米国の国家安全保障会議(NSC)をモデルにしていると言われているが、時を同じくして日本でも安倍晋三首相の率いる政権が国家安全保障会議(日本版NSC)の創設に動いている。
平時であれば、軍事・安全保障機構のこのような近代化は懸念材料にはならないだろう。しかし、今は平時ではない。中国と日本はこの1年間、いくつかの無人島――日本では尖閣諸島、中国では釣魚島として知られている――の領有権を互いに主張し、危険な軍事的にらみ合いを続けている。
危険なのは偶発的な衝突が起き、双方が引くに引けなくなるリスク
最近では、中国の領空侵犯に対応して日本の戦闘機が緊急発進(スクランブル)を1週間のうちに3度行うという出来事があった。また、一方では中国が、最近実施した海軍の実弾演習の現場に日本の船舶が挑発的な接近を行ったと抗議している。このように緊張が高まっているだけに、両国政府による安全保障機構の手直しはより不穏な空気を漂わせるものとなっている。
中国や日本が実際に戦争を望んでいるとは考えにくい。それよりも、問題の島々の周辺における見せかけの軍事行動が偶発的な衝突につながってしまうリスク、そして両国政府がそれぞれの国家主義的なレトリックにとらわれ、引くに引けなくなってしまうリスクの方が大きい。
今ではどちらの国も、相手が無責任な行動を取っているとか国家主義が制御不能になっているなどと非難し合うのが普通になっている。そしてどちらの国も、もし相手が手を出してくれば、両国が争っているあの無人の岩礁の領有権を守るために軍事力を行使することも辞さないと述べている。
筆者は先日北京で、中国人民解放軍のある将軍から、日本が軍国主義に走ることで1930年代に犯した間違いを中国は決して犯さないという話を聞いた。
その数週間前には東京で、日本のある政府高官が、同じ歴史から全く異なる結論を導いているのを耳にした。「中国は、我々が1930年代に犯したものと全く同じ過ちを犯しつつある」とこの人物は述べ、「中国は、軍部がシビリアンコントロール(文民統制)から外れるのを容認しつつある。そして、太平洋における米国の軍事力に挑戦している」と指摘していた。
世界を巻き込む紛争に発展する恐れ
中国と日本、すなわち経済規模で世界第2位と第3位の国が紛争を始めれば、それは明らかに悲惨なものとなる。また、世界中を巻き込む紛争にすぐに発展してしまう恐れもある。米国は、日米安全保障条約を通じて日本を防衛することを約束している。
そして、米国は尖閣諸島の主権の帰属について公式の立場を取っていないものの、尖閣諸島が日本の施政下にあることは認めている。このことは、この島々が安保条約の適用対象であることを意味しているのだ。
この争いの背景には、中国の経済力が拡大し続けているという状況がある。最新の見通しによれば、中国は2020年までに世界最大の経済大国になる公算が大きい。米国が1880年代から保有していた称号を奪い取ることになる格好だ。
米イージス艦のソナー、フィリピン沖で中国潜水艦と接触
中国の防衛費は急速に伸びている〔AFPBB News〕
また、中国の軍隊はまだその規模と洗練度において米軍に大きく水をあけられているものの、米国防総省が支出の削減に取り組んでいる一方で、中国の防衛費は急速に伸びている。
日本はつい先日、防衛予算の小幅な増額を発表した。しかしこの国は既に巨額の債務を抱えており、中国と同じペースで防衛費を増やせないことを自覚している。
こうした経済的、軍事的影響力の変化は、将来の勢力バランスに関する不確実性を生んだ。不確実性が存在すると、世界の強国は互いの限界と能力を試す衝動に駆られる。
歴史の苦い遺産
また、歴史の苦い遺産によって、別の危険が加わっている。中国では、習近平国家主席が、共産党の主たる任務の1つは中国が味わった歴史的な屈辱を克服することだと主張している。そうした屈辱の中でも最たるものが日本による侵略だ。
だが、日本では、安倍政権が過去について、以前よりより国家主義的で、謝罪の姿勢を弱めたレトリックを採用している。両氏にとって、論争は極めて個人的なものだ。安倍首相が師とする祖父は1930年代に、折しも習主席の父が中国共産党の部隊の一員として日本軍と戦っていた時に、日本の占領下にあった満州を統治していたからだ。
中国と日本が相互に破壊的な衝突を避けたいのであれば、双方が方向転換する必要がある。中国側は反対しているが、日本政府と中国政府の間に有事のホットラインが設置されれば、大いに役立つだろう。
だが、日中両サイドでもっと大きな動きが必要だ。すなわち、双方の不安と憎悪の正当性を認めることだ。
衝突を避けるために必要なこと
安倍政権は中国の国家主義に対する不満を並べながら、日本自身の欠点を放置してきた。歴史に対する日本の態度に気分を害しているのは中国人だけではない。その他多くのアジア諸国も同様に愕然としている。アジア地域において日本の相対的な力が容赦なく衰えている時に、同国が国家主義的な態度を取る余裕はない。
だが、日本はまさに中国の台頭に怯えているがために、弱さと見られかねない対策を講じることを恐れている。
対照的に、中国は寛大な態度を示す余裕がある。何しろ中国は台頭する大国だ。そのため中国としては、日中間にどんな論争があろうとも、アジアの新たな政治秩序の中で日本が安全かつ立派な地位を占めることを受け入れる、ということを完全に明確にしなければならない。
そうしたステップは、日本政府に極めて大事な安心感を与えるし、中国政府にとっても多大な利益になる。というのも、平和が広く行き渡っている限り、中国の台頭は途切れずに続くからだ。
By Gideon Rachman」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39220