ハンググライダー。
この英語を直訳すると、ハング(ぶら下がる)グライダー(滑空機)です。
これは読んで字の如く、人間がグライダーにぶら下がって滑空するもののことで、日本でもハンググライダーという言葉が伝わる以前に、ちゃんと「懸垂式滑空機」という言葉がありました。
ハンググライダーと他の航空機との最大の違いは、人間の脚力によってテイクオフすることですが、このハンググライダーの起源を遡ると、あの「オットーリリエンタール」に行きつきます。
リリエンタールはドイツの技術者で、資料に残る範囲では、世界で一番最初に滑空機で飛ぶことに成功しました。
念のためですが、この当時は既に飛行船が我が物顔で空を飛んでいました。
リリエンタールの功績については、今更私が述べなくても、各種資料を見ていただければ詳しいことが分かるので、あえて今更このブログで語る必要はないと思います。
しかし、一つだけ私は皆さんに伝えたい大切なことがあります。
それは、リリエンタールはこの当時で既に「ピッチ安定」について、しっかりと確立された滑空機を作っていたことです。
写真からの推察でしかありませんが、リリエンタールの機体を見る限り、かなりしっかりした「ピッチ安定」があったはずです。
なぜそのようなことが言えるかというと、下の図を見てください。
これは飛行機の翼と尾翼の関係を分かりやすく書いたものですが、どんな飛行機、滑空機でも、後ろの翼に対して、前の翼の迎角が、よりプラスとなる角度(取り付け角ともいう)になっています。
飛行機のピッチ安定は、わかりやすくおおざっぱに言ってしまうと、上図のような前後の翼の関係で、飛行機の重心位置が若干前よりになった時、ピッチの安定がとれてうまく飛ぶようになります。
これはどんな飛行機でも間違いなく、この前後の翼の角度の関係が成り立っており、この前後の翼の角度の差は、一般に大きいほどピッチの安定も大きくなります。
ハンググライダーは主翼だけですが、翼端が上図で言う「後翼」の役目を果たし、ピッチの安定が確保されているのです。
そして、このことは今後このブログでご説明するハンググライダーの進化を語るなかでは、とても大事になってくるので、しっかり覚えておいてくださいね。
で、もう一度リリエンタールの機体をよく見てみると、主翼と尾翼にかなり大きな迎角の差を確認することができます。
モーメント(主翼と尾翼の距離)は少ないものの、それを埋め合わせるに十分な前後の翼の迎角の差はあるので、かなりピッチ安定のある機体だったと思います。
それに対し、横方向の操縦は、足を振るだけの体重移動のみだったということなので、かなりコントロールは困難だったと推察していますが、翼に上半角も与えられていたので、ピッチの安定の良さと相まって、何とか操縦出来ていたのだと思います。
滑空機という意味では、日本にもリリエンタール以前に「浮田幸吉」伝説が存在しています。
彼は鳩の体から、空を飛ぶのに必要な「翼面荷重」を割り出していたそうで、その数値は現在のハンググライダーとほとんど同じものになります。
更に「上半角」にも気づいていたと文献には書かれています。
ピッチ安定については、残された文献だけではどうであったかは推察することはできませんが、少なくとも「上半角」に気付くには、それなりに模型を作って実験を繰り返していたはずですから、実験段階の模型も、やはりそれなりには飛ぶ様にはなっていたはずです。
ここからは、100パーセント私の推察になりますが、もし、幸吉のグライダーがしっかり揚力が生まれる「翼型」をもち、安定性が保てる「形状」があり、更に、それらが維持できる剛性(強度)を持っていたとすれば、かなり高い確率で実際に飛行に成功していたのではないか?
私はそのように考えています。