リリエンタールが滑空機で飛行に成功してから、一気に航空機の進化のスピードが早まりました。
そして、エンジンを積んでの動力飛行に達するにも、それほどの時間は必要としませんでした。
そして時代は進み、リリエンタールが作ったようなフットランチのハンググライダーは無くなったかのように思われたのですが、しかし、第二次大戦時、突然ドイツで高性能なハンググライダーの固定翼が登場します。
これは、ホルテン兄弟という人が作ったものですが、詳しい資料が手元にないため、その性能の詳細ははっきりとは言えないのですが、外形から判断して、今のATOS-VRか、ひょっとしてそれ以上の性能を持っていた可能性はあります。
残念ながら、その機体の写真は見つからなかったのですが、同兄弟が製作したグライダーの写真はあるので紹介しておきます。
見たとおりの無尾翼機ですが、ホルテン兄弟はこのような形のグライダーを、フットランチタイプ、つまり、ハンググライダーと言える機体でも作っています。
その機体は、上の写真のコクピットの上部が、風防を残してオープンとなっており、上半身がグライダーから飛び出た形でテイクオフしていました。
ホルテン兄弟は、第二次大戦時、ナチスの力を借りて様々な無尾翼機を作りました。
作る機体はすべて無尾翼‥。
とにかく無尾翼機にこだわり続けた結果、大戦後期にはジェットエンジンを2機搭載したHo229という機体を作りますが、とにかくこれが高性能。
もともとは爆撃機として設計されたようですが、時速1000キロで飛行することが出来たため、どんな戦闘機も追いつけず、しかも、炭素を含んだ塗料を塗っていたため、レダーでもとらえることが出来ず、「ステルス」の性能を持った飛行機だったそうです。
くどい様ですが、70年近く前の話なのです。
Ho229は、当時飛びぬけた高性能を持っていましたが、Ho229完成後まもなくドイツは降伏。
この機体は時代から消えていくこととなります。
そして、敗戦したドイツからホルテン兄弟の名前も消えていくことになるのですが、実はそれよりも少し前、日本で若干19歳の若者が、滑空比21:1のハンググライダーを一人で製作しています。
頓所好勝青年‥。
次回はこの方の紹介です。