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aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の1

2024-10-21 21:11:23 | 履歴稿
IMGR075-20
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の1
 
 「オイ、義章さん、今日ヤマベを釣りに行かないか。川向の似湾沢だが、天気が良いから屹度面白いぞ。」と突然保君が誘いに来た。
 
 私はヤマベと言う魚がどんな魚か、また保君の言う面白いぞと言うことが、どんなことを意味するものかと言うことは判らなかったのだが、毎日を愉快に遊んで居る、仲好の保君が言うことだから屹度面白いのだろうと思ったので、「ウン、連れて行ってくれ。」と即座にその誘いに応じたのであった。
 
 「お母さん、保君と似湾沢と言う所へ、ヤマベと言う魚を釣りに行くから。」と私は、母にお昼の弁当を作ってくれるようにと頼んだ。
 
 すると、それを傍で聞いて居た兄が、「お母さん、弁当私の分も頼みます。義章、俺も一緒に連れて行け。俺達はヤマベと言う魚を見たことないもんなあ。」と言うのを、母は心良く引き受けて、ご飯の上に梅干を乗せたニユムの弁当箱を二個、一枚の風呂敷に包んだ。
 
 
 
IMGR075-21
 
 「オイ、支度出来たか、池田さんの浩治さんも一緒に行くとよ」と風呂敷に包んだ弁当を腰に巻た保君が、テングスや釣針を装備した短い釣竿を、二本担いで誘いに来た。
 
 「保君、俺の兄さんも行きたいんだとよ、だから一緒に連れて行ってくれよ。」と、兄の希望を私が伝えると、「いいよ、人数の多いほうが却って面白いよ。」と言って保君は、担いで来た二本の釣竿を、「これ一寸持って居てくれ。」と、私に持たして、くるっと廻れ右をして自分の家へ走って行った。
 
 それから五分程すると、私に持たした二本の竿と同じように、テングス其の他を装備した新品の釣竿を1本持って、駈け戻って来た保君が、「義潔さんも、義章さんも、釣針のとこ、俺ぼろ布で結んで来たのだけど、沢へ這入ったら木の枝の下を何回となく潜るんだから気を付けなよ、うっかり竿の先のテングスを枝に引っ掛けると、俺も何回かやったことなんだけどよ、釣竿を持っている手の指に釣針を刺すぞ。」と、忠告をしてくれた。
 
 「弁当は、義章お前が持てよ。」と兄が言ったが、私は母が一枚の風呂敷に二個の弁当箱を包んだ時から、既に覚悟をして居た。
 
 「気を付けるんだよ。」と門柱の所まで送って出た母の声をあとに、私達三人は道路を右に曲って学校の坂を降った。




履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の3

2024-10-20 19:58:28 | 履歴稿
IMGR075-17
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 木菟と雑魚釣り 3の3
 
 私達が雑魚を釣りに行ったこの小沼は、その昔台地の下を流れて居た、鵡川川が残して行った残骸であって、それを言うなれば古川なんだ、と保君は言って居たのだが、雑魚は実に良く釣れた。
 
 その小沼へ糸を垂れた私達二人は、瞬く間に七、八糎程のヤチウグイ、ゴタッぺ、鰌と言った雑魚を、それぞれ二十尾程づつを釣りあげた。
 
 「もうよかべや、また明日釣りに来るべよ。」と言って保君は、素早くテングスを竿に巻いてから、傍の柳の木から適当な枝を二本手折って来て、二人が釣り上げては、地上へ投げ出して置いた、まだピチピチと跳ねて居るものもあった雑魚のえらを一連に刺しとうした。
 
 「オイ保君よ、実によく釣れて面白かったなぁ。」と私が言うのを、「なあに、まだまだ釣れる所があるぞ、いつか教えてやるわ。」と言いながら保君は、雑魚を一連に刺した柳の枝を一本私に手渡して、「さあ、帰ろうや。」と、釣竿を肩に担いで台上への坂を駆け登った。
 
 そうした保君に続いて私も駆け登ったのだが、帰りの道は肩を並べて口笛を合奏しながら、黄昏の家路をゆっくりと歩いた。
 
 
 
IMGR075-18
 
 木菟と言う鳥は、実によく餌を食う鳥であった。私と保君が交互に巣箱へ投げ込むのを、頭からペロッと一吞にしてしまうと言う状態であった。「オイ、もう良いべよ、十尾以上も食ったべ、あとは明日の朝やれよ。」と保君が言うので、残りの雑魚は明日の餌にと、私は残した。
 
 保君と私は、その翌日からは馬欠を持って行って、釣った雑魚を生かして持って帰るようにして木菟を養ったのだが、この木菟も、その年の八月には死んでしまった。
 
 それは明治大帝崩御の悲報が、日本国中に報道された翌朝のことであった。朝礼に整列した全校生に校長先生が、「天皇陛下が崩御された。それで今日と明日の二日間は、生物を殺してはならんぞ。」と厳命をした。
 
 保君も私もその校長先生の話を鵜呑みにして、絶対の服従をしたので、二人はその二日間の雑魚釣りを休んでしまった。
 
 「生物を殺すな。」と言った、校長先生の教えを、忠実に守ったつもりの私達二人ではあったのだが、二日間餌をやらなかった木菟は、三日目の朝、私が巣箱を覗いた時には、嘗てのカケスと同じように巣箱の隅で骸になって居た。
 
 
 

履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の2

2024-10-20 19:52:42 | 履歴稿
IMGR075-14
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編 
 木菟と雑魚釣り 3の2 
 
 それは、その日の黄昏時のことであったが、ニセップと呼んで居た古潭に住んで居た布施と言う姓の少女が、カケスよりは幾分小さかったが、黒い色の耳が頭上の両脇にピンと立って居る鳥を持って来てくれた。
 
 私はその鳥を、有難うと言って受取ると、嘗てはカケスの巣箱であった箱の中へ、早速入れたのであった。
 
 「さようなら」と言って、その少女は玄関を出て行こうとしたから、「オイ、一寸待ってくれ。」と言って、玄関に待たしておいて、奥の八畳間で裁縫をして居た母に、「お母さん、ニセップの布施と言う 愛奴の娘が木菟を持って来てくれたんだよ、今玄関に待たしてあるんだが、お礼に十銭位やりたいんだが。」と私が言うと、「そう、そりや良かったな、カケスが死んでからはお前の元気が無いのでお母さんは心配して居たんだ。お礼はお母さんが直接するから。」と言って、それまで玄関で待って居た少女が「おばさん、そんなことしなくても良いの。」と言って辞退するその手に、無理矢理十銭銀貨を1枚握らせて、「あんた、どうも有難う、 うちの子は未だ此処の土地に馴れて居ないから、これからも仲良になってやっておくれ。」と頼んで居たが、その慈愛に満ちた母の態度は、今も私の脳裡に深く刻みついて居る。
 
 「おばさん有難う。」と、少女はとても喜んで帰って行ったが、私は早速木菟の来たことを保君に報告しなければと思って、急いで彼の家へ走った。
 
 
 
IMGR075-15
 
 「おい、保君よ、今布施がなぁ、木菟を持って来てくれたぞ。」と私が報告をすると、「おおそうか、今日持って来たのか、そしたらこれから餌の雑魚を釣りに行かなけりゃならんなぁ、さあ、それじゃあ早速行くべよ、早く行かんと日が暮れてしまうぞ、なあにこれからだって、二人で釣れば、明日学校から帰るまでの餌は充分釣れるよ。」と、元気よく言った保君は、裏からテングスや釣針を装備してある釣竿を二本持って来て、その一本を私に渡した。
 
 「釣りに行く沼はこっちだ。」と言って、保君が駈け出したので、その後に続いて私も、生べつの方向へ郵便局の前から走ったのであったが、約五百米程走った所から右へ曲るニセップの古潭への道の所で、辛くも私は彼に追いつくことが出来た。
 
 「オイ、此処から曲がって行くんだ。」と言って保君は、また駈け出したのであったが、その時の私は、彼と言う少年は実に足の速い奴だなと思った。と言っても、駈けることについては、そう人後に落ちないと言う自信を持って居た私ではあったのだが、この保君の足にはとてもついて行けなかった。
 
 
 
IMGR075-16
 
 そうした保君が、「オイ、此処から降りるんだぞ。」と言って、遅れまいと懸命に後を追って居る私を振返って叫ぶと同時に、彼の姿は台地の路から下へ吸込まれるように消えて行った。
 
 ヒイヒイヒイと呼吸をはずませながらも、彼の後を懸命に追って居た私が、彼が下へ消えていった地点に着くと、其処からは、台地の下に在った水田地帯へ降りる急斜面に細い小路があって、その小路を降った所には、その周囲が三十米程と言う小さな沼が、東西に並んで二つあった。
 
 私がその小沼へ駈け降りた時には、付近の雑草を引き抜いて捕ったと思う、二、三匹の蚯蚓を地上へ投出して置いて、既に保君は釣糸を沼へ垂れて居た。
 
 
 
 

履 歴 稿 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の1

2024-10-20 19:46:47 | 履歴稿
IMGR075-11
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 木菟と雑魚釣り 3の1
 
 保君が罠で年寄カケスを捕ってからは、どうしたものか、桂の木へはもうカケスが飛んで来なくなった。
 
 そうした或日、「カケスはもう此処へは来ないかも知れんぞ、あの年寄カケスが罠にかかったのを見て吃度吃驚したんだよ、だけどなぁ心配するな、俺何処かで吃度捕ってやるよ。」と言って、私の家から百米程行った裏の密林へギヤギヤと鳴いて、飛んで来るカケスの群を目あてに、連日、此処彼処と彼が得意の罠を仕掛けるのだが、その罠は必ず成功をして居たのだが、私達が学校から帰ってその罠へ行くと、確実にその罠にかかったと思われるカケスが、それが鳶であったが、それとも鷹であったのかも知れなかったが、弓状に縛った柴木が直立して居て、その麻紐には、胴体のないカケスの足が残って居たと言う状態であった。
 
 私はその日を明確には記憶をして居ないのだが、カケスが死んでから二週間位は経過して居たと思って居る或日のことであったが、朝礼を終って教室へ這入った私の所へ、机の下を潜らせた手送りで一枚の紙片が届いた。
 
 
 
 
IMGR075-12
 
 その差出人は保君であったのだが、その紙片には鉛筆の走り書きで”カケス捕りは失敗ばかりして居るから諦らめよう、ところがニセップの布施が木菟を捕ったんだとよ。それをお前にやりたいと、俺に言って来て居るんだが、どうだお前その木菟を貰ってカケスの代りに飼わないか、餌は雑魚で良いんだ、その点は俺が良く釣れる沼を教えてやるから心配するな。」と書いてあった。
 
 「もうカケスは居ないんだから、その巣箱を裏の物置へ持って行ったほうが良いのじゃないか。」と、母は幾度となく私を促したものであったが、私は矢張りその巣箱を、玄関の土間の正面へその儘にして置いておいた。そして毎朝、その箱の前に立っては嘗って餌をやって居た時と同じように、萩の木で作った格子の中を覗いては、「お早う」と声をかけては、ありし日のカケスを幻想して居た私であったから、そうした保君の配慮に小躍したものであった。
 
 一時間目の授業を終って校庭に出た私は、「オイ、保君、さっきは有難う、是非貰ってくれ、頼む。」と言って、彼の手を力一ぱい握りしめたものであった。
 



履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の7

2024-10-19 15:33:36 | 履歴稿
IMGR075-10
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の7
 
 保君は、単にこのカケスを捕えてくれたばかりではなかった。
と言うことは、罠でカケスを捕えた翌朝の学校で、廊下に整列をして、全校生が校長先生を待つ僅かな時間を利用して、「オイ、みんな、俺なぁ、義章さんが欲しいと言うから昨日罠でカケス捕えてやったんだよ、だけどよう、義章さんの家は内地から、今年来たばかりだからよう、餌にする唐黍と言う物が一本も無いんだ。俺の家も皆が良く知っているように畑を作って居ないから駄目だ、だからよ、みんなの家にあったら、一本でも半本でも良いから、明日学校へ来る時に持って来て、義章さんにやってくれないか。」と言ってくれたことであった。
 
 
 
IMGR075-11
 
 それはその翌朝のことであったが、二本或は三本の唐黍を生徒達が、その登校の途中を自分達の名も告げずに私の家へ置いて行ったので、私が学校から帰った時には、引越に使った莨の空箱二個に溢れる程に集まって居た。
 
 「こんなに沢山の唐黍を持って来てくれたのだが、お母さんには誰が誰やら判らないし、聞いても子供達は只笑ってばかり居て、何も言わなかったのだが、一体この唐黍はどうしたの。」と母が言うので、昨日の朝礼の時の模様を私は説明した。
 
 その時「義章、カケス大切に飼わなきゃいかんで、粗末にしたら、保ちゃんを始め沢山の人に申訳無いからなぁ。」と母に、懇懇と言われて居たカケスを殺してしまったのだから、保君を初め唐黍を持って来てくれた生徒諸君に申訳無いと言う気持が、相当に長い期間の私を憂鬱にした。
 




履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の6

2024-10-19 15:29:24 | 履歴稿
IMGR075-05
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の6
 
 「カケスはなあ、良く馴れると物真似をするようになるぞ。」と言って、保君は帰って行ったのだが、それは全くの事実であった。
と言うことは、玄関を這入った土間の正面に、石油の空箱を台にして、その上にカケスの巣箱を置いたのであったが、毎朝餌をやる時の私が「お早う」と、カケスに呼びかけて居ると、10日程たったある朝のそうした時に、それは不完全な発声と語調ではあったが、どうにか「お早う」と聞きとれるように、カケスが応答をしたからであった。
 
 
 
 
IMGR075-06
 
 私は、このカケスをとても可愛がったのだが、それは捕えてから二ヶ月程経過をした或る朝のことであった。
 
 いつものように、餌をやろうと巣箱の前に立った私は、思わず「オヤッ」と、声を出して巣箱の隅を凝視した。
 
 その頃では、私が餌を持って巣箱の側へ近づくと、「お早う、お早う」を連発して、バタバタと羽搏くまでに慣れて居たカケスが其処に斃れて居た。
 
 私は吃驚と言うよりも周章てて保君の家走った。
 
 
 
IMGR075-07
 
 私が、「保君」と叫んで勝手口から飛び込むと、丁度洗面を終ってタオルで顔を拭いて居た保君は、私の周章かたに相当吃驚をしたらしく、「どうしたんだい、朝っぱらからそんなに周章てて。」と言いながら私の傍へ寄って来た。
 「保君、すまん、カケスが死んでしまったんだ。」と言って、私は保君に頭を下げた。
 
 「なんだ、カケスが死んだのか、大したこと無いじゃないか、大体一番先に罠に飛びつく奴はなあ、年寄カケスなんだ、だからあまり長生出来ないんだよ、なあに心配するなよ、また捕まえてやるよ。」とこともなげに保君は言ってくれたのだが、彼が苦心をして、折角捕えてくれたカケスを殺してしまったのは、私の飼育方法に欠陥があったのではなかろうか、と言う自責の念で胸が一ぱいであった。
 
 


履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の5

2024-10-19 15:25:02 | 履歴稿
IMGR075-01
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の5
 
 保君と私が、出入口にぶら下がって居る莚の隙間から、じっと覗いて居ると、その内の一羽が罠の唐黍を狙って急降下をした。
 
 その瞬間、私はハッと息をのんだ。
するとその急降下をしたカケスが、「ギャ、ギャ、ギャ」と、けたたましく鳴き出した。
 
 「オイ、捕れたぞ。」と言って、保君が飛び出したので、「それっ」と私もその後に続いたのであったが、昨日保君が「明日は屹度捕れるぞ。」と言ったとうりに、弓状に絞って仕掛けた柴木が直立に跳ね戻って居て、その先端に結びつけた麻紐に両足を縛られたカケスが、「ギャア、ギャア」と鳴きながらもがき羽ばたいて居た。
 
 「オイ、どうだ捕れたろう。」と、私を振返った保君が、「お前の家に何か空箱無いか、カケスの巣箱を作るんだ。」と言ったので、私は急いで家へ駆け込んで、「お母さん、カケスを捕ったので巣箱が欲しいの、だから物置にある空箱を一つ使っても良いでしょう。」と頼んで、引越荷物に使った莨の空箱を一個持ち出した。
 
 
 
IMGR075-03
 
 「オイ、この箱でどうだ。」と、私が呼びかけると、「オオ、これは大きいから良い巣箱が作れるぞ。」と言って保君は、雑木の茂みに這入って、萩の木を二十本程切って来た。
 
 「オイ、お前そのカケス足縛った儘で抱いて居れよ、ぶらさげて居ると飛び廻って足を折ってしまうぞ。」と私に注意をしておいて保君は、自分の家から鋸と釘、それに金槌を持って来て、空箱の蓋の面に、萩の木を間隔良く釘で打ちつけた。
 
 勿論、内部には泊木の施設をした。
 
 「此処から餌や水をやるんだぞ。」と言って、萩の木を格子形に打ちつけた左の下の所に、同じ格子形の小さな開扉が、針金の蝶番で細工をしてある所を開けて見せた。
 
 巣箱が完成すると保君は、私が抱いて居るカケスの足から麻紐を解きほどいて、「オイ、此処から入れてやれよ。」と言って、その開扉を開けたので、私は其処から巣箱の中へ、カケスを入れてやった。
 
 
 
IMGR075-04
 
 窮屈であった足の緊縛を解かれて新しい巣箱へ入れられたカケスは、泊木から下へ、そしてまた泊木へと、しばらくは跳ね飛んで居たのだが、やがて遊び飽きたものか、それとも巣箱に馴れたものか、泊木へ泊って、私達の顔をキョロキョロと見くらべながら「ギャ」と鳴いた。
 
 それまで、そうしたカケスの動向をじいっと見つめていた保君が、懐から紙袋を取出して、中に一杯這入って居た唐黍の粒を巣箱の中へばらまいた。
 
 しばらくはその唐黍の粒と私達の顔をキョロキョロと見比べて居たカケスであったが、やがて泊木から飛び降りて、コツコツと小さな音をたてて唐黍の粒を哺み始めた。
 
 「オイ、これでも馴れたんだぞ。」と言ってから、「おおそうだ、水をやらなきゃ駄目なんだ。」と保君は、自分の家から缶詰の空缶を一個持って来て、それに満満と水を注いだのを、巣箱の中へ入れると、転倒防止のために針金で萩の木の格子に縛りつけた。
 
 


履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の4

2024-10-19 15:08:35 | 履歴稿
IMGR074-20
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の4
 
 「明日は、罠を作って必ず捕てやる。」と保君は言って居たのだが、Y形の二本の木と萩の木二本が、どんな作用であの鳥を捕えるのかと言うことは、私には全然想像がつかなかった。
 併し、私は「明日はかならず捕れる。」と言った彼の言葉が、頼もしく思えてとても嬉しかったので、その夜はなかなか寝つかれなかった。
 その翌日、学校から帰ると、早速保君は、鉈と細い麻の荷造紐を持って、物置の出入口の所から私を呼んだ。
 私は、早速筵の垂下って居る出入口から表へ出て二人で桂の木の下へ行って罠の工作に取りかかったのだが、勿論、私は保君の助手であった。
 
 
 
IMGR074-24
 
 最初保君は、近くの柴木を数本弓状に絞って見て居たが、やがて適当なものが見つかったとみえて、その木の枝を切り払った、そうして彼は、その木を数回弓状に絞って弾力試験をして居たが、「よし、此奴に決めよう。」と呟いて、根元から二米程の所を残して上部を切り捨てると、再び弓状に曲げて「この儘にして持って居れよ。」と私に言いつけて自分は、昨日作ったY形の木を、弓状に絞った儘で私が持って居た柴木の先端の所へ約二十糎程を土中へ差込むと、残りの一本を其処から約七十糎程離れた所へ、矢張り二十糎程を土中に差込んだ、そしてその双方のY形を向き合わせた。
 それからの彼は、持って来た麻紐を二米程の長さに切って、その一端に拇指が潜る程の輪を作ると、残りの一端をその輪に潜らせて、その先端が四十糎程残るように、私が持って居た柴木の先端へ三巻程巻いて結つけると、「もう放してもいいわ」と言ったので、私がパッとその柴木を放すと、先端の麻紐に空中へ半円の弧を描かせて勢い良く跳返って揺れの止まるまで、その麻紐を揺ぶって居た。
 
 
 
IMGR074-25
 
 それからの保君は、その柴とY形の木に、適当に短かく切った萩の木と麻紐を使って細工をして居たのだが、やがて完成したと見えて、「よし、今度は此奴」と、麻紐を垂れ下げた柴木を弓状に絞って、罠を仕掛けた。
 保君が罠を完成したのは、丁度昨日カケスが飛んで来た頃の時刻であった。
 待つ間も無く遥かな空から、群鳴くカケスの声が聞こえて来たので、「オイ、来たぞ」と言って二人は物置の中へ隠れたのだが、カケスは昨日と同じように六羽程の群れが飛んで来て桂の木に止まった。




履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の3

2024-10-19 15:04:06 | 履歴稿
IMGR074-15
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の3
 
 カケスと言う鳥は、香川県にも居たかも知れないが、北海道へ移住をするまで、その名さえ知らなかった私であった。
従って、私は似湾へ来て始めてその鳥の名を知って、その鳥の姿を見たものであった。
 
 その日も私は保君と跳釣瓶の井戸の傍で相撲を取って遊んで居たのであったが、その時刻的には太陽が正に西の山に沈まんとする頃のことであったが、綺麗な羽をした鳥が五、六話羽の群れとなって、ギャアギャアと鳴きながら、南の方向から飛んで来たのだが、その鳥の大きさは鳩程の大きさでしかなかったが、嘗て私が見たことの無い鳥であった。
 
 その私には珍しい鳥が、跳釣瓶の井戸の傍に在る雑木の茂みの中で、只一本亭亭と天を摩して居た桂の大木の枝に止まった。
 
 
 
IMGR074-17
 
 そうした鳥の様子を見た私は、「保君、一寸待てよ。」と、保君との相撲の遊びを止めて、「保君、あの鳥綺麗だなあ。」と言って、見とれて居ると、「なんだ、カケスじゃないか。」と簡単に言い捨ててから、「お前あの鳥欲しいのか。」と保君が言ったので、「うん、欲しいなあ、俺この鳥見るの今日始めてなんだ。一羽飼って見たいなあ。」と言う私に、「そうか、よし俺が一羽捕てやる、明日まで待っとれ。」と言って、保君は、その日も自分の家から鉈を持って来た。
 
 そうした保君は、「オイ、あの桂の木の下へ罠を作るんだ。そうすると明日は屹度カケスが捕れるぞ。」と言って、その桂の木の下の雑木の茂みから、枝がY字になって居て、根元が4糎程の大きさの木を1米程の長さに揃えて二本切って来た、そしてそのY形の上部を十五糎程に揃えた。
 
 そうした保君は、更に附近から中指程の太さの萩の木を、矢張一米程の長さに揃えて二本切って来た。
 
 「オイ、これで準備は出来たんだ。あとは明日学校から帰ってからまた作ることにするべ。」と保君が言った時に、丁度夕食の時刻であったので、彼の家の表から、「保、ご飯だよ」と呼ぶ母親の声に、「さよなら」と言って、保君は帰って行った。
 
 


履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の2

2024-10-19 14:57:36 | 履歴稿
IMGR074-10
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の2
 
 そうした保君は、間もなく駈け戻って来たが、その右の手には嘗て私が見たことの無い刃物を持って居た、その刃物は刃部の部分だけがピカピカ光って居て、母が野菜を刻む時に使う包丁に似た形の物であったが、どっしりと重量感のある刃物(後日それが鉈と言う刃物であると言うことを知ったのだが、その時には判らなかった)を持って居た。
 
その保君は、早速跳釣瓶の井戸の傍にある雑木の茂みの中へ飛び込んで手頃な木を二本切って来た。
 
「オイ、お前その木で何を作るんよ。」と私が言うことには答えないで、保君はその鉈を振って切って来た木を削って居たが、やがて二本の木刀が出来あがった。
 
「オイ、出来たぞ。これであのヨモギを全部二人で叩き切るんだ。」と言って、保君は私にその木刀を一本私に手渡した。
 
 私と保君がその木刀で枯ヨムギを縦横十文字と、「エイツ、ヤツ」と言う気合をかけて、盛んに薙ぎ倒して居ると、そうした二人の激しい気合を聞いたからであろうが、ヒョッコリと兄が出て来て、「オイ、二人共面白そうだなあ、一つ俺にもやらせろ」と言って、保君の木刀を借りた。
 
 
 
IMGR074-11
 
 「ウム、こりゃ面白いぞ。」と言って、夢中になって跳廻っている間に、保君が更に一本の木刀を作って来たので、それからは三人が揃って、思い思いに「エイッ、ヤッ」と言う気合をかけてその枯ヨムギのある所を跳廻って、アッと言う間に全部の枯ヨムギを薙ぎ倒してしまった。
 
 私の母は千変万化と言った状態で、縦横無尽と跳廻って居る様子を、それまで「ハハハハ」と笑いながら傍観をして居たのだが、私達がその全部を薙ぎ倒してしまうと、「これを全部適当に縄で縛って、物置へ積んでおくれ。」と言って、引越荷物に使ってあった縄を持って来た。
 
 私達は、その縄で母も混えた四人がかりで適当の丸さに束ねて、それを私達少年三人の手で、物置へ運んだのであったが、その枯ヨムギの焚付けは、翌年の春まで母を喜ばしたものであった。