あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

TVのニュース番組を見てると鬱になる・・

2013-05-03 00:15:55 | ニュース
 最近、というかかなり以前から、TVのニュース(ワイドショー&バラエティ系も含む)番組を見ていると鬱になりそうなので、すぐに見るのをやめています。米紙の首相発言批判とか猪瀬の五輪誘致の暴言とか、政治家がどんどん日本のパブリックイメージを下げているのに、彼らを喝采し続けるって本当ですか?世論調査!!世論誘導調査でしょってネ・・。

 へらへらした芸能人達を見てもうつになりそうです。

 人数で日本の世論を牛耳っている団塊と団塊ジュニアに日本が亡ぼされるのか?(これは私の妄想です・・)

最近のTVより( 6/10TBSサンデーモーニングより )

2012-06-11 20:29:04 | ニュース
 6月10日放送のTBSサンデーモーニング、「大飯原発再稼働問題」について

 田中優子(法政大教授):「菅さんが降ろされた時から、このことは決まってたんじゃないかという気がします。マスコミもそれに同調した。こうやって戻っていく。既得権を持っていた人たちの利益を守る方向に戻っている。橋下さんんが今回いいことを言った。『夏季限定で守れないのは電力会社じゃないんですか?』と。電力会社、大企業、財務省、既得権益者全員のために再稼働しようとしている。よほどの反対運動を起こさなければ、次々と再稼働して大変危険な日本になっていく。(戻っていく。)」

 野田総理の会見について、涌井雅之(造園家・東京都市大学教授)は、
「言い切ればリーダーシップだと勘違いしている。」と批判した。

 また、涌井氏は、プルトニウム原料を使用しているプルサーマル発電の危険性についても言及した。

福島

2011-03-27 19:01:18 | ニュース
 福島第一原発情報は、主にツイッター情報をチェックしている。NHK含む大手マスコミは、ここに来てやっと危機感が出て来た感じ。これまでは、主にアナウンサーと解説者の”日本の原発安全神話”と同レベルの感情的な”希望的観測”で終わっていた。ツイッターは、最初から危機感に満ちたコメントで溢れていて、チェルノブイリを経験したヨーロッパメディアの見解も紹介されていて参考になる。ことここに至っては、感情的な希望的観測ではなくて、冷静な”最悪の場合の想定”も必要。皆さん、多くのひとはやってると思うけど、まだのひとツイッターは要チェックです!今なお続いている東電の人命軽視体質についてもよくわかります。

最近のテレビより~ globeの曲のこととか

2008-11-07 23:56:06 | ニュース
 小室ファミリー、小室サウンドが世間を席巻していた90年代後半、私自身はちょうど私生活が忙しい時期でもあったので、そのことに特に関心を持ったことも、彼らの音楽を熱心に聞いたこともなかった。なんとなくチャカチャカして、ふわふわした感じだなあという印象しかなく、特に興味もなかった。その特徴があの時代の雰囲気に合致していたのだと思う。小室哲哉氏本人に対しても、その女性との付き合い方や別れ方、あるいはもっとあとの方での、時の政権への曲の提供など”御用音楽家的振る舞い”などに、どちらかと言うと違和感を感じていた。
 
 私は、”溺れている者をさらに棒で叩く”ような趣味はない。人間の性善説も信じている。だから、ここで彼のことを批判するつもりはない。どこかで歯車が狂ってしまってもがいていたのだろうと思う。逮捕された時の表情などを見ると、どこかほっとしているように見えたのは、彼が現在いたところが、地獄のような泥沼だったからではないだろうか。と同時に、そこからなんとか自力で脱出してみせるという自らの才能への強力な自負心も、まだまだ垣間見えたし、今回、報道されているようなことが事実ならば、その原因のひとつに、彼の貴族的な特権意識もあったような気がする。でもそのような性質は、ある程度自らの才能を自負している芸術家には間々見られる特徴であると思う。基本的には、音楽少年、ロック少年がそのまま大きくなったようなひとで、あのシャイで所在なさげな普段の様子と、それに相反するような強力な自己顕示欲とナルシシズムの共存、そして成熟と安定を拒否しているような少年性。そんな彼の存在に、これまで特別の関心を抱いたことはないというか、私の求めているものとは縁のない位置にいるひとだとずっと思っていた。

 今回、彼の逮捕の報道を聞いて、90年代後半に、まだまだ若かった豊川悦司と夏川結衣が共演していたTBSの「青い鳥」というドラマの主題歌がたしかglobe だったということを思い出した。(「Wnaderin` destiny」by globe )で、YouTubeで探して、globeの他の曲も何曲か聴いてみたのですが、globeの曲には、何か独特の暗い雰囲気と切なさがあって惹かれるものを感じた。彼のピアノと彼女の唄とのアコースティックなコラボなどには、彼の純粋さを感じた。歌詞に関しては、余り印象がないというか、外国のアーティストのような哲学性とか深さを感じさせるものは、ざっと見ただけですが、あまりなくて、その軽さがあの時代に合っていたのかなと思ったりしますが、それが現代の主流となっているものと少しずれてきて、そのことに気付けなかったのだろうと思います。彼が重視していたのは、あくまでも、ある雰囲気のようなものでしかなく、それが時代とずれてしまった、雰囲気は流行でしかないから。不易と流行ということで言えば、偉大な芸術には、その両方の要素があると思うけれど、彼の多くの曲は、あの時代の”流行”でしかなかったと思う。でも、globeの曲だけには、それに留まらない芸術性を感じる。

 だから、もし彼に罪があるのならば償わなければならないと思うけれど、このまま、駄目になってしまうのは残念な気がする。

※ココログにドラマ「青い鳥」についての記事を書きました。
 
 それと、筑紫さんの訃報を聴いて、本当にびっくりしています。ニュース23も彼が降りてからは見てなかったです。元気になって復帰されるものと信じていました。まだ信じられないです。

社会にとってどちらがより問題なのか( 最近のテレビから )

2008-02-10 21:56:05 | ニュース
 さて、本人の謝罪によって一段落した感じの倖田來未発言問題ですが、最近のテレビを見ていて気になった点を少し書いてみたい。その発言については、もう改めてここには書きたくない、と言うのが私のこの発言についての感想ですが、ここに来てこの件について、ちょっと気になるコメントがちらほら見られた。と言うか、本人謝罪のニュースに対して、発言そのものの当否ではなくて、この問題をここまで大きくしたネットの、主に掲示板における批判の方を問題にして、この発言問題のピントをずらそうとするコメント、(私が観た限りでは、小倉、徳光両氏、)が見られたことだ。ネットの掲示板の批判の不適切さを理由に、彼女の発言の不適切さが免罪されるわけでは無い。勿論、ネットの一部の掲示板は問題大ありなのだが、この件に関しては、このような発言が社会に何の抵抗も無く受け入れられたとしたら、そちらの方が社会にとってより問題だと思うからだ。その発言によって傷つく人が、例え少数でもいる場合、発言者は批判を甘んじて受け入れ、きちんと反省をしなければならないと思う。それに対して、このように問題のピントをずらしたり、発言者の擁護をしたり、という姿勢になるということは、彼らが、この発言の問題点を重要視してない、彼らが、普段から同じような意識で、同様な言葉遣いをしているからなのではないかと疑ってしまうのである。一目置かれたい、受けたいために偽悪家ぶって、誰かを貶める(今回は意図的にではなく、結果的にそうなったと言うことだと思うが、)者が喝采を受ける今のマスコミや社会の状況が反映された発言であり反応だと思うし、くり返して言うが、そのような発言が何の抵抗も無く受け入れられる方がより問題であると私は思う。

”エリカ様の”ツェッペリンってか・・

2008-02-03 00:08:52 | ニュース
 先日のワイドショーで、ジミー・ペイジ来日(コンサートではなくてベスト and ライブアルバムのPRのためらしいですが、)という話題をやっていて、おっ、と思って見たら、内容は、日本の記者が、ロンドンのツェッペリン再結成ライブに行ったらしい沢尻エリカのことを知っているかと質問して、それに彼が「残念ながら彼女を知らない」と答えたのを、通訳が気をきかして「別に、」と訳したとかどうとかの、とても恥ずかしくて、くだらない話題だった。そういう質問をする記者も、そして、その部分しか流さないTV局も、ほんとどうにかしてほしい。この間の、ピルロとカカへのインタビュアーに、にしおかすみこを起用した時と同じように腹立たしかった。日本のマスコミ人は、日本国内で通用している感覚が、世界で通用するのかどうか、という疑問すら抱かないのですね。ジミー・ペイジが沢尻エリカを知ってるわけないだろう!! と言うか、日本のマスコミ人にとって、ツェッペリンってのは、”沢尻エリカ様がファンの”っていう認識しかないのでしょうね。は~っ・・。

最近のテレビから(「19歳の兵役拒否」 10/1 のNEWS23より)

2007-10-03 00:26:14 | ニュース
 10月1日にNEWS23で放送された「19歳の兵役拒否ー僕はコロサナイ」を観た。

 徴兵制のあるドイツでは兵役を拒否した場合(ドイツの基本法で「良心的兵役拒否」の権利が基本的人権の「良心の自由」として認められている)代替労役としての社会奉仕活動が義務付けられているそうで、19歳のドイツ人青年、ヤネク・ダン君は、以前に日本を訪れた時、最後に訪問した長崎の「岡まさはる記念長崎平和資料館」で、第二次世界大戦での(ドイツと共通する)日本のアジアに対する加害の歴史を初めて知ってショックを受け、もう一度資料館を訪れたいと思っていたことから、代替労務の場所に資料館を選んで11ケ月間働くことになったのだそうです。働き始めて、日本の若者が自国のアジアに対する加害の歴史をほとんど知らないことに驚いたそうです。ドイツではホロコーストなどの自国の過去の戦争犯罪についての歴史教育が徹底されて行われており、ほとんどのドイツ人は自国の過去の過ちについて知っている。そして、過去の過ちを国が公に謝罪することによって、近隣諸国との友好関係を築き、EUにも加盟している。
 彼は、EUになって、「国籍より人間性が重要だ」と思うようになったことも、兵役拒否の理由だとも言っていた。

  「私の国が何をした」かを知ること
  
  平和は戦争を語らないことではない

  そして、日本とドイツの戦後は対照的

  日本の戦後に偽善的なものを感じる

  日本は憲法9条を持ち、平和記念公園を作る

  でも徹底的な議論が欠けている、と。

 
 ドイツ人にしては小柄で、ヘアスタイルはドレッドヘアで、日本の友人とサッカーを楽しんだりもする彼は、今時のふつうの青年だが、資料館の休日には、長崎の戦争体験者の話を聴きに行ったりという活動を積極的にしている。日本の同世代の若者に、こんなに真摯に過去に向き合おうとしている青年がいるだろうか。自分達と同じような過去を持つ国から来た青年の真摯な言葉に耳を傾け、共感できる感性を多くのひとが持っていてほしいと切に思う。


※ココログに映画「バッテリー」の関連記事をアップしました。
 
 

世界史未履修問題に思う

2006-11-05 22:21:45 | ニュース
 日本中に広がったこの問題、救済措置が取られて決着しそうで、関係する受験生や卒業生も少しほっとしているというところなのでしょうが、立花隆氏の「メディア ソシオーポリティクス」の記事『東大生にも蔓延!履修漏れ問題「ゆとり教育」が国を滅ぼす』で、立花氏が、「世界史を学ぶ学生がそれだけ少ないという事実」が問題として、「日本の平均的大学卒業生」が「グローバル・スタンダードからいって世界の歴史を何も知らないレベルの非常識人だ」として、現在の政権が、自民党と公明党の連立政権であるということをまったく知らない「社会科の常識部分をほとんど欠如させたまま大学生になってしまった」東大生のことなどを紹介しているのを見て、問題の規模が思ったより大きいということに愕然としてしまったのですが、自分のことを思い出してみると、私たちの時代は、たしか歴史は世界史と日本史の選択制だったような気がしますが、私は世界史を選択していて、その理由は、日本史には小学、中学とやってもうあきあきしていて、”学ぶためのモチベーションを保てない”と思ったからなのですが、そういうのって今のひとは考えたりしないんだろうか。今度のことで、世界史を選択する学生が少ないので、世界史が必修になったということを知ったのですが、高校の予備校化というのだろうか、本末転倒というか、目先の利益にとらわれて学ぶことの本当の目的がなおざりにされているんだなと思う。それもかなり大規模なスケールで。世界史の知識の欠落は若者の右傾化にも関連があるんじゃないだろうかと思ったりする。無知なものほど洗脳されやすいし。私が世界史をやってみて思ったことは、現代の世界を読み解くにには、世界史だけはだめで、現代史も必要だということだった。ベトナム戦争や中東の問題などについては、高校の世界史だけではまったくちんぷんかんぷんで新聞を読んでもわからなかったからだ。とにかく、今回のことで、高校の関係者たちは、世界史の重要性をそれを学ぶことの意味から考え直したほうがいいのではないだろうか。
 

何で煽られたいのだろう?

2006-10-17 15:13:26 | ニュース
 「憲法九条を世界遺産に」を読んでいる途中ですが、この本は、このタイトルによってすべて言い尽くされてるなと思います。不勉強な私は、太田、中沢対談のすべてに付いて行けてはないのですが、このタイトルを眺めるだけでもこの本を読む価値はあると思います。それと、太田光の読書家ぶりに感心したりもできます。

 朝から、みのもんたのしかめっ面がニュース画面の左下に貼り付けられている画面を見ながら、その後のコメントを予想して、うんざりする。夜は夜で細木数子が女子高生や主婦や芸能人を洗脳している。ニュースを見れば都知事が言いたい放題の暴言、差別発言を繰り返している。そして、彼ら、彼女らの支持率が高いことを見ると、みんな感情的に煽られるのが好きなんだと思う。居丈高で高圧的な煽りによって、心の中のもやもやした怒りの感情を発散したがっている。発散するなら「きみまろ」でも聞いて笑ってるほうがずっと健康的だと思うが。煽りは怖い。煽りは、ひとびとの恐怖の感情に訴えて、ヒステリー症状を引き起こす。煽りは暴動に暴動は戦争につながると思う。「ゲームは終わった」などと言う評論家の煽り発言に乗ってはいけない。国民の人気取りのために、さらなる挑発的な外交姿勢を見せる現総理の煽りに乗ってはいけない。論理的に見えて韜晦している彼らの煽りには、「きみまろ」のように自己を客観視する視線はない。