴的な地形をも研究されていました。

 

で、高尾山や近くの八王子城跡のある山などは、造山運動で隆起し、地層が縦になっていて、脆い状態になっているそうです。その脆い地層・地形が植物の多様性を育み、昆虫や動物も極めて多く棲息しているといった話しだったように記憶しています。15年以上前にうかがった話しのため、どうもいけません。

 

いずれにしてもこの植生を中心とする生物多様性の豊かさは、現代の首都圏で生活し働く人にとっては、心の救いの場所になっているといってもいいほどです。職場や学校での精神的に追い込まれた日々の中で、高尾山を散策することで癒やされるという人がとても多いのです。都市圏で年間300万人が訪れる山は世界中探してもないと思います。ミシェランの3つ星でしたかランクインしていますね。

 

親子で登るのにも、たくさんの散策ルートを用意していますので、それぞれの運動能力や体調に合わして登ることができます。疲れればケーブルカーやリフトがあるので、これを利用すれば楽ちんです。

 

ただ、私自身は親子登山と言うことでは、この番組で親子登山をガイドされている登山家のアドバイスと真逆のことをしてしまいました。たしかまだ23歳くらいのとき上の子を連れて高野山を登り降りしました。さすがに疲れ果て途中からは私が負ぶって下りました。それ以降、私と一緒に登山をしようとは言いません。その前には、1歳未満くらいで沖縄に連れて行ったときプールで一人泳がせようとしたら、溺れそうになり、それ以降しばらくプールを嫌がっていました。親としては失敗の連続です。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」とか、アメリカのレポートで赤ん坊は胎内から泳げる能力を持つなんてのを、実際やる親はいませんね。

 

次の屋久島はなかなか行くことが出来ない場所ですが、四半世紀前に一度、日弁連調査で訪問しました。縄文杉は林野庁の所長の案内で訪れ、まだ世界遺産登録もしていないときでしたので、ウッドデッキもなく、まさに直接触れてその鼓動を感じ、大きさを体感しました。ずっと所長の話を伺いながら歩いたので、ウィルソン株とか夫婦スギとかは別にして、あまり風景を楽しまなかったのは残念でした。当時、訪問者が多くなり、登山道の土が削れてなくなっていくというので、地元の小学生とかが土を担いで持ち上げていたという話しを伺った記憶です。その点、番組では小学1年生の子が登っていましたが、ただ登るだけなら、縄文杉まではさほどきつくないですし、とくに保護のために木の根を痛めないように、登山道が木道になっているようですので、安全な登山ができるでしょう。

 

しかし、ウィルソン株の頭上を見上げると、ハート型に開いているというのは、驚きです。忘れてしまったのか、当時気づかなかったのかは覚えていませんが、それよりも株自体に荘厳さを感じて、おそらくそのような形状にあまり関心がなかったかもしれません。

 

屋久杉もたくさん切られてしまっています。固有の価値を的確に評価していなければ、その後も切られ続けたのでしょう。さまざまな保護政策、林野庁は保護林制度を発展させ、森林生態系保護地域に、環境省(当時の環境庁)は原生自然環境保全地域などに指定して、制度的には一定の保護が確立してきたと思います。入山制限や保護施策、ガイドツアーなどを徹底しつつあるかと思います。

 

とはいえ、カナダの国立公園や州立公園などで、屋久島同様の、原生自然のごとき苔むした針葉樹林帯を歩くとき、必ずレインジャーの案内で、一定のルートしか進めない制度と比べると、まだまだの感はあります。

 

とはいえ、目標地点だった、宮之浦岳への登頂は、季節外れの積雪を受け、中止した判断は適切でした。幼い子を連れて、さほどではないとしても積雪の宮之浦岳を登ることはリスクが大きすぎます。まして雪上登山の経験もないでしょうから、適切な判断でした。

 

最後の大菩薩嶺は登山口から深い積雪でしたが、小学1年生でしたか、都会の子どもは雪を見る経験があまりないので、はしゃいでいました。わが子も北海道に連れて行ったとき、初めて1m近くの積雪を見たとき、兄弟が雪の中で我を忘れたように遊んでいました。子どもは、良寛さんの前でも無邪気に遊ぶように、雪は楽しいものなんでしょう。

 

このときも、天候が悪く、登頂を断念していますが、登山は頂に立つことだけが目的ではないですし、リスクを少しでも感じたら、回避するのが適切な判断でしょう。それは一番弱い人の体力・体調を見て、判断することでしょう。

 

その代わり、父親の薪割りを見る機会を得たのは子にとって特上の経験ではなかったでしょうか。元世界チャンピオンボクサー、内藤大助氏が斧を振り上げたときは驚きました。すぱっと丸太を割る姿、腰の据わり方、それはTVの時代劇や映画などで薪割りを見ていて、演出家の不徹底を感じてしまう私にとっては、美しさを感じた瞬間です。

 

私も、昔、薪割りをして風呂を沸かしていたことがあります。だから、斧で薪を割ることは緊張しつつ、すぱっと割れた瞬間は気持ちのよいものだということを体が覚えています。そして日本人は、維新時に異邦人によって撮影されたその体躯は見事に腰の据わった姿であり、体全体を使って働き生活してきた民族であることを示していました。

 

いま薪割りをするような機会はあまりないでしょう。いや腰を使って体全体で作業をするということも少なくなったでしょう。私もその一人です。腰痛に悩まされ、歩く姿勢、普段の姿勢もとても魅力的とはいえないと思います。

 

内藤さんは、がに股ですが、あの薪割りの姿はとても美しく、見事でした。そういう日本人が長い間かけて培ってきた所作の多くは失われつつあるようです。

 

登山という行為は、登り方、降り方で、腰の使い方、膝の使い方が異なると思います。平坦な道を歩くウォーキングでは得られない、体全体の機能を見直す機会かもしれません。そして自然という多くの危険をはらんだ対象と向かい合い、リスクの評価と回避をしっかり判断する、そういう能力を子どもたちも少しずつ身につけていけるのではないかと期待したいです。

 

今日はこの辺で終わりとします。


動物園と法律 <動物園とは何か 法学の視点から考える>を読んで

2017-04-22 | 自然生態系との関わり方

170422 動物園と法律 <動物園とは何か 法学の視点から考える>を読んで

 

今朝の早暁は曇り空でどうなるかと思っていたら、どんどん青空が広がり、おかげで汚れたベランダの床掃除にはちょうどよかったものの、太陽の光が熱く感じるほどでした。

 

それでも早朝は涼しいというか寒いくらいで、その中を今日も一筆啓上・・を高らかに謳っています。そのホオジロがヒノキのてっぺん、穂先の上でまるでダンスをしながら謳っているようなので、100倍ズームのビデオカメラでのぞきました。もう10年近く前のカメラなので画素数も最近の物とは比べようもないほどで、やはりぼけて見えます。とはいえ、30mくらいしか離れていないので、ホオジロの鳴きながら頭を体を揺らしている様ははっきり見えます。なんともかわいらしいものです。

 

昨日は久しぶりに昔の仲間Hさんから電話があり、相変わらず水質浄化に係わる(そんなレベルではないのですが、あまり一般受けしない言葉なので今回は直截な表現は避けておきます)研究をしているそうです。私の方はこのブログ三昧で日々を送っていることを伝えました。読み人知らず、というか読んでくれる人がいればそれはありがたいですものの、これはなんども書いていますが、私のエンディングノートで、いまは親のやることに関心を抱かないわが子がいつか興味を持ったとき、私が唯一残す物としての意味合いをもっているかなとHさんにも話しました。実際のところそれは余禄であって、やはり千日回峰行はできないけど、それにあやかるというか、そんな毎日を送る気持ちで書いています。

 

だから一人黙々と書くことに意味があるのかなと思っています。酒井大阿闍梨も、誰が見ていようがいまいが関係なく、歩くことにのみ集中していたからこそ、生死の狭間を行き来しながらも達成できたのでしょう。私の場合は生死の狭間とは縁のない状況で、ただ、書くことによって、自我を没却できるのではと半分期待しつつ、書いています。

 

さて、本題に移りたいと思います。先般、学芸員を一掃すべしといった暴言・虚言を批判的に取り上げた際、私もいい加減な理解で、批判的な言辞を述べてしまったことを反省する意味で、とりあげようかと思った次第です。

 

そのとき、博物館法に学芸員が有能な資格者として規定されていることを指摘しつつ、同法で動物園・水族館・植物園なども対象となっていること、そして上野動物園など著名な動物園・水族館の一部を取り上げて、創意工夫を繰り返しながら運営していること、それが学芸員の活躍もその重要な要素であるといった趣旨の指摘をしたかと思います(振り返って読むことはほとんどないので記憶です)。

 

しかし、博物館法はたしかに動物園・水族館などをも対象としているというか、対象から除外していないのですが、明示的に取り上げていないだけでなく、まず同法の対象になるのは登録していることが前提です。私が取り上げたいずれも著名ですし、大規模な施設ですので、登録しているものと錯覚していました。しかし登録されていませんでした。

 

このことは、今日、久しぶりに「環境と正義」という機関誌を読んで、気づいたのです。これは私が所属している日本環境法律家連盟が毎月発刊している環境関連の情報誌といってよいかと思います。大学の教師から弁護士、環境に係わる運動家、ジャーナリストなど多様な筆者によるオリジナルな情報が毎回盛りだくさんです。最近はどうも気分が乗らず、あまり読むことがなくなってきたのですが、つい目を通して、動物園のテーマに惹かれてしまったのです。

 

筆者は諸坂佐利(神奈川大学法学部)氏で、タイトルは「動物園法学事始め 第一回 動物園とは何か 法学の視点から考える」というものです。諸坂氏によると、「現在登録されている動物園は唯一、日本モンキーセンターのみです。」私が何度もいったことのある井の頭、上の、ズーラシアですら、登録されていないのです。先のブログで引用したすべてが登録されていないようです(諸坂氏は動物園のみをとりあげていますが、水族館も同様と思います)。

 

では、博物館法は、動物園や水族館を対象としていないのでしょうか。いやいやちゃんと登録審査基準を設けています。旧文部省が昭和27年に「博物館の登録審査基準要項について」と題する通達で、上記を含め多様な施設を登録の対象としていることが分かります。でも結局、登録してこなかったのですね。その理由は、次の諸坂氏の論文で言及されるのではないかと期待しています。

 

では動物園には法的根拠がないのか、法的規制はないのかというと、いくつか関係する法律が諸橋氏によって指摘されています。まず動物愛護管理法です。といってもこの法律は私も紀州犬による咬傷事件で少し勉強しましたが、ピットなど多様な動物が対象で、動物園プロパーとはいえません。

 

諸坂氏は、動物愛護管理法の「愛護」という表記について、英訳では”the Act on Welfare and Management of Animals”とされていることから、明らかな誤訳ではないかと指摘しています。そのうえで、「動物福祉とは、その動物“種”「にとって何が福祉(=幸福)か。その種の本能や習性、食性、棲息環境を客観的に、すなわち科学の目をもって研究することを前提とした議論です。」とまず前提を指摘します。ここから「昨今の日本の動物園・水族館に対する海外からのバッシング、たとえばイルカ問題(和歌山県太地町立くじらの博物館)やゾウの花子の飼育環境問題(井の頭自然文化園)は、ここに元凶があるように考えています。」と指摘しています。

 

私自身、四半世紀前、日本生協の研究会で、捕鯨問題などについて、生態学者や獣医学者などと議論する機会があり、いまなお伝統的な狩猟採取方式を継承する日本の地域文化的価値と生物種の保護の面とをいかに両立するべきかについて結論が出ていません。その直後頃からカナダ北極圏の先住民イヌイットの人たちに会い、狩猟制限されて、銃をもたなくなったとか、酒におぼれて体を壊してしまったとか、そういう現状を垣間見たとき、どのような伝統と生物種の保護の調和的解決が可能か、今なお悩ましい問題だと思っています。

 

諸坂氏は、上記以外に、動物園に係わる法律として、都市公園法や自然公園法を取り上げています。しかし、いずれも施設を規制する趣旨であって、諸坂氏が指摘するように、動物園のソフトローという重要な部分が抜け落ちています。いや、自然公園法ではより事業計画などで本来の対象である自然と溶け込めるような動物園施設管理が可能ではないかと思うのですが、環境省にはそのような視点がないのでしょうか。都市公園法についても、現在では画一的な施設整備、広場整備といったものから、たとえばドイツの都市公園のごとく自然林を含め自然を取り込んだ公園形態を認める方向もあるのですから、運用次第で、動物園を取り込んで新たな管理ルールを設けることも可能ではないかと思うのです。

 

そのような法律の世界とは別に、諸坂氏は、公益社団法人日本動物園水族館(JAZA)のホームページにある動物園の4つの役割を援用しながら、ハード・ソフトを備えた国立動物園といった制度が必要であると述べているのかと思います。JAZA加盟の園が90で、全体の5分の1に満たず、その9割が自治体の公立動物園であるとのこと。それが問題のようですが、国立動物園を必要とする趣旨はわからなくもないのですが、公立だと問題であるかのような議論はまだ釈然としません。

 

むろん諸坂氏が指摘している札幌市立円山動物園で発生した「マレーグマ ウッチーの死亡事故」やそれ以前から繰り返し起こっている各種の死亡事故は非常事態といってよいと思いますので、きちんとした対応が求められるところでしょう。とはいえ、自治体立動物園だから、民間の動物園だから、問題が起こるということや、管理に限界があるというのは、一面ではそういえるかもしれませんが、それぞれの特徴や地域特性を生かすことも大事であり、国による管理が必要とまではいえないように思うのは、実態を知らないためでしょうか。今後の諸坂氏の立論を期待したいと思います。

 

なお、札幌市は上記マレーグマ事件について、動物愛護管理法に基づき、改善勧告を発出し、それに対して動物園側は改善計画書を提出しています。その妥当性については、ウェブ情報では概要にすぎないので、あまり当否を論ずることが出来ないのは残念です。


湿地の現代的意味 <諫早湾堤防閉め切り20年 漁師と農家、根深い対立・・>を読んで

2017-04-15 | 自然生態系との関わり方

170415 湿地の現代的意味 <諫早湾堤防閉め切り20年 漁師と農家、根深い対立・・>を読んで

 

有明の中、窓の外には少しかけた望月が残っています。そろそろ野鳥たちも目覚めの時でしょうか。するとちょうど聞こえてきました懐かしい鳴き声ピッピチュ・ピーチュー・ピリチュリチュー」です。この聞きなしは「一筆啓上仕候」(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)なんて言われていますが、私の偏屈な耳ではとてもそう聞こえません。ともかくかわいいホオジロのつがいが庭木に泊まって鳴いています。

 

そういえば昨日のツバメは、私がうっかり?窓を開けて出ていたので、帰ると置き土産を残して立ち去っていました。むろん気分のいい餞別とは言いがたいですが、あちらこちらに小さな塊がありました。

 

この程度はかわいいもので、西欧各国の都市部で騒がれるスターリング(ムクドリ)の糞と騒音は愛鳥家でも閉口するでしょう。とはいえわが国でも不忍池や首都圏各地で多少とも問題にはなっています。それでも愛鳥家や生き物との共生の思想が根付いているせいか?さほど大きな問題になっていないようです。カラスの場合は別ですが。

 

その思想の根底はというと、仏教思想でしょうか、いやそれ以前の縄文時代から伝わるものでしょうか。いずれにしてもいまでは山林草木悉皆仏というのは人口に膾炙しています。それは先のブログで引用した(?このブログでなくfbで議論したかもしれません)『森の生活』を発表し、自然保護の父とも評される19世紀半ばに現れたヘンリー・D・ソローや20世紀初頭にリードしたアルド・レオポルド(『野生の声が聞こえる』の著者)よりもずっと以前に日本人の中に育まれた思想ではないかと思うのです。

 

その意味では、南方熊楠はすごい人ですね。彼については、一昨日の毎日夕刊で取り上げられていて、このブログのテーマにしようかと思ったのですが、あまりに超越した博物者で行動力も卓越していて、なかなか一筋縄ではとらえきれない人ですね。とはいえ、彼を日本における自然保護の創始者的存在とすることには疑問を感じています。たしかに神社合祀反対運動などを通して神島などの自然生態系を保護する鬼気迫る運動を行ったことは確かでしょうが、彼には自然保護という観点はさほど明確にあったとは思えないのです。

 

その意味では、19世紀末に生まれ日本野鳥の会の創始者である中西悟堂の方がふさわしいかもしれません。でも私はあえて5代将軍綱吉を上げたいと思っています。彼の治世では、生類憐れみの令が悪名高いものとして常に取り上げられ、問題にされてきたように思います。しかし、そもそもそのような法令自体存在しないし、個別に多くの生態系保護に匹敵する法令を発布しています。私自身、まだきちんと検討していないので、それらの散在する法令の意義・効果について、しっかり整理できていないことから、このような評価は根拠なしと批判されてもやむを得ないと思っています。

 

しかし17世紀末の段階で、世界広しといえども、これほど多様な生物の保護を徹底した国は日本だけだったのではないかと思います。彼が好きだった犬だけが保護の対象であったわけでありませんし、他方で、犬を殺したり、魚釣りをしたりしたら、直ちに厳罰になったわけでないことは、とりわけ地方では当然のことだったようです。

 

さて前置きはこの程度にして、本論に入りたいと思います。毎日記事<クローズアップ2017 諫早湾堤防閉め切り20年 漁師と農家、根深い対立 地裁と高裁、判断正反対>は深刻な問題を提起しています。

 

有明の海、有明海は豊饒の地(湿地)でした。諫早湾はその地形的特徴から海水と淡水が入り交じり、出入を繰り返す中で、豊かな海産物、生物の宝庫として、湿地の一つである干潟を形成してきました。

 

ところが、農業が長期衰退する中で、狭小農地、零細錯圃の農地形態が一般的である西日本では、競争力のある農業、若い農家が起業できる一定規模の、そしてインフラ整備した農地を必要としていたという状況が長く続いていました。

 

諫早湾を閉め切り、海水流入を阻止することにより、そういった競争力のある農業に提供する農地を造成することが可能になるといったことが農政の長年の願いだったのでしょう。しかし、それは堰の鋼板が一斉に海に落とされ、閉め切られた瞬間、「ギロチン」と漁民をはじめ関係者から発せられたことに現れているように、まさに豊饒の地、湿地の価値を失うに等しいものでした。

 

その後、漁民、漁協からの開門を求める仮処分申立や損害賠償請求訴訟、それに対し農家、営農者から開門禁止の仮処分申立や損害賠償請求訴訟が、それぞれ地裁、高裁で争われていて、容易に決着できない状況にあります。

 

私自身は、四半世紀以上前から湿地保護の立場に立って少なからず運動体の一員として活動してきました。そして日弁連では、湿地保全を目的とした人権大会シンポジウムを福島で開催したのは0210月でした(このとき福島県の東西南北を走りましたが広さに驚き、また美しさに感激しました、原発被災の悲惨さを感じています)。このときの日弁連として「湿地保全・再生法の制定を求める決議」を発表しました。

 

そして日弁連は翌0310月には、この干潟閉め切り問題を取り上げ、「諫早湾干潟の再生と開門調査の実施を求める意見書」を発表しています。それからすでに約14年経過しています。いまなお解決の糸口が見いだせない状況は、やはり初期段階の検討が不十分であり、地域の実情に応じた関係者からの切実な意見聴取を繰り返し行い利害調整して、結論を導くべきであったように思うのです。

 

すでに閉め切った状態が長期化していることから、この状態を踏まえて丁寧に双方当事者の意見を改めて聴取し、弾力的な解決を望みます。双方の意見の一致を見ることは可能性としてはほとんどないかもしれません。しかし、この問題は当事者だけの問題ではないと思います。国民の多くから、そして将来世代への責任という観点からも関心が寄せられており、なにが望ましい公益かを具体的な議論を踏まえて結論を見いだして欲しいと思うのです。

 

ところで、この問題とは異なるものの、東日本大震災の復興計画で早々と決まり実現しつつある巨大防潮堤は、私には諫早湾閉め切りの二の舞のように思えて仕方がないのですが、これも湿地の価値を重視する立場からかもしれません。

 

なお、一言付言すれば、農地、とりわけ水田もまた重要な湿地です。そもそも湿地地帯から多くが水田に変わっていったというのが奈良盆地や古代河内湖の土地利用であったようにおもうのです。ある意味、農業は自然破壊の側面を持っているわけです。だからこそ縄文人は長く抵抗してきたのではないかと思ったりしています。とはいえ、水田も生き物の宝庫です。福岡で「農本主義」を進めている宇根豊氏は「農とは人間が天地と一体になることだ」と語る百姓の言葉を引用しつつ、自ら百姓こそ生き物と共生する本来的な職業であり、資本主義に対抗できる仕事であることを自負しています。

 

法律論も重要ですが、宇根流の農本主義であれば、漁業との共生、湿地生態系との共生も可能ではないかと愚考するのです。


スズメバチ事件の顛末その7 生き残りの戦略

2016-10-27 | 自然生態系との関わり方

スズメバチ事件の顛末その7 生き残りの戦略

 

先日、議員のAさんに連絡して、スズメバチの巣撤去のお礼を言いました。やはり一時間近くかかったとのことでした。巣はかなりでかかったと地元の彼も驚いたようです。

 

とはいうものの、竹藪を密集した状態にしていると再び巣をつくるかもしれないと思い、今朝、真竹や篠竹の密集したのを伐採に出かけました。巣があったところは、ヒノキの切り株(30㎝くらい)に密着した場所でした。やはり隣家のBさんの竹藪でした。

 

Bさんは80歳をすぎ現在、介護を受けており農作業ができなくなっています。奥さんは最近、亡くなられ、田畑の管理ができなくなっています。竹藪は私が当地にやってきた頃も管理されておらず、私がわが家の竹藪を間伐する合間に少しだけ切っていたのでした。私も体調不調が年柄年中なので、自分のところもなかなかやりきれない状態で、隣家はここ数年手が回りませんでした。

 

それで今朝はしっかり見通しのよい竹林にしておこうと、真竹や篠竹を切り始めました。ところが、しばらくすると背後でなにやら飛び交っています。アブかブヨかと振り向くと、なんとスズメバチです。数匹で、それも小型、幼いハチでした。

 

実は昨日、和歌山市からの帰り、来月ウォークイベントで訪れる宝来山神社を訪れたのですが、そのとき先月新築された拝殿の軒から私の周りをブーンと一匹のスズメバチが飛び回っていました。これは大きく大人で今朝のと比べると3倍はありました。といってもスズメバチは攻撃してくることは滅多にないので、こちらが襲わない限り、慌てふためかなければ大丈夫です。

 

が、今朝のスズメバチは撤去したはずの巣の周辺を飛び交っていましたので、その周りで竹を切っている私に攻撃してくる危険が高いのです。場合によっては仲間を呼んでくるかもしれません。これはまずいと思い、一旦立ち退きました。

 

まだスズメバチが飛び交っているということは、取り除いたはずの巣の下に、まだ女王ハチの巣が、安全策を講じて二段式構造で(?)で、作られていた可能性が高いと思うのです。遺伝子継承の本能的な戦略でしょうか。

 

とはいえ、このまま放置するわけにはいかない、来年になればまた大きくなって、危険な状態になる。スズメバチの生命維持を妨害するのは気の毒ですが、これは人間が適切な管理をすべき里山を放置した結果であり、やはりこの密集した竹藪を、長岡京や嵯峨野の竹林とまではいかなくても、見通しのきく竹林にしないといけないと思い至り、周辺から伐採をすることにしました。巣の近くは最後に残し、いつでも逃げられるように、遠回しに竹藪を間伐しようと再開しました。

 

こうなると一週間くらいかけて、この巣の撤去をやることになりそうです。なかなかスズメバチ事件は終了しないようです。


スズメバチ事件の顛末 その6 松原保全と化学物質過敏症

2016-10-23 | 自然生態系との関わり方

問題5 駆除により健康被害の責任如何の問題です。

 法令の駆除基準がある場合の裁判例(平成2472日宮崎地判・判例時報2165128頁)を取り上げますが、判決が取り上げた双方の主張立証からすれば(それが問題になりますが)、標準的な判断ではないかと思います。

 舞台は宮崎県の日向灘に面する一ツ葉海岸松林で、松食い虫防除の薬剤空中散布が問題となった行為、散布により健康被害を受けたと主張したのは近隣住民です。

 一ツ葉海岸松林は、江戸時代に潮害対策等で植林され、10km以上の砂丘海岸に沿って続広大な松林となっていて、見事な景観美となっています。その一画にある阿波岐原(あわきがわら)は、記紀の世界では黄泉国から帰ってきたイザナギが同名の地で禊祓いをして、アマテラスやツクヨミ、スサノオを誕生させたとされています。ま、日本を創造した神様の誕生の地ということで、なんともめでたい場所となっています(といっても具体的な場所は定説がないようですが)。

 ところが、松原は松食い虫にやられた結果、ほっそりしたものが多く、健康的とはいえません。そこで宮崎県は、森林病害虫等防除法に基づき、松食い虫駆除のための薬剤空中散布を毎年実施してきました。

 原告となったAさんは、平成13年広島県から転居して一時期を除き継続して松原の近くに住宅を構えて居住してきましたが、この薬剤散布により化学物質過敏症その他の健康被害を受けたと主張して、平成22年県を相手に国賠訴訟を提起したのです。

 争点の概要は、①空中散布の違法性については、防除実施基準に違反するかどうか、②Aさんの健康被害と空中散布との間に相当因果関係があるかという点が問題となりました。

 駆除を含めた防除実施基準は、上記の法で国(農水大臣)が定めるものと、知事(本件では宮崎県知事)が定めるものとがあり、それぞれの基準適合性について双方の主張は対立していましたが、判決は②の争点について否定的判断をして①については判断しませんでした。

 ですが、あえて私なりに争点①について触れてみたいと思います。

 防除実施基準は、ア)対象森林の基準、イ)周辺の自然・生活環境の保全、ウ)農業漁業への被害防止措置、エ)薬剤防除に関する事項があります。

 で、ア)の対象森林については、防除実施基準では「家屋等の周辺の森林以外の森林」(例外規定あり)となっていますが、散布区域がA宅から75mしか離れていませんでした。空中散布の場合、75mは一般的な解釈としては周辺の森林とみるべきではないかと思います。しかもAさんは体調不調を訴えていたのですから、例外規定には当たらないと思います。これに対し県は、東側が海で、西には対象とならない防風林があるとか、低濃度の薬剤使用、風向き、風速等を注意するので、上記の森林に当たらず、問題ないと主張していますが、これだけだと、この点は松林保全を過度に優先し、安全配慮を軽視したものとの疑義を生みます。その他の問題は省略します。

 次に、判決が否定した健康被害への因果関係ですが、判示事実によると妥当な判断ではないかと思います。

 判決は、Aさんが転居前から耳鳴り、めまいなどで脳神経外科の診療を受けていたこと、平成19年、21年、22年に、同様のめまい、ふらつき、のほかに、多様な症状を訴えていたことに加え、家庭の事情も不安要因であることが指摘されていること、他方で本件薬剤のフェニトロチオンの急性毒性が低いことや体内での長期残留性ないこと、大気中の濃度として気中濃度評価値が設定されているが、散布区域内やA宅前で測定した気中濃度は当該設定値よりも大きく下回っていたこと、他の近隣住民から被害の報告がないこと、化学物質過敏症については定まった知見ないことを指摘して、因果関係を否定しています。

 たしかに判決の判断は多くが合理的なものと共感すると思います。ただ、もし広島県在住の時、すでになんらかの要因で化学物質過敏症に罹患していた、あるいは体が汚染されていたとすると、いかに低濃度で残留性が低い薬剤であっても、影響を受けうることは多くの化学物質過敏症の患者の訴えから無視できないと思います。むろん近隣住民から健康被害の訴えがないことは十分な反証にはならない場合があると思います。

 私自身は化学物質過敏症ではないと思っていますが、都会のさまざまな異臭に過敏に反応するようになりました。空気のきれいな田舎に住み、なんとも気持ちのいい毎日を送っていたのですが、近隣が定期的に行っているGAPで指定されている農薬散布や、刈払機・バイクからの排出ガスの臭いで相当影響を受けることがあります。いずれも最近は低濃度になっているのですが、地域で慣れ親しんだ人がもつ抵抗力といったものはなかなか順応することが容易でないと考えています。これは都会居住に慣れた人が田舎に移る場合の一つの注意事項ではないかと思います。

 その点、本件ではAさん自身、転居の際、農薬散布といった定期的に実施している実情を知って、できるだけ松林から離れた位置に住居を構え、住宅の構造に配慮したり、散布期間中は逃避するなど、いくつか被害回避の方法をとっておく必要があったかもしれません。

 化学物質過敏症は、より本質的な問題は、多種の特定できない大量の化学物質汚染によって発症するという点ではないかと思います。その意味で、特定の化学物質だけに着目する判断では限界があります。ただ、私が担当した東京都杉並不燃物中継所事件で、公調委の原因裁定は、原因物質を特定せず、また、閾値を超える濃度であったかを問わず、因果関係を認めています。今後このような科学的な議論が深まるといいのですが。