しかし彼のご両親は実は第2次世界大戦中、日本軍の為に大変苦労した。日本軍の広東攻略で、2代目で既に大成功していた家業の大商社が崩壊し、命からがら香港へ逃げてきた人達だ。自分達の命は助かったが、親戚・友人が多く命を落とした。筆者はそのビクターの父君であるファン・フォン・シュウ氏(既に故人)もよく存じ上げていたが、日本が好きで、晩年は時々箱根に行って富士山を見るのがお好きであった。ビクターも日本の良いところを実によく見ていて、バブル後の“失われた20年”の間も日本を信じ続け、対日投資も続け、日本の友人との関係を極めて大事にしていた。
過去のファミリーの経験にかかわらず、それだけの親日でありながら1つだけ父君もビクターも顔をしかめることがある。彼らにとっての対日関係は今と将来が大事で、日本に苦労させられたことは過去のことでもういいのだ。ただ1つの事がきちんとしていれば…。
それは、日本が、日本人が、近隣諸国に対し過去に大変な迷惑と苦渋を与えたということを歴史的に認識していること、そしてそうした軍閥の責任者が今や日本でヒーロー扱いになっていない、ということ、だという。残念ながら、彼らはそうした点を蒸し返されていると日本に対して感じる時、どうしても顔をしかめてしまうのだ。
親日家ですらうっすらと涙を浮かべた
韓国の韓国板ガラス社の大株主で会長であったタイ・スップ・チョイ氏(既に故人)は日本の統治時代の教育を受け、日本人以上に昔の日本人を思わせる礼儀正しい方で、日本語もペラペラであった。タイ・スップ・チョイ氏とその令息のユン・ズン・チョイ氏にはソウルでどれだけご馳走に与ったかわからない。この人達は文化的に本当に日本が好きなのだ。しかしある晩、温厚なタイ・スップ・チョイ氏が酒も入ってのことであったが、突然額に青スジを浮かべて、声を押し殺して怒った。筆者も驚いたが、彼が若い頃の日本の統治時代の話をしていた時だったが、突然思いがこみ上げてきたのだろう。
自分の国なのに、いかに韓国人が差別・抑圧されていたか、日本軍が朝鮮人に対して如何なる態度であったかを目にうっすらと涙をためて、もとの温厚な笑みに戻るまでの5分間、一生懸命爆発を抑えている様だった。この人もやはり心の底で怒りが消えていないのだなという事をつくづく感じた。韓国人は今でも、昔の日本の様に、国と個人を一心同体に見ているところがある。若いユン・ズン・チョイ氏も日本人の歴史感覚には不満を持っている。
フィリピンの大物、ワシントン・シシップ氏、オーストラリアの親友のピーター・ローレンス氏、シンガポールの友人ゴー・キー・スン氏らも酒が入った時など、日本軍に親戚・友人が殺されたことを小生に苦々しく話していたことを思い出す。これらの国々の人々も、日本軍の攻略・侵略には忘れがたきものを持っているが、やはり中国・韓国は特別だろう。
今回は、これらの経験から、中国・韓国は、なぜ日本に対し延々と、むき出しの敵意と嫌悪感を持ち続けているのか、という事をよく考えてみたい。この問題は、日本人がグローバルエリートになる為のポイントの1つとして世界中から注視されていることでもあるのだ。最近まで、(小泉元首相の靖国参拝以外は)中国人と日本人の間には友好な関係があったし、韓国については韓流などと称し、日本国内では韓国ブームがあった。両国関係は草の根レベルでも良かったのだ。日本では主要駅のみならず、地方の駅でも英語・中国語・韓国語で諸々の案内を出して大歓迎の意を表していた。
しかし向こうから見れば、まだ物足りぬものが大いにあったのだろう。そこへ尖閣諸島の日本の国有化に端を発し、日中関係が悪化し、韓国の場合は前大統領の突然の竹島上陸という挑発的行動に始まって関係が極度におかしくなった。しかし、仮にこれら領有問題が何とか解決出来たとしても、両国との間の根っこにあるものが何かを考え、それを根本的に解決しなければ、ぎくしゃくはいつまで経っても続くだろうし、この大事な隣国と本当の信頼関係が出来ないという危険な状況が続くだろう。
こちらから今の状態を見ると、中国共産党政府の威嚇的行動は全く受け入れられないし(フィリピンもベトナムも中国政府と南シナ海の領有権問題でぎくしゃくいているが)、又、朴大統領が伊藤博文を暗殺した韓国人の銅像をハルピンに建造することを中国政府に要請するなど、誠に不愉快なことが多い。そして定期的に日本側のお詫びと反省を要求する。
儀式的なお詫びと反省の繰り返しは、もはや意味が無いどころか、かえって悪感情と不信を助長する。そして日本人の大半は純粋に国の為に命を落とした靖国に眠る200万の無辜の兵士達に対し、日本国民全体が(海外よりの訪問者も含め)わだかまりなく心を込めて堂々と詣でる様になりたいと思っている。その為にはどうしたら良いのか。根っこの問題とは何なのか。
いつから見下す態度になったのか
ここでPut yourself in the other’s shoes(意訳:自分を相手の立場に置いてモノが考えられるか)の姿勢が大事になる。よく胸に手を当て考えてみると日本人は中国・韓国を日本より後進と見ている様なところがあるが、向こうは全くそう思っていない。現に日本の成長を歴史的に顧みると、両国が早くから随分関わっている。我々の文字である漢字でも、心の教えの一つである論語でも向こうから伝わってきたものだ。いつの頃からか日本人は態度が大きくなり両国を見下す態度になっていった。まず、もっと謙虚になって良いのではないか。
対中、対韓については、日清・日露・第1次世界大戦などいろいろな理由があるし、不幸なきっかけもあったが、日本にもいろいろ言い分がある。1600年代、西洋人の渡来の影響とその外圧が直接間接にあまりに強かったために、江戸幕府が行った215年にわたる鎖国が、黒船によって無理矢理打ち破られた。その時に日本人が見たものは、全ての隣国は西洋列強の支配下になっていた、ということだった。何としても独立を守るために富国強兵策が採られた。それ自体は良かったが、富国強兵策は、日本は他のアジア諸国とは違うぞという自負と共に日本の軍閥の勃興となり、帝国主義へと進み、アジア諸国への干渉と進出へと繋がっていった。
逆の立場になって考えてみると…
最初は西洋支配よりアジアを解放するという大義名分もあったが、段々に軍国主義の指導者に対し誰も抑えが効かなくなった。軍の指導者は正義の名のもとにあらゆる機会を捉えて隣国に戦線を拡大し、侵略・併合して支配下に置き、相手を蹂躙したことは確かだ。その当時の日本人は中国人・韓国人を蔑称で呼んで見下してきた。
我々日本人はこれを逆の立場に立って考えたことがあるだろうか? 愛する祖国が過去に何十年にもわたって彼等の軍隊に土足で上がられ、蹂躪され、見下されていたら、今我々は、そして子供達はどんな感情で中国・韓国に接していただろう?。それでもファン一家やチョイファミリーの様に過去を忘れ、心から今を大切にという人達が大勢いる。
問題は、日本がその後70年近くいろいろな経済協力で十分償った、何度も何度も十分反省し謝ったではないか、と言っても、どうしてもそれが彼らには誠意として受け取れない点があるのだ。筆者が思うには、向こうから見ると長い辱めの歴史を作った日本軍の指導者達、あの間違った戦争を導いた責任者たちが1948年に国際社会からA級戦犯と結論づけられたのに、今も日本の魂である靖国神社に合祀され、日本の精神として崇められ、現在の日本の指導者も隣国の目を気にしながら参拝していると映るのだ。日本の様に世界の中で優等生であるのに、この点だけは世界からは理解されないし曖昧な点であることを、多国籍社会で過ごしてきた筆者はよく感じてきた。
日本では死ねば白紙だ、許される、死による清算、という考え方がある。しかし国際社会では、国際正義の見地から結論をつけないと簡単に忘れられるというものではない。それに引きかえ、第2次世界大戦の張本人で、ナチスの下であれほどの侵略、大量虐殺を行ったドイツが、今再びヨーロッパの中で隣国から頼られ、再びヨーロッパのリーダーになっているのはすごい。それは戦後ドイツが国際正義の見地からフェアに、曖昧でなく、過去の過ちを認め、ナチズムのリーダーと戦犯を徹底的に否定し、そのことを行動で示しているからだ。筆者の親友のウオルフガング・シーツ氏(ドイツ人でゴールドマン・サックス・ヨーロッパ社長を務めた)と話していても、彼らの歴史解釈については一点の曖昧性のないことを感じている。
政治に一切関与出来ないお立場の天皇陛下は、昭和陛下も今上陛下も、それまで熱心にいらしていた靖国神社にはA級戦犯が合祀されてからは、ぷつんといらっしゃらなくなった。立場上、お言葉として示すことが難しい時、行動でお気持ちを示しておられる。これほどはっきりした指針はないと思う。
とはいえ、我々が他国の干渉や圧力の下で反省の行動を起こすのではいけない。ましてや現在の様な中国政府の脅しや韓国政府からの圧力に屈するべきではない。そして中国人・中華人と中国共産党政府とを、又韓国人と韓国政府とを、いつも一緒に一体として考えない方が良い。国は時々為政者によってポリシーが変わるが、人々の気持ちは変わらない。我々は、長い友好と苦渋の歴史を共有する中国人・中華人、そして韓国人に対してまずフェアであるべきなのだ。そしてお互いに相手の立場から歴史を眺められることが大切なのである。
本当の愛国、フェアな判断とは何か
筆者の個人的な考えでは、日本は独自判断で思い切って然るべきタイミングをもって、自らの“歴史認識委員会”を作り、国際正義の見地から軍閥指導の侵略があったことを正式に認め、A級戦犯の分祀を行い、この方々には他の神社に行って貰うことを速やかに進めるべきだと思う。これによって日本人は名実ともに公正を求める国民として世界からも再評価され、世界における強い発言力も影響力も増すことは間違いない。そうすれば隣国に対しても何らいじけることなく、堂々と接することができる。さらに、日本国内でも、国旗や君が代に対する不思議な「いじけ」も払拭されていくだろう。これが本当の愛国の気持ちであり、フェアな判断ではないのだろうか。
国内でも国際ビジネスの世界でも、あの人、あの会社はフェアでないと言われる場合、ありとあらゆるケースがある。嘘、裏切り、隠す、色々な理由を付けて約束や契約を守らない、などだ。しかし中でも真実、事実を認めない、又は意図的に曲解する、というのは一番インパクトが大きいだろう。何故なら、真実・事実の共有は関係の基礎だからだ。この複雑な世の中で大事なことは、相手の立場で自分のふるまいを見てみることである。そのためにお互いに相手の立場から歴史を眺めてみることができれば、グローバルビジネスエリートの心構えとして登竜門を通過したことになる。
参考:安田信著、同文館出版発行『世界で通用する日本人であるために-これからのビジネスリーダーに贈る45の視点―』」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131111/255690/?P=1