我家は太白区羽黒台の高台にあります。
海ぱつ130メートルの山の上に位置しているのと、岩盤が強いらしく震災のときにも近所中たいした被害がなく、もちろん津波の被害もありませんでした。
25日の午後に水道が復旧して水の心配がなくなりましたが、今回のライフライン全滅の生活を振り返り、これからは節約につとめようと思いました。
ここのところ雪や雨が降っていたので、トイレ流し用の水を溜めていたので、これからも同じく溜め流しをしようと。
野菜を茹でたお湯は、食器の洗い水(洗剤投入)に使っています。
その他、節電に努める。など、今までなんの不自由も感じなかった生活。
大震災はとても大きな犠牲があって、悲しい気持ちもいっぱいですが、自分の生活の不自由さに怒らず、生活を楽しんでいました。
ローソクの灯は温かく家をほんわり照らしたこと。毎日カレーの夕飯でしたが、ディナーのようにご馳走にみえたこと。
カレーの具を毎日あるものを足して食べ、だしで伸ばして和風カレースープにして気温が低いときは、スパイスを混ぜ身体を温めてと~
庭にくる鳥の行動をジッと見れること~買い物に行きすぐお店に入れたこと=ラッキー
小さな平凡なことが、とても幸せに感じる日々です。
画像は、羽黒台から望む~名取市 大きい道路は南部道路(自衛隊や物資輸送の車しか通れません)その下にある橋は栗木橋~下を流れるのは、名取川です。
遠くを見ると、何事もなかったかのような海=大津波の太平洋の水平線が見えます。
右上のほうは、大津波が襲ったゆりあげ 海が目の前にあるゆりあげの住宅地は3キロさきまで津波がおしよせ壊滅的だと新聞に載っていました。
震災から3日間停電だったので、テレビがみれなかったせいで映像からうける恐怖感がなかったのが幸いでした。次の日の新聞を見てとてもショックをうけましたが。
それからは、宮城県民みな同じ安否確認に心が急いだことでしょう。
高度なハイテクの時代=アナログな物の必要さとありがたさを認識した日々です。
2週間がすぎ、行方不明の方早くみつかるように祈っています。