アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

のんびり師走に洗髪談義

2014-12-12 12:39:47 | 日記
今日はちょっと寒さが和らいだような気がします。


よかった〜!

毎朝、「まだ眠い〜、もっとベッドにいたい〜」とごねる娘ですが、「今日はクリスマス会だって。ドレスとかスカート着ていいんだって」と
話すと、ぱっちりと目を開いて「どれにしようかな〜♪」と飛び起きました(笑)。夏の頃から、クリスマス、クリスマスと騒いでいたので、
クリスマスと名のつくものごとには大喜びします。


親子クリスマスツリー。

シドニーから東京に戻って、すぐに小さいクリスマスツリーを飾りました。私が外出している間に、夫と娘で飾り付けたようで
「私がやったの!」と大威張り。さらに小さいクリスマスツリーがとなりにおいてあるので、他に移そうとしたら「だめ!
大きいのはママツリー、小さいのはベビーツリーなんだから!」だそうで(笑)。


就寝前の、アナと雪の女王「ありのままに」斉唱。

シドニー滞在最後の1週間くらいから、夜寝る前に「粉ミルク!」と叫ばなくなりました。それまでは、
おっぱいにかじりついて、粉ミルクをパパに飲ませてもらって、またおっぱい、そのまま寝つくというパターンだった
のですが、おっぱいだけですぐに寝ついてしまう。「もう粉ミルクいらないの?」と聞くと「うん、お姉さんだから!」。
「ふ〜ん、でもお姉さんなら、おっぱいいらないでしょ?」とさらに聞くと、ちょっと考えて
「ううん・・・ちょっとお姉さんだから、ジャストおっぱい!」だって。


感情移入してます(笑)。

東京に戻ってきたら、また粉ミルクと言い出しましたが、毎日ではなくなってきています。
シドニーにいる間に、ちょっと忘れかけていた英語が戻ってきて、少し言葉も増えたようです。
なぜか日本語もちょっと上達した感じです。
背も体重も増えて、ひとまわり大きくなった感じ。1ヶ月弱ぶりに娘をみた私の親や弟は「お姉さんになったね」
と言います。違う環境に連れ出すと、ぐんと育つんでしょうかね?


早めのクリスマスプレゼントでいただいたペンギンシャツで、ペンギンダンス!

先日、保育園で個人面談がありました。うちではごはんはひとつのものしかたべない(たとえば今日はパスタばっかり、
次の日はきゅうりばっかり、とかね)、髪の毛を洗うのが一苦労、などと先生に話すと「ええ〜!信じられないです!
だって保育園では給食なんでもきれいに食べるし、夏の間、水遊びしたあとシャワーで髪の毛を洗うのも全然いやがら
なかったですよ〜!嫌がる子は逃げちゃうんですが、おたくの娘さんはそんなことまったくなくて、とても楽でしたよ」


へへ〜。

お風呂は一時大好きだったのですが、また嫌いになってしまいました・・・。髪の毛を洗うのも、家では大嫌いで、
逃げ回るので、夫とふたりがかりでつかまえて、やっと洗い上げ、乾かすのもこれまた大騒ぎなのです。
ご近所には虐待してると思われてるのではないか、と心配するほど泣き叫ぶので、髪の毛洗いの儀式が終わると
夫とふたりでぐったりしてしまう。次の日、となりにいる私の親が「昨日はどうしたの・・・?」と心配そうな
顔で聞いてくるくらいです(笑)。

保育園の先生は「信じられません」とおっしゃいますが、なんで家ではこうなんでしょうね?親がなめられてる
のかなあ、というと「う〜ん、そうですねえ、泣き叫んでも、洗います、と断固として洗うしかないでしょうね。
おとなりのご両親には、泣き叫んでる時は洗髪だから心配しないでください、とお断りして」というアドバイスを
いただきました。

たまたまそのあと、道で叔母と偶然あいました。ちょっとおしゃべりしたら、「私の知り合いのお孫さんの
通ってる保育園で、毛じらみがでたらしいの!信じられないわよね、今の世の中、戦後じゃあるまいし、
お風呂なんてみんな毎日はいるだろうに」と叔母。
「いや、毎日お風呂にいれるのは大変なのよ〜!」と娘の洗髪苦労話をしたら、「あら・・・」と叔母は絶句。

とはいえ、毛じらみは困るので(!)、泣き叫ばれても、毎日でなくてもいいから、髪の毛は洗わないといけないなあと
改めて思いましたです、はい。

東京、すっかり寒くなっていました!

2014-12-07 01:34:30 | 日記
東京に戻って、はや4日目。すっかり冬ですね、寒い!


夏のシドニー空港で。

寒い、寒いとこぼしながら、荷物をほどきながら、これまで東京の家にあった本や書類、洋服、使わなくなった電化製品などを
片付け、シドニーにあったものが入るスペースを作っています。年末の大掃除が一足早く始まったようです(笑)。


まだシドニー空港。ピンクのハチがうろついてる

シドニー空港に向けて出発しようという時になって、夫のスーツケースの取っ手が壊れました!本やらワインやら、ぎゅうぎゅうに
詰まって重いので、心配です。たまたま甥っ子がすぐに東京にまた遊びにくることになっているので、義姉のスーツケースを
借りることに。重量制限を心配していましたが、借りたスーツケースはうんと軽いので、問題解決しちゃった(笑)。

今回シドニーに来た目的は、アパートを引き上げること、つまりいろんなものを処分することでしたが、そういうわけで、
最後の最後まで処分作業。


そうね〜!東京に戻ってます。

話はさかのぼり、シドニーのアパートを退去し、義姉宅に転がり込んでから、数日後の朝のことです。
目覚めたら、背中から首にかけてものすごく痛くて起き上がれない!
出勤前の義姉が見てくれて、おそらく一箇所寝違えたとか、ひねって、それが背中全体に影響してしまった、という診断。
医者がそばにいると便利です(笑)。
ポーランドの「馬の軟膏」と呼ばれる、透き通ったミントグリーンの軟膏を義姉に塗り込んでもらいました。

そのままゴールドコーストに行き、のんびりプールで泳いだりしていたのですが、なかなかよくなりません。
シドニーに戻り、出発前日にシンギングボウルを使ったヒーリングというのを受け、おかげさまでだいぶよくなりました。
ヒーリングしてくださった方をお話をして「いろんなことが一挙に来ちゃってるのね。体はびっくりしちゃってるみたいだけど、
どんどん片付いてるみたいだからすぐによくなりますよ」と言われました。


まだ、まだ。

その夜、魚介類が苦手な義姉が唯一食べられる、ガーリック・チリ・マリネのエビのオーブン焼きという夫の得意料理を作ることになっていました。
次の日出発だから、荷造りしながら、簡単に作れるものを、と考えていたのですが・・・・。


えーい、足までお化粧だ〜!

次の日に旅行から戻ることになっていた甥っ子が1日早く帰宅し、予想より仕事が早く片付いたから、と義姉の仲良しのお友達も来ることになり、
さらにポーランドにいる一番上の義姉の古いお友達カップルがシドニーを訪問し、この夜だけ空いているとわかり、お招きすることに。
気軽な大人3人分の夕食が、突然7人分のディナーになってしまい、一瞬パニックに(笑)。
エビだけじゃ、ちょっとなあ、ということで、サラダやら何やら4品、さらにデザート、チーズなどを用意しようと買い出し、料理に
てんてこまい。

最後の最後まで、「来る時は一挙に来る」日々でした(笑)。


駅前のクリスマス・イルミネーション。

東京にもどって、シドニーの荷物もとりあえず片付いたところで、やっと一息でございます。・・・シドニーでも「一息ついた」って
何度も思ったんですけどね(笑)。

明日、東京に向けて出発します

2014-12-01 07:09:31 | 日記
ゴールドコーストからシドニーに戻り、シドニーのお友達たちとランチを2日続けて楽しみました。


ゴールドコーストのホテルで、金色のエンジェルたちの飾り。

気がつくと、みんな移民してきた人たちで、シドニー在住20年前後、中には30年近の人もいます。
みんな最初にオーストラリアに来た時には、いろいろ苦労して、そして今のある程度落ち着いた生活がある、
という話をきき、なんだかすごく感動してしまった・・・。


ホテルのプールサイドでとかげと見つめ合う娘。

自分の故郷を離れ、新しい国で家族を作り、子供を育ててきた人たちの言葉は力強いです。私はシドニーに通算3年ちょっと
ですが、年中東京に戻っていたし、独身の頃にニューヨークに通算5年くらいいたことがありますが、これまた
東京との往復生活で、いつもふらふらしている感じで、どっしりと根を下ろした人々のお話をきくと、ものすごく
感心してしまいます。


アバロンのお友達のおうちで。すばらしい眺め。(そしておいしいランチでした)

義姉がたまたま25年くらい前に、オーストラリアではじめて勤務した病院のネームカードを見つけ、私に見せてくれました。
「ポーランドからオーストラリアにきた時には全然英語ができなくて、この国の医師免許試験に受かるなんて無理だって言われたの。
でも毎日、仕事のあとに数時間ずつ勉強して、一度で合格したの」この試験、難しくてみんな何度も受け直すそうです。


アバロンにて。紫のジャカランダがとてもきれい。

「13歳の時、医者になりたいって言ったら、父親にぜったい無理って言われたわ。当時ポーランドで医者や弁護士になれるのは、共産党幹部
とか一部エリートの子供だけだってね。でも、ぜったいなってみせるって決めて、実際にポーランドで医者になった時は嬉しかったわ」

夫がオーストラリアに移民してきたのは、この義姉が先にオーストラリアに来ていたからです。義姉はポーランドで知り合った
ポーランド系オーストラリア人のボーイフレンドを頼って、オーストラリアに来たそうです。当時はビザをとるのに、相手国に
保証人が必要だったようで、来るだけでも大変だったんですね。


ダーリングポイントのお友達のおうちで。ハーバーブリッジがきれいに見える、これまたすばらしい眺め。

「はじめてオーストラリアにきた時には100ドル札いちまいしか持ってなかったのよ」
最初はベビーシッターやらクリーニングレディをしながら、生活をしていたそうです。そんな中で、コツコツ勉強して
医師免許試験に合格した。「私が得意なのは、毎日ちょっとずつ努力することなの。毎日必ず2、3時間勉強していくと
知識が定着すると思うのよ。ただ、それだけ」いや、もとが優秀だったから、なんだと思います(笑)。でも毎日やる、
その積み重ねは大切だなあ、とたしかに思います。


ひさびさにミロンガにも行ってみました。

「私は小さいときから夢想家、ドリーマーだって言われいてたのよ。家族の中でもいちばん神経質で、弱いって思われていた。
すぐに熱を出すし、繊細すぎる、夢みたいなことばかり言うって。普通の労働者の娘なのに医者になりたい、とか
ポーランドみたいに寒い国でなくて暖かい国に住みたい、とか。でもね、全部実現したわ。もちろんいいこともいやなことも
たくさんあったけど。息子にはね、だから大きな夢を持ちなさいって話してるの。そこに向かって進むことが大切
だと思う。実現するか、しないかは問題ではなくて、高い目標に向かって進む、そのこと自体が大切だと私は
思うのよ。」


レストランで。子供用のお絵描きセットをもらい、喜んで吠える!?

ぜったい医者になんかなれないって言っていたお父様は、オーストラリアに遊びのきて、娘がポーランドだけでなく
オーストラリアでお医者さんをやっているのをみて、さぞかし誇らしかったでしょうね、と言うと、
「とっても誇らしかったと思う。周りの反対を押し切って、自分の夢を追いかけたけど、それがまわりにも
影響したのよね。私がオーストラリアに来なかったら、あなたは私の弟と出会わなかったし、私の親や姉たちも
こんなに年中オーストラリアに遊びに来れなかったし。人生って、面白いよね」


パスタ大好き!

「・・・ただ・・・キャリアとかお金とかね、そっちの方では私は運があるし、自信もあるんだけど・・・男性運がね〜。
どうも恋愛とか結婚はうまくいかなくて。妙に自信がなくなっちゃうの。でも、私の離婚とかガンをあてた
タロット占い師が、これから半年以内に新しい出会いがあるっていうから、楽しみだわ!」
かわいらしいのですね、恋愛については(笑)。


飛行機楽しい。

今回の滞在で会ったお友達たちは、みんな何か夢とか希望をもってオーストラリアに移ってきて、しっかり
根付いた人たちです。もちろん山あり谷ありの20年とか30年だったでしょうが、何かを求めて、それに
向かって進んできた潔さとか清々しさ、力強さが感じられ、骨太の映画とか小説を見たり、読んだり
したあとのような感動を覚えたのです。


スーツケースに子ガエルがくっついた!?

さてさて、今日、明日で、帰りの荷造りです。私は荷造りが大嫌いで、またたくさんの荷物を持ち運ぶのも
嫌いなので、今回のように、ある程度持ち帰るものがあるのは気が重いのですが・・・ま、どうにかなるでしょう!