ゴールドコーストからシドニーに戻り、シドニーのお友達たちとランチを2日続けて楽しみました。
ゴールドコーストのホテルで、金色のエンジェルたちの飾り。
気がつくと、みんな移民してきた人たちで、シドニー在住20年前後、中には30年近の人もいます。
みんな最初にオーストラリアに来た時には、いろいろ苦労して、そして今のある程度落ち着いた生活がある、
という話をきき、なんだかすごく感動してしまった・・・。
ホテルのプールサイドでとかげと見つめ合う娘。
自分の故郷を離れ、新しい国で家族を作り、子供を育ててきた人たちの言葉は力強いです。私はシドニーに通算3年ちょっと
ですが、年中東京に戻っていたし、独身の頃にニューヨークに通算5年くらいいたことがありますが、これまた
東京との往復生活で、いつもふらふらしている感じで、どっしりと根を下ろした人々のお話をきくと、ものすごく
感心してしまいます。
アバロンのお友達のおうちで。すばらしい眺め。(そしておいしいランチでした)
義姉がたまたま25年くらい前に、オーストラリアではじめて勤務した病院のネームカードを見つけ、私に見せてくれました。
「ポーランドからオーストラリアにきた時には全然英語ができなくて、この国の医師免許試験に受かるなんて無理だって言われたの。
でも毎日、仕事のあとに数時間ずつ勉強して、一度で合格したの」この試験、難しくてみんな何度も受け直すそうです。
アバロンにて。紫のジャカランダがとてもきれい。
「13歳の時、医者になりたいって言ったら、父親にぜったい無理って言われたわ。当時ポーランドで医者や弁護士になれるのは、共産党幹部
とか一部エリートの子供だけだってね。でも、ぜったいなってみせるって決めて、実際にポーランドで医者になった時は嬉しかったわ」
夫がオーストラリアに移民してきたのは、この義姉が先にオーストラリアに来ていたからです。義姉はポーランドで知り合った
ポーランド系オーストラリア人のボーイフレンドを頼って、オーストラリアに来たそうです。当時はビザをとるのに、相手国に
保証人が必要だったようで、来るだけでも大変だったんですね。
ダーリングポイントのお友達のおうちで。ハーバーブリッジがきれいに見える、これまたすばらしい眺め。
「はじめてオーストラリアにきた時には100ドル札いちまいしか持ってなかったのよ」
最初はベビーシッターやらクリーニングレディをしながら、生活をしていたそうです。そんな中で、コツコツ勉強して
医師免許試験に合格した。「私が得意なのは、毎日ちょっとずつ努力することなの。毎日必ず2、3時間勉強していくと
知識が定着すると思うのよ。ただ、それだけ」いや、もとが優秀だったから、なんだと思います(笑)。でも毎日やる、
その積み重ねは大切だなあ、とたしかに思います。
ひさびさにミロンガにも行ってみました。
「私は小さいときから夢想家、ドリーマーだって言われいてたのよ。家族の中でもいちばん神経質で、弱いって思われていた。
すぐに熱を出すし、繊細すぎる、夢みたいなことばかり言うって。普通の労働者の娘なのに医者になりたい、とか
ポーランドみたいに寒い国でなくて暖かい国に住みたい、とか。でもね、全部実現したわ。もちろんいいこともいやなことも
たくさんあったけど。息子にはね、だから大きな夢を持ちなさいって話してるの。そこに向かって進むことが大切
だと思う。実現するか、しないかは問題ではなくて、高い目標に向かって進む、そのこと自体が大切だと私は
思うのよ。」
レストランで。子供用のお絵描きセットをもらい、喜んで吠える!?
ぜったい医者になんかなれないって言っていたお父様は、オーストラリアに遊びのきて、娘がポーランドだけでなく
オーストラリアでお医者さんをやっているのをみて、さぞかし誇らしかったでしょうね、と言うと、
「とっても誇らしかったと思う。周りの反対を押し切って、自分の夢を追いかけたけど、それがまわりにも
影響したのよね。私がオーストラリアに来なかったら、あなたは私の弟と出会わなかったし、私の親や姉たちも
こんなに年中オーストラリアに遊びに来れなかったし。人生って、面白いよね」
パスタ大好き!
「・・・ただ・・・キャリアとかお金とかね、そっちの方では私は運があるし、自信もあるんだけど・・・男性運がね〜。
どうも恋愛とか結婚はうまくいかなくて。妙に自信がなくなっちゃうの。でも、私の離婚とかガンをあてた
タロット占い師が、これから半年以内に新しい出会いがあるっていうから、楽しみだわ!」
かわいらしいのですね、恋愛については(笑)。
飛行機楽しい。
今回の滞在で会ったお友達たちは、みんな何か夢とか希望をもってオーストラリアに移ってきて、しっかり
根付いた人たちです。もちろん山あり谷ありの20年とか30年だったでしょうが、何かを求めて、それに
向かって進んできた潔さとか清々しさ、力強さが感じられ、骨太の映画とか小説を見たり、読んだり
したあとのような感動を覚えたのです。
スーツケースに子ガエルがくっついた!?
さてさて、今日、明日で、帰りの荷造りです。私は荷造りが大嫌いで、またたくさんの荷物を持ち運ぶのも
嫌いなので、今回のように、ある程度持ち帰るものがあるのは気が重いのですが・・・ま、どうにかなるでしょう!
ゴールドコーストのホテルで、金色のエンジェルたちの飾り。
気がつくと、みんな移民してきた人たちで、シドニー在住20年前後、中には30年近の人もいます。
みんな最初にオーストラリアに来た時には、いろいろ苦労して、そして今のある程度落ち着いた生活がある、
という話をきき、なんだかすごく感動してしまった・・・。
ホテルのプールサイドでとかげと見つめ合う娘。
自分の故郷を離れ、新しい国で家族を作り、子供を育ててきた人たちの言葉は力強いです。私はシドニーに通算3年ちょっと
ですが、年中東京に戻っていたし、独身の頃にニューヨークに通算5年くらいいたことがありますが、これまた
東京との往復生活で、いつもふらふらしている感じで、どっしりと根を下ろした人々のお話をきくと、ものすごく
感心してしまいます。
アバロンのお友達のおうちで。すばらしい眺め。(そしておいしいランチでした)
義姉がたまたま25年くらい前に、オーストラリアではじめて勤務した病院のネームカードを見つけ、私に見せてくれました。
「ポーランドからオーストラリアにきた時には全然英語ができなくて、この国の医師免許試験に受かるなんて無理だって言われたの。
でも毎日、仕事のあとに数時間ずつ勉強して、一度で合格したの」この試験、難しくてみんな何度も受け直すそうです。
アバロンにて。紫のジャカランダがとてもきれい。
「13歳の時、医者になりたいって言ったら、父親にぜったい無理って言われたわ。当時ポーランドで医者や弁護士になれるのは、共産党幹部
とか一部エリートの子供だけだってね。でも、ぜったいなってみせるって決めて、実際にポーランドで医者になった時は嬉しかったわ」
夫がオーストラリアに移民してきたのは、この義姉が先にオーストラリアに来ていたからです。義姉はポーランドで知り合った
ポーランド系オーストラリア人のボーイフレンドを頼って、オーストラリアに来たそうです。当時はビザをとるのに、相手国に
保証人が必要だったようで、来るだけでも大変だったんですね。
ダーリングポイントのお友達のおうちで。ハーバーブリッジがきれいに見える、これまたすばらしい眺め。
「はじめてオーストラリアにきた時には100ドル札いちまいしか持ってなかったのよ」
最初はベビーシッターやらクリーニングレディをしながら、生活をしていたそうです。そんな中で、コツコツ勉強して
医師免許試験に合格した。「私が得意なのは、毎日ちょっとずつ努力することなの。毎日必ず2、3時間勉強していくと
知識が定着すると思うのよ。ただ、それだけ」いや、もとが優秀だったから、なんだと思います(笑)。でも毎日やる、
その積み重ねは大切だなあ、とたしかに思います。
ひさびさにミロンガにも行ってみました。
「私は小さいときから夢想家、ドリーマーだって言われいてたのよ。家族の中でもいちばん神経質で、弱いって思われていた。
すぐに熱を出すし、繊細すぎる、夢みたいなことばかり言うって。普通の労働者の娘なのに医者になりたい、とか
ポーランドみたいに寒い国でなくて暖かい国に住みたい、とか。でもね、全部実現したわ。もちろんいいこともいやなことも
たくさんあったけど。息子にはね、だから大きな夢を持ちなさいって話してるの。そこに向かって進むことが大切
だと思う。実現するか、しないかは問題ではなくて、高い目標に向かって進む、そのこと自体が大切だと私は
思うのよ。」
レストランで。子供用のお絵描きセットをもらい、喜んで吠える!?
ぜったい医者になんかなれないって言っていたお父様は、オーストラリアに遊びのきて、娘がポーランドだけでなく
オーストラリアでお医者さんをやっているのをみて、さぞかし誇らしかったでしょうね、と言うと、
「とっても誇らしかったと思う。周りの反対を押し切って、自分の夢を追いかけたけど、それがまわりにも
影響したのよね。私がオーストラリアに来なかったら、あなたは私の弟と出会わなかったし、私の親や姉たちも
こんなに年中オーストラリアに遊びに来れなかったし。人生って、面白いよね」
パスタ大好き!
「・・・ただ・・・キャリアとかお金とかね、そっちの方では私は運があるし、自信もあるんだけど・・・男性運がね〜。
どうも恋愛とか結婚はうまくいかなくて。妙に自信がなくなっちゃうの。でも、私の離婚とかガンをあてた
タロット占い師が、これから半年以内に新しい出会いがあるっていうから、楽しみだわ!」
かわいらしいのですね、恋愛については(笑)。
飛行機楽しい。
今回の滞在で会ったお友達たちは、みんな何か夢とか希望をもってオーストラリアに移ってきて、しっかり
根付いた人たちです。もちろん山あり谷ありの20年とか30年だったでしょうが、何かを求めて、それに
向かって進んできた潔さとか清々しさ、力強さが感じられ、骨太の映画とか小説を見たり、読んだり
したあとのような感動を覚えたのです。
スーツケースに子ガエルがくっついた!?
さてさて、今日、明日で、帰りの荷造りです。私は荷造りが大嫌いで、またたくさんの荷物を持ち運ぶのも
嫌いなので、今回のように、ある程度持ち帰るものがあるのは気が重いのですが・・・ま、どうにかなるでしょう!