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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

情報化施工 <働き方改革を促すデジタル野帳「eYACHO」・・>を読んで

2017-04-24 | AI IT IoT

170424 情報化施工 <働き方改革を促すデジタル野帳「eYACHO」・・>を読んで

 

今朝も快晴でした。昨日やり残したサンルーフ用ポリカーボネートの波板屋根を取り付ける作業を早朝からやり始め、ようやくできあがりました。この波板を取り付けるのに、穴を開けないといけないのですが、少しけちって安物の充電式ドリルを買ったところ、力がなく、やり方もよくわからなかったため、途中で充電が切れ、波板6枚に一枚につき9個の穴開け作業を予定していたのですが、6枚の端っこだけ穴開けが終わったところで充電が切れてしまい、そのまま放置していると風で飛ばされる状況でしたので、仕事に出る前に作業を終える必要があったのです。

 

ところが、昨日と打って変わって、作業が迅速になりました。ちょっと押さえ込むとあっという間に穴が開きました。安物だから力がないと勝手に思い込んでいたためで、要領が分かると、どんどん穴が開いていきました。でも最初は丁寧でしたが、どんどんあらっぽくなり、少しずれても平気で開けていましたら、波板の底付近に穴を開けてしまい、すると押さえつけるピン状のものがきちんと止まらないで、ぶらぶらしています。一つくらいはいいかと、にわか大工ですので、自分で納得。少し高い位置での作業ですので、滑り落ちると骨折してしまう危険があり、無事終えてなによりです。

 

素人ながら、適当につくったサンルーフですが、意外といい感じになりました。ついでに買ってきたロープ、長さがたっぷりの20m。これは林業家の人も使うそうで、とても強くてしかも柔らかいのです。これで今度は擁壁の上り下りにチャレンジです。週末でもやってみようかと思います。

 

そして今日は和歌山を往復しました。今回の裁判は第一回なので、簡単に終わりましたが、久しぶりに大勢の弁護士を相手にすることになりました。答弁書をしっかり書いてくる人、三行半ではないですが、請求棄却だけ書いて、次回に認否反論をする従来型の人、当日答弁書を出す人、いろいろです。中には依頼人に判断能力が疑わしいので成年後見の申立をするかもしれず、後見人が選任されれば同人が当事者となるので、本日は傍聴だけの人と、弁護士の対応もいろいろでした。

 

裁判はともかく、和歌山を往復するドライブが最近、楽しくなってきました。体調がよくなってきたことも大きいですが、山並みの形状に加えて、針葉樹と広葉樹の針広混交林が自然に混じり合っていて、広葉樹の新緑が黄緑色や少し赤みがあり、濃い緑の針葉樹との対比がとてもきれいなのです。よそ見運転はいけませんが、高速道路を走りませんので、さほど交通量も激しくなく、右に紀州の山々、左に和泉山系を見ながら走っていると、まるで絵画が展覧会のように並んでいるように感じるのは私だけの異常事態でしょうか。

 

昼過ぎからは曇天となり、大きく雲が張り出し、山頂も山腹も少し薄暗い印象を感じつつも、そこに光りが差し込むと、さっきのモザイク状の明るい黄緑色と濃い緑とがなんともいえない形状で、心をやわらげ楽しませてくれるのです。

 

ときおり濃い緑の針葉樹林帯が広がるところがありますが、きっと国有林ではないかとか、谷間付近は濃い緑が縦に続いていたりすると、谷斜面に植林されたヒノキかななんて想像したりしながら、走っていました。

 

さて、そろそろ本日のお題、情報化施工について触れてみたいと思います。今朝のスマートジャパンからのメールに<建設現場を“手書きの苦労”から開放、施工管理向けWebサービス>の記事が掲載されていて、ちょっとのぞいたら、少し前のニュースですが、<情報化施工:働き方改革を促すデジタル野帳「eYACHO」に意思疎通の新機能>というのがありました。

 

野鳥でなく、野帳は現場で作業する人にとってはなくてならないものですね。手書きでいつでもどこでも自由にかけるので、手軽で便利で、しかも情報価値が第一次情報源ですので、とても信頼性が高いですね。しかし、この情報化社会ではPC入力となると、なかなか大変です。そのため情報の集中に手間と時間がかかり、上部の意思決定までに時間がかかることや、内部的にも情報共有がそれだけでは困難です。

 

日報などをいかにして迅速かつ客観化・データ化できるかが、ここで取り扱われている建設現場に限らず、どこの現場でも大きな課題でしょう。

 

JUSTSYSTEMSと大林組が共同して開発している「eYACHO」はそんな課題解決機能を追求しているようです。ネーミング自体は一般的ですが、もし手書き入力でデジタル化、データ化が図も写真も文字もできるのであれば、これは有用性があるでしょう。

 

さらに応用してよりデータ処理が迅速化、合理化でき、目的に合ったものができると汎用性が高まるでしょう。

 

私もいま、林業作業の日報をいかにデータ化して、その後の業務処理および管理会計にスムーズに連携処理できるかを検討していますが、このデジタル野帳の将来性を期待したと思います。

 

すでに今日見てきた山林の林相、状態については、ITソフトがどんどん導入されていて、

航空写真で林相の違い、地形の違いが相当程度デジタル処理ができつつあるようです。それらが今後、地籍調査、境界確認の作業にも効率化をもたらすかもしれません。また、林業の世界でも山林の相続の場合にその財産評価が問題になることもあります。そのような場合でも現場踏査した野帳からあっという間に林齢・林相・道路からの距離などがデジタル化できれば、便利だろうなと思ったりします。

 

もう20年以上前、アラスカで環境関係の会議があり、そのとき太平洋沿岸の各国からエキスパートがやってきていましたが、アメリカの名称をうっかり失念しましたが、オレゴン州だったか、国有林担当の専門官がPCを持参してGPS画像などを巧みに処理して、計画的な管理を行っているといったことを自慢そうに話していたことを思い出しました。当時の日本では考えら得ない状況でしたが、いまわが国も周回遅れかもっとかもしれませんが、だいぶがんばっているように思うのです。今後さらなる開発を期待しつつ、今日見たモザイク状の山林利用も自然でいいなと思う私です。

 

今日はこれでおしまい。


AIの未来像のある断面 <BS7「井山六冠VS 人工知能・・」>を見て

2017-04-01 | AI IT IoT

170401 AIの未来像のある断面 <BS7「井山六冠VS 人工知能・・」>を見て

 

今朝は消え入りそうな雨足。なれど雨は雨。濡れないように荷物を運びました。一日かけて。しかも慣れない軽トラで。昔アルファロメオを乗っていたことがあり、ギアチェンジペダルとブレーキペダル、アクセルペダルの微妙な調整を苦心してなんとか会得していたと勝手に思っていて、ギアチェンジの難しい軽トラを借りたのですが、四苦八苦の連続。エンスト、ノッキング、参りました。なんて農家の人は軽々と軽トラを運転していることかと改めて感心しました。運転している人は、80代の男性、女性を問わず、なかなかのものです。

 

このような微妙なテクニックや反応は、若い人でも大変だと思います。高齢農家の人にとって、農村地域では軽トラが必需品であるとともに、認知症防止機能もあるのではないかと思ってしまいます。かえってオートマチックの車だと、判断能力や微妙な感覚を維持することには繋がらず、軽トラ礼賛の農家人生ではないかと思ってしまいます。

 

今日は一日、慣れない軽トラで疲労困憊という状況もあり、また、腱鞘炎の危険度もましていますので、荷物運びは私はやっていないのですが、やはり神経が疲れると手首や肘の神経系統に負担になっているようです。そんな言い訳をして、今日もブログに時間を作ろうと思ったらすでに6時を過ぎており、夜の作業はよくないとの言い訳も追加して、600字を目標に書いてみようかと思います。

 

毎日記事や報道はあまり見ておらず、録画を昨夜見た見出しの<井山六冠 VS 人工知能~囲碁AIと人間、国内最強の戦い~>を取り上げてみたいと思います。

 

先にNHK杯でも優勝し、6冠のタイトル保持者として、井山氏の強さは、日本人の世界では群を抜いていると思うのです。ところが世界大戦では中韓の棋士に敗れ、そして国産コンピューター囲碁ソフト「Deep Zen Go(ディープ・ゼン・ゴ)」にも敗れるという結果は残念と思いつつ、AIの急速な進化に驚くばかりです。

 

私自身も、だいぶ以前からコンピューター囲碁ソフト(廉価なもの)を使って対戦を楽しんでいましたが、最強とかいっても弱すぎて?、ソフトに置き碁させてやっていました。コンピューターというのはそんなものと思っていましたら、それは一昔も前のことで、今では、趙治勲名誉名人にも勝ってしまい、今度は井山六冠をも退けるわけですから、AIの進化は私たちも適切に評価して、社会のあり方におけるAIの活用をよく見通しておく必要があると思うのです。

 

とりあえず井山六冠との対戦は、解説者いわく、最初のつばぜり合いで、井山六冠が確実に相手の石をとって、上辺中央から左隅まで確保してかなりの陣取りをしたことで、素人としてはさすが井山六冠と思っていたら、AI碁は碁盤全体の布石を大きくとらえて、とられた石の外に強力な陣形を作って中央や下辺全体への影響をきちんと数値化して最強の布石にしていたというのですから、驚くばかりです。

 

そしてDeep Zen Goの特徴は、全体を俯瞰する驚異的な数値データで解析するだけでなく、地域戦でも無数のデータを駆使して最強の手筋を編み出すというのですから、群を抜く意表を突く手筋を編み出す井山六冠といえども、その上を行かれてしまったようです。

 

わずか10年程度の間で(あるいはもっと短期間かもしれませんが)、これだけの進化をとげたのではないかと思うのですが、では実際の社会ではどうなるでしょう。

 

あげれば切りがないですが、たとえば私の関係している法律情報なんて、ある意味、何でもないかもしれません。裁判例が無数にあったとしても、AIの能力からするとさほどかいせきするのが難しいとは思いません。

 

ある事象が発生したとき、法曹の世界では要件事実という観念にどう当てはめるかといった思考回路をとりますが、要件事実自体は、囲碁の定石に比べれば簡単ではないかと思います。ある一定の枠組みを設定すれば、どのような裁判例をどのような場合に適用して、民事でいえばその成否や、請求額の適正額を算出することはさほど困難なことではないようにおもいます。

 

いまウェブ情報が巷で氾濫していますが、このような情報の多くは現在基礎的な情報として役立つことも少なくないかもしれません。しかし、AIの能力をたとえば法律情報に適用していけば、より具体的かつ明快な結論の提示が可能になるのではないかと思うのです。

 

ではそれですべて解決するかと言えば、あくまで現在ある法令を前提にして、その裁判例の集積、とりわけ判例といった形で確立している場合は、かなり有用で効率的な結論を導くことが出来る社会にそう遠からずなるのではないかと思うのです。

 

しかしながら、法令の解釈は、ときとして時代の趨勢に合わなくなったり、いや、元々誤った解釈が通用している場合もあるかもしれません。そのようないわばなにが正義かといった評価になると、AIとしても相当困難な場面に陥るのではないかと思うのです。

 

また、事実の認定といった部分は、証拠の収集、その評価といったことが不可欠ですが、とりわけ証拠の収集(収集方法などはAIがセオリーとして指示することになる?かも)は人間の作業でしょう。その評価も、AIとしてはかなり困難な作業かもしれません。ただ、これも経験則的な人間判断を集積することで、いずれはAIの射程距離に入ってくるように思うのです。

 

ではこの法曹分野で人の働く場面はどこか、それこそ人の心のあり方ではないかと思うのです。それが究極的には問われるように思うのは私だけでしょうか。

 

いつの間にか600字を大幅に超えて、時間も1時間近くになりつつあり、そろそろ限界となりました。今日はこの辺で終わりとさせて頂きます。


IoTで何が変わる? <工事写真の位置情報を自動取得、施工管理の手間を43%短縮>を読んで

2017-03-13 | AI IT IoT

170313 IoTで何が変わる? <工事写真の位置情報を自動取得、施工管理の手間を43%短縮>を読んで

 

日増しに暖かさを感じる日々です。曇り空の中にわずかな陽光を見つけたような鈍い輝きを感じたのは、紀ノ川の瀬でしょうか。

 

さて今日のテーマはと、新聞や報道を半日みていますが、どうも興味が湧かないのです。いずれも重要な情報とはいえ、そこに登場する人々のそれぞれの姿勢・対応に、取り上げるだけの意味があるのかを時折感じてしまうのです。私の認識や考え方が試されているのかもしれませんが、とりあえずしばらくは傍観しておきたいと思うのです。

 

それでいくつか情報提供サービスを受けているウェブ情報で、見出しのテーマは、私もいま検討中の事柄と関係することもあり、将来、普及されれば地方の企業体でも取り入れられれば、大きく事業改善が可能ではないかと思い、取り上げることにしました。

 

といって私もよく分かっていないので、ほぼ内容を引用しながら、勉強しながら、紹介して私自身が少し理解できるようになりたいと思っています。

 

そもそも最近話題のIoT、何かは漠然に知っていても、具体的な利用実態を自覚的に理解できている人はそれほど多くないのではと思っています(むろん勝手な私見ですが)。

 

IoTとは?IoTInternet of Things(モノのインターネット)の意味>によれば、<従来は主にパソコンやサーバー、プリンタ等のIT関連機器が接続されていたインターネットにそれ以外の様々なモノを接続することを意味します。>とのこと。

 

これだけだと、IT関連と他のものが接続することですから、わかったようなわからないような気分になります。

 

インターネットに接続するものとして3種類があげられています。

・パソコン類(スマートフォン、タブレットを含む)

・機械類

・その他の"モノ"

 

これらの概要も具体的なイメージはすでに利用している人はそれぞれ浮かんでくるでしょうけど、エアコンなどの家電製品や玄関ドアなどを遠隔操作するといった、TVやネット広告などで知る程度で、さほど将来像というかその可能性が見えてくるわけではありません。

 

最後のモノあたりが可能性を含んでいるのかなと思っていますと、次のような解説が出てきます。

 

"モノ"をインターネットにつなぐことにより以下を実現します。

・離れた場所の状態を知りたい。→離れた"モノ"の状態を知る。

・離れた場所の状態を変えたい。→離れた"モノ"を操作する。

モノのインターネット(Internet of Things : IoT)では"モノ"に対し各種センサーを付けてその状態をインターネットを介しモニターしたり、インターネットを介し"モノ"をコントロールしたりすることにより安全で快適な生活を実現しようとしています。

"モノ"をインターネットに接続して計測データ、センサーデータ、制御データの通信をすることでモノのインターネット(Internet of Things : IoT)が実現されます。>

 

だいぶイメージが膨らんだ感じになります。そこで<<工事写真の位置情報を自動取得>がなにか問題解決機能を相当含んでいるイメージになります。その情報を学んでみたいと思います。

 

それによると<建設現場において重要な作業である工事記録の管理。竹中工務店はこうした管理を効率化するシステムを開発した。近距離無線技術を活用して工事写真の位置情報を自動で取得し、現場内でリアルタイムに共有することができる。従来のデジタルカメラと紙図面を用いて行う方法と比較して、作業を43%削減できたという。>

 

竹中工務店をはじめ大手建設業者は建設IoTをコストカット・効率化などの観点から強力に推し進めているようですが、他のウェブ情報によると、竹中工務店もまた意欲的な技術開発をさまざまなIT関連業者と共同して行っているようです。

 

ここでは<建設現場での携帯端末で撮影した工事写真を、デジタル図面上に自動的にプロットして一括管理するシステム「位置プラス写(しゃ)」(特許出願済)を開発>したとのことです。

 

建設工事では多数のさまざまな業者が関与して、何段階も経て工事が進みますが、その工事管理はその事業の成否や進捗速度に大きな影響を与えることは容易に理解できます。

 

上記ウェブ情報では<建設工事では、品質・安全管理を目的として数多くの工事写真を撮影し工事記録の整備や協力会社への作業指示などを行う。例えば、管理項目の多い大規模病院の新築工事では、工事写真の枚数は数万枚にも達する。膨大な工事写真について、その撮影場所が分かるよう整理する作業に従来の方法では多くの手間がかかっていた。>

 

工事写真から建設図面に書き入れ、整理しつつ、次の工程への指示や工事手直しの指示などを行うことは大変な手間であり、それが日々きちんと適時適切に報告し、図面等に反映させることは簡単でないこともわかります。現場の工事進展状況が、日々というか、場合により時々刻々と変わっていく状況について、手間をかけてでもやっていないと、設計図書などとの整合性を確認したり、ロジスティクスを管理する工事指揮本部で理解していないと、適切な工事進捗を諮ることが困難でしょう。

 

それが適切になされていない現場では時折問題となる、免震データや杭打ちデータの偽装などさまざまな建築瑕疵の要因にもなるでしょう。このようなデータ自体はこの技術開発とは関係ないでしょうが、設計図書等で予定されている図面と現場の進捗との整合性、あるいは変更指示があった場合のその図面化と現場での変更の有無などは、デジタルカメラ画像が一挙に中央指揮系統のPC画面上の図面に表示されれば、これは便利というか、大変な革新的技術ではないかと思うのです。

 

「位置プラス写(しゃ)」システムは、<近距離無線通信技術「iBeacon」を用いた発信機を建設現場内に配置することで、工事写真の撮影位置を自動的に把握する。従来は工事写真の撮影位置を記録するために、図面上に手作業で位置をプロットしたり、階名や部屋名などを追記したりしていた。同システムでは、位置認識の自動化によりこれらの手間を削減する。>というのです。

 

現在、多くの現場では、GPS機能付きのデジタルカメラによる撮影が導入され、補助事業では義務的な要請になっているようです。しかしGPS機能がついていても、折角撮影した画像は、本部に持参するか、メール送信したとしても、その画像を図面化するには位置情報をPC図面上にプロットしないと図面に反映しないのではないかと思います。

 

「位置プラス写(しゃ)」システムは、<撮影された工事写真は撮影位置、撮影日時、撮影者名、撮影時に入力されたコメントなどの情報と合わせてサーバー上に保存される。サーバー上のデータを現場内でリアルタイムに共有することで、協力会社への作業指示をはじめ様々な施工管理業務に活用できる。さらに建設IoTの展開とともに将来的に収集されるデータと組み合わせて活用していくことも可能としている。>ので、さらに現場や関係者での利活用が容易になることが指摘されています。

 

この点は、別の情報で、<竹中工務店が8割の作業所にクラウド導入、工程表やCADデータを集約>という特注クラウドが膨大な情報を有効に活用できるようになっているからではないかと思っています。

 

さらにこのシステムの中身に入りたいと思います。その特徴は<工事写真の撮影位置をデジタル図面上へ自動的にプロット プロット間違いを防止し、工事写真のエビデンス性を向上させる。工事写真と図面を1枚の画像に結合し、画像データを自動作成。写真と図面を用いた分かりやすい指示書を簡単に作成できる。>とのことです。

 

私がこの撮影位置の図面上に自動的にプロットする機能は素晴らしいと思っています。というのは、現場写真というのが多数・膨大に撮影されるのですが、撮影位置や角度が撮影者によって異なり、とくに問題なのは工事前と工事後が同じ位置で撮影されていないことが少なくないこともあり、工事の進捗がわかりにくいため、これではなんのための撮影かと思うこともあるからです。

 

この撮影位置や角度が手作業で行う場合、仮に撮影位置や角度が適正にされていても、図面上誤差が生じることもあるでしょう。それが撮影と同時に、自動的に図面上に正確な工事進捗状況が反映されるのであれば、それは大変な作業効率のアップに繋がるでしょう。しかも図面と工事写真が一枚の画像に結合するのですから、図面を見てもよく分からなくても画像で理解しやすくなるでしょう。

 

次の機能も有効ですね。<iBeaconによる位置認識を補正する機能を搭載した。撮影の方角を自動的に把握し図面上に表現し、表示位置を画面上で微修正できる。作業指示や工事記録を支援する。写真にデジタル上で書き込みを行ない作業指示とすることが可能で、従来は工事黒板に書き込んでいた施工日時、場所、状況等の情報を写真上に合成表示できる。>

 

さらに<全工事写真をサーバー上で一括管理し、情報共有を支援。他のメンバーが撮影した写真も含め、全ての工事写真を本システムの図面上でいつでもどこでも確認可能することが可能だ。図面上に表示する工事写真は日付、撮影者、黒板のテキスト検索によって絞り込むことができる。>と、至れり尽くせりでしょうか。

 

とまあ、いいことづくしのようですが、そう簡単にいくのか、岡目八目の立場では、多少は気になります。このようなソフトを現場の作業員がどこまで使いこなせるか、とりわけ多数の下請け業者が何段階にも入っていたり、共同企業体事業の場合などでは、セキュリティ制限との関係で、その仕組みが簡単でないと、使いこなすことが簡単ではない印象もあります。

 

それを現場監督者など限られた人だけが使いこなすというのであれば、そもそもの現場全体での情報共通とか、現場内での相互の情報共有の仕組みとして有効性が狭まるようにも思えます。

 

ま、よく内容が分かっていないための杞憂にすぎなければいいのですが。

 

ともかく、このシステムが竹中工務店のように財政的に余裕のある企業だけでなく、安価に利用できるようになれば、それは各地の多様な現場で、ものすごい省エネルギー、コストカット、作業の効率化、作業自体の適正化の担保とか、数え切れないほどの効果を生み出すように思うのは、これまた甘い夢でしょうか。とはいうものの、この「位置プラス写(しゃ)」の普及を期待したいですね。


イメージセンサとカンブリア大爆発 <BS8・AIとカメラの未来>を見て

2017-03-04 | AI IT IoT

170304 イメージセンサとカンブリア大爆発 <BS8AIとカメラの未来>を見て

 

今朝は少し霜が降りていましたが、作業にはちょうどよいぐらいの気温で、多少手がかじかむ感じで始めて作業を始めるとすぐ体がぼかぼかになってきました。今日もヒノキの枝打ちと倒れかけた竹木の伐倒整序です。

 

ヒノキは胸高径10cmですから、とても売り物になるものではありません。でも細い枝が伸び放題、年寄りの髪の毛が乱れているのが見苦しいのと同じです。私も最近は少し気にしだしていますが床屋へはなかなか行く気にならない、五木寛之氏みたいにかっこよく長くきれいな髪の毛だといいのですが。それにツタが根元からてっぺんまで完全に覆っているので、このまま放置すれば中が腐食して自然に倒れてしまいます。それで、いつものぶり縄で、高さ10mくらいの木の78m位まで登って、ツタと枝を払っていきました。

 

ツタが絡まっているので、まず少しずつツタを払いながら、ぶり縄のロープを幹に回していくのですが、これがなかなか大変。登るのに邪魔なので、道具を軽い竹ノコだけにして、枝打ち用のナタを下に残したため、たくさんあるツタを切るたびに、切りくずが顔や体に降りかかってくるのです。顔より下で伐ればいいのでしょうが、ぶり縄を上に上げるにはどうしても顔より上を伐らないといけないのです。

 

一本のヒノキを伐るとどっと疲れます。しばらく切ったツタや枝を整理して休んだ後、今日はもう一本、枝打ちをしました。筋肉痛がなくなると、昨日の夜から今日はどうやろかと考えていますので、老体?(ま、最近は80歳を過ぎないと当てはまらないかもしれませんね)を顧みず、どんどんと登っていきました。地上からは78mですが、すぐ下に川が流れているので、川底からだと10m近くになり、結構、見栄えがします。

 

以前、アメリカ製のレインジャー仕様というノコギリで枝打ちしていて、太かったのでつい力を入れすぎ、枝がすぱっと切れたのはいいのですが、そのまま太ももをノコギリの刃で傷つけてしまったことがあります。それもあって最近は竹ノコを使っているので、多少失敗しても大丈夫?です。とはいえ、今日も、枝も中には枯れかかっているのもあって、うっかり足を置くと、ポキッと折れて、もう少しで下に真っ逆さまに落ちるところでした。

 

ほんとうは、安全対策として、腰にベルトをして幹に回して、体の重心を支えるのですが、この腰ベルト、少し手間取り、買ったものの使わないままで放置しています。実際は作業するときも、ベルトで体を支えるので、両手で作業できますが、左手か右手で体を支えながら、一方の手で枝打ちするので、結構、手に負担となったり、体も傾くのできつくなります。これも性分でしょうか、多少の危険は覚悟で、手っ取り早く作業ができるということで、ずっとこの調子です。

 

その後、倒れかけている竹木、これは長さは優に10mととても長く、幹も10cmあり、何本か伐倒すると疲れます。それはいいのですが、時折、不意に跳ねたりもするので油断できません。今回は以前に誰かが伐倒して放置した竹木上で、作業していて滑ってしまい、なんと横向きの細身の竹木に首つり状態で当たってしまいました。すぐに後に転倒したのですが、切り株に当たらなかったのは幸いとはいえ、私には頸椎に少し後遺症があり、ちょっとしばらく動けませんでした。

 

となんだかんだとやっているうちに、普通は昼のお知らせチャイムの音で帰宅準備するのですが、今日は聞こえなかったので、のんびり帰ったら、もう一時近くでした。結局、5時間半くらいの作業を黙々とやったことになります。なんとまあ、我ながらがんばったなと思うと同時に、疲れも一遍にやってきました。といっても夏の間、草刈をするとこんなものでなく、帰り道は息絶え絶えになるのですから、体力のなさを感じるに十分です。

 

と長々と半日の出来事を書いたのは、まだ疲労感で充実した意識の中にあるからかもしれません。と同時に、今日のテーマと少し関係性があるかなと思いながら、いつもより長めに書きました。

 

今日の毎日の川柳に次の秀逸な作品がありました。

 

<AIに勝つには電気抜けば良い 厚木 アマの余談>

 

AIArtificial Intelligence;人工知能)の話題が毎日のように取り上げられ、あるいは知らぬ間に日常生活の中に相当浸透しているに脅威を抱く人に対する、諧謔的な表現の一つでしょうか。あるいはアイロニーみたいな意味合いもあるのでしょうか。

 

それはともかく、突然ですが、この川柳から、日本が誇る縄文文化を急に思い出したのです。たしか縄文土器でしたか、発見されたもので最も古いのは15,000年前だとか。それはエジプトや中東、いや中国よりも古いとのこと。その縄文文化は弥生人が訪れる紀元前3世紀くらいでしたか、、それまで続いた、いやアイヌ民族の縄文文化性は平安期以降も残っていたとも言われています。

 

その高度な文化性と自然生態系との調和や再生エネルギーを基本とする生活様式は、現在見直されつつあると思うのです。狩猟採取といったこと自体に包含する多様な文化性はいまなお十分解明されていませんが、その縄文土器や漆塗りの技術などは、豊かで安定的な経済的基礎なくしてはなしえない文化ではないかと思うのです。弥生人がもたらした水田耕作は開発という名で、長く続いた森林文化、自然破壊を行ったわけです。そこには祟りという恐れを抱く人々に、卑弥呼のような呪術による祭祀が必要とされたのかもしれません。

 

で、私が行っているヒノキの枝打ちも竹木の整序も、縄文文化とは一切関係ありません。ただ、強いていえば、道具の使用において、基本、人のもつ五感、体力、自らのエネルギーのみで行う点は多少共通するところがあるかなと勝手に思っています。そしてそれは生きていく上で、とても気持ちがいいのです。疲れという感覚は、体力知力の消耗だけ、自然との付き合いの中で生じるもので、企業や学校という場で生じるものとはまったく違います。もちろん、AIがいかに発達してもこの疲れのほどよい感覚は味会うことができない、人間本来の高揚感的なものがあるように感じるのです。

 

さて、余談はこの程度にして、本題に入ります。

 

プライムニュースは、よく見ています。首都圏で仕事をしている頃は、久米さんのテレ朝を見たいがそれより遅く帰ってきて、小池さんの番組を見ていた記憶です。その後どんな番組を見ていたかあまり覚えがないのですが、当地に移ってからは夜は仕事をしないことにしていますので、TVを見るか読書をするかです。その中でプライムニュースは以前もなんども取り上げたと思いますが、反町キャスターの突っ込みと、対立する主張の出演者の議論が興味深く、いい番組と思っています。といって、BSフジですので、局自体の傾向性もあり、反町キャスターもしっかり持論をのべており、むろん私と同じではありません、私がその議論の中身自体を支持するといった意味合いはありません。私のような職業では、対立する意見をしっかり聞いていないと、かえって一方的で身勝手な持論になりかねないと危惧しますので、その意味では非常に参考になります。

 

で、昨日は、寺西信一氏2017年のエリザベス女王工学賞の受賞者の一人に選ばれたということで、その受賞の根拠となったイメージセンサの話と、AI分野の第一人者の一人、松尾豊氏、それによくコメンテーターとして登場される小宮山宏氏が登場して、イメージセンサとAIの融合による日本の経済発展の基軸にするといった雄大な話を伺いました。

 

イメージセンサといっても、私自身ぴんとこなかったのですが、私たちが普段使っているデジタルカメラやスマホ(私は持っていませんが)など多様な用途に使われる撮像デバイスの基本技術である、埋込フォトダイオードを開発したのが寺西氏でした。NEC勤務時代の80年に特許を取り、20年で特許期間が経過後は普及が促進したそうです。

 

そういえば、私も下手なカメラやビデオカメラをとり続けてきましたが、この30年くらいでものすごい進化形にあるのかなと感じています。当初はカメラがフィルムで、ビデオカメラも次第に小型化しましたがビデオテープでした。それがいつの間にかデジタルになり、これは便利と買い換えが、画素数が大きくなるたびに、つい衝動的に買ってきたようにも思います(とても縄文人の意識とはかけ離れていることを痛感)。

 

その開発者ともいうべき人が寺西氏というのはこれまであまり取り上げられてこなかったのではないかと不思議に思います。青色発光ダイオードの開発者の一人、中村修二氏のように企業内特許という日本特有の慣行の中で、独自の道を切り開いた弁舌さわやかな人とは異なり、寺西氏はNEC,パナソニックの技術畑を着実に歩いてきた技術者らしいぼくとつな印象ですが、研究成果とのその汎用性は驚くべきものです。

 

松尾氏がこれまた弁舌さわやかに、寺西氏が開発した特許がもつイメージセンサ機能が、カンブリア大爆発を起こすだけの起爆剤となると、これまたすごい話となりました。松尾氏いわく5億年以上前のカンブリア紀に生物が爆発的に増大した根拠の一つに、進化生物学者で古生物学者のアンドリュー・パーカーが指摘する眼を持った生物の誕生を唱えた説を紹介しています。

 

ウィキペディアによると、<生物の歴史上、はじめて眼を持った生物(三葉虫)が生まれ、積極的に他者を捕食することによって眼をもっていない生物に対して有利となった。眼と、硬組織を獲得した生物がその捕食に対抗できるようになったという説>です。

 

で、松尾氏は、このイメージセンサは、画像をとらえる「網膜」の機能を電子化したもので、それを判断する視神経の部分ではAIが機能することにより、その統合作用の結果、劇的なカンブリア大爆発のような産業革命が生まれるといったような話だったかと思います。

 

そうですね、イメージセンサであらゆる対象物を瞬時にすべて把握して電子化し、その機能は飛躍的に拡大しているわけですね。視神経に当たるというか人工知能の方もあらゆる方面で研究成果が実現して増大しているわけですね。

 

小宮山氏はいろいろ具体像を提示していましたが、たとえばアスクルの工場火災のような場合に、消防士が入れなくても、真っ暗闇で火災に巻き込まれる危険があっても、AIとイメージセンサを備えたドローンで現状把握や消火方法を見つけることが可能とかわかりやすい例を出していました。

 

とりわけこのようなAIとイメージセンサの普及拡大によって、かえって仕事を奪われるのではないかといった不安について、トランプ大統領の十八番のようなラストベルト地帯の白人労働者救済措置を訴えるような人が出てくることを懸念してか、小宮山氏は一般的な仕事には使われないで、特殊な場面で使われるでしょうと言った弁解めいた話までしていたのには少し驚きました。

 

ヤマト運輸では、ネット販売の増大の結果、過重労働になっていることから、昼間の配達を制限するといった方向を打ち出しています。この運搬物の増大といったことに対応するには、AIとイメージセンサは極めて有効で、すでにアマゾンでしたか、センサー付きロボットが必要な配達物の場所まで即座に移動して、荷物棚も自動的に動くようになっていて、配達物の選別等が見事に機械化されています。

 

こういったサービス分野といったいままで機械化されていない、マンパワーが中心の業態では、今後ますますAIとイメージセンサが活躍することは誰が見ても明らかでしょう。

 

それ自体は、労働者との多少のコンフリクトがあっても、倫理的な問題にまで発展することは少ないと思います。しかし、問題は、顔の識別能力を利用したような場合のプライバシーへの侵害のおそれや、介護現場で使用されつつあるロボットでも、単に労働補助的なものであれば別ですが、認知症患者に対して接するロボットの導入などを含め多様な問題が起こりうると思われます。いま実証段階のようですが、認知症患者といっても多様で、それを人物の識別ができない患者として、個性のない、あるいは顔の特徴をわざと抽象化したロボットに対応させようとしていますが、医学的知見との整理ができているのか疑問なしとしません。

 

むろん医学分野により高度なイメージセンサを持つAIのロボットが導入されれば、もしかしたらある種の医師は必要なくなるかもしれない?なんてこともあり得るかもと考えたりもしています。いや弁護士も含め士業や専門家と言われる人でも、同じ状態になる可能性を含んでいると思っています。こういった問題だけに限るわけではありませんが、倫理上の問題はかなり深刻に、ディプランニングしておかないといけないのかと、人間側の課題と思っています。

 

その検討は松尾氏が専門家ですから、もう少し話題提供があってもよかったかと思いますが、時間が足りなかった(石原氏の当たり障りのない、ある種無責任さを露呈した会見内容を議論する意味があったか疑問を感じたのは私だけではないように思いますが)のかもしれません。小宮山氏も一般論的すぎて、工学系の第一人者でしょうが、AIやイメージセンサといった先端分野については、より適切な方があったかもしれません。ま、素人にわかりやすく説明していただけると言うことで、出演者に選ばれたのかもしれませんが。

 

舛添氏のときもそうでしたが、石原氏も弁護士と相談しているようですが、どうもまともに弁護士と協議したようには思えない内容で、あるいはそういう弁護士をわざわざ両氏とも相談相手にしているのかと愚考してしまいます。

 

ちょっと脇道に入ってしまいました。松尾氏による倫理的な問題について、現状どのような議論がされているのか、うかがいたかったのですが、ちょっと口惜しいため、関係のない話までしてしまいました。最後にまた最初の川柳を繰り返しておくのが落ちでしょうか。

 

 


AIの功罪 <投資信託 「AI」次々 膨大な資料分析・株価予測>を読んで

2017-02-28 | AI IT IoT

170228 AIの功罪 <投資信託 「AI」次々 膨大な資料分析・株価予測>を読んで

 

今朝は少し凍るような空気の冷たさ。でも空は晴れ渡り、朝日が和泉山系の稜線を輝かしていました。これはチャンスかなとつい思ってしまいます。あの「関西のマッターホルン」が見えるかなとの期待です。見えました、遠くに、しかしぼんやりと。やはり吉野当たりで陽炎でもあるのでしょうか、よく見ないと分かりません。でも形のいい三角形が、連山の中ににょきっと突き出す形はやはり評判どおりでいいです。

 

今日もなにやら訴状作成や法律相談、打合せなど、諸々の用事があって、なんと時計を見ると帰る時間です。さてこれから何をテーマにしようかと毎日記事のウェブ情報をスキャンしてみましたが、どうもぴんときません。ちょっと困りました。でも千日行?ならぬブログをやるつもりですので、この程度で中断しては情けない。無理矢理、テーマを引っ張りだし、記事の中身を中心に、学びながら、少し考えてみようかと思います。

 

投資信託はたぶん昔一度くらいはやったように思いますが、私の好みでもないので、それっきりで、いくら勧誘されてもというか、もう勧誘されなくなって20年以上にもなるので、さて現状はどうなのかよくわかりませんが、記事を見ながら考えてみようかと思います。

 

記事は、<人工知能(AI)を運用に活用する投資信託の設定が、国内で始まっている。>として、海外ではかなり前から活用されているようです。当然でしょう。ポートフォリオなんかは、AIを活用しないと、大量の情報を収集整理分析できないと思うのです。いままでも部分的には使われてきたのかもしれません。

 

<米系運用会社ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント>、ウォール街を牛耳り、トランプ氏ももしかして手の中で踊らしている?ような企業ですから、記事が指摘するように、当然、個人向け商品にAIを使用しているとのこと。

 

<人間が日常的に使う言語を読み込んで理解する「自然言語処理技術」を活用し、過去のアナリストのリポートなど100万本以上を分析。アナリストが個別銘柄を「買い推奨」する前に使いがちな言葉を見つけだすなどして、日本を含む先進国株式の中から値上がりが見込める銘柄を選ぶ。>

 

ということは、アナリストがいらなくなる?そうしたらゴールドマン・サックスの稼ぎ頭もいらなくなるということにはならないのかと思うのですが、そうならないように商品化するんでしょうね。

 

この<「自然言語処理技術」>は、投資信託だけでなく、広範囲に応用が利く可能性があるように思います。どんどん知能が発達していき、いずれは医療、法律・会計実務といった、いままで高度の専門知識・技術が必要とされてきたと言われる分野も、統計分析に加えて、過去の多様な人の裁量的判断やその基準、その適用方法も、あっという間に、問題に答える、いや創造的な発想も生まれるのではないかと、半信半疑ながら期待と、不安とが入り交じりつつ、予想してしまいます。

 

今回の記事で新味は次のような部分でしょうか。

 

<新たに登場したAI投信は、「ディープラーニング(深層学習)」などの新たな技術を使い、画像や文章などの膨大なデータをAIが学習し、自らその特徴を見つけて投資先選定に活用する点が特徴だ。人間が気づいていなかったデータと株価の関連性を発見する可能性もあるという。>

 

この「ディープラーニング(深層学習)」という言葉も、最近時折耳にしますが、実態がよくわかりません。「自然言語処理技術」とどこがどのように違うのか、共通するのか判然としません。とはいえ、人間の考えを画像情報や文章情報からAIが学習して、人の思考能力の発達以上に進化するのかもしれません。

 

問題も指摘されています。<米大統領選でトランプ氏が勝利した後に起こった株価の上昇「トランプ相場」のように、一つのニュースで市況が急激に変わる場面では過去のデータが使えなくなるため、AIには予測が難しいという。> それは当然でしょう。

 

結局のところは、人間の能力を基礎にしていることと、過去の株価の動向と多様な社会事象に係わる情報を基礎にしているのですから、限界はあるでしょう。ただ、情報処理能力が高いので、1万年のさまざまな災害情報を含め気象変動なども情報自体は膨大に蓄積し、アウトプットも容易にできるようになるのでしょう。

 

しかしながら、このようなAIで予測される投資行動は、情報の方向性が単一化するおそれも感じます。万が一、AIが同じ方向の予測をして、多くがその情報に依拠して投資したとき、別のベクトルに向かう事象が発生したら、大暴落になる可能性も十分あるように思えます。

 

いまのトランプ相場の急騰は、いつまでも続くかのような見えない糸をがむしゃらに追っている大衆の裏で、反転することを予測してずるく投資するウォール街をはじめ巧妙な投資家によるえさ場になってしまう恐れを十二分に感じてしまいます。

 

AIはその結果に責任をとることはできないでしょう。まさか装置を破壊するといったことでは責任はとれないでしょう。AIを人類の将来がほんとの豊かさを勝ち取るための手段として適切に使われるのであれば、よいのですが、このような投資に使われること自体、果たして有益な役割を果たすのか疑問なしとしないのです。むろん、一定の価値観を追求する、それは多くの人にとって有益となる、まいえば、最大多数の幸福といったものがあれば、そういう価値を達成するのに、有効に機能するのであれば、今後も投資に活用されることを期待しますが、単なる利益拡大のためであれば、いかがなものかと懸念するのです。

 

今日は無理矢理、引っ張りだしたテーマなので、いつも以上に、無理筋議論が続きました。最後に、<個人などが保有する投資信託の純資産残高は1月末時点で約97兆3900億円>とのことですが、これを多いとみるか少ないとみるかは、意見が分かれるでしょう。投資残高の多寡も重要でしょうが、その内容です。欧米では、遅くとも90年代以降、投資先選択がファンドの価値とも繋がり、さまざまな運動とも連携しています。

 

わが国では、政府の株式投資への積極的な働きかけもあり、年金基金だけでなく、公益法人、宗教法人など多様な組織が投資するようになってきたと思います。しかし、その投資のあり方について、その法人や運動体の目的に適合するかとか、その追求する価値観と整合性を持つかといった観点が欠けているように思うのです。単に投資による収益が黒字になった、いや赤字で大変だといった、企業の収支と同じようなスタンスで投資(信託)に参加しているところが大半ではないかと危惧しています。

 

それは投資に当たって、適切な価値基準を設けて、意思決定していないところに問題があるのではないかと考えています。投資は、場合によって投資先企業がさまざまな事業活動を行い、社会貢献に繋がる側面をもっていると思います。その意味では、まさに当該法人にとっては、自分に代わって、自己の目的ないしは付随ないし関連する目的を実現してくれる可能性を十分持っています。ある意味では、自己以上に、企業の事業活動で、目的を達成してくれるかもしれません。

 

そうでなくても、企業活動について、望ましい事業選択や事業化を求める意見を述べる株主になったり(これは株式投資ですが)、そうでなくても投資信託を担うファンドなど担当者に、自己の存在理由や目的に適合する投資先選択を求めることも、期待されてよいのではと思うのは、わが国の現状では筋違いになるのでしょうか。現実性のない甘い夢を語ってしまったかもしれません。もう少しで①時間になるので、この程度で今日はおしまいにします。