デキタン ドシタン

赤松の吹筒花火のはやし言葉です。こんな調子で日和佐(美波町)の出来事やマイライフを公開します。

誰を葬った墓なの?

2007-12-04 | 赤松
要左衛門の調査から寺野地区にある墓石群を調べているが、今回また違う墓石群を発見した。
明和と刻印されているので約240年前のものである。そして、先祖墓と書かれたものが4墓見つかった。
要左衛門の時代に近く、我が家のご先祖の宝暦に次ぐ時代のもである。
赤松地区にはお寺が2ヶ寺あるがどちらも焼失後の建立であり、前回の発見した墓石の戒名は判らなかった。
要左衛門が寺野に一時住んでおり、娘も住んでいたらしいので、今回のものがそれらしかったが、俗名が一字違っていた。
何らかの因果関係もあるかもしれないが、寺野地区が要左衛門家族と米倉があったことが記されているので、もう少し調査してみます。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 要左衛門遺族の屋敷跡 | トップ | 干し柿 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (夢見る)
2007-12-05 21:22:55
難しくて私には解りませんが
女性の墓  240年ならそんなに古くない?
返信する

コメントを投稿

赤松」カテゴリの最新記事