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サンダース、ホワイトハウスを襲撃する社会主義者/ルモンド・ディプロマティークより

2016-03-16 12:46:21 |  北米
「 米国左派の有権者にとって、バーニー・サンダースはなんともおなじみの経歴の持ち主だ。ヴァーモント州選出の上院議員で、党員ではないが民主党大統領候補の一人である彼は大半の進歩主義者同様、2016年11月の大統領選挙に向けて公然と姿を見せた。

 サンダースは1941年、ポーランドからのユダヤ系移民を両親にブルックリンで生まれ、学生時代に米国社会党青年部の「青年社会主義者同盟(YPSL)」に加入した。10年も経たないうちに党が分裂し崩壊すると、サンダースはがむしゃらにその時代の闘争に身を投じた。すなわち公民権闘争やベトナム戦争反対闘争などだ。その後、山深いヴァーモント州の小さな団体「自由統一党」の公認候補として上院選と知事選を果敢に戦ったが、落選した。

 1970年代後半には、一時、政治活動に休止符を打ち、教育プロジェクトで働いた。1979年に「フォークウェイズ・レコード・コレクション」で、サンダースはアメリカ社会党の大統領候補だったユージーン・V・デブスの演説を朗読した。この中で彼は第二の青春を次のような宣言に捧げている。「私は資本主義の兵士ではない。私はプロレタリアートの革命家だ。(中略)私はたったひとつの闘いを除き、すべての戦争に反対する」。これは米国の福祉政策を狙い撃ちしたレーガンの“反革命的”政策を支持しようとしていた国家への反逆の信仰告白だった。

 皆が驚いたことだが、それから2年後にサンダースはヴァーモント州最大の市、バーリントンの市長になった。地元週刊紙ヴァーモント・ヴァンガード・プレスは、「バーリントン人民共和国」という特別号を発行して敬意を表した。サンダースは市長室の新しいデスクにデブスの写真を飾った。その後、市長を3期務めた後、1990年に無所属の連邦下院議員として国政に加わり、2006年にヴァーモント州選出の上院議員になった。デブスの写真は、現在はワシントンのキャピトル・ヒルのオフィスに飾られている。

雲散霧消した左翼勢力の連合

 サンダースは厳密には独立系だが、民主党員たちと統一会派を組んでおり、その社会主義は、ボリシェビキ・シンパだったデブスよりも、スウェーデンのオロフ・パルメ首相(1969年~76年、82年~86年)の社会主義に近い。サンダースは、スカンジナビアの福祉国家の成果とアメリカ社会の不公平とを比較し、子供の貧困と誰もが利用できる医療制度の不在を強調している。

 サンダースにとって、社会主義はアメリカの進歩義者の長くて豊かな歴史を伝承することだが、そのほとんどは国の進歩に関する公的な言説から抹消されてきた。ヴァーモントの上院議員としての彼の政治的経歴は、民主党内左翼のそれに連なっている。民主党全国委員会の委員長だったハワード・ディーンが2005年5月22日に「ミート・ザ・プレス」番組でこう語っている。「彼は基本的に進歩派民主党員だ。事実、バーニー・サンダースは、投票時には、98%、民主党員と同じ投票をする」

 だから国会内唯一の独立メンバーである彼は革命の信奉者ではないし、英国労働党左派のジェレミー・コービンのような急進派でもない(1)。サンダースが重視しているのは、所有と支配ではなく、再分配をめぐる闘いだ。最近の演説で彼は「政府が生産手段を所有する(2)」のが良いとは考えていないと訴えた。サンダースの急進派としての公約は対抗馬のヒラリー・クリントンの企業に友好的な政策と対照的だ。

 民主党のリーダーと社会主義者のライバル、これほど毛色の違う候補者もいない。一方のクリントンが助言者と綿密に打ち合わせをした上で、注意深く吟味した言葉を選んでいるのに対し、サンダースの方は対照的に飾りのない口調で話しかけている。こうしたスタイルの違いの問題だけではない。サンダースが公民権運動の活動家だった1964年に、クリントンは超保守派の共和党大統領候補バリー・ゴールドウォーターを支持していた。だが本当の違いは政治ヴィジョンの中身だ。2003年、イラク戦争に賛成票を投じたクリントンは聴衆に、ニューヨーク州上院議員として「ウォール街の代表」であることを印象づけた。その競争相手で平和活動家のサンダースは、「政治革命」を求めている。社会主義の社会の建設ではなく、フランスで政治家のジャン=リュック・メランションが「市民革命」について語るようなやり方で、人々を民主的な生活に包含させる革命だ。

 21世紀のアメリカで社会主義者がこんなにも人気を博していることは、驚くべきことだ。左派にルーツをもつ政治家は欧州では珍しくないが、米国ではそうではない。米国では政権を争い、大規模な再分配制度を構築する大衆政党が育たなかったからだ。それでも、20世紀の大半、民主党員の多くは、こうした制度に道を開く努力を続けてきた。労働組合、公民権団体、アソシエーションなどだ。その実現を支えてきた社会的勢力はいまも健在だ。だが、民主党員が資本の利益に資する党の基本的な在り方に歯止めをかけることができないとしたら、さしたる抵抗もなしに公共的な議論の場から脇へ押しやられてしまう。民主党員と党の指導者たちとの政策の隔たりが拡大するにつれ、サンダースに耳を傾ける人々が増えるのは驚くにあたらない。

 ヒラリー・クリントンのイデオロギーの背景は、「第三の道」を標榜したニューデモクラットの伝統につらなる。ニューデモクラットたちは1980年代後半に、いまは亡き民主党指導者会議(DLC)の指揮下に結集した。その基本方針は、レーガン政権時代の保守主義の勝利への反撃を旗印にしていた。社会運動の衰退によって公平な税政策は終わりを告げ、個人保護より企業支援へと向かうスリムな政府の促進を前提としていた。個人には社会保障の形だけの残渣物を与えておくだけで良かった。

 1990年代を通して、ビル・クリントンとヒラリーが民主党の政策の変容に果たした役割は否定できない。予算の帳尻を合わせ「皆が慣れ親しんできた福祉政策」に終止符を打ったのは、ロナルド・レーガンではなく、ビル・クリントンだった。ファーストレディであり弁護士のヒラリーは、ニューデモクラットたちが思いついた改革案を支持した。例えば最貧困層の社会保障を削減する1996年の福祉改革法案だ(3)。オバマ大統領は、2008年の予備選におけるヒラリー・クリントンとの対戦で変革を公約したにも関わらず、未完の医療保険改革は別にして、旧民主党指導者会議が掲げた課題の多くを継承してきた。経済界と進んで妥協する姿勢に失望した民主党支持層もある。

 特に2008年の金融危機以後、左翼のいくつかの活動がクリントン路線にとって逆風となっている。オキュパイ運動の出現、シカゴ教員組合のストライキ、ファストフード店労働者たちの起こしたアクション、警察の暴力への抗議活動、収入格差についての公共の議論などだ。メディアはティーパーティーの大言壮語やドナルド・トランプの逆上の方を声高に報道したが、こうした行動や活動のすべてがアメリカ左翼の再出現を示唆している。

 サンダースは、雲散霧消し、理解してもらうのにさえ苦労するようになった左翼勢力を強化し組織化するために大統領選挙に立候補したのだと説明している。「出馬するとしたら、私の仕事は勝利を手にし、政治を変えることができる連合をまとめることだ」(4)。サンダースの選挙運動が長期的にどんな効果をもたらすかは未知数だが、6ヵ月の論戦の後、米国の人々の琴線に触れているのは間違いない。彼は集会の幾つかでは数万人の支持者を集めた。彼は、アイオワ州の民主党予備選挙でクリントンに10ポイントの差を付けられているが、2番目のニューハンプシャー州ではクリントンをリードしている[訳注:2月1日のアイオワ州でクリントンが僅差で勝利したが、2月9日のニューハンプシャー州ではサンダースが勝利した]。驚いたことに、この社会主義者の候補は、米国の政治家にとって必須条件である資金集めゲームでも遅れを取っていない。12月中旬、サンダースは68万1000人から4150万ドル近くを集めた。この追撃により、ヒラリー・クリントンは立ち位置の再考を迫られた。例えば、以前は支持していた環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に反対の立場を取ると表明した。

 サンダースには克服不可能に近い障壁が立ちふさがっている。伝統的に民主党に有利な州のほとんどで、有権者はいまもクリントンの方が大統領本選での当選の可能性が高いとみている(世論調査では、サンダースが共和党候補者に勝てるとみられている)。その上、「スーパー代議員」と呼ばれる現職の公職者や元公職者たちでサンダース支援を公約している者はほとんどいない。こうしたスーパー代議員たちは、民主党全国大会の代議員数の2割を占めている。民主党の中で最も進歩的なエリザベス・ウォレンやジェシー・ジャクソン、ビル・デ・ブラシオですら、公式にサーダースへの支持を表明していない。

 サンダースを支援する労働組合が限られていることは、米国の労働運動の現状を物語っている。11月に組合員200万人を数えるサービス従業員国際労働組合(SEIU)が、多くの地方支部の反対を押し切って、クリントン支援を決めた。2ヵ月後にはアメリカ教員組合連盟(AFT)の支援も支援を決めた。クリントンは既に組合員総数にして950万人を数える組合の支援を取り付けているが、全体の3分の2に相当する(5)。

こけおどしのトランプ

 わずかな例外もある。組合員数18万人強の全米看護師連合と20万人の米国郵便事務労働者組合(APWU)は、いずれもサンダースを支援している。12月には、アメリカ最大のメディア組合で、70万人の組合員を擁するアメリカ通信労働組合(CWA)が、サンダース支援を表明した。しかし労働界?の大物たちは最有力候補とたもとを分かつことを好まない。市民団体や共同体ネットワークの多くでも同じことがいえる。黒人の教会指導者や州議会議員、その他、サンダースへのなじみが薄く、党のアウトサイダーへの支援には及び腰の民間のネットワークにも同じことがいえる。

 クリントンは、さして心配するには及ばない。全国的にみれば、誰よりも知名度が高く、一番人気の民主党の大立者であり、共和党の予備選におけるトランプの電撃的な成功と論法を警戒する予備選投票者たちから最大の信頼を得ている。民主党中道派は、自らを「良くはないが比較的まし」な輩として打ち出すことで、長らく支配勢力を維持してきたのだ。

 サンダースの選挙戦は、1968年のユージーン・マッカーシーや1972年のジョージ・マクガバンのような、民主党を内から組み立て直そうとする運動ではない。1980年代にジェシー・ジャクソンの選挙戦から生まれた「全米虹の連合」(National Rainbow Coalition)のようなものを構築できるほど強力な左派でもない。だが、主流派の政治から疎外された何百万もの人々が現状への不満の声をあげることができる手立てであり、だからこそ、サンダースは有権者の声を反響している。政府は庶民を助けることができ、改革の道は資本に手綱をつけて譲歩を勝ち取る力をもつ運動を構築することだと、サンダースは信じている。

 この数ヵ月で人気が高まっているにもかかわらず、この社会主義者の候補者の支援者は数千にとどまっている。人口3億2500万人の国にしては少数だ。だが、社会主義的な考えを公共の議論の場に押し出したり、サンダースが言うところの「億万長者クラス」を現状の元凶だとして非難する人々に論議を提供したりするには十分な数かもしれない。

 民主党の体質や左からの反乱を吸い取ってきた歴史を考えれば、予備選内での活動という戦略には疑問の余地がある。だが、ヴァーモント州の上院議員であるサンダースにとって失うものはわずかだが、得るものは多い。「社会主義」という物騒な言葉にそっぽを向くことのない、新しい大衆が出現するのだから。



(1) Alex Nunns, « Jeremy Corbyn, l’homme à abattre », Le Monde diplomatique, octobre 2015.参照。
(2) 2015年11月19日、ワシントンD.C.ジョージタウン大学での演説。
(3) Loïc Wacquant, « Quand le président Clinton “réforme” la pauvreté », Le Monde diplomatique, septembre 1996.参照。
(4) « Bernie Sanders is thinking about running for president », The Nation, New York, 18 mars 2014.
(5) Brian Mahoney et Marianne Levine, « SEIU endorses Clinton », Politico.com, 17 novembre 2015.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2016年1月号)」

http://www.diplo.jp/articles16/1601-1unsocialiste.html


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