飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

稚内から名寄へ。

2021-08-15 09:35:20 | 2021北海道旅

今朝は思い立ってある場所へ…。

今日は8月15日。終戦記念日です。

…。で、やってきたのは。

稚内公園の氷雪の門です。

ここから、8月15日の朝日の写真が撮りたかったんです。

今から58年前の8月15日、そう、ちょうど今日、この氷雪の門が、終戦記念日

ということでここに建てられました。

この氷雪の門は、今から76年前の8月20日に、樺太の地で起こった悲劇を後世

に伝えるために建てられたんです。

その悲劇とは、この海の向こうにある樺太で、多くの日本人が虐殺された事件

です。

そんな混乱の中で、最後まで日本本土にその状況を伝えるために、電話交換手

の9人の乙女が居残り、最後は青酸カリで服毒自殺を遂げています。

その出来事を記した碑がこちらです。

8月15日の終戦記念日に、この地で見る朝日を撮りたくて、ここにやってきま

した。

美しい朝日が顔を出してくれました。

ずっと未来まで、この美しい朝日が、美しいと思える時代が続くことを祈りま

す。

これらの碑に、そっと手を合わせて、樺太の御霊のご冥福を祈り、次なる地へ

と向かいます。

 

オロロンラインです。

約60キロの区間、こんな道が続きます。

1時間ほど走り、手塩の街に到着しました。

ここで、河口付近のお気に入りの車中泊スポットで朝食を食べ、しばしまった

り…。

少し南に下ったところから、海から離れて内陸へと向かいます。

やってきたのは、松浦武四郎 北海道命名の地です。

松浦武四郎…。幕府の依頼で北海道、当時の蝦夷地を調査した方です。 

この方、役人のイメージが強いのですが、実は、根っからの放浪癖の持ち主…。

幕府が蝦夷地を詳しく知りたかったため、調査員を募集しますが、それに名乗

りを上げた方です。

武四郎は、幕府の後ろ盾のなか、アイヌのひとの世話になりながら、蝦夷地を

調べあげます。

しかし…。

幕府の目的は、早い話が蝦夷地の植民地化でした。

武四郎は、世話になったアイヌの人は裏切れないと、大政奉還後の明治政府に

異議を唱えますが、その願いは受け入れられず…。

のちに、武四郎は自ら役人の座を降りています。

最後まで、アイヌの人を守り抜こうとした武四郎…。

私はそんな彼の生き様が好きなんです。

今ある北海道の地名って、アイヌ語が多く残されていますが、これはみんな、

武四郎が漢字の当て字で表したものです。

ちなみに…。

「北海道」の地名はどのようにつけられたかというと…。

もともとアイヌの人は、この地を「カイ」と呼んでいました。

そして、幕府はこの地の末尾に「道」をつけることが決めていたため…。

北のカイの道。つまり、北海道と命名したのだそうです。

 

音威子府より進路を南にとり、美深に向かいます。

途中、一面のそば畑がきれいだったので一枚。

美深の道の駅に到着しました。

ここでは「チョウザメ」が見られます。

これらのチョウザメは、現在この地で養殖されています。

その昔、ここを流れる天塩川で、チョウザメの遡上があったらしいですが、現

在は絶滅したものとされています。

しかし…。

地元の方の話だと、どうやらチョウザメらしい大きな魚を目撃した…。という話

もあるようです。

チョウザメ。残っていて欲しいですね!

ちなみにチョウザメは、サメと付きますがサメとは全く違う魚です。

お昼はここで、コロッケと骨付きウインナーで簡単に…。

その後はお昼寝…。

目が覚めたところで、運動不足なので、美深の道の駅併設のキャンプ場をジョ

ギングで一周…。

汗をかいた後は、お風呂で汗を流します。

本当ならば、例のHO(ほ)を使いたいところですが、お盆や休みの日は使えな

いところが多いんです…。

 

もう少し下って名寄の道の駅へ…。

今夜はここで一泊します。

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