白夜の炎

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福島の除染現場

2013-02-07 16:37:23 | 原発
「除染の現場から  ある親方の証言


 地元の建設会社社長の鈴木さん(仮名)に飯舘村の除染の実態を聞いた。鈴木さんは、地元の職人の親方として、仲間を率いて、一所懸命に除染作業に取り組んでいる。
 「手抜き除染」という問題が大きく報道されている。が、これとは対照的に、鈴木さんらの仕事ぶりは、職人の誇りにかけていっさい手を抜かないものだ。むしろ、そうであるがゆえに、除染にたいする見方は厳しく、その矛盾を指摘している。
 鈴木さんが、事故前に携わった原発内作業の実態も含めてお話を伺った。
〔取材は12月から今年1月にかけて〕


〔飯舘村二枚橋にある寺の除染。この日の気温は日中でも氷点下2~氷点下1度。空間線量率は毎時0.8マイクロシーベルト前後で飯舘村の中では比較的低い地域。2012年12月〕


【Ⅰ】  原発での仕事


――原発の仕事は長かったのですか?

鈴木:地元の職人は、どっちかに分かれるんだね。原発に行くか、火力に行くか。
 自分は、なるべく区域(原発内の放射線管理区域)には入りたくないと思ってたから、火力に行ったり、一般の道路工事をしたり、原発でも外の仕事をしたり。で、たまたま震災の3、4カ月前に1F4号機(東電福島第一原発4号機、当時定期点検中)に入ったわけ。

――原発の中の仕事には関わらないようにしてきた?

鈴木:そうね、やっぱり。
 作業は、一般の現場より楽よ。線量を浴びる分、作業時間が短いとか。一般の現場なら1人で持ち上げるところを、原発だったら3人でやるとか。やっぱり安全面でそうするわけ。
 でも、やっぱり線量を浴びる。だから、絶対にいやだっていう者は行かない。進んで行くのは自分の周りにはいないね。
 自分が原発に行ったのは、先輩の会社に頼まれたから。「人が足りないから、ちょっと応援してくれ」みたいな話で。お金がいいとかの話じゃなくて、それをやらないと仕事がない時期だったんでね。
 この辺の職人は、火力の定検(定期点検)が終わったら、次はこっちの定検という具合に、原発や火力をグルグル回っているわけ。仕事がないときは柏崎(東電柏崎刈羽原発)に出張に行ったり。

――4号機での仕事は?

鈴木:シュラウド(原子炉の圧力容器の中にある、炉心を囲む構造物)の交換がらみの仕事。
 ものすごく分厚いタンクみたいなものの中に入っていくんだけど、「あ~ここが心臓部なんだな」と。自分の作業は、原子炉の水を全部抜いて、そこを拭く仕事だったけどね。
 それから、シュラウドの蓋を開けるためにボルトを抜くんだけど、そのボルトをプールの中から挙げて切断する仕事とか。

――かなり被ばく線量の高い作業ですね。

鈴木:そう。身体汚染しないように管理されて、フードマスクを被ったりしながら、作業したね。その場には5分ぐらいしかいられなかった気がする。
 蓋を開ける係とか、それからそこを拭いてくる係とか、そういう工程表があって、役割分担がしてあるんだよ。で蓋を開ける人は、開けたらサッと帰ってくる。
 だから普通なら1人2人でできるような作業でも、安全面を考えて、10人ぐらいでやる感じ。

――危ないと感じた経験は?

鈴木:ひどく怒られたことはあるね。
 4号機の中で、他の業者が切った高線量の配管をさらに細かく切って、ドラム缶に入れる仕事で。
 一番、線量を食う仕事で、アノラックを着てやるんだけど、直接触ったりすると、どっかの隙間から(放射性物質が)入る。それでサーベイを受けると、ものすごい数字が出ちゃう。決められたルールを守っても、身体汚染をしちゃうということが2回ぐらい続いた。それでものすごく怒られた。まあ、そのくらいシビアだっただろうなと。
 親会社の方から言われる。「どういう管理をしてんだ」って。
 基本的に、電力の人は、自分らには柔らかい口調で言ってくるんだけど、やっぱり親会社の監督さんなんかは、プレッシャーがあるんじゃないかな。

――親会社というと鈴木さんは何次請け?

鈴木:たぶん6次か7次ぐらい。
 俺らは、仕事がどっからどう来ているとかは、正直、わかんない。
「今度、ちょっと人足りないから」と言われたら行くという関係。契約関係とかはほとんどない。ある程度のラインまでしかない。実際、そうじゃないと人は集まんないでね。

――危険な作業で、当然、特別な手当てが出ると思いますが。

鈴木:出ているのかどうかわかんないけど、俺らはもらえない。
 当時、もらっていたのが一人1日1万3千円ぐらい。この辺だと、道路工事などの日当が大体1万円ぐらいだから、それより2、3千円高いというぐらい。
たぶん、電力なり元請なりが出している金額とは全然違うと思うけど、もうそれで我慢するしかない。お金を頂けるだけ、仕事があるだけありがたいという感じだよ。



〔門前の道に沿う植込みの表土を削って、上から砂をかけていた〕


〔屋根の除染の準備で、雨樋のサーベイ。「いちまーん」と読み上げる声が。
 1万cpmということだろう。激しい汚染だ〕




【Ⅱ】  原発建屋の中で3・11




――3月11日の地震のときは?

鈴木:あのときは、4号機の建屋の中で足場を組んでいたね。最初に組んだところがダメで、作業を中断してちょうどみんな足場から降りてきたときに地震になっちゃったんだ。足場に乗っていたら大変なことになっていたね。
 ものすごい揺れで、自分なんか、変な話だけど、「隕石でも落ちたんじゃねえか」ぐらいに、もう何がどうなっているんだか、わかんなかった。船に乗っているぐらい揺れてた。全員立ってらんなかったね。あせちゃったよ。
 で、照明が落ちちゃった。非常口の表示だけが点いていて、あと警報が鳴りっぱなし。
 もうトラウマになってるね。ヤバかったよ。

――まず、考えたことは?

鈴木:とりあえず外に出ようと。ヘルメットにライトつけている人もいたんで、それを頼りに外に出てきた。
 自分らは入り口に近い方だったんで、着替えとかもキチッとやってきたけど。サーベイは足だけしてもらって。
 別の建屋なんかでは、配管か何かの水を浴びちゃって、でもそのままでてきてしまったり。みんなもうパニック。俺らのところは割と冷静だったけど、他所の建屋では、「早く出せー」って感じで、着替えもサーベイもなしで、一斉に出てきてしまったらしい。

――津波のことは考えましたか?

鈴木:いや、建屋から出てきたものの、何がどうなっているかが理解できない。道路もこんなにグチャグチャになっているし、1号機なんか角の方が落っこちてたりしたんで。
 とにかく避難場所(原発サイトの南端にある見学用の高台)があるんで、そこにみんなで行って、安否確認をした。
 そのうち吹雪いてきたんで、しばらくみんなを落ち着かせて、それから、「じゃあ、各自帰れ」となった。津波は、たぶん高台で安否確認しているときに来ていたんだと思う。あそこから海は見えないから。大変なことになっていたんだけど、誰もわからなかった。もし、安否確認してすぐに帰っていたら、たぶん津波にあって死んでたのかなと思う。浜街道を通っていくから。
 みんなで車で浜街道を走ってたら、道がないんだよ。俺は、「パイプラインかなんかが破断して水が溢れてんだな」ぐらいにしか考えなかった。でもそのうちに津波だということがわかって。ちょうど家族とかと電話がつながり始めて、「家が流された」とか、そんな感じだったね。

――原発が危険になるとは?

鈴木:3月11日の2日前に岩手で地震があったけど、あのときにいつものメンバーで飲みながら、「そろそろ地震が来るんじゃないか」といった話を冗談半分でしてた。で、もし地震がきたら、「原発が危ないから、福島市に逃げよう」と、みんなで打ち合わせしてたんだ。そしたら、本当にあの地震が来ちゃった。
 だから、原発が危ないという情報が入る前に、そのまま福島市とか新潟にばんばんいちゃった。もうどうせみんな家も流されているし。
 俺の家は、津波では大丈夫だったんで、避難所にいる仲間に「とりあえず逃げなさい」って言って、ガソリンとか、子どものおむつを届けて、自分も翌日に避難した。

――原発の爆発を知ったときの気持ちは?

鈴木:「ああ、基本、帰れないんだべな」と。
 あの後、何日後かに、みんなのところに、(上の方の会社から)ガンガン電話がきて、「1Fに戻れないか」とか「決死で来てくれないか」とか言われた。普段は電話なんか来ないような何とか部長とかから。でも、みんな「それどころじゃねえ」って。
 自分は、事故以降、原発に戻ることはなかったね。
 でも、3月20日ごろにはこっちに戻ってきて、「ああこの先どうしようかな」とか考えてたよ。



〔落下、転倒、被ばくなどの危険を周知する打ち合わせが毎朝行われる。現場では省略してKYという〕




【Ⅲ】  飯舘村の除染





〔夏に表土剥ぐ除染が行われた小宮地区の田圃。線量はある程度下がったものの、豊饒な土壌を取ってしまったので、農業の再生は遠い。また周りの山林は手付かずなので、放射性物質はやがて戻ってくる〕


――除染はいつから?

鈴木:一発めの国のモデル事業から。去年(2011年)の10月ぐらい。いまは飯舘村をやってる。

――実際にやってみてどうですか?

鈴木:やれば下がるのは下がるんだけど、まあ場所にもよる。ホットスポットというのはある程度決まってて、そこだけ集中的にやってけば、とりあえずは下がる。
 コンクリートは、水で洗っても、落ちない。土は、表土を取れば全然違う。あと、木がダメ。切り倒すか、木の皮を剥くか。皮を剥くと違う。
 屋根は、瓦をキムタオル(拭き取り作業用、パルプ製)で一枚一枚拭き取ってる。一回拭いたら、もう汚れてるからダメなんで、折り返して折り返して、みたいな感じ。「ああ、これはどうなのかなあ」と思うけどね。
 それから、雨樋に放射性物質が溜まっているから、俺なんかは、「雨樋を新しいのに交換したらいいんじゃないか」と思うけど、それはお客さんのものだから勝手に交換ももちろんできないし。
 一番、激しいのは、雨どいの下の土。桁違いの数字が出る。そこは、1メーター×1メーター×1メーターで土を取ってしまう。で、測って、まだ高ければ、もっと掘ってという感じ。で、そこを取ると低くなる。まあ低いと言っても、震災前よりはずっと高いんだけどね。

――作業の雰囲気はどうですか?

鈴木:うちは、大成・熊谷・東急のJV(Joint Venture 共同企業体)の下にいる。
 監督さんらも一所懸命なんだけど、みんな初めてのことだから、一所懸命すぎて空回りしてしまうような雰囲気はあるよね。
 俺らとしては、言われたことさえやればいいわけだけど、監督としては、「下げたぞ」という結果が、技術者としても欲しいんだろう。
 だから、会議なんかで言い合いになる。「そんなやり方じゃ効率悪い」とか。「風が向こうから吹いてきてるから、向こうから攻めて、こういう風にやりたい」とか。「それはできません」とか。もうできないことはできないと言う。監督も、できないと分かってて言って来るから。
 それに工程的にきついよ。プレッシャーもある。除染をして数値が下がらなければ、やり直し。でも工期も決められているから、詰まってくるわけ。
 俺らが手を抜くわけにもいかないし、精神面で疲れるなあと思う。
 それでも、監督さんに、「無理を行って悪いなあ」とか「ありがとうなあ」と言われれば、職人としてはうれしい。



〔民家の玄関前のコンクリートの洗浄。屋根の洗浄で出た汚染水は回収するが、玄関前の洗浄で出た汚染水は、この現場では回りに流していた〕


〔ビニールハウスの中の土壌を剥離〕


ここは住む町ではない


――実際のところの除染の成果は?

鈴木:直後は下がる。でも1週間後、1カ月後、どうかね。雨どいの下の強烈なところは取り除いた。でも家一軒まるまるだからね。一戸ずつやっていくしない。そうすると地域全体としては、変わんないと思う。とくに飯舘村なんかは田圃があり、畑があり、山があり、森がありだから。
 ある意味、辛いよね。心の中で、「何やらされているんだ」みたいな。そういう気持ちもある。

――原発内の作業を経験した立場から今の除染はどうですか?

鈴木:原発内の除染と今の除染は、言葉は同じでも全く違う。原発の方は、建屋の中が汚染されていても、建屋の外に出れば、きれいな空間。それなりの理屈がある。原発では、汚染を封じ込め込めて、ここから持ち出さないという風にしている。中の方の気圧も低くしてあって、外には出ない。
 でも、今の除染の場合、ここを除染しても、まだこっちが汚れているから、難しいというか、今やっている除染は矛盾しているところがある。ここを除染しても、風で飛んでくれば、元に戻ってしまう。辛えよねえ。
 国が細かく基準とかマニュアルを作っているけど、その通りにやれば成果が上がるとは限らない。きつい思いをして、一所懸命やってる気持ちと、でも実際には「これは無駄だな」ということがある。みんな職人だから、そういう思いはあると思う。

――一番の無駄や矛盾は?

鈴木:家でも倉庫でも、拭き取ったり、洗浄したりするのにお金をかけるんだったら、それは壊して、新しいのを建ててあげた方がいいなと思う。で、出たものは汚れているから、集めて散らさない方がいいんじゃないかって思うんだけどね。
 自分の感覚なんかじゃ、正直な話、正常なときの建屋の中でさえ除染しきれなかったのに、これだけぶちまけて、できるがわけない。

――つまり除染しても元には戻らないと。

鈴木:ここはもう住む町ではないと思うね。とくに子どもたちが。
 実際、みんな単身こっちにいて、家族は避難という感じだね。

――ではどうしたらいいか、現場で見えてくるものは?

鈴木:たまに地図を見たりすると、福島県大きいし、飯舘も大きい。面積があって、高濃度で汚染されてて、ほとんど山。広すぎて、除染なんて意味がない。
 だから何十年かは、人が入れないというところを作るしかないと思う。子どもたちはできるだけ、近づけないで。



〔一軒の民家の除染でも大量の廃棄物が。これは一旦、小宮地区にある仮仮置き場に集められる。最終的には、双葉町・大熊町などに作ろうとしている中間貯蔵施設へ持ち込もうとしている。しかし無駄な除染のために双葉・大熊にまた犠牲を強いるのかという声も少なくない〕


危険手当


――除染作業は当然、危険手当がついているわけですが、その辺は?

鈴木:危険手当は一日1万円、普通の賃金プラス1万円。
 福島県の最低賃金が5300円ぐらいだから、「最低1万6千円ぐらい払いなさい」という話だよね。
 ただ、危険手当を除いたら6千円。6千円で働く職人なんていないよ。だから、最低で2万円は出してる。
 でも、自分のところでも、上の段階で相当抜かれている。やっぱり、暗黙の了解みたいな。
 それから、除染だからといって必ず危険手当が着くかというと、川俣町はつかない。
 飯舘村は環境省だけど、川俣町は町でやっているから。被ばくするのは同じなのに。だから、その辺の矛盾もあるよね。ものすごい安いし、人、集まんないって言ってたよ。
 

手抜き除染


――「手抜き除染」という報道が大きくされていますが?

鈴木:自分らは、地元の人間だからね。自分たちが住んでいるところだよ。そこで、ああいうことはやれない。気持ちとしてね。地元の人間だったら、川に捨てたらどうなるかとか、分かるし。
 手抜きで問題になっている作業員というのは、たぶん大半が、地元の人間ではないだろ。建設業もやったことがないような。
 俺らは、例えば、水で洗うときも、「一滴も漏らすな」って、回収を厳しくやってるくらい。その辺、監督もシビアだから。

――一所懸命やってきた現場としては?

鈴木:この話を聞いて、正直、俺もびっくりした。
 現場では、今はなんか雰囲気が重いよ。真面目にやっているのに、いっしょに見られて。そういうことを聞かれるし。なんか、やるせないね。

――どこに問題があると思いますか?

鈴木:国の人は、2~3年で除染してとか考えているみたいだけど、現実には無理。やっぱり除染なんて、できないことを無理にやろうとしているところに原因があるんじゃないか。さっきも言ったように、原発の建屋の中でさえ除染しきれなかったのに、放射能をこれだけぶちまけて、除染なんてできるわけがない。そういう矛盾したことをやっているところに問題があると思うけどね。
 

「本来の生活」を取り戻す


〔野菜を置けなくなった二枚橋新鮮野菜直売所につるし雛が(写真上)。住民の思いがつづられている(写真下)。「帰れるものなら帰りたい」という思いも事実。しかし除染すれば元に戻れるわけではない。それも重い事実〕


――原発が事故を起こして、汚染した状態になって、しかもその処理作業に携わっている人間として、どんな気持ちですか?

鈴木:そうねえ、出口が見えないトンネルに入ってしまったという感じかな。ただ、いまさら後戻りもできないし、何とか抜けるまでは行くしかないなあ。自分が生きている間は無理かもしれないけど。

――原発という政策からの転換については?

鈴木:やっぱりもう「本来の生活」に戻るべきなんじゃないかな。例えば、太陽光にしたとして、その発電量が少ないと言うなら、それで暮らせる生活にするべきなんだよ。たとえ貧しくても。その方がいいと思う。これまでがおかしかったんだよ。

(了)」

http://fukushima20110311.blog.fc2.com/


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