白夜の炎

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軍艦島などの世界遺産登録に寄せて

2015-07-06 12:38:18 | アジア
 すったもんだの末、九州の近代産業遺跡が世界遺産に登録された。韓国の強い反対は国際的には静かな支持を集めたと思われ、ドイツの斡旋をへて行われた承認後のスピーチでは、日本のユネスコ大使は過去に朝鮮人労働者の「意に反した」労働があったことを認め、それを周知させる施設をもうけることを表明した。

 今回の問題では日韓の深刻な対立と葛藤が国際的に知られるにいたり、おそらく日本の信用をより多く傷つけたと思われる。そう述べるのは日本側が今までの安倍政権、あるいは歴代自民党政権としては異例の「強制性」を事実上承認し、さらにそれを周知させる施設までもうけると表明したのは、そうせざるを得なかったほど、関係諸国の支持が韓国に集まっていたためだと思われるからだ。そうでなければ日本政府はこのような決断はしなかったであろう。

 多くの労働者が戦時の朝鮮人強制連行によって日本の炭坑などにつれてこられ、そこで数多くの犠牲者を出したことは研究者には周知のことであり、それを表記に含めるのは当然だと思われる。日本側の「学術的」「時期が異なる」云々の説明は、それをきかされた国々には全く受け入れられなかったであろう。

 そこでもう一つ問題を提起したい。それはそもそも日本の近代産業はバラ色のブロセスだったのか、という問題である。炭坑における過酷な労働。暴力的な飯場支配。低賃金と不安定な仕事。その他の産業も含めて、近代の日本の産業は低賃金にと長時間の労働に苦しめられた日本の労働者の地と涙の上にあることは明白であろう。

 しかしなぜそのような論点が全く取り上げられないのだろうか。それは働く労働者や彼らの家族の視点が全く欠如しているからではないだろうか。炭坑では事故はつきものであり、その犠牲者は実に多かった。だからこそ労働争議も激しく、エネルギー政策転換のプロセスで生じた三井・三池炭坑の争議は60年安保の政治状況とも重なって、空前の大争議となったのではないか。

 今回の世界遺産の申請に際してもっとも欠落していたのは、近代の遺産は、そこで働いた日本の庶民が作り上げたものであり、顕彰されるものがあるとすれば、まず彼らの労苦であり、非難されるべきものはその彼らがあまりにも過酷な労働と厳しい生活をになわなければならなかったその事実である。そしてこのような人々こそが大切だという視点がかけているのではなかろうか。そのような視点の欠落が名もなき朝鮮人・中国人の犠牲を悼み・謝罪し・記憶していこうという視点の欠落につながったのではなかろうか。

 そしてこのような産業の基礎・中核はそこで働く「人」であることを無視する視点こそ、現在のブラック企業や、派遣法の改正に見られる人権無視の姿勢をもたらしているのではなかろうか。その意味ではこの世界遺産は過去の問題ではなく-もちろん観光施設などでなく、働く私たちこそ社会の主人公なのだということを再確認するための貴重な施設なのだと位置づけられるべきだろう。