福田首相のことを特に支持しているわけではない。
でも、今回のアフガニスタンの伊藤さんの拉致、殺害事件の報道の経過において、あの数年前の、拉致事件や香田さんの事件のときのような、「自己責任論」によるバッシングが、少なくとも今回は政治家やマスコミからは表立っては起きなかったことに、少し、ほっとした。あのころの報道の異常さ、そして救出された人質や家族へのバッシング等を、誘導するような政治家の「自己責任」発言や、香田さん殺害事件のときの、救出のための何のアクションも起こさなかったばかりか、積極的に切って捨てるような酷薄なコメントを出したこの国のトップと、それに媚びるような政治家、外務官僚たちの冷たい態度、発言に唖然としたものだった。異常だったと思う。そして、社会は、あの酷薄さによって壊れたものを、修復し、取り戻さなければならないと私は思う。政治家や官僚が自らの不作為をごまかすために、あの「自己責任」という言葉は使われたし、それにマスコミや若い人たちが、唯々諾々と踊らされた。あの小泉時代の異常さ。
でも、今回のアフガニスタンの伊藤さんの拉致、殺害事件の報道の経過において、あの数年前の、拉致事件や香田さんの事件のときのような、「自己責任論」によるバッシングが、少なくとも今回は政治家やマスコミからは表立っては起きなかったことに、少し、ほっとした。あのころの報道の異常さ、そして救出された人質や家族へのバッシング等を、誘導するような政治家の「自己責任」発言や、香田さん殺害事件のときの、救出のための何のアクションも起こさなかったばかりか、積極的に切って捨てるような酷薄なコメントを出したこの国のトップと、それに媚びるような政治家、外務官僚たちの冷たい態度、発言に唖然としたものだった。異常だったと思う。そして、社会は、あの酷薄さによって壊れたものを、修復し、取り戻さなければならないと私は思う。政治家や官僚が自らの不作為をごまかすために、あの「自己責任」という言葉は使われたし、それにマスコミや若い人たちが、唯々諾々と踊らされた。あの小泉時代の異常さ。