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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

AIと司法 <映画「マイノリティリポート」>を少しだけ見て

2018-06-05 | AI IT IoT

180605 AIと司法 <映画「マイノリティリポート」>を少しだけ見て

 

昨夜、ほんの30分くらいでしょうか、トム・クルーズ主演の映画「マイノリティリポート」を見ました。途中から見てストーリがあまり理解できないままどんどん進展するので別のチャンネルに変えたのでまったくプロットが分からないままですが、AIなり近未来の一面を02年の映画でよく表現できているなと感心しました。

 

どうやらトム・クルーズは主任捜査官だったようですが、組織トップから問題視されて外され追われる身になったようでした。

 

事実の認識や識別はAIをもつ浮遊ロボットが活用されていたようです。ま、ドローンがより自由自在に動けて、認識・識別・分析能力を兼ね備えたよなものでしょうか。

 

情報はPCといったハード装置やモニターがなくても、手を上にかざせば、必要な情報が次々と画像になって表れていました。これも最近のSF的な映画では当たり前でしょうか。

 

こういった近未来の世界で、司法の場はどうなるのかといた、映画の話題としては興味を引きそうもないテーマは扱われているのを見たことがないのですが、私なりに勝手に想像してみようかと思います。

 

今日は終日、なにやかやとあって、少々疲れてしまい、ニュースを見ても森友・財務省問題が中心で、かえって疲れてしまいそうなテーマなので、つい思いついたテーマを本日取り上げることにしました。

 

たまたま昨夜ちょっと見た映画が出だしも終わりも知らないままでしたが、気になっていたからかもしれません。

 

さて司法の場でAIなど創造的な技術革新は何ももたらすでしょうか。人間の知能や情感、良心などの意識といったものがどうなるのでしょうか、ふと考えてみたくなりました。

 

私は若いころから、法令というものを表にして一覧にするのが割と好きで、適当に作ってきました。

 

次の表は地盤工学会関東支部で発行した書籍の中で私が担当して作った表の一部ですが、関係法をざっと一覧するのに、初心者向けに便利かなと思って作ってみたのです。

 

こういったことは30年くらい前からやっていて、土地利用規制についてはもう少し詳細な分類を一覧表にしたことがあります。(ただしワープロ・フロッピー保存でしたので、PC変換するのが面倒で20年あまり前に全部廃棄してしまいました)

 

上記の表がどの程度意味があるかは疑問なしとしませんが、ある種の問題について関連法規を比較検討するとき、ちょっとした参考になるかと思っています。さらに条文自体はもちろん、政省令、通知などをも検討しないと意味がありませんが、こうすると基本的な法令の枠組みが容易に理解できるのではと勝手に思っています。

 

許可制だと、さらに許可基準の中身を比較してそれだけを一覧表にするのも一つです。

 

でもとここで立ち止まらざるを得ません。このようなことは人間の普通の知能だと、詳細かつ具体的な比較検討は、相当手慣れていないとできないのではと思います。ましてある事例について、どの法令のどの条項が複層的に、あるいは補充的に適用されるかどうかや、さらに判例解釈を含めて、どのように適用されるかとなると、それは専門家といわれる人でも即座の対応は難しいでしょう。

 

ではAIはどうでしょう。おそらくAI囲碁の最先端の技術からすれば、おそらく5年ないしは10年もしないうちに、この程度のことは開発されるのではないかと思うのです。

 

そしてさらには、事実認識や証拠の評価も、AIや優れた認識機能を搭載した機動性豊かなドローン(もう名称も新たなものになるでしょうね)が即座に現場に行って、問題点を含めて事実を再検証することができるのではと思うのです。

 

たとえば交通事故の現場に行けば、即座に、事故車両の損傷部位・程度などから、それぞれの車両の速度、走行経路、ブレーキの有無程度などを即座に分析して、過失割合といったことも過去の裁判例を基に、一挙に割り出してくれるといったことはお茶の子さいさいではないかと思うのです。

 

それは交通事故といった割合簡単な問題から、境界紛争を含めさまざまな状況に応じた事実認識とそれに対する適用法令や判例解釈を実施して提供されるようになると夢想するのです。弁護士も裁判官も、検察官もいらない?とまではいいませんが、結構、代替される部分が増えるのではと予想するのです。そんなんありえないと思うかもしれませんが、私の生きているうちは?かもしれませんが、いずれそう遠くない時代にはマイノリティリポートほどではなくても、かなり近いところになるのではとちょっと思ってしまいました。

 

とはいえ人情や情感で成り立つのが人間社会ですので、今日も長くかかっている遺産分割事件で、まさにその人間の情というものの深さを感じていますが、それを抜きにした解決法が受け入れられないと、やはりAIが有効に司法分野に導入されるには少し時間がかかるかもしれません。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


AIを遊ぶ <AI 特定の声聞き分け NTT系研が技術開発>などを読みながら

2018-06-01 | AI IT IoT

180601 AIを遊ぶ <AI 特定の声聞き分け NTT系研が技術開発>などを読みながら

 

今日はあまり悩む問題もなく大過なく一日を過ごせました。高齢者の道のりを歩いているのですから、毎日が日曜というのがいいように思いつつ、少し悩む問題に直面する方が認知症対策にはいいのかなと思ったりするこの頃です。

 

さて今日も業務終了時間となりました。簡潔に本日のテーマをまとめたいと思います。AIの進化は日進月歩というか、見方によってはカンブリア大爆発のごとく大進化が始まっているのかもしれません。

 

今日のところはそこまでいかなくても、最近の毎日記事を見ても、将来の大変革を予兆するものであふれています。

 

まずは今日の記事<AI特定の声聞き分け NTT系研が技術開発>は興味深いです。

 

<複数の人の声や音楽が聞こえる中で特定の声だけを識別する技術を、NTTコミュニケーション科学基礎研究所(京都府精華町)が開発した。膨大な音の特徴を人工知能(AI)に学ばせて、人間の耳だけができる会話の聞き分けを可能にした。31日から6月1日まで同研究所で一般公開されている。

 聞き分けたい人の声を約10秒間、マイクに話しかけてコンピューターに認識させると、複数の人で会話をしたり音楽や雑音が入ったりする環境でも、認識した人の声だけを抽出して録音・再生ができるという。>

 

他にも多数の研究がされているようです。その一つとして<約20万人の顔をAIに記憶させる技術を紹介するコーナーでは、撮影した顔の画像を、男性から女性、若者から老人、真顔から笑顔に少しずつ変化させることができる。モンタージュ写真の作製や画像の編集アプリなどに応用が可能だという。【加藤美穂子】>

 

これらは便利ですね。しかしAI機能からすると、さほど難しい問題ではなさそうと感じます。

 

人間の声もそうですが、たとえば野鳥のさえずりなんかは、おおざっぱに言えば種類はそれほど多くなく(人間に比べれば、むろん個体差がありますが、個々では種目科の違いがわかればいいのですから)、AIにとっては識別が簡単ではないかと思うのです。そしてバードウォッチングしていて、聞こえてくると、特殊AI機能付き音声識別器といったもので、このさえずりは●●ですよと答えてくれるというのは、商品化できるかも?

 

それよりは、騒音の中で、特定の声を的確に録音できる機能(記事で紹介)の方が需要が多いかもしれません。

 

そういえば、以前億単位の裁判事件で、あるファミレスで録音した交渉内容が大きな決め手となったのですが、当初はその録音内容がほとんど聞き取れなかったのです。それである有名な音声研究所に依頼して、判読してもらったのですが、それでも多くが・・・と判読できない状態で使えませんでした。最後は結局、交渉担当者が粘り強くなんども聞いて、ほぼ再現できたのです。やはり自分の声やよく知っている相手の発声だと、識別し判読できるんでしょうか。それにしても相当な時間を要したそうです。

 

それがAIの特殊機能を発揮すればどんな騒音があってもその音声だけを絞って採取録音できるのですから、素晴らしいですね。

 

AIは人間の五感を理解し、把握できるようになり、また、代替できる、あるいはそれ以上の機能を持つようになるのではと思うのです。でも大きな壁は心でしょうか。しかし、それに挑戦する試みも始まっています。

 

AI「一茶」句作の練習 開発の北大教授手応えも 「人の心理解できるか」課題 /北海道

 

内容は<北海道大大学院の川村秀憲教授(45)らが、写真を基に俳句を詠む人工知能(AI)「一茶くん」の開発を進めている。膨大な過去の作品を解析し、自ら学習するディープラーニング(深層学習)で、被写体や風景に合った俳句を作る仕組み。川村教授は「AIが人間の感情や価値観を理解することにつながる」と意義を語る。>

 

でも現時点では、なかなか俳句の域に達するのは容易ではないようです。といっていると、あっという間に素人俳人のレベルを超えるのではないかと、囲碁や将棋とはちがう話とはいえ、ありそうなことだと思うのです。

 

人の動作を把握し識別するという能力は飛躍的に進化していますので、これは実用性が高いですね。

 

NTT東日本新サービス AIカメラ万引き防止 不審なしぐさ通知>は、まさにその一つでしょうか。万引き事件は、現代の社会的要因も大きく影響していると思いますが、ある種の依存性のある疾病となっている人も少なくないですね。とはいえ、販売店側からすると、その被害は大変な額に至っており、そのための防犯対策費も膨大な額となっています。

 

その両面に暫定的には役立つのではないかと思います。導入コストが結構高いかもしれませんが。

 

次のAI機能も日進月歩の一つでしょうか。

AI「隠れた枝」推定 3D画像で栽培効率化へ 阪大チーム /大阪>撮影画像の3D画像化はどんどん進化していますし、食物栽培の分野にはAIセンサーなどどんどん導入されているようですが、これもその一つでしょう。熟練の目を3D画像で24時間に近い監視?体制が生まれれば、それと画像識別判断も加われば、温度・水分・栄養などの管理や、摘果、摘花などさまざまな農作業を効率的に行えるようになるのでしょうね。

 

さてそのようなAI社会は住みやすいかどうかは、また別物かもしれません。都会生活をしている人にとっては、さほど影響がないかもしれません。他方で田舎で暮らしていると、そのような生活は味気なく、あまり普及するとは思えないとも思ってしまいます。

 

うまく住み分けることができるのでしょうか。期待したいところです。

 

今日はこの辺でおしまい。途中で仕事の電話が入り交渉ごとになり、今日もまとまりのない内容となりました。また明日。


フェイスブック考 <記者の目 転機に立つフェイスブック>を読んで

2018-05-22 | AI IT IoT

180522 フェイスブック考 <記者の目 転機に立つフェイスブック>を読んで

 

ここのところなぜか忙しくしています。今日もある事件の訴状を提出したり、別件の打ち合わせ、さらにある交通事故で医師からの電話や、ある建築事業に参加する学生参加に対する安全配慮に関する書類作成とか、裁判事件の和解条項を裁判所や相手方弁護士と交渉とか、次々とこなしていかないといけません。さらに新件が2件ほど入ってきて、対応しないといけず、これも明日以降になりそうです。

 

のんびり読書を楽しんだり、ブログ書きや庭いじり?をしているのがちょうどいいのですが、まだ高齢者としてはひよっこなので、働けという神のお告げかもしれません。とはいえ最近は読書量が減ってしまいました。弁護士を辞めた先輩が奈良を訪ねたとのメールを受け取りましたが、私もそういう身分にはやくなりたいと思いつつ、踏ん切りがつきません。

 

ところで、今日のお題はフェイスブック、これに参加したのは東日本大震災、そして人類が経験した最悪の福島第一原発事故がきっかけでした。当時、情報が錯綜していて、TVで流されるのは政府報道ばかり。そんな中、メールではいろいろな情報が拡散していました。

 

私は田舎にやってきて、日々草刈り三昧をしていた頃でしたので、なかなか情報が得られない。そんなとき友人のHさんからお誘いがあり、FBなるものを知り、参加したのです。やり方がわからず、最初に誤解して、まったく知らない人を数十に一挙に友人にしてしまいました。個人情報もできるだけ開示するものだと誤解して、生年月日も含め記入してしまいました。

 

ただ、FB友達は、大学教員や弁護士、議員、専門職などが中心で、いたってまともな議論が交換されていましたし、さらに私が魅了された日本一周をカヤックでなしとげたカヌーイストや、ある森林組合組合長をして頑張っている人、庭園アーティストのような人(不正確です)、などなど、なかなか得がたい情報交換の場となりました。

 

ただ、私自身は、自分の議論とか考えに、賛同を求めたり、友人を増やしていくことには関心がなかったので、それを誘うような仕組みにはあまり関心しませんでした。

 

それに誕生日とかを祝うというのは、あまり知らない人との間ではどうも落ち着きません。この種の遊びも私には興ざめを感じさせるところがありました。

 

それでもいろいろな知らない人の交流は、それなりに面白い機会でした。ただ、国会議員などは、これは仕事上やむをえないのかもしれませんが(わたしはそうは思いませんが)、どこそこにいって講演したとか、誰かと会ったとか、そこで名物を食べたとか、その行動録をアップするのには参りました。いや、見なければいいとか、なにか友人登録から削除すればいいとかある?のでしょうけど、そこまではと思うのです。

 

でもなぜFBから離れてしまったかは、私もよくわかりません。最初はタイピングができなくなり、半年くらい続いては、半年ないし1年休み、また半年くらい続いて指が動かなくなり休みしているうちに、なんとなくなくてもいい感じになったのでしょうかね。

 

その頃に、一度初めて2日坊主で長期間やめていたブログをおそるおそる再開したら、意外と指が動き、痛みもないので、数ヶ月続き、辞めようかと思いつつ、ふと千日回峰行と松岡正剛氏の千夜千冊にあやかり、千日続けてみようかと思ったのです。ま、田中陽希のグレートトラバースほど計画的でも苦行でもないので、今のところ続いています。さて何日でしょう。

 

元気になったので、FBに戻ってもいいはずなのですが、このブログの方が自分に合っている印象です。言いたい放題、誰からもチャチャがはいらず、一人で満足しているからでしょうか。先人と時には対話した気分になりますが、FBのように現在生きている人の生の声は聞けません。でもこれが気分転換にいいのかもしれません。FBSNSなどがどんどん普及している中、私の場合はこういった独白がちょうどいいのかもしれません。

 

とはいえ、子供が時々読んでいるようですが、感想はありません。ま、駄文を繰り返しているので、時間つぶしになればとは思うのです。内心は父親の生き方の一端を示しているのかもしれないとは思っていますが、思いつきで過去のこと、現在のことを書いていますから、生き方といえるほどのものではないでしょうね。

 

さて、前置きがいつも以上に長広舌になってしまいました。

 

毎日朝刊記事<記者の目転機に立つフェイスブック 「無料」継続に知恵を=清水憲司(北米総局・ワシントン)>に入ります。

 

<交流サイト大手の米フェイスブック(FB)が、個人情報の不正流出問題に揺れている。>こと、とくにマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)の議会証言を問題にしています。

 

彼が<再発防止を約束し、規制強化を支持する考えを表明した>ことについて、記者は<利用者の情報以上に「会社」を守ろうとする姿勢だ。ネットで情報を共有し合うソーシャルメディアが、電気や水道のような公共性を持った今、問題を見過ごしにできないと感じている。>というのです。

 

ザッカーバーグ氏が、謝罪しつつ、<質問が規制の具体論に及ぶと「今後議論したい」と回答を避け続けた。>また<流出発覚後の対策によって「利用者は自分の情報を公開するかどうか制御できる」と言い張った>りして、FBの公共性への配慮を欠いたり、利用者の権利擁護を欠いたりした過去の取り扱いへの反省が見られない点です。

 

この点、<FBは個人情報の取り扱いを変える際、利用者に十分告知してこなかった過去がある。加えて、他にも流出がなかったかどうか、まだ調査中だ。新たな流出が判明しても、既に人手に渡った情報をFBが削除できるとは限らない。こんな状況で「利用者が情報を制御できる」と言い切るのは、あまりにも実態とかけ離れている。>と厳しい。

 

私自身、いまSNSFB自体にさほど魅力を感じていないのですが、利用している人にとってはトップがこのような姿勢だと、どう感じるでしょう。それでもFBから離れることができない人が多いようです。

 

記者はFBの分割案を提示していますが、有効な対策なのでしょうか。根本的な対策とはいえないように思うのです。むろん、独占的地位を利用して自由に個人情報を活用できたのを、分割して競争を促進すればお互いに競い合い、個人情報保護を促進する可能性もありますが、分割によって担保される条件とは言いがたいと思うのです。

 

改めて利用者が自分がどのような情報を発信し、それが不当に利用されていないか、注意を払う、自己責任をもう少し意識することも大切ではないかとおもうのです。

 

さて一時間が過ぎてしまいました。今日はこれでおしまい。また明日。


なりすましの有害性と対応 <なりすまし 全削除命令>を読んで

2018-03-18 | AI IT IoT

180318 なりすましの有害性と対応 <なりすまし全削除命令>を読んで

 

今日も森友・加計に前川氏問題が取りざたされていましたが、巨大な権力基盤ができそれが長く続くと、古代から問題が起こっていますが、今回も似たような印象を持つのは飛躍がありましょうか。

 

巨大な権力をもつと次第に謙抑的な姿勢が弱まり、まわりはその意図をおもんばかる傾向がでてくるように思うのです。プーチン大統領や習主席のように強力な監視体制が批判的な勢力を排除するわけですし、トランプ大統領のように個人の力で自分の意思に沿わないものを排除するのも一つの表れでしょうか(ま、彼は長期政権ではないですが、世界最大の権力者ですから)。それにしても国会を騙し、国民を欺したのは、佐川氏の答弁と財務省職員でしょうけど、その原因である不当・違法というべき契約を長期的にやってきたのは財務省・国交省ですから、それをやりおおせるには、人事的な組織構造からすると、内閣官房が関係しないとはいえないように思うのですが、丁寧に文書を読み込んでいって、担当者に聞き取っていけば、鮮明になるように思うのは甘いでしょうか。

 

佐川氏一人を問題にするのは、よくいうトカゲの尻尾切りかもしれませんが、本日のテーマと無理に関連づけると、佐川氏という、ある種のなりすましアカウントを使って、虚偽答弁や改ざんだけに集中して、嘘の埋設廃棄物を加工したりして、違法というべき契約により国有財産を貸付・売却処理したことこそ、問われるべきではないかと思っています。

 

ま、本日の話題に戻った方がいいですね。なりすましアカウントを使えば、自分と違う人間像が勝手に作り出され、ネット上で拡散して、時には非難の対象となったりするようなニュースを目にすることがあります。その方は大変な事態に追い込まれるわけですが、たいていの方は被害の経験がないので、実感がわきにくいかもしれません。

 

でもその危険はとても拡大しているように思えます。

 

さてニュース記事に移りましょう。

<ツイッター上で何者かに「なりすましアカウント」を作成された埼玉県内の女性が、ツイッター社(本社・米国)を相手にアカウントの削除を求める仮処分をさいたま地裁(小林久起裁判長)に申請し、認められていたことが関係者への取材で明らかになった。個々の投稿の削除が認められたケースは少なくないが、アカウント自体の削除を命じる司法判断は極めて異例。>

 

事件は、その女性について元AV女性であるという虚偽情報が勝手に作られ、本人であるかのような情報が流布され、その女性は当然、深刻な精神的苦痛を受けたのです。

<女性は飲食店経営などを手掛けている。・・・女性のなりすましアカウントが作成されたのは昨年6月。プロフィル画面に女性の実名と住所、ネット上などで見つけたとみられる本人の顔写真が掲載され、実在する元AV女優と同一人物だとする虚偽の情報が併記された。また、タイムラインには、この女優の出演作の画像が11回にわたって貼り付けられた。>

 

女性の代理人田中一哉弁護士は、その記事だけでなくアカウントの削除を求めて<同9月、人格権侵害に当たるとして同地裁に仮処分を申請。>これに対し、<ツイッター社は「(アカウント自体の)全削除をすれば、将来の表現行為まで不可能になる」と反論した。>

 

記事だけか、アカウントそのものの削除かが問題になったようで、<地裁は同10月、削除を命じる決定で「アカウント全体が不法行為を目的とすることが明白で、重大な権利侵害をしている場合は全削除を命じられる」との基準を示し、女性のケースもなりすまし自体が人格権の侵害に当たると認めた。>

 

事件は思わぬ形で決着がつきました。<ツイッター社は異議を申し立て、同地裁の別の裁判長による異議審が進められた。しかし、異議審中にアカウントが消えたため、同12月に同社が異議を取り下げ、審理は終結した。>結局、仮処分決定が残ったわけです。

 

なりすましアカウント作成者は、問題が大きくなって、自分が特定されるおそれを感じたのでしょうか、こういう匿名というか名前をかたって、他人の人格攻撃をするような人はたいてい、自分が表沙汰になることをとても怖がっているのでしょう。なぜ自分がやられることが嫌なことを、他人にするのでしょうか。これは聞いても答えはなかなか出てきそうもないかもしれません。

 

アカウント自体の削除命令について、<インターネット関連訴訟に詳しい神田知宏弁護士は「個々の投稿を削除する司法判断がなされても、同じアカウントで再び違法な投稿が行われる可能性がある。アカウント自体の削除命令によって将来の投稿まで差し止める判断といえ、被害救済の面で画期的だ」と話す。【近松仁太郎】>

 

たしかに仮処分決定で、削除命令が出れば、この事件でも9月申請で、10月決定ですから、極めて効果的ですね。今後はツイッター社も、これまでの対応を是正する必要があると思われます。だいたい匿名でいろいろ発言することや表現することはそれ自体、幅広く認められてもいいですが、それが繰り返しなりすましなど、虚偽情報で人格攻撃するような内容であれば、それはアカウントとして利用資格を将来にわたって合法的に保持できないと考えるべきではないでしょうか。

 

今回は、なりすましアカウント作成者が自ら削除したわけですが、そうでない場合、そのようなアカウントを利用させておく合理的理由をツイッター社が持ち合わせているとは思えません。

 

今後は、削除だけでなく、ツイッター社に対する損害賠償請求の訴えも視野にはいってくるのではと思います。

 

毎日社会面の<後絶たず 盗撮画像を添付/別人のわいせつ写真掲載 恐怖・不安、被害者「法整備を」>記事では、リアルにその問題状況を提示しています。

 

<ツイッターやフェイスブック(FB)などソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上のアカウントやページに「別の自分」が突然現れ、本人にとって不名誉な情報を発信する「なりすまし被害」。>

 

FBSNSは本人確認が割合しっかりしているというのですが、やはり別人によるなりすましはあるのですね。ま、私はFBはこのブログを始めたこともあって、長い間遠ざかっていますが・・・

 

なりすまし被害の一例は次の通りです。

<神奈川県の50代の男性会社員は昨年2月、FBに自分のなりすましページが作成されていることに気づいた。氏名と勤務先を組み合わせたアカウント名で、自分の住所や出身地、職歴も掲載されていた。同5月には自身の勤務先の写真が投稿され、知っている人が閲覧すれば男性本人のアカウントだと誤解することが予想された。

 また、男性が頻繁に利用していると見せかける意図なのか、風俗店の写真が複数回投稿された。電車内で女性の胸元を上からのぞき込むような画像も掲載された。男性は身近にアカウントの作成者がいるのではないかと疑心暗鬼になり、勤務先で部下に注意することにも不安を覚えるようになったという。>

 

このケースでは、男性は<接続通信会社を相手取ってアカウント開設者の情報開示を求め、東京地裁に提訴・・・審理中になりすましページは消えた。>わけですが、<地裁は今月14日、請求通り開示を命じた。>ということで、開設者に直接、動機を問いただすということのようですが、当然、損害賠償請求も検討しているのでしょうね。

 

その意味で、現在の裁判例の動向が割合、望ましい方向にありますから、今後なりすましでいたずらなり、人格攻撃なりしていると、開設者を特定され、今度はその責任を追及されることを覚悟してもらいたいと思うのです。

 

ただ、このような裁判による削除とか、開設者情報の開示とかは、被害者にとって大変な労力・負担でしょうから、よりスマートな解決のあり方が問われるべきでしょう。

 

<悪質な情報発信などに削除要請を行う一般社団法人「セーファーインターネット協会」(東京)の吉川徳明・違法有害情報対策部長は「SNS事業者には、悪意ある『なりすましアカウント』の速やかな削除などを進める責任がある」と指摘。その上で「加害者を特定しやすくするよう発信者情報の開示基準を緩める法整備も考えられるが、政治家や企業の不正を告発しようとする善意の発信者まで容易に特定される恐れもある。情報開示と表現の自由とのバランスが重要だ」と話す。>

 

情報開示基準を明確にすること、とりわけなりすましアカウントのような場合は、パロディとしても容易に許容されると考えるのはどうかと思いますので、個人的には原則禁止にすべきではないかと思うのです。早期に立法的解決なり、自主規制のガイドラインなりを検討して制度化してもらいたいものです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 


AIと人の未来 <『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』>を見て

2018-02-23 | AI IT IoT

180223 AIと人の未来 <『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』>を見て

 

BSフジのプライムニュースは私が好きな番組の一つですが、別の番組にも興味を持ってチャンネルを変えたり、なにかをやりながら見ていたりして、あまり記憶に残らないのがちょうどいいのかもしれません。そういうと関係者に叱られそうですが、中身は充実したものであることは確かで、反町キャスターの突っ込みは、節度もだいたいにおいてありますし、バランスもなかなかで、保守革新といった一義的切り口では測れない天秤棒をもっている感じを受けています。

 

ともかく昨夜は割合まじめに見ていました。ゲストスピーカーの話しがそれなりに面白いと、引き込まれます。昨夜のテーマは『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』というわかったようなわからないような「第四次」であり「産業革命」でもありますが、ゲストはいずれもその「革命」に前向きな方ばかりとはいえ、微妙にというか、かなり異なる視点で意見を述べており、それは対立軸がない点は少し寂しいですが、それはそれなりに「産業革命」が示す具体を少しでも理解する助けにはなったかなと思うのです。

 

さてそのゲストは以下の4名です。

<平井卓也 自由民主党IT戦略特命委員長、

村上憲郎 元グーグル米国法人副社長兼日本法人社長、

夏野剛 慶應義塾大学政策・メディア研究科特別招聘教授、

小林亮 浜野製作所営業企画部副部長>

 

平井氏以外は、私にとって初見の方ばかりでした。基本的にはAIIoTITの未来について、現在の状況や近未来として今後30年位をどうみるかといった長期スパンの話しでした。

 

いろいろな議論があったのですが、私にとって興味深かった一つは、AIが代替できる仕事は何か、あるいは、逆にできない仕事は何かといいうことについてです。

 

村上氏は、ITの超先端企業グーグルのトップに近い位置に長らくいたことから、AIの活用がどのくらい進展しているか相当の知見を持っていると思われます。とはいえ彼が割と力説したのはAIの超小型化と低廉化ということで、一個600円のAI基盤を使って若いスタッフがこれを使って、小学生などにさまざまな道具との接続をさせてみる教育実習をさせ、そのことで義務教育課程でプログラミングに親しむと同時に、スタッフが今度は企業に戻って新たな企画を実際にプログラミングできるようになるという話しでした。

 

村上氏がグーグルを日本に導入するとき、法規制というより、大企業から小企業まで、どこも理解できず、二の足を踏む状態が長く続き、IT革命(これを第三次産業革命というようです)にアメリカのようにはスピード感を持って参入できず、立ち後れたというのです。その主要な要因の一つが経営者層に新たな知見・技術について理解しようとする意識や理解できる能力を欠いていたともいうのです。それは日本の企業経営が年功序列で自社の中で育った役員、そしてトップが選ばれてきたことに大きな要因があるともいうのです。

 

最近、不祥事などがあり、社外取締役を導入(最先端だった東芝も企業存亡の危機に陥ったこともあり)、複数ないし相当数の導入が求められていますが、現実は一歩前進二歩後退とまでいかなくても、それに近い状態かもしれません。

 

現在のAIIoTの進行は、才能さえあれば、一挙に巨大な富を生み出す道を開くことができ、それは年齢に関係なく、また横並び式でない中で、生まれるとも言うのです。大学生はもちろん、高校生でも、長年にわたって企業慣行に従属するより、自分の才覚で起業するという考えが増えているとも言われています。この点は夏野氏が身近に大学生に接している印象からその割合が極めて大きいとも指摘していました。

 

ちょっと話しの核心に近づくのに手間取ってしまいました。要は、AIが代替できない仕事は何かということについて、夏野氏だったと思いますが、何もない、すべてが近い将来代替可能になるといったことでした。例外は創造的な、想像的なものだけというのです。

 

夏野氏だったと思いますが、まずあるデータで代替可能な職業が上げられていて、銀行窓口とか、タクシー運転手とか、機械的というか一通りのマニュアルがありそのとおりやればできる業務はすべて代替されるというのです。そういう仕事は、表現は失念しましたが、つまらないといった侮蔑的な言葉でAIに取って代わられると言うのです。

 

たしかにすでに都市銀行のほとんどがすでに窓口業務を大幅に減少し、銀行業務としての預金の払い戻し・預け入れを含めこれまで当たり前としてきた業務を減少、あるいはなくす方向に動いているように見えます。シェアドライブのわが国での普及とか、あるいは自動運転のEVの一般化が進めば、タクシーも必要なくなるかもしれません。

 

でも少なくともタクシー運転手が活躍するドラマや映画のように、個性的な運転手は残るでしょう。それは夏野氏も村上氏も認めていました。代替可能なような仕事でも、個性を発揮して独自性を発揮し人気を得れば、AIは叶わないでしょう。

 

それでいつも私が問題にする士業、たとえば弁護士とか、公認会計士、あるいは医師、看護師といった専門性・裁量性・創造性・情緒性(公認会計士は除外でしょうね)などが高い職業はどうかは、議論されたか、ここは聞き逃していますが、結論として残るのはないということであったかと思います。では人間はなにをするか、ということになり、「遊び」ということだったと記憶しています。

 

これが私の今日のテーマです。人間が仕事をしなくてもよくなったら、どうするかそれは遊びに向かうというようです。ま、「遊び」といってもいろいろあり、十人十色、百花繚乱でしょうか。私の場合、このブログを書くことは一種の「遊び」ともいえます。認知症防止対策ともいえますが、エンディングノートでもあり、評価を一義的にしないことに意味があると思っています。

 

さらに仕事、働くということは、私が興味を持ってフォローしている江戸時代の百姓で土木技術者である「大畑才蔵」が心得にしていた、一生懸命はたらくことで、安楽の境地に至ることではないかと思っているのです。

 

この点は、現代の百姓、宇野豊氏も似たような気持ちで農を日々行っているのではないでしょうか。草取りは、刈り払い機などの機械によって省力化したり、あるいは除草剤で代替できるかもしれません。空中散布でもドローンとAIを活用すれば、草の状態に応じて、空中監視しながら、適宜、必要に応じて散布するようなことも可能な時代はもうすぐかもしれません。

 

でも手で一本、一本、時間をかけて土という土壌の中で、草と向かい合い、さまざまな虫や蜘蛛などと触れあいながら、草の強さにおののきながら、いろいろな花の色合いや臭いを感じながら、疲れで他になにも考えることができないほどになりながら、天地を心と体全体で感じることができることも、安楽なのではないかと時折思うのです。

 

それは時間制限もない、誰かに言われたりしていやいややるものでもない、そこでの収穫の利益を考えなくてもよい、そんな生き方もあるのではと思うのです。それは遊びでもあれば、はたらくことでもあるように思うのです。一生懸命やれば、たいていの場合はたが楽になる、「はたらく」つまりは、自分自身が「安楽」にもなるのではと思うのですが、これは独りよがりでしょうかね。

 

おそらくAIはものすごい勢いで進化し普及するでしょう。ある有体物の所有という概念も変わってくるでしょう。それは自動車はもちろんのこと、あらゆるものがシェアという新たなコモンズ的な利用を想定した仕組みが相当の範囲で普及していくのではないかと思います。

 

それでも天地と人との触れあいを究極の目的とする人を含め、少なくない人種?は抗って別の多様な道を歩むように思うのです。

 

なお、第四次産業革命に関心のある方は、見出しのホームページにアクセスすれば動画放映していますので、ご覧ください。私はチェックしていないで記憶で書いていますので、間違いもあると思います。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。